15.日曜日に足が向かう先は
さて。日曜日に社長のご厚意でお休みを頂いた訳だけれど何をしようか。午前中に掃除洗濯を済ませるとして、午後から何をしようか決めていなかった。今日は天気が良く、家でぐずっておくのは惜しい気はしているが、どうするか。
鏡に映る化粧っ気のない自分の顔を見て、ふっとため息を吐く。
「はぁ、やだなぁ。冴えない顔」
気分が落ち込み気味なので、顔色もくすんでいる気がする。そう言えば最近気晴らしで休みの日に羽を伸ばして服や雑貨を買ったりする事も全然していなかった。化粧品もそろそろ減ってきたので、久々に町を散策することにしよう。
町を歩けば周りは皆、小綺麗にしている女性ばかりだ。あまりみっともない格好はできない。いつもはパンツスーツの私だが、今日は気分を変えていつもより少しだけ化粧を念入りに施し、久々にスカートなんて履いてみる。
しかし――。
「……何だかスースーする」
お風呂場の姿見で、振り返って後ろ姿をチェックする。
長らく履いていなかったスカートは妙にスカスカしているし、どうしても後ろが気になって仕方がない。おまけにあまりにも久々のスカート姿の自分に違和感が半端ない。
普段こういった気遣いをしないで済むパンツスーツだから、余計に女子力が低下しているのかもしれない。会社でもスカートを履いて、女子として緊張感を持たせる必要があるのかもしれないなと思う。
まあ、スカート一つで女子力アップするかは謎だが、要は気持ちの問題だ。
何度も何度も自分の姿をチェックして、ようやく外へと出た。
久々に日曜日に出かけると人混みの多さに圧倒されてうまく人の流れに乗れず、思いの外、早い内から疲れてしまう。それでもやっぱり何の目的はなくともぶらぶら歩いてウィンドウショッピングしてみたり、カフェやスイーツを開拓してみたりするのはそれなりに楽しい。明日からまた頑張ろうと思える。
ただし一人カフェはともかく、お一人様でランチしていると、仲良さそうな夫婦やカップル、友達同士で楽しく会話している姿がどうしても横目に入って来て、半分羨ましく、半分虚しさに襲われる。
最近は忙しくて連絡は頻繁に取っているものの、何ヶ月かに一度の割合ぐらいでしか実家に帰っていない。今回のような休みが取れたなら、実家に帰れば良かったとも思うが、今の状況で帰れば母親に悟られそうな気がして帰ることは出来なかった。
友人とも、社会人になってからはお互い時間が合わず、なかなか会うまでには至っていない。早紀子さんもおそらく今日はデートなのだろう。やっぱり非リア充は休みもなく、仕事をしている方が一番いいのかもしれない。その仕事すら、今は何かに見放されている気がするのだけれど。
ふうとまた小さくため息をついた自分に気付いた。駄目だ駄目だ。せっかく社長からゆっくり休養するよう休みをもらったのに、それを負のエネルギーに変えちゃ駄目だわ。
そう考えを改めて、その勢いのまま席を立った。
時間はまだ三時を少し過ぎた所だ。もう少しぶらついてから帰ろうと時計から顔を上げたその時だ。目の端にふと見知った人物が映った気がして、視線を向ける。
そこにいたのは伊藤加奈さんだった。清楚な花柄ワンピースを着て帽子を被っていて、自分のスカート姿と比べるべくもなく、よく似合っている。そして町中多くの人がいる中でも目立つくらいとても可愛い。
それにしても休みの日に知人と会う確率は少ないのに何という偶然だろう。
伊藤さんは建物内の誰かと楽しそうに話している様子だ。彼女はこちらにはまだ気付いていないし、誰かと一緒のようなので声を掛けるのをためらってしまった。
決して彼女が悪いわけでもないのだけれど、休みまで顔を合わせるのはやはり辛い。声を掛けずにやり過ごそうと踵を返しかけた時、さらに驚くべき人物がそこにはいた。
……そう、彼女が話しかけていたのは社長だった。
何で彼女と社長が一緒にいるのっ、どうして!?
