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かしこまりました、社長様  作者: じゅり
― 本編 ―
9/57

09.押しても駄目なら引いてみよ

「では早速、奥の部屋から」

「待て。奥はプライベートだって言ったでしょ」

「そうなんだけれど、ここも経費の一部だからね。調査しないわけにはいかない――」


 そうか! 私ははっとした。


「そうよね。気付かなくてごめんなさい。年頃の男の子だもん。隠したい物の一つや二つあるわよね。考え足らずだったわ」

「あんたの場合は考えが及びすぎだっ! と言うか年頃の男の子って、思春期の子供かよっ! そうじゃなくて、服とか散らばっていたりするから」

「あ、何だ。気にしない気にしない」


 私は横に手を振る。


「私、弟がいるし。まあ、うちの弟は整理整頓好きなんだけどね。私の部屋よりぴしーっと整理されているのよ」

「そうじゃなくて、俺が気にするの」

「あらら、意外と繊細な心の持ち主なのね。それなら仕方ないわ。それに今日は突然だったものね。じゃあ、次回の時でいいわよ」

「次回ってまた来るのかよ!」

「もちろん。調査が終わるまでは何度でも足を運びますよ」


 黒田君は大きくため息を吐いた。


「五分待って。今、片付けてくるから」

「お仕事の邪魔になるから、次回でいいってば」

「また来られる方が邪魔だから!」

「そう? じゃあ、遠慮無くお待ち申し上げますわ。では終わったら呼んでねー」


 そう言っていそいそと靴を脱ぐと、ソファーの上に寝転ぶ。初めて見た時からここに横になりたかったんだよねー。パンツスーツだから格好気にしなくて良いし。……いや、少しは気にするべきか。


「うわぁ、最高。いいねー、このソファー。やっぱり秘書室にも欲しいぃ」

「っておい!」

「なーに。残り四分四十八秒ですけど」


 私は腕時計を確認しながらそう言う。


「っ! 分かったよ、もう!」


 黒田君は扉を閉めて中に入って行った。最初も思ったけど意外に打てば響くと言うか、ノリがいい子だなぁ。


「……さてと」


 私は靴を履いて、ソファーベッドから降りる。

 鬼の居ぬ間に洗濯ならぬ調査だ。まあ、彼のあんな態度から考えると、とても贅沢しているようには見えないんだけどね。


 パソコン機材に触れないように私は部屋を見て回る。とにかく機材が多く配置されている事が分かる。これだけの物を動かすとなると電気代が掛かりそうだ。事実、経費の中で電気代がほぼ占めていた。


 私はこういった機械ものは詳しくないからよくは分からないが、電化製品でも次々と機能が上がった新しい製品が出ている事を考えれば、新たに機材を購入する必要があるのかもしれない。一方、この部屋で仕事部屋とは思えないなと考えられるのはソファーぐらいだろう。しかしこれに関しては一度買ってしまえば、そう頻繁に替える事もないだろうし、事実ソファーが新品だという事もなさそうだ。


「うーん。本も専門書ばかりだし、こうして見るとやはり経費のほとんどが電気代と生活費に占められているって所かしら。問題は生活費の方ね。あっと、そろそろ五分ね」


 私はソファーに逆戻りし、横たわる。するとすぐに扉が開かれた。


「終わったよ」

「ああ、お疲れ様ー」


 私はソファーの上から手をひらひら振ってみせると、身体を起こしてベッドから立ち上がった。


「ではお邪魔します」


 そうして上がった部屋はまさにアパートの一室を会社の中に持ってきたような部屋だった。木目を基調としたお洒落な部屋で、生活に必要な全ての物が備え付けられている。部屋は洋室一室と言うことで、1LDKだそうだ。キッチンはあまり使っていないらしくて、シンクが綺麗だ。


