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かしこまりました、社長様  作者: じゅり
― 本編 ―
42/57

42.ごきげんよう。未来永劫

 何とか気を落ち着かせようと、グラスを取って水を喉に流し込む。冷たい水が喉を通って、熱くなった身体を少し冷ましてくれた。そして再びナイフとフォークを手に取ると、口の中でじわりと広がる甘味がさらに私の心を落ち着かせた。


 大丈夫。あの子は超有能だから。私は誰よりもそれを知っているから。ずっと見てきたから。


 彼の悪戯っぽそうな笑みを思い出して改めて確信すると、ナイフとフォークを置いて布巾で口を拭う。すると鷹見社長の表情がみるみる内に笑みから驚愕へと変わり、私から外していた視線を戻してこちらを凝視する姿が見えた。


「君が……?」


 最後のデザートは最高級の人材のおかげで最上級の美味に仕上がったようだ。安堵の気持ちを隠して彼に笑みを送る。


「あら、どうかなさったのでしょうか? 鷹見社長、お顔の色が優れませんわ。お風邪でも召されたのでは? 実はわたくしも最近風邪を引きま――」

「まさか君か!? 君が意図的にやったのか……」


 携帯を耳から下ろし、憎らしげに睨み付けてくる彼に私は小首を傾げた。


「何をおっしゃっているのでしょうか?」

「君の仕業かと聞いている」

「何をおっしゃっているのでしょうか? 大事な事だから二度申しましたよ。ああ、愚かな女にも分かるようにおっしゃって頂けますか?」


 にっこり笑う私に鷹見社長は怒気を強める。


「君はっ!」

「お静かに。場を弁えましょうね、鷹見財閥の御曹司様。いい大人が取り乱されては悪目立ち致しますよ?」

「っ!」


 先ほど鷹見社長から言われた同じ言葉で嗜めると、彼はざわめいて注目する視線に声を落とした。あら、素直。鷹見社長も意外と周りの目が気になるものなのね。


「……今、うちの会社のコンピューターにウイルスが入り込み、マスコミ各社へ機密情報が送信されていると」

「まあ、それは一大事ではありませんか! 大丈夫ですか?」

「君の仕業だろう! 君がした事は、ウイルスを送り込むなどという事は重犯罪だぞ」


 何を言う。自分の事を棚に上げて、私が一体何をしたと言うのか。


「ですから何の事をおっしゃっているのか分かりませんわ? わたくしはここでこうして鷹見社長と楽しく談話しているではありませんか。どこをどうすれば一体そのような器用な事ができるというのでしょうか」


 にっこり笑って小首を傾げて見せた。そしてさらに続ける。


「いえ、わたくしの端末からデータを送ったとおっしゃったのは鷹見社長でございましょう? そもそもわたくし、荷物はフロントに預けたはずです。窃盗と言う事になりますね。明らかに犯罪です。と言うことで通報させて頂きました」

「それは……っ!? 今……通報したと言ったか?」


 鷹見社長はそう言うと目を見開いた。


「ええ、先ほど席を立った時に、職業病でしょうか、少し荷物が気になりましてフロントにお尋ねしたところ、鷹見社長の部下だと名乗る女性が代理で持ち去ったとおっしゃるではありませんか。こんな席ですからね、あまり大袈裟にならないようにお願いして、けれどすぐに通報して頂きましたよ。それにしてもあなた自身が窃盗指示をなさっていたとは驚きです。――あら、着信のようですわ。少し失礼致します」


 バッグの中で携帯が震えたので、ピンクのカバーの携帯を取り出した。電話ではなく、メールの着信だったようだ。


「ああ、このホテルの一室で私の鞄と窃盗犯が見付かったそうです。会社の仲間が鞄に入れていた端末のGPS機能で追跡してくれたんですよ。ほら」


 そして私は携帯画面に表示されているメールを鷹見社長に見せた。だが彼が興味を示したのは携帯本体のようだった。


「それは私用の携帯じゃ……なかったのか?」

「あら。こちらが会社用ですわ」


 そう、あの時、車内で瀬野社長たちに連絡していたのだ。鷹見社長が動き出したので、私を追ってくれと。


「ああ、申し訳ございません。そう言われてみれば、ピンクの派手なカバーですし、会社の人にメール送信している時に家族の話をしてしまったものですから、これが私用と勘違いなされたのですね。実は電子端末も私用と会社用とを持ち歩いております。もしかすると窃盗犯さんも黒カバーの私用と間違えたかも知れませんね」


