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かしこまりました、社長様  作者: じゅり
― 本編 ―
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06.スイーツは私の人参です

 どうやらお次は社長の番のようだ。なぜかどくどくと私の心音が高ぶる。しかし一方で、社長は眉を上げた以外は平然としたものだ。な、何なんでしょう、その余裕。一体どこから出てくるのですか?


「貴之、あなたは、仕事の方はどう?」

「ええ、まあ。普通にやっております」


 ……うわっ。社長、言い方! ご当主様に対するその言い方っ! 口数少ないにも程がありますよ、社長っ。

 私の方が思わず笑みのまま固まってしまう。


「そう」


 そ、それでいいのですか、ご当主様よ。さすがと言うべきか、なかなか懐が大き――。


「それでは木津川さん、あなたはいかが」

「っ!?」

「仕事中の貴之はどんな様子かしら」


 いきなり矛先が変わって、とりあえず落ち着こうと思って口に含んでいた水を吹き出しそうになりましたよ、ご当主様。何とか吹き出す事と咳き込むのだけは避けたが、苦しさで涙目になる。社長に助けを求めようとするが、こちらをじっと見てくるご当主の目から逸らすことができない。


 そ、それはないですよー。上司ですよ? 社長ですよ? 大丈夫、あなたのお孫さんはよくやっていらっしゃっていますよとか私が上から目線で言うの、おかしくないでしょうか……。


 これまで和やかだった空気が一転、緊張感漂う空間となり、誰とは無しに息を呑む音が聞こえる。あるいはそれは自分が息を呑む音だったかも知れない。ご家族の方も心配そうに私を見つめているのを感じた。お、お気遣いありがとうございます。


 片や、興味があるのか無いのか、社長だけが感情を見せない視線を寄越した。


 おのれーっ。社長がちゃんと答えないから、こっちがとばっちりを受けたんだぞーっ! ――はっ。いやいや待って。まさかこれを狙っての余裕か、社長めーっ!


「お義母さん、それはちょっと酷な質問じゃないかな。晴子さんにとって、一応貴之は上司なわけだからね。答えづらいでしょう」


 そうだそうだ! お父様、援護射撃、感謝致します。ありがとうございます!


「あら、はっきり言ってもらって構わないわよね、貴之」

「……ええ。もちろん」


 ひぃぃっ。それに比べて社長様、味方を背中から撃ってどうするんですか。フォローするとか言っていた人、誰ですか!?


 社長に苛立ちを込めてにっこりと視線を送ると、少し視線を流した。釣られてそちらを見ると、用意されたデザート群。

 うううっ。スイーツという人参をぶら下げて私を走らせるつもりか。社長め、後で覚えておれっ!


 視線で促す社長に私は心の中で毒づきながら、一つ咳払いして、なぜか挑戦的な強い光を湛えるご当主様に視線を向けた。この方に嘘やおべっかは通用しない。ならば事実を申し上げるだけだ。


「わたくしごときが申し上げるのは身の程をわきまえない行為だと思うのですが」

「いいのよ、はっきり答えて頂戴」

「……はい。それでは僭越ながら申し上げます」


 一瞬だけちらりと社長を見て、再びご当主様を真っ正面から見つめた。


「社長様は何があっても言い訳はいたしませんし、」


 面倒なのか、元々口数が少ないからなのか。


「決して嘘を申されませんし、」


 ただ真実を言わないだけで。


「口に出されたことは必ず実行されます」


 何が何でも、例え強行突破でもね。


「そして、どんな方にも対等に接していらっしゃいまして、」


 逆に誰にも心を許してはいないけれど。


「的確な指示の下、まだ秘書として不足なわたくしをも信頼頂き、業務を任せて頂いております」


 来る日も来る日も、たくさんのお仕事を押しつけられています。


「また、お仕事を一度も一緒にされた事がない方も、一緒にされた方も、社長様と一緒に働いてみたいとご評価を頂いております」


 社長の外見に釣られた女性方がよくおっしゃっておられますよ。それにこの際だから男性の社長さんでも、君たちと一度仕事してみたいよ、あっはっはーと私が面白がられて言われることもカウントしておいていいですよね。嘘ではありませんし。うん。


