当主交代
照明が落とされた薄暗い部屋の中、アローラの一族、
それにグループ企業の重役達が揃い、静かにその時を待っていた。
厳かな雰囲気の中、舞台中央にお婆様とイーシャが入ってきた。
部屋の中央まで来るとイーシャがひざまずいた。
「当家の家宝 マルダーニの剣をイーシャに与える。」
お婆様が持っていた剣をイーシャの前に掲げた。
イーシャはうやうやしくそれを受け取る。
「これよりイーシャが当家の主人。
剣に忠誠を、アローラに栄光あれ。」
お婆様が宣言した。儀式はそれだけ。
私は感慨深かったけれど、他の人たちは眠たそうだ。
当主が代わっても俺たちには関係ない。
そんな声が聞こえてきそうだった。
大広間に移動すると、既に祭壇が設けられ、結婚式の準備が整っていた。
ジェイが私の顔を見つけてやって来た。
「ちょっと大変な事になるかもしれない。
でも心配ない、大丈夫。とにかく落ち着いて」
それだけ言うと急ぎ足で姿を消した。
何のことかわからなかったし、なんだか素っ気なかった。
婚礼の儀式が始まった。花のベールのせいでイーシャの顔が
見えない。緊張しているのだろう。うつむいて振るえている。
ロビンも神妙な顔た。
祭壇の周りを二人で回って無事に終了。
ところがステージ中央に設けられた席に座ると、
ロビンは途端にふんぞり返り横柄な態度になった。
酒を飲み、大声でしゃべり、下品な笑い声をあげている。
みんな眉をひそめているが、ファンドワーリ氏はもちろん、
お婆様も注意しない。
「アーリア、ここに来い」ロビンが呼んだ。
やれやれと思いながらそばに行く。
「何か用?」
「なんだその態度は?まぁいい。
ここにひざまずいて足のマッサージをしろ。」
「なんでそんなこと?」
「結婚したからには、俺はこの家の主人である
イーシャの夫。お前は家来だろ?命令を聞け。
それとも他の所のマッサージがいいか?」
ファンドワーリ家から下卑な笑いが上がった。
周りを見渡す。お婆様は目をそらした。叔父様達も知らん顔。
グループ会社の重役達は死んだ魚のような生気のない目をしている。
私は怒りを抑えて答えた。
「私はイーシャの母君より、イーシャの警護を
頼まれました。それ以外のことはお断りします。」
「ふむイーシャの警護ね。
じゃあ今晩、俺がイーシャに危害を加えないか
寝室でじっくり見るか?
それともお前が先に俺の相手をするか?」
いやらしい笑いを浮かべた。
「いい加減にしてください。
あなたの命令に従うことはありません。」
「なんだと?」
ロビンがグラスを叩きつけた。
その音で広間全体が静まり返った。
私に視線が集まっているのを感じる。
「私は剣に、イーシャに忠誠を誓いました。
イーシャの命令であれば従います。
しかし、 あなたの命令には一切従いません。」
「なんだ金か? 十万か百万か?
お前なら一晩三百万払ってもいいぞ。」
「侮辱にもほどがあります。
私も末席とはいえアローラに仕えるもの。
金のために名誉を捨てるくらいなら死を選べます。」
ロビンの顔が真っ赤になった。
「じゃあ望み通り殺してやる。
イーシャ、その剣をよこせ。」
私はロビンを見据えて動かなかった。
イーシャが立ち上がり、剣を持った侍女が近づく。
ロビンが腰を浮かせた。
その時だった。
バシッ
イーシャがロビンの頬を思い切り殴った。
バランスを失ったロビンは派手に倒れ、それをイーシャが踏みつけた。
侍女は剣を抜きファンドワーリ氏の喉元に突き付けた。
「銃を!」その声に、すぐさま私は彼のマグナムを取り上げた。
「皆さん手を上げてください。」
ライフルを構えたジェイがファンドワーリ家の背後から現れた。
彼ら全員が手を上げたのを確認して侍女は剣を鞘に戻した。
「なんてことを。誰かあのもの達を取り押さえなさい。」
お婆様が騒ぎ始めた。
「お婆様!」
よく通る大きな声が、その声を掻き消した。
「当家の主人は、この私です。」
侍女がベールを脱ぐと、それがイーシャだった。
「じゃあこの花嫁は?」ロビンの声が震えた。
「俺だよ。さっきの結婚式は全部偽物だ。」
父さんは花のベールを外して、ロビンに投げつけた。
「なんでこんなことを」お婆様は立ち尽くした。
「この結婚、私は受けるつもりでした。
私への侮辱も妻ならばと耐えました。
しかし彼がアローラに相応しい人間なのか
疑問に思いました。そこで偽の結婚式を挙げ、
彼の本性を見極めることにしたのです。
そしてこの有様。
私はこんな無様な男を夫にはできません。」
「ウチの資金がなくてもやっていけるのか?」
ファンドワーリ氏がわめいた。
「アローラは何より名誉を重んじます。
金で名誉を売ることなど決してありません。
どうかお引き取りを。
さぁファンドワーリ家の皆様を空港までお送りせよ。
彼らのものはチリひとつ残すな。すべて拭き清めよ。」
たちまち大勢の召使いが現れ、ファンドワーリ家の人たちを押し出していった。
「さて」
静かになったところでイーシャは舞台の中央で
話し始めた。
「残念ながら今夜の結婚披露は無くなってしまいました。
しかし今宵は私が当主を引き継いだめでたき日。
皆、ゆっくり楽しんでいってください。」
側に控えていたジェイとソニアがイーシャから
侍女の服を脱がした。中から細かい金の刺繍が
美しい当主に相応しい立派なサリーが現れた。
会場がどよめいた。
礼服に着替えていた父さんがイーシャの傍らに
立つと、大きな声で叫んだ。
「剣に忠誠を、アローラに栄光あれ。」
広間に集まった全員が大きな声で繰り返した。
華やかな音楽が流れる中、グループ会社の重役が我先にと
イーシャのところに集まった。だれもさっきまでの眠そうな
目はしていない。イーシャは一人一人に声を掛けている。
泣きださんばかりの人までいた。
私は外に出て空を見上げた。
「お母様、イーシャはさすがにあなたの娘ですね。」
これで本当に安心だ。何だか力が抜けた。
「ここにいたんだ。」ジェイが隣に来た。
そのまましばらく二人で空を見ていた。
やがてジェイが口を開いた。
「この家を出るんだって?行く当てあるの?」
「ううん、何も考