 アクセス制御の解除ができた際に、私に送信する指示を見せつけようとした事が仇となりましたね。フェイクの為の黒カバーも手伝って部下の方が中身の確認を怠って、さくっと送信しちゃいましたから。まあ、念の為、派手なピンクのカバーをかけた会社用端末にも仕掛けは施しておいてもらったけど。


「……はっ。そうだな。確かに君は一度も俺の問いかけに否定はしなかったが、肯定もしなかったな」


 鷹見社長は自嘲するよう笑った。瞳だけは私を睨み付けて。

 でも、心まで射貫いてくるような瀬野社長の鋭い瞳には劣りますね。


「……まさか席を立ったのも仕組んだ事か? 俺が行動すると踏んで」

「まあ、仕組むだなんて言葉に悪意が感じられますわ」


 私は小首を傾げて笑う。

 だがその通りだ。入店する際に足首を痛めたフリして、すぐに駆けつけてくれたフロントマネージャーさんにお願いしたのだ。少し席を立ちたいので、しばらくしたら何とか私を連れ出してくれと。


 さすが鷹見社長がご贔屓にしている一流店だ。私に水を掛けて、店側の落ち度として席を立たせてくれるとは何とも機転が利いている。しかもほとんど服の被害無くだ。

 うちも会食の場として、瀬野社長にご提言してみよう。これだけの一流サービスを提供してくれるお店だ。きっと商談の助けになるだろう。


「そうか。あながち過大評価していたという訳ではなかったということか」

「鷹見社長。わたくしこそあなたを過大評価しておりました。あなたはもっと賢明な方だと思っておりましたから。やり方が何とも姑息で卑小でしたね。器の小ささが露呈しました。さらに人間の裏を読むことができない全くもって取るに足りない相手ですわ。残念です。見限らせて頂きますわね」


 鷹見社長の言葉をそのまま返してやる。屈辱に彼の表情が歪んだ。うむ、男前はどんな表情でも格好良いですね、悔しいけれど。さすがに私は絶望に歪む男性の顔が好きと言うサディストではないから言わないけれど。


「こんな事をして、無事でいられるとでも思っているのか?」 


 仕方のない人ね。もう一度ブーメランで自爆すると良いでしょう。


「そんな事を言って、無事でいられるとでも思っているのでしょうか」

「何だと?」

「あなたが指示した窃盗犯のおかげで、お風邪を召されているのでしょう?」

「……っ」

「早くお戻りになられた方がよろしいのではないでしょうか? 今年の夏風邪は質が悪いそうです。昔の古傷も疼くらしいですわ。恐いですね。でも何よりも恐ろしいのは女でしょうか。男性と違って平気で『鬼』になれるんですものね。ああ、それにしてもお気の毒に。マスコミさんはこの時間から大忙しになりますね。残業代出るのかしら」


 彼の過去も会社の後ろめたいことも全て洗いざらいさらけ出してくれるだろう。優秀なプログラマーがいると言われて焦ったが、ウイルスを仕込んでいたことに気付かれなくて良かった。うちの方が超優秀だったわね。


「君はっ! ……俺を初めから裏切るつもりだったのか。やはり女は簡単に男を裏切って足を引っ張る。信用ならないな」


 忌々しそうに言う鷹見社長。

 この人は自分の事、棚上げにしすぎじゃないですか? 呆れてため息を吐いてしまう。


「あなたを? 私が? いつ裏切ったのでしょうか? 裏切るという事は、まず信頼関係ありきでしょう。私はこれまであなたに信頼を寄せた覚えはございません。もちろん、あなたも私に信頼を寄せた覚えは無いでしょう? 一体それのどこに裏切りが存在すると言うのでしょうか」