 そう思いながらご当主様に笑みを浮かべると、彼女はそれを受けてふっと口角を上げた。


「なるほど。あなたから見た貴之は仕事のできる人間の特徴を備えているようね。この子が果たしてそこまでの人物かどうかはさておき、あなたは嘘やお世辞を言っていないようだし、いいでしょう。少し分かったわ。ありがとう」


 まるで就職活動の気むずかしい面接官を前に面接をやり遂げたような心境だ。社長にちらりと視線を送ると、ご当主によく似た口角を上げるだけの笑みを見せている。何やら分からないが、どうやら及第点は頂けたようだ。


「ただ、事実は言っても真実は言っていないようだけど」


 その言葉に再びご当主に視線を戻した。

 あら、さすがご当主様。私の女優魂を見たかと思いましたが、見破られていましたか。でも真実がどこにあるのか誰にも分かりはしない。それこそ、どこ吹く風で笑みを浮かべてみせた。


「でも、あなたのその真っ直ぐな瞳と度胸も気に入ったわ。まだまだ私の目に狂いはないようね」


 え? あ、はぁ、どうもです……。目の前にぶら下がる人参が私に勇気を与えてくれましたとは言えませんけど。あ、いや、そもそもご当主様はご自分を褒めていらっしゃるのでしょうか?


 きょとんとしていたら、場の空気がそこでようやくふっと緩んだ気がした。


「さすがは晴子様ですわーっ。わたくし、感動致しました」


 きらきらした瞳で見つめてくる優華さんに私は小首を傾げた。

 私、感動することを言いましたっけ。


「それにしても晴子様のフィルターを通しますと、お兄様まで格好良く見えますから不思議ですわね」


 え、いや。何、その身内下げ。普通にあなたのお兄様は格好いいので誇っていいと思いますよ、優華さん……。


「本当ね。貴之の良さを引き出して頂けているのかしら。晴子さん、いつまでも貴之をよろしくね」

「え、あ、と、とんでもな――」

「いやー、いい人見つけたなー、貴之。父さん嬉しいよー。お前は女性に対して冷たい所があるからな。まさかお前がこんなに聡明な方なのに素直で綺麗な女性を自分で見つけて選んでいたとは。父さん、感激ーっ」

「え?」


 ちょ、ちょっと待って下さい。お父様のその発言、少し意味が違ってきませんか。しかも美辞麗句が並べ立てられて、もはや誰の事を指しているのか不明です。


 焦る私にお父様はきょとんとした表情を浮かべる。あら、何だか可愛い。いやいや、そうじゃなくてっ。


「あれ? 父さん、勘違い? 晴子さん、貴之の恋人だよね?」

「っ!」


 ぶんぶんぶん。驚きで声は出ないが、冷や汗をかいて思いっきり頭を振る。


 い、言ってません。わたくし、そんな事、ひとっ言も申しておりませんよ! とんでもない事です。社長に瞬殺されます。社長様、瞬殺恐いです。だからこちらに視線を送るのは止めてっ!


 社長を恐くて見ることができず、ひたすら頭を振る。


「まあまあ、謙虚な方ね、晴子さんって」


 社長のお母様まで早まらないでーっ! って言うか、社長もいつまでも黙ってないで否定して下さいよ! 沈黙が恐すぎます。地味に私のライフを削ってくるのは止めて下さい。


「違いますわ、お父様もお母様もっ!」


 ぴしりと叩きつけるような優華さんの声が響く。女神様ですか、優華さん! ほっと肩をなでおろした。そしてうんうんと頷く。

 そうですよ、私の代わりに言ってやって、優華さん!


「晴子様はわたくしの運命の方なのですよ。お兄様だけのものじゃありませんっ!」


 うんう……? って。い、いや、それも違います……。いや、でももしかしたら優華さんとは運命の糸では繋がっているかもね。でも、少なくとも私はお兄様のものじゃありませんからね、優華さん。


「優華は黙ろうか……余計に場が混乱するからね」


 悠貴さんが優華さんを嗜めた。


「だってぇ。晴子様がお兄様一人だけのものになるなんて嫌です、わたくし」

「あら、大丈夫よ。義妹のポジションは優華だけのものだから」

「え? じゃあ、やっぱり晴子さんは貴之の恋人って事でいいのかい?」


 大丈夫です、優華さん。私は私だけのものですし、そもそもお兄様に勝手に押しつけないであげて下さい。社長には完全に選ぶ権利があります。そしてお母様とお父様、この状況をきちんと把握なさっていますか……?


