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かしこまりました、社長様  作者: じゅり
― 本編 ―
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03.鷹見財閥、鷹見一樹

 瀬野社長も鷹見社長がこちらへと近付いてくるのに気付いたようで私にストップを掛ける。


「少し待て」


 くぅーん。待てが掛かっちゃいました。でもやはり秘書なのだから社長の側に控えていないとね。


「やあ、瀬野社長。お久しぶりですね」

「こちらこそ」


 なるほど。これまでも何度か顔見せはあったのだろう。


「私も途中からですが、久々に会合に参加させて頂く事になりまして、どうぞよろしくお願い致します」

「……こちらこそ」


 それにしても社長、こちらこそしか言っておりませんよ……。


 私はテーブルに置かれたタルトを視線の端に入れながら、二人の会話に聞き耳を立てる。どうやらこの鷹見社長は話上手な方のようだ。瀬野社長はほとんど相づちを打っているだけだが、これなら二人だけの会話でも成り立つだろう。と言うわけで私は静かに控えておくことに留める。


 年齢は瀬野社長よりも一つ上だと聞いている。身長はほぼ同じくらいだろうか。体格もまた、どちらも筋肉が付きすぎでも貧弱でも無く、均整が取れている。顔立ちは瀬野社長が切れ長の冷たくも美しい容貌でほとんど表情を変えない一方、鷹見社長は甘くも彫りの深い容貌をしていて、自信に満ちあふれた笑みを常に浮かべている。


 二人とも否が応にも人の目を引きやすい男前だが、瀬野社長は終始一貫淡々としているのに対して、鷹見社長はにこやかでまとう空気に対比が目立つ。瀬野社長が草食系というわけではないが、鷹見社長は明らかに肉食系男子といったところだろう。


 話す内容と言えば大した話ではないが、鷹見社長が立ち去るまでは私が先に失礼するのは礼義に反しているだろう。我慢我慢。でも私の興味はタルトにあるため、足先はすっかりケーキ側に向いていますよ、自覚しています。


 と言っても、別に建設的な内容の話ではないけれど、こういった他愛もない会話の中に仕事をスムーズにさせるヒントがちりばめられていたりするので、聞き逃す訳にもいかない。ああでもできましたらタルトも徐々に減って参りましたし、可及的速やかに立ち去って下さると嬉しいです、鷹見社長様。


 すると、ふと鷹見社長は焦りを見せ始めたそんな私に気付いたようだ。きっと今まで地味な私が景色と一体化していて目に入らなかったのだろう。ええ、自覚ありますとも。いいんですよ、秘書はその存在を消してこそ優秀な秘書なのだ。……ええ、そうやって独断と偏見の持論で心を慰めるしか術がありません。


「こちらは」

「ああ……。紹介が遅れました。私の現秘書の木津川です」


 瀬野社長はそこで初めて私を紹介する。もしかして瀬野社長も私をすっかり空気の一部と化して忘れていたとか、そんな事じゃありませんよね、まさかね。だったら私、優秀すぎる秘書として皆に自慢しちゃいますよ?

 作った笑みの下で自虐に走ってみる。


「木津川晴子と申します。どうぞよろしくお願い致します」


 私は鷹見社長に頭を下げた。


「ああ、ご丁寧に。鷹見一樹と申します。こちらこそよろしくお願い致します。そう言えば以前の秘書さんは男性でしたっけ。門内さんとおっしゃったかな」

「ええ。そうですね」


 もう一年も前のお話ですけどね。まあ、でも鷹見社長とは今回が初対面だから仕方がないかな。それより早く瀬野社長に興味を失って、社長共々私を開放して下さい。笑みを浮かべて、横目でタルトの存在を確認する。よし、まだある。


 瀬野社長の少し呆れた表情と集中しろという気持ちが含まれた視線に、すみませんと心の中で少し反省する。しかしこれで終わりだろうと思われた私との会話がまだ続く事に少し焦りが出ないでもない。


「今度は随分綺麗な女性が秘書になられたんですね」


 まあ、わざわざ地味秘書のわたくしにまでご丁寧にお世辞を頂くとは。ありがとうございます。だからねタルト……。


 これだけの男前にシラフの時に言われたら、聞き慣れない言葉に顔を赤く染めていただろう。けれど今、私の心を揺るがす事ができるのはあの手が届きそうで届かないタルト、あの子のみなのですよ。お恥ずかしながら色気より食い気でございます。


