巡礼編6「センチュリオン」
身体が半透明になりかけたエリィを急ぎ水の張った風呂に浸けて上から氷をぶち撒けて、私達は部屋に戻ってきた。
「…娘のユリです」
サクラは改めてユリを紹介した。
ユリはサクラにそっくりの真っ直ぐの黒髪、同じ赤い着物を着ていたが、そっくりの顔をして目の色だけがサクラが茶色なのに対し彼女は私と同じ真っ赤だった。
「私と同じ目の色をした人がいるとわね…まぁ、人間じゃ無いんでしょうけど」
何か性格もトゲトゲしてそうだ。
…よく言うとツンデレの可能性もある。
「…ルイーゼ、驚かないんだ」
サクラが驚きを隠せない表情をする。
「あ、エリィから簡単に聞いてたからね。私はルイーゼ=ラストワン。えっと…」
「大体の話はママから聞いたわ。センチュリオンに殴り込みに行くこともね…私としては来週試験だから正直言って行きたくないんだけど」ユリは髪をかきあげる「…ママを危険な目に遭わせたくないの。仕方ないから協力してあげる」
「ユリ」サクラがたしなめる「…失礼」
「大体バビロンの魔女様って言うのも私、信じてないから」ユリは私を見下すように睨む「何かの能力ならママとエリィをそう信じさせる事が出来るはずだもの」
「ユリ!」
「いや…サクラ、事実私はバビロンの魔女なんて大した物じゃないよ」私はサクラを手で制した「この力を…自分勝手に振るってしまった。私の中の【ルイーゼ】を、止めることが出来なかったんだ…」
「ルイーゼ…でも…」
「…まぁいいわ」ユリは部屋の奥にある机に向かった。「私は勉強してるから、邪魔しないなら寝るなり起きているなり好きにしてなさい」
「わかった」私はそう言うと、寝室へ向かうことにした。しかし…支給されている部屋ってユリの部屋の事だったのか…。
「…エリィは風呂に閉じ込めておく。今日のところはエリィがいつも使っている布団で寝ていいよ。ただ…保冷剤だらけだから全部取ってよく暖めてからじゃないと冷たいかも…」いつの間にか一緒についてきていたサクラが寝室に広げられた布団の一つを指さす。
「わかった」ドチャッ、ボトボトザバザバ…「うっわぁ…」
確かに保冷剤だらけだ…。
「…手伝う」
サクラも保冷剤をどけるのを手伝ってくれる。私は無表情で保冷剤を拾い集めているサクラを見つめた。
サクラは本当にエリィの言っているような過酷な人生を歩んできたのだろうか。
でもその瞳はユリとは違い、エリィのように今に安堵しているような影があった。
私ももしかしたら彼女らのような瞳をしているのかも知れない。サクラは私の視線に気づくと、首を傾げた。
「あ、いや…やっぱりユリとそっくりだなぁって思ってね」
あっ…
私は失言に気づいた。
「…あの子はいずれ大人になる…」サクラの表情が暗くなる。「私は…。変わって欲しくないなんて母親失格よね…でも…」
「…」特にいい言葉もかけられない事を悟った私は話題を変えた。「そう言えばエリィとはいつ知り合ったの?」
「…エリィ?あの子はとても優しい子なのよ…」サクラは手を止めて俯きながら言った。「アリスシティに来たばかりの時、暴漢に襲われていた私と幼いユリを救ってくれたの…その後ギルドに入れるように色々と根回しもしてくれた…まぁ、あの変態性格は直した方がいいと思うけど」
「サクラちゃんの苦労が分かったよ…」私はため息をついた「あれは正真正銘の変態だ…矯正不能だね」
「…明日は早くに出発するわ」サクラはひととおりの保冷剤を集め終わり、私から残りを受けとると言った。「もう寝ておいた方が良いと思う…おやすみ」
「おやすみ〜」
まだ若干寒い布団に潜り込むと、私は部屋の電気を消して引き戸を閉めるサクラを見送りながら、ゆっくりと目を閉じた。
★
目が覚めてからもしばらくサクラとエリィについて考えを巡らせていた。
この200年間でかなり世界の情勢は変わっている。奴隷売買なんて私の元いた世界ではあり得ないことだった。
サクラは自分が奴隷であったことを隠そうとしている…。
サクラだけではない。
昨日のエリィも執行中の保安官を見たとき少し様子がおかしかった。
保安官がらみで何かあったのだろうか。
人の過去を詮索するのは良くない事だ。
でもそれでも気になった。知りすぎると今の友情に亀裂が走るかも知れない。
「おっはよーございまーす!」
バァン!