 っていうか、この状況、誰が収めてくれるのですか。社長は黙秘を通すし、私はもちろんお手上げです。

 手を付けられない事態に匙を投げ出してぼんやりそう考えていると、ご当主がぱんぱんと手を打った。


「それまでにしなさい。晴子さんが困っているでしょう」


 あ、困っている事に気が付いて頂いて、ありがとうございます。さすが締めてくれるのはご当主様ですね。


 そしてご当主様の視線は社長に向けられた。


「貴之の考えは分かりましたよ。とりあえずしばらくはお前の好きなようにするといいわ」

「ありがとうございます」


 その言葉を受けて、社長は笑みを浮かべると礼を述べた。

 何の事なのか、社長とご当主様だけが分かっているようだ。後で社長に聞こう。


「さあ、晴子さん」

「あ、は、はいっ」


 油断していたらご当主様から突然のご指名を頂いて、肩が少し跳ねた。


「家族の者はあなたをすっかり気に入ったようで、身内の内輪事に付き合わせて悪かったわね。あなたはお菓子が好きだとお伺いしたわ。思う存分、召し上がって頂戴ね」


 ようやくスイーツにありつけるようだ。


「はいっ!」


 瞳をきらきら輝かせているのであろう私に、ご当主様は今日初めての柔らかな笑みを浮かべた。



 日が暮れて夕食もぜひと言われたが、さすがに言葉通りケーキをたくさん頂いてお腹が満足してしまった事だし、今日は遠慮する事となった。着ていた服をお返しして自分の服に着替えると、また訪れることを約束して、いや半ば強制的に約束させられて瀬野家を後にした。


 そして現在、帰宅途中の車の中。


「今日は助かった」

「……どういうお考えだったのか、お聞かせ願いますか」


 私の事を全く助けもしないで酷すぎる。

 むすっとして言うと、社長は横目でこちらを見て少し苦笑した。


「悪かった。食事会ではいつも祖母から俺の見合いの話が出るんだ」

「あっ。私を利用しましたねーっ!?」

「話が早くて助かるな」

「だったら最初から言って下されば」

「言っていたら協力したか?」

「もちろんしませんでした」


 あっさり否定すると、社長は苦笑いする。


 社長のお見合いとかそんな個人的なもの、知るものですかーだっ! あ、でも。しかしそうなると、恋人云々の話が出た時の社長の顔は見ていなかったけど、視線で私を瞬殺するつもりはなかったのか。脅えて損した。


「そう言うだろうと思ったからだ」


 なーんか面白くないな。お見合いが嫌だから私を利用したんでしょ。それに。


「でも社長、私をフォローしてくれると言いましたよね。全く黙秘を貫くとかどういうおつもりですか」

「そう言うな。デザート用意して援護してやっただろう。おかげで普段の君を取り戻せただろう?」


 そっちかいっ。


「それに遅かれ早かれ、いずれ祖母は君を呼び出して見極めようとしていただろうからな」


 ぞくり。あのご当主様のこちらを見通すような瞳を思い出し、今になって寒気がする。やっぱり試されていたのは私だったのか。


「わ、私。社長秘書としての私、ど、どうだった、でしょうか」

「……社長秘書ね」


 一瞬低く呟き、そして何がおかしいのか社長は薄く笑った。


「今回、君は俺の想像を超えてはるかに良い働きをしてくれた。おかげで、これでまたしばらく時間を稼げる」


 お見合いを先送りに出来るという意味だろうか。


「早く……決着つけて下さいよね」


 また利用されるのはごめんですよ。そう暗に秘めて。


「ああ、そうだな。善処しよう」


 そう言って綺麗に笑う社長になぜかちくりと胸が痛んだ気がした。

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