「以後お見知りおきの程を」


 鷹見社長が握手の為に手を伸ばしてきたので、自分も無意識に手を差し出した。


「こ、こちら――」


 再びタルトに一瞬目をやって戻した時、鷹見社長は魅惑的な笑みを浮かべて、私の指を彼の手で持ちあげたかと思うと、彼の唇に近づけ――。


「っ!?」


 私は鷹見社長の手ごと一気に振り下ろした。呆気に取られる鷹見社長に、はっと我に返る。い、今の態度は酷かったかも。


 何とか自分の失態を取り戻そうと、そのままもう片方の手で彼の手を下から包み込むように重ねるとぶんぶんと振って握手してみせた。


「こ、こちらこそ、どうぞよろしくお願い致します、鷹見社長」


 鷹見社長を拒否した訳ではありませんよ、ちょっとびっくりしただけなんですーという気持ちを込めて、少々強ばった笑顔を貼り付けて見せた。

 最初の衝撃から戻ったらしい鷹見社長はそんな私に少し苦笑いした。


「ああ、よろしく」


 瀬野社長は頭が痛そうな表情を一瞬だけ浮かべ、私の肩に手をかけると促した。


「それでは私たちはこれで失礼します」

「ええ。またいずれ」


 鷹見社長は瀬野社長に言葉をかけ、そして私にも魅惑的な笑みを向けた。


「またね……木津川晴子さん」

「はい、失礼いたします」


 軽く会釈すると、社長に促されるまま足を前に進めていく。

 この方向は出口なのだけれど。


「あ、あの社長。も、もうお帰りになるのでしょうか」

「ああ」

「あ、あの。タ、タルト……」


 振り返ろうとする私に社長は無情に言い放つ。


「心配するな。見たらタルトはもう無かった」

「えぇぇー」


 何それ酷いっ! これというのも鷹見社長が私なんかをいつまでも構うからだ。揚げ句にさっきの挨拶は何だ。初対面の女性に対して指とは言え、いきなり口づけしようとか、欧米か!


「鷹見社長っていつもあんな感じなのですか」

「ああ、おそらく君のその見解でほとんど相違ないな」


 若干むすっとした表情でそう言うと、社長は少し笑った。


 会場を出てもまだ肩を抱かれて小走り状態で歩かされる。いつもは私に歩調を合わせてくれるのに今日は少し強引だ。


「だから鷹見社長が社長会合に参加する時は女性秘書の場合、万が一の事を思って連れて来ない人が多いようだ」


 確かに女性に手の早そう人だったから、社長の一番側にいて会社の事も把握している女性秘書に手をつけられたらどんな事になるか推して知るべしと言う事だろう。


「じゃあ、なぜ私を連れて来るのですか?」

「君なら大丈夫だと思ったからだ」

「それって、どういう意味ですかっ」


 聞き捨てならんぞ。……まあ、自覚しておりますよ。地味秘書に鷹見社長は興味の欠片も抱かないだろうとお考えしたということですよね。


「それに彼は参加しないと聞いていた」


 社長は私の問いには答えないで、さらにそう言った。

 そう言えば途中から参加したっけ。


「なるほど。だから余計に注目を浴びていたのですね」


 鷹見社長が現れて、お気に入りの女性を連れていた他の社長様方々は戦々恐々していたのだったりして。


「それでなくても人目を引く方ではありましたが」


 写真で見るよりももっと人を惹きつける華やかさが備え付けられていた。女性ならお世辞だと冷静な部分で思っていても、甘い言葉を魅惑的に囁く彼に惹かれてもおかしくない。それだけの魅力が彼にはある。


「……君もそうなのか?」

「え?」

「彼みたいな男はタイプか?」

「私ですか? ないですね」


 初対面の人間に対して軽くお世辞を言って、指に口づけまでして来ようとする男性にどうして心を許せるのか。私はもっと静かで言葉に重みがあって、落ち着いている男性がいい。何より彼はタルト泥棒なのだ。実に許しがたい。


「そうか。とにかく彼にはできるだけ不用意に接触しない事だ」

「……はい。分かりました」


 そう頷いてみせたものの、約束を破ってしまう事になるのはもう少し経った頃だった。

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