エリィが突然引き戸を破壊する勢いで開けて叫んだ。
「エリィ、さすがに近所迷惑じゃ…」
「うっさいわこのアホアイス!」
私の言葉はユリの叫び声に遮られる。
「へぅ…っ!!?」
そしてエリィは硬直した。
次いでユリが部屋に入る。一瞬サクラかと思ったが、昨日と違い今日は白地に百合の絵が描かれた着物を身に付けていた。
…それどころではない!
彼女は何故か恐ろしい表情をしていた。
表情…いや、顔は確かに少しいらいらしたような表情だったが、目がおかしい。
一瞬危険を感じ、目を背けて身構えた。
「…あ」ユリがその様子を見て自分の目に気づいたらしい「あぁ…しまった!」
「ユリ!」サクラが慌てて駆けてくる音が聞こえた。「貴方まさか…あぁ、エリィが!すぐ戻して!あのままにされたら全身筋肉痛になってしまう…!」
「ご、ごめんママ…!」
そこでようやく私は顔を上げた。
エリィは引き戸を開けた体勢のまま、ユリを見た格好で【固められ】ていた。
石になってしまった。という言い方の方が正しいだろうか?
顔には脂汗を浮かべ、目だけが助けを求めるようにユリを追っている。
「…はぁ、もう」
ユリは再びエリィを見つめた。
「う…うえぇっ…あぐ…」エリィは地面に崩れ落ちる。「うわああ…関節がっ…」
「貴方が悪いのよ…騒いで怒られるのは私なんだからね!」ユリはそう言うと、居間の方へ戻っていった。
「…あれも、ユリの能力なのかい?」
私はサクラに声をかけた。
「ユリは…視線であらゆる事象を引き起こすことができるの」
「視線か…」私は呟いた。
つまりエリィが硬直したのも、彼女がエリィを殺意に満ちた目で睨んだから…ということか。なんて万能で…ある意味不便な能力なのだろう…。
「ええと、もう出発した方がいいかと」
エリィは私のワンピースのスカート部分を引っ張り立ち上がった。「センチュリオンのアジトまではすぐに着きます。問題はそこからどうするか…」
「目的は、私がセンチュリオンのギルドストーンを食べちゃえばいいんだね?」
「そうですね。ただし問題は、どこにギルドストーンがあるのか、そして気づかれた時の戦力です」
「敵にも強い能力者がいる。気づかれないのが一番いい…」サクラは緑色のナイフを作り出しながら言った。「私の能力は…大勢を相手にするのには向いていない」
「うーん…バレずに近づく…か」
★
久しぶり、俺だ。
エリィによって自称を強制的に【私】にされていた訳だが、今回の作戦中のみこの自称にする事を許してもらえた。
「…転籍?」その考えを聞いたとき、エリィは目を丸くした「あぁ、なるほどなるほど…確かに内部に潜り込むには十分な作戦です…相手に友好関係を持たせ、私の【懐柔】能力でその場所まで案内する、と」
「よくお分かりで」俺は食卓に並ぶサクラとユリをぐるりと見回した「つまりこのファランクスの待遇があまりにもクソだから、ギルドストーンの俺と強力な仲間がセンチュリオンに転籍しに来たぞ、ってな」
「た、溜まってたんですね…」
俺の話し方が大分手荒な事に気づいたのか、おずおずとエリィは言った。
「当たり前だよ!自称を変えるだけで性格は変わるんだからね!」
俺はエリィにそう文句をつけた。
「だって本当は女の子なのにどうしてそんな可愛くない話し方…」
「エリィ…その辺は話した方がいい?」
エリィは察してくれたようだ。
「あ…余計な詮索でしたね。で、でもこの作戦が終わったら戻して貰います!私は、可愛くない物があったら可愛くしなきゃ気がすまない性格なんです!」
うわぁ…随分ウザい性格だなぁ…。
「止まれ!お前達はファランクスの…」
見張りは結構厳重だった。
「ファランクスのエリィ=エヴァーレインです。え、えぇと、少なくともギルドマスターに今すぐ通じる方で構いません。我々について相談があるのです」
