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かしこまりました、社長様  作者: じゅり
― 本編 ―
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07.わたし流

「きゃっ」


 バサバサバサ……。

 前から来た男性にぶつかられた事で女性社員さんがよろめき、腕に抱えていた書類を床に落として広がってしまった。


「あ、大変っ」


 私は慌てて彼女の元に駆けつけた。


「大丈夫ですか?」

「は、はい。あ、ありがとうございます。……あ、いけない。資料」


 黒縁眼鏡をかけた小柄な女性を支えると、彼女は頷いてしゃがみ込んだ。一方、ぶつかった男性は一瞬止めていた足を再び動かして、前に進めた。


 くぉらぁっ! ぶつかっておいて謝罪も無しか!


「あなた、お待ちなさい! あなたよあなた! 今、彼女にぶつかった、あなたっ! 白Tシャツに草茶色のカーゴパンツを履いている君、あなたよ!」


 通り過ぎた男の背中にびしりと指を突きつけてやって私はそう言った。周りの人たちがじろじろ彼を見てさすがに居心地の悪さでも感じたのか、振り返ってこちらへと顔を向けた。


「っ!」


 彼の容姿を見て思わず息を呑んだ。


 柔らかそうな明るい髪に、色素の薄い瞳に高い鼻、外国人の血が混じったようなどこか甘いマスクにアンニュイそうな表情。あれ、アンニュイって何だっけ。あ、そうだ。眠そうなって意味だったかな? まあそれはともかく、二十代半ばにさしかかった頃だろうか、かなりの美形だ。


 一瞬だけ怯んだものの、すぐに私は目を吊り上げた。イケメンだろうが、何だろうが関係ありませんわよ。相手に非があるのだから、黙ったまま立ち去ることを許すわけにはいかない。


「あなた、今、彼女にぶつかったでしょ! 一緒に拾うなり、謝るなりしなさいよ」

「…………」

「こら、君。聞いている? ごめんなさいは?」


 私は両手を腰に当ててそう言うと、彼はただ忌々しそうに目を細めた。悪いけど君くらいの眼光じゃ、私はびくともしないわよ。普段から世にも恐ろしい社長の冷たき眼光を受けて生きていますからね。


「あ、あの。だ、大丈夫ですから」


 彼女は顔を少し伏せたまま、私のスーツをくいくいと引っ張った。――はっ。また何も考えずに行動してしまった。注目されている状況に気付く。そうだ、彼女の事まで考えていなかった。


「わ、私がぼんやりし、していたのが、悪い、ですので……」


 おどおどとした様子の彼女に私は男を放置して、横にしゃがみ込むと書類を一緒に集め始めた。


「……お、大袈裟にしてごめんね。私ってつい後先考えない所があって、自分でも直さなきゃいけないと思っているんだけど」


 そう言うと彼女はぶんぶんと顔を振った。


「い、いえ。そんな。か、庇って頂いて嬉しかったです。た、ただ私は要領が悪くて、いつも……こんな感じなんです」

「そんな。だってあなた……」


 これだけ沢山の書類をきっと一人で処理して運んでいたのだろう。彼女の指先がカサカサになっている事に気付いた。紙を扱うと油分が取られるのか、カサカサになっちゃうんだよね。