 そう。仮に裏切るという言葉を使うなら、唯一信頼を寄せる瀬野社長に、会社に対してそういった行為を実行した時だけだろう。まあ、私を信じてくれないと思って、そんな瀬野社長が信じられなくて、ビービー泣いてしまった時もあったけれどそれはご愛敬ということで。


 悠然と笑う私に彼は目を見開いた。


「いつからだ? いつから俺を疑っていた?」

「そうですね。少しおかしいなと思ったのは初めて鷹見社長がカフェに連れて行って下さった時です。あなたは甘い物が好きだとおっしゃったのに、コーヒーしか頼みませんでしたよね」

「確かにそうだが」

「私、スイーツ好きだと公言するのに、美味しそうにスイーツを食べない人は信用しない事にしているんです。ほら、あなたは今もデザートに手を付けていない。甘い物、お嫌いなのかしら?」


 私は彼のお皿を指さして笑った。


「はっ。いい加減な事を」

「あら。私はなかなか良い線を行っていると思っているのですが。だって鷹見社長ご自身で証明して下さったでしょう?」


 鷹見社長は睨み付けてきて、私は肩をすくめる。


「――まあ、冗談はさておき。あなたの言葉の端々に本能が警鐘を鳴らしておりました」


 これでも営業部にいた頃は、私もそれなりにやっていた自負がある。その中でたくさんの人と出会い、人となりも見てきたつもりだ。


「ですが正直な話、初めのうちは鷹見社長が何の目的で私に近付いてきたのか、分かりませんでした。ああ、自惚れていた訳ではありませんよ。興味本位程度かなと思っていただけです」


 鷹見社長に指摘される前に言っておきます。ここは私のターンですからね。いちいち侮辱されてはたまったものではない。


「会う回数を重ねる毎にあなたが恐ろしい人間だと思いました。同時に魅力のある方だと。恐怖を植え付け、それを上回る甘い言葉で人を心酔させる。人を操るのが上手なお方だと。この方は人を支配する人間として生まれるべくして生まれたのだと」

「……光栄だね」


 彼は皮肉げに笑う。私は構わず続けた。


「だから似ているなと思いました」

「似ている?」


 鷹見社長は眉を上げた。


「私が鷹見社長に抱く印象と伊藤さんがどなたかに抱く畏敬とが。伊藤さんとあなたが繋がったのはそこです。もちろん確固たる証拠などありませんでした。ただ似ているなと。もっとも一時的に記憶を失っていたので、それに気付いたのはごく最近の事ですが」


 ……そして伊藤さんは鷹見社長に繋がる糸を示してくれた。


「なるほど。本当に使えない駒だったわけだ」


 舌打ちする鷹見社長。私は彼を睨み付けた。


「人はあなたのゲームの駒ではありません」

「何?」


 彼は眉を上げる。


「人は心を持っているからこそ、あなたのシナリオ通りには行きません。人をゲームの駒と見なしていた時点であなたの負けは決まっていたんです」


 そう言うと鷹見社長はため息を吐いた。


「なるほどな。人の心とやらが原因で俺の計算外に動いたって事かな」

「……それと私には忠告してくれる友人がいたんです。あなたに気をつけろと」


 盗聴器が見つかったあの夜、松宮君から電話があった。食事をしていた時、私の様子がおかしかったと言う事で、それから鷹見社長の事を調べてくれていたらしい。


 鷹見社長は自分の手を汚さないため、自分の思い通りに動く部下を作る。あるいは女性ならば男女関係に持ち込む。……なるほど。恋愛詐欺師なり、結婚詐欺師なり、言葉巧みに女性を利用しているケースなどいくらでもあると納得した。


 そして最終的にはターゲットから機密情報を引き出すと言う。伊藤さんは言葉の端々にも、そう警告してくれていたのだ。だから私は実家に帰った時、セキュリティプログラマーの弟に頼んで私の端末にウイルスを仕込んでもらった。今回、空振りだったとしても良かった。


「鷹見社長が陥れる目的で近づいて来た訳ではなかったのなら、それでも良かったんですけど。こんな結果になって残念ですね」

「……もし俺が君に純粋に好意で近づいていたとしたら、君は素直に俺の元に来ていたのか?」

「この世界で、もしもなどあり得ないでしょう。あなた自身がこのゲームのシナリオを作り出し、それに対して私が考えて行動してこの結末となったのですから。そしてあなた自身もまたこの結末を選んでしまったのですから。違いますか」