エリィが見張りに交渉を試みる。
多少しどろもどろな喋り方に少し心配になったが、それを聞いてやる見張りのリーダーらしき人は律儀な人だと思う。不意に見張りの人は顔を上げて私を見た。
「ん?貴方は…?」
「ルイーゼ・ラストワン。この世界ではどうやら【バビロンの魔女】とか言う二つ名で通るらしいんだが?」
「バビロンの魔女だって!?そんな馬鹿な…だって二百年も前の話だろう?」
「世界中の魔力を取り込んで自身に封印した…自らをギルドストーンに変えてな」
俺は胸を張って言った。
この交渉は、俺自身を大きく目立たせる必要がある。
エリィ達の存在はそのもう一押し、と言うわけだ。
「わかった。入れ」
見張りのリーダーは俺達を中に案内してくれた。普通に見れば軍事施設のようだ。
ビニールハウスのような形のアーチ型の天井をした建物が点在している広大な空間だった。この中の一体どこにギルドストーンがあるのか…
ある一つの建物に案内されると、俺達は見張りのリーダーに警告を受けた。
「不本意かもしれないが、お前達はライバル組織の隊員。この建物の半径100メートルの範囲でお前達は包囲されている。…もし怪しい動きがあれば…」
「了解…話をするだけさ」俺は心配いらないとばかりに手を振って見せた。
「念のため話をするのは一人だけだ」
そうリーダーは言うとエリィ達を建物の外に出す。
しばらくすると、軍服を着たチョビヒゲの男が現れる。
「私がセンチュリオンのギルドマスター、ウゴールだ」
いきなりギルドマスターが来たか…
「あぁ、お初にお目にかかります。俺はバビロンの魔女、ルイーゼと申します」
「ふむ…して貴君がそのバビロンの魔女だと?…証拠はあるのだろうな?」
短気そうなおっさんだね…
「ギルドストーンを構成する物質はあらゆる物になります…例えば…」
俺は拳銃を手から出し、机に置いた。
「うおっ…」
ガチャッ
辺りで銃の構えられる音がする。
俺は特に気にも止めず続けた。
「その銃はギルドストーンの欠片…すなわち魔力の塊です。その証拠に貴方が触ろうとすればうまくいきませんよ?」
「…危険ではないか?」ウゴールは手を伸ばすが、躊躇して引っ込めた。
「危険だと思ったなら今すぐ俺を撃ち殺して頂いて構いませんよ?」
「…」ウゴールは再び机に置いた拳銃に触れる「なっ…まるで粘土細工だ…」
ウゴールがグリップを握るなりまるで粘土のように銃は形を失った。
そして…これこそが狙い。
「ブラックアーティファクト」
俺はフードを目深に下ろし呟いた。
辺りが少し薄暗くなる。
まずは辺りに構えている兵士達に粒子を浸入させる。そしてすぐさま兵士達を手中に納めると、その全てを無力化した。
兵士達は突然眠気を感じ、次々と倒れていく…この支配は当然ウゴールも例外ではない…むしろウゴールは拳銃を触ったため、更に能力を封じられてしまっていた。
このサブ能力【汚染】は大分前から使えると気づいていたのだが、【私】は使いたくないらしいな…面倒な奴め。
「ギルドマスターが直々に挨拶とは…随分無用心だね?こうなるって分からなかったのかな?手間は省けたけど」
「なっ…貴様っ…」
「死ね」拳銃を出しウゴールを狙う。
「させません!」背後からエリィがキャンプに入ってきた。そのまま【刃のない】氷の剣で俺を斬りつける。
俺は倒れた。…計画通りだ。
「エリィ君…すまんな、助かった…彼女はまさか敵の…」ウゴールは呟く。
「迂闊でした」エリィはウゴールを見つめた「お怪我はありませんか?まさかスパイだったとは…敵の目的はギルドストーンです!ご案内頂けますか?」
「なっ…ギルドストーンが…?」
「ご案内…頂 け ま す か?」
「あぁ、分かった」
ウゴールは立ち上がった。
エリィと俺はニヤリと笑った。
【続く】