 私は自分のスーツのあらゆるポケットを探り、リングタイプの指サックをようやく発見して彼女の手の平に載せた。


「え……?」

「紙の処理は指がかさつくでしょ。私のお古で悪いんだけど今日の一時凌ぎにね。それとえーっと鈴木さんね。鈴木茉奈さん」


 彼女のネームプレートを読んだ。


「は、はい!」

「頑張っている鈴木さんにご褒美」


 私は別のポケットから一口サイズのチョコレートの包みを数個取り出して載せた。


「心と身体が疲れた時には甘い物が一番よね。チョコレートのパワーでまた気を取り直して頑張ろうね」

「……あり、がとうございますっ」


 彼女は俯くと震える手の平をきゅっと握りしめ、小さな声でお礼を言う。


「あら、チョコレート、溶けちゃうわ」


 そう言って笑うと彼女はつられて恥ずかしそうに笑った。


 ……あ、そう言えばさっきの人はどうしたのだろう。完全に放置していた。そう思って顔を上げると、青年は既に立ち去っている事に気付いたのだった。



 秘書室にて私は社長まで上がって来た要望書をぱらぱらと見ていた。その中で一つ気になるものがあったので社長に尋ねてみることにした。


「社長、情報セキュリティ室の件なのですが、経理課の方から何度か同じ要望書、いえ要請書が来ているのですが」


 その要請書は一人の社員に対する経費が高すぎるので、何とかしてほしいといったものだ。なかなか仕事熱心だな、経理課さん。


「なぜこんな要請書が社長まで上がって来ているのでしょう?」

「……ああ」


 私は頭を捻っている一方、社長は納得しているように頷いた。


「何でしょうか?」

「俺が彼の経費を許可しているからだ」

「私も経費を拝見してみたのですが、確かに一人が使う経費の割には大きすぎるようには思いますね。年齢は二十六才ですが、給料も幹部クラスの様ですし。スゴー……」


 最後はつい自分の感想が入ってしまった。社長は苦笑する。


「彼はとても優秀なシステムエンジニアで、一人でこの会社のシステムを担ってもらっているからだ」

「一人で、ですか? むしろ逆に一人しかいないのですか?」


 私が目を丸くしていると、社長はいや語弊があったと否定する。


「もちろん管理している者は他にもいるが、この会社のシステムの全てを構成してもらっているのは彼だ」


 そうか。いわゆる天才という事か!


「そうですか。……で、どう致しますか?」

「どう、とは?」

「要請が来ている以上、何かしらの対策を取るべきではないかと」

「彼にかかる出費を減らすつもりはない。彼にはそれだけの価値に値する」

「……そうですか」


 社長まで要望書が上がっているのに、放置しておくのはいかがなものか。私は少し考える。


「では、一度私が確認しに行って参ります。社長がそこまでおっしゃるなら減らせない理由もあるのでしょうけど、それでももし減らせそうな経費があるなら協力して頂きたいですし、無理なら経理の方を納得させるような理由を見つけて参ります」

「君の役職は社長秘書だと思ったが?」


 社長は少し意地悪そうに笑った。


「ええ。もちろんそうですが、経理が動いて社長に要請が掛かっている以上、放置する事は社員を蔑ろにしていると言うことで、社長の体面に関わるかと思います。ですが私はそれを補助する立場の人間です」

「……なるほど。分かった。では、やってみろ。ただし相手は人嫌いで有名だ。あまり刺激するなよ」

「おほほ、またまたご冗談を。わたくしは生まれてこの方、人を刺激した事など一度もございません。大船に乗った気でお任せ下さい」


 胸をグーでとんと叩くと、社長は自覚が無いならますます不安だと呟いてため息を吐いたのだった。



 そして私は現在、情報セキュリティ室前である。ここは外付けのカードキーシステムに社員証をかざした上、インターフォンらしき物を鳴らして中の社員さんを呼び出さないといけないのだ。そして何でもそれを押す事で指紋採取され、誰が何月何日何時に入室したか記録されるそうだ。何だか恐ろしい。


 一方で犯罪者じゃあるまいし、指紋採取って人権はどうなっているのだと叫びたいところだが、社長室よりも防犯対策が厳重なのはここでは会社のデータベースが全て作成され、ありとあらゆる情報を管理しているからだろう。会社の中枢と言っても過言ではない。


 しかもここを管理しているのがたった一人だと言うのだから驚きを隠せない。理系の天才が世界を変えるというが、まさにそれなのかもしれない。


「すみません。秘書課の木津川と申します。少しお伺いしたい事がございます」


 社員証をかざして、インターフォンからそう言うと返答は無い代わりに、鍵のロックが外れる音がした。


 相手は天才プログラマーだ。理路整然とした言い訳を放って追い返されるかもしれない。そんな彼に立ち向かえるだろうか。しかし私は私のやり方で調査するしかないだろう。


 さあ、いざ出陣だ。

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