 鷹見社長は悔やむように眉をひそめた。


「本当に俺は鈍っていたようだ。君を見くびりすぎていた。本気で君を手に入れたくなったよ」

「ご冗談を。金輪際まっぴらご免被りますわ。それにおあいにく様でございます。わたくしはあなた様と違って、もっと誠実で聡明な男性に仕えさせて頂いております。ですから、先ほどのご質問の答えはやはり『いいえ』となりますね」

「電話してきたのは俺を嵌める罠だったと言う事か」

「まあ。ですから罠だなんて言葉が悪いですわ。わたくしはお聞きしただけです。お話は生きていますかと。もしまだお話が生きていたとしたなら、誠に申し訳ありませんが、お断りしようと思いまして」


 澄まし顔でそう言うと、彼は一瞬睨み付けてきたが、すぐに小さくため息を吐く。


「良い度胸だな。だが今回はその度胸に免じて、これで引いてやろう」

「あら、色男さんの負け犬の遠吠えというものを初めてお聞きしましたわ。お可愛らしいものなのですね」


 にっこり笑う私に彼は腕を伸ばして、私の手首を強く握りしめてきた。なかなか痛いぞ、無礼だな、この自称フェミニストが!


「もう一度だけチャンスをやろうか。君は本当にこんな事をして無事で済むと思っているのか? 鷹見財閥の力を本当に理解しているのか? 仮に内部情報がマスコミに漏れた所で圧力をかけて握りつぶすだけだ。それとも瀬野財閥に頼るか? だが、うちと瀬野財閥はほぼ互角の拮抗関係にある。日本経済を支えるこの柱の二つがぶつかり合えばどちらもただでは済まないだろう。それでも瀬野社長に取り入って、この日本経済を、いや世界を混乱させる女にでもなってみせるか?」

「っ!」


 スケールの大きさに一瞬息が詰まった私を見て、鷹見社長は口角を上げた。


「どうだ? 今、この場で膝を折って謝るなら、謝罪の言葉を受け入れてやってもいいぞ。君は俺をここまで苛立たせた初めての女だ。どうやら本気で利用価値があるようだからな」


 苛立たせて悪かったわね。でもお互い様だわ。

 傲慢そうな彼の声と言葉に私は冷静さを取り戻した。


「そんなの、やってみなければ分かりませんよ? 大スクープになるでしょうから、一社くらいは取り上げてくれるでしょう。それより腕が痛いです。お放しになって頂けませんか」


 余程自信があるのか、彼は冷たい笑みを湛えている。


「残念だな。まあ、見ているといい。俺はこれまで欲しい物は全て手に入れてきた。そしてこれからもそうだ」

「まあ。それではわたくしはあなたを初めて挫折させた人間となれるわけですね。光栄ですわ」

「なっ!?」


 そう言って私が笑うと、強い瞳を浮かべていた彼が驚きで怯んだ。打たれ弱すぎですよ、鷹見社長。


「本日のディナー、あなたが書いたゲームシナリオの出演料としてごちそうになりますね。ああ、それと服やアクセサリー類は全て後日お返し致します。この程度で私のこれからの時間を買い取ろうなどと笑止千万。滑稽至極で、臍で茶を沸かしてしまいますわ。それにこれから何かとお困りになるでしょう。売って少しは事業の足しになさるとよろしいですわ。わたくしの慈悲でございます」


 私は再び鷹見社長の言葉を借りると破顔一笑してみせた。


「最後にお礼を申し上げますわ。短い間でしたが、鷹見社長とお付き合いさせて頂きました事はわたくしにとって、とても得難い経験でした。……なぜならあなた様と比べると、うちの社長の瀬野がどれだけ人格の優れた人物か再認識することができましたから。ありがとうございました」


 まあ、ブラックには違いないんですけどね。

 心中はひた隠しにしてそう言うと、鷹見社長は目を見開いた。


「それでは鷹見社長、ごきげんよう。――未来永劫」


 呆気に取られる彼の腕を振り払うと私はその場を立ち去った。

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