「へぇ。綺麗にしているじゃない」

「ああ、変な勘ぐりされないために、今、命がけで綺麗にしたからね」

「大袈裟ねぇ」


 なかなか面白い事を言いおる。私はけたけたと笑うと彼はどういった反応を見せれば良いのか、少し困った様な表情を浮かべた。そう言えば、会ってから彼の笑顔を一度も見ていない事に気付いた。


 それにしても部屋に関してだが、ぱっと見ているだけでは特にどこかにお金を掛けている風でもない。


「ここに一ヶ月の間でどれくらいの頻度でいるの?」

「どれくらいと言うか、もうここで生活しているよ。以前は会社の外に別の部屋も用意されていたんだけど、ここで生活できるからそっちは引き払ってもらった」

「そっか」


 贅沢な暮らしというわけでもなく普通の会社員並みの生活と言ったところか。住宅手当と言う名目でここが支給されているのだろう。生活の拠点となっているのなら削るべきという所は見当たらない。確かに住宅手当の金額は人によって異なるが、独身寮で生活する者もいるぐらいだから、これぐらいは許容範囲だろう。


「なのに何で経理が文句言うの?」


 私はお邪魔しましたと言って部屋を後にすると彼に尋ねた。彼はデスク前の椅子に座り、私はソファーに腰掛けた。


「……知らないよ。凡人のひがみなんじゃないの」

「うん、分かった。君の態度だ。決定」


 彼に向かって指さしてやった。


「勝手に決定するな。あと、人を指さすな」

「失礼。まあ、社内に生活拠点があるっていうのが大きいのかもね。逆を言えばそれだけ大変な仕事なのにね」

「…………」

「ああ、そうだ。機材に関してはどう? ずいぶんと部屋にあるけれど、やっぱり新しい方が、機能がいいとかで頻繁に購入しているの?」

「まあ、確かにそれは言えるけど、必要最低限しか買い換えはしていないよ。もちろん新製品に興味はあるけどね」


 彼は肩をすくめた。彼はまたキーボードをかたかた動かし始めた。真面目か!


「電気代もこれくらいの機材があったら当たり前だよねー」

「まあね」

「おそらく一人で使っているにしては高すぎる経費という意味なんだろうけどね。後は幹部クラスの給料もね。だけど君は何人かで行うはずの仕事量を一人でやってのけている訳なんだから、これまた当たり前の話になるんだけど」


 私は腕を組んでうーんと唸る。


「さて、どうしようか?」

「どうって、何だよ」


 そう言って横目でこちらを見る黒田君。イケメンの流し目はなかなか眼福である。


「経理の方にどう納得してもらおうかしらと思って」

「俺としては支給され続けるのなら、文句を言われ続けようが何しようが、別に良いけどね。社長のお墨付きがあるんだし。そもそもほとんど社員と顔を付き合わせる事はないし」


 他人と関わることにまるで興味が無さそうだ。


「うーん、確かにそうなんだけど。こちらとしても意見を放置しておくのは体裁悪いし、あなただって人に誤解されたままでは嫌でしょう?」

「別に。他人の気持ちなんてどうでもいいよ」


 彼は本当に他人の評価など全く気にしていないようにそう言った。人嫌いと言われる所以だろうか。


「こーら。そういう考えはお姉さん、いけないと思うな」

「お姉さんとか……」

「ええ、お姉さん。おネエさんではなくてよ?」


 私はにっこり笑みを向けると彼はまるで脅えたように私の笑みから視線を逸らした。失礼ね!


「先日も君が女性にぶつかったくせに、散らばった書類を拾わなかったでしょ。君がどう思われても構わないと考えている一方で、あなたの態度で傷ついている人間もいるの。そういう事はちゃんと認めないとね」

「……分かった」


 あら、素直な良い子だなー。きっと彼は人との距離の取り方が分からないだけなんだろうと思う。にこにこしていると、彼は気まずそうな表情を浮かべた。


「さて。黒田君。今、一つ案を思いついたんだけど、こういうのはいかがでしょう」

「何?」

「うん、あのね。題して『押しても駄目なら引いてみよ作戦』よ」

「は?」

「つまりね、あなたは一週間ほど、仕事をお休みするの」

「…………。はあっ!?」



 そして黒田君が仕事を休んで四日目の朝。彼はかなり戸惑ったような表情で会社に戻ってきた。社内にいたら手助けを迫られる事もあるだろうだろうから、しばらくホテルにでも避難しておくように言っていたのだけれど、急遽呼び戻される事になったのだ。


「黒田君、お疲れ様。ごめんね、まだ三日しか休んでないのに」

「うん。そうだけど……やっぱりホテルにいても仕事の事を考えると落ち着かなくてさ」

「律儀なのね、あなた」

「いや……律儀って言うかさ」

「よっ! 社畜の星! ひゅうひゅう」


 口をすぼめて音を鳴らしてみた。


「あ、また社畜って言ったな!」

「あら、何で怒っているの? 褒めているのに。星だよ? スターだよ? 社畜の頂だよ?」


 私は首を傾げた。


「あんたね。それ、全然褒めてないよ……」

「そんな事ないのに。日本語って難しいね」

「……あんたが難しくしているだけだよ」

「まあ、それはともかく。あなたって良い人よね。仕事が気になって仕方が無いって」


 そう言うと彼は肩をすくめてみせた。


「……別にそんな事ないよ。ただ戻って来た時、仕事が増えているのが嫌だっただけ」

「ううん、そんな事無い。良い子よ、あなた。自分で気付いていないだけ」


 拳を作って力説すると黒田君は若干引いた顔をした。


「い、良い子って。大の大人掴まえて良い子はないだろ」

「偉いわ、ホント偉いわよ、君は。私なんて遅くまで残業だの、日曜日まで駆り出されるだの、愚痴ばっかりだものね。見習いたいわ」


 あ、いや。やっぱり見習わなくていいや。社長の社畜の道、犬まっしぐらになってしまう……。


「やっぱり何か褒められている気がしないし。――いや、それよりさ」


 彼はそう言って話の流れを切った。


「その。何だか会社がかなり慌ただしそうに思うんだけど、大丈夫なの」

「ううん、全く」


 私があっかけらかんそう言うと、彼は目を見開いた。


「はっ!?」

「たったの三日なのにねー。大混乱よー、あははは。まさかあなた一人いなくなるだけで、こうもなるだなんて、さすがの私も思いもしなかったわ。でもね、昨日なんて部長クラスが走り回っている姿とか痛快すぎたわよー」

「いや、それ笑っている場合じゃないよね……?」

「いいの、いいの。あの方々にもたまには運動くらいさせなくちゃ。ビール腹で大きいんだから。言わば、運動促進で福利厚生の一環よね?」


 黒田君は、それは何か違うと苦笑いした。


「でもおかげで経理に認めさせる事ができたわよ」

「……どうやって?」

「セキュリティシステム部の苦情は経理へ行くようにしておいたから」

「は?」


 眉をひそめる黒田君に私は笑ってみせた。


「つまりね。経理課が黒田君の経費削減を要求してきたので、残業代を少しでも減らす為に黒田君を数日休ませる羽目になりました。この試みがうまく行けば今後も経費削減の為に彼を休ませる事になりますとセキュリティシステム部署には伝えておいたの」

「へえ」

「だから対応しきれないことに気付いた彼らはうちじゃなく、経理の元へ行って抗議したって訳。おかげで経理課は認めざるを得なかったわよ、あなたの経費」

「あ、そ、そう……。だけどいくらなんでも無謀な作戦だったと思わない?」


 彼の言葉に私は肩をすくめた。


「正直私もここまで混乱するとは思わなかったわ。だってシステムの構成はあなたがしているんでしょうけど、管理はあなたの他にも担当者がいるはずでしょう」


 まさか、これほど対応できないとは思っていなかった。黒田君におんぶに抱っこだったことが分かる。


「それに彼らだって最初、黒田君がいなくても我々だけで十分ですとお大見得切ったのよ。私としては少しぐらい、あなたの仕事量を知れば良いと思っただけなのにここまで立ち行かないとはね」


 完全に想定外だったとしか言うほかないだろう。あるいは問題点が露わになった事は良しとすべきか。


「あなたもそうでしょ」

「うん、まあそうだけど……」

「それにしてもあなた一人だけ飛び抜けて優秀って言うのは本当に危険ね。今回みたいにあなたが不在だったら立ち回らないって事だから。あなたの他にもシステムエンジニアがいるのに、今回この様だものねぇ」


 まあ、幸いこちらの業務までは響かなかったけれど、他の部署で響いた所があるのは本当に申し訳なかったと思う。何かしらのエラーというのは毎日のように起こるものだったとは。


「あなたのレベル程までにはならなくても、更なるシステムエンジニアの育成が必要みたいね。社長に進言しておいたわ。もちろん、しなくても事態は把握されていらっしゃっていたけど」


 君は少々手荒すぎると頭が痛そうにしていたな、社長様。うん、ごめんなさい。でも一つだけ言わせて。手荒じゃ無くて計算外だったのよと。


「……あのね。凡人はさ、天才にはなれないけど、努力して秀才にはなれると思うのよね」

「え?」

「一握りの天才が世界を変えるのは確かよ。でもね、やはり世界を支えているのは大多数の凡人であり、努力した秀才たちなのよ」

「うん……」

「今後ね、システムエンジニアの育成をしていく事になると思うけど、その時あなた少しでも教壇に立ってくれないかな。今回の事でね、自分がどれほど未熟だったかを痛感して、あなたに教えを請いたいって言う人が出て来たのよね。……もちろん無理強いはしないけど」


 これを機にもう少し人と触れあってくれるといいな。そう思っていると、彼は私の意図を読んだかのようだった。


「……うん、考えておく」


 明言はしなかったけれど、一歩前進といった所だろう。


「ありがと」

「だけど何でこんな俺にここまで無茶してまで関わって……くれたわけ?」

「もちろん社長の事もあったんだけど、そうね。何て言うか。うちの弟もね、あなたと同じような年齢で同じような職業なのよ」


 そう、彼は実家にいる弟を思い起こさせる。


「システムエンジニアって事?」

「ええ。うちの弟はセキュリティに特化しているんだけどね。ウイルス対策系のソフトを開発しているらしいの。年齢はあなたより一つ下と近くてね、それに性格もぶっきらぼうだけど優しい子でね。何だか親近感が湧いちゃって放っておけなかったと言うか」

「へぇ……弟さん。お姉さんがこんなんで何て言うか……同病相憐れむよ」

「やだなーっ、黒田君ったら! そんなに褒めないでーっ!」


 黒田君の肩をどんと押すと、彼は少しよろめいた。それ以上になぜか私の言葉に驚いているようだ。


「え。俺、今、全然褒めてなかったよね? 何なのそのポジティブシンキング」


 彼はびっくりしたように目をぱちくりとさせている。あれ? そうだったっけ。黒田君、何て言ったっけ? ノリで褒められていると勘違いしたようだ。

 きょとんとしていると、彼はぷっと吹き出した。――え、笑った!?


「ホント、あんたって変な女だね」

「やだ。もしかしてそれ、恋愛フラグ? 変な女呼ばわりから始まる恋愛フラグ立っちゃった?」

「まあ、落ち着きたまえ。それは無いから。むしろ皆無だから」


 彼はすぐさま否定した。ちっ、何だつまらん。


「でもまあ、なんだ。これからも……よろしくね。――木津川晴子さん」


 彼は柔らかな笑みを浮かべると、こちらへ手を差し伸べてくる。私は彼の思いに答えようと彼の手を取り、握手した。


「うん。こちらこそよろしくね。黒田蓮君」

「……ん。じゃあ、俺はこの三日間の仕事を取り戻すから、ここでね」

「ええ、お願いします」


 そして彼は頷くと自分の仕事場へと戻って行ったのだった。

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