それが自分の正直な心の第一声だった。胸がドクドク高鳴るのに、一方で顔は血の気が引いてくる。逃げ出したいのに身体が硬直して動かない。
その時、伊藤さんの視線がこちらに向けられた。彼女は私に気付くと満面の笑顔をして見せた。
「わあっ! 偶然ですねっ! 今日はお一人でお出かけですか?」
社長は伊藤さんの声に釣られて視線をこちらに向け、わずかに目を見開いた。胸がずくりと痛む。
「木津川君?」
「こ、こん、にちは」
私は慌てて頭を下げる。
「君はどうしてここに?」
「え……」
そう言われてようやく自分がいた場所に気付く。そうか、今日社長が出席しているはずの懇親会の会場だったと。職業病なのだろうか。無意識の内に足がホテルに向いていたらしい。
ああ、そういうことか……。ようやく理解した。社長は彼女を連れて、懇親会に出席していたんだ。だから彼女は社長と同じ場に居合わせているというわけだ。……役に立たない私の代わりに彼女を。
「木津川君? ……どうした?」
ぼんやりして返答しない私に社長は眉をひそめた。その声にはっと我に返る。
「い、いえ。その、ぶらぶら歩いていたら、たまたまここに」
実際、意識してここに向かっていなかっただけに、しどろもどろになる私に社長はただ、そうかと言うだけだ。
「私はね、実は社長とこれからデートなんですよ!」
彼女は社長との会話に喜色満面の笑みで入り込んできた。
「っ!」
「なーんちゃって。やだ、本気にしました? もちろん冗談ですよぉ」
「伊藤君」
眉をひそめて嗜める社長と無邪気そうな彼女とのやり取りに、少し離れた場でもその空気に耐えられなくなった私はこの場から逃げ出すことを決めた。
「あ、あの。で、では、私はここで失礼致します」
「あ、おい、待て」
頭を下げて踵を返したところで社長から声が掛かるが、早くこの場を去りたくて、もう一度軽く会釈すると歩き始めた。――しかし。
「あれ? 木津川さんですか?」
背後から聞こえた、しっとりと穏やかな低い声に思わず足が止まる。この声は……。
「木津川さんですよね」
もう一度呼ばれて思わず振り返ると、すでにこちらに歩み寄って来ていた社長の前秘書、門内さんが目の前に立った。
「門内さん……」
「こんにちは。お久しぶりですね、木津川さん」
にっこりと柔らかな笑みを浮かべる門内さんに笑みを返す。
「ご、ご無沙汰しております」
「ええ、本当に。社長から木津川さんは体調不良だとお聞きしていたのですが、もうお身体は大丈夫なのですか?」
同じホテルから出て来たようだし、おそらく門内さんも参加していたのだろう。そうか、門内さんには私が不在の理由をそう説明しているのか。体調不良という言葉に思わず苦い思いを抱いて一瞬だけ自嘲してしまう。
けれど背の高い門内さんを前にしていると、少し離れた彼の背後にいる社長たちの姿は確認出来ない。仮に私がどんな表情を浮かべていたとしても、おそらく向こうもこちらの表情を確認できてはいないだろう。
「え、え、ええ。お、おかげさまで。今日一日お休みを頂きましたからもう平気です」
自分でも動揺しているのが分かる。よく分からない言い訳をしてしまう。それでも門内さんは頷いてみせる。
「そうですか。……良かったです」
「あ、ありがとうございます」
動揺していた私だったが、門内さんの落ち着き払った声に自分も次第に落ち着いてくる。相手の感情を機敏に感じ取って相手を宥める術を知っているのだろう。さすがは社長の片腕とまで言われた門内さんだ。私もこういう人間になりたい。いや、早くならなければならない。
門内さんはふわりと笑みを浮かべた。
「ええ。相変わらずの木津川さんでいて下さって」
「え?」
どういう意味だろう。その意味を尋ねようとしたが、一瞬早く彼はこちらに質問を投げかけてきた。
「ところで今日はお一人ですか?」
「あ、はい」
情けなくも素直に頷いた。休みなのに一人でお出かけとは寂しい人間だなと思われるだろうか。
「この後のご予定は?」
「え、い、いえ。と、特には」
会話を交わす度に恥ずかしさが押し寄せてきて俯きそうになるが、彼は構わずさらに続ける。
「そうですか。それではこの後の木津川さんのお時間を私に頂けますか?」
「え――」
「は!?」
あ、あれ? 最後の声は私ではないよね。
そう思っていると、それまで黙ってこちらを見守っていた社長がこちらにつかつかやって来て門内さんに視線をやった。
こうして二人並べてみると、門内さんの方が若干社長より背丈が高いようだ。二人とも背が高く、しかも男前とあって、街ゆく女性がちらちらと彼らを見つめながら彼らの横を通り過ぎて行く。
「おい、どういうつもりだ」
少し険のある社長の口調で、再びぼんやりしていた自分に気付いた。社長が何やら詰め寄っているようである。しかしそんな社長に対して、門内さんは全く怯む事無くむしろ笑みで応えてみせる。
「社長、本日の私の仕事は終了させて頂いたはずですので、これ以降は私のプライベートの時間となります」
はっきりとは言わないが、プライベートの時間は社長と言えども、口出し無用だとの事だろう。それにもう門内さんは社長の秘書ではない。そもそも彼の行動を制限できないはずなのだけれど……。
「っ……。分かった。確かにそうだな」
社長は一つため息を吐いた。そして私へと視線を向けるとギンと感情がこもった強い瞳を見せた。
ひぃっ! 私は怯んで思わず息を呑んでしまった。何だこれ、何で私まで睨まれるの。
「まだ体調は良くないだろう? 今日は用事が終わったらさっさと帰宅して、ゆっくりしておくといい」
押しつけがましいその口調はやめて下さーい。その口調と鋭い瞳に対して、労るような言葉がまるで釣り合ってないよーっ。言葉が逆にすごく恐ろしいです!
門内さんは大人げないなぁと苦笑している。
「は、はいぃ……、あ、あり、がとごじゃ、ございます」
それでも何とか、かろうじてお礼を言った。ちょっと噛んだけど。
「社長、もうよろしいですか?」
「……ああ」
「では、参りましょうか、木津川さん」
何と命知らずな門内さんっ! とりあえず社長の冷気がなぜか私に突き刺さるので、早くこの場から立ち去ろう、そうしよう。
「は、はい。それでは社長、ここで失礼致します」
「……ああ」
「それでは社長、失礼致します」
門内さんは社長に柔らかな笑みを送ると、私の肩をそっと押してエスコートしてくれて、私たちは立ち去った。
……あ。伊藤さんにさよなら言うのをすっかり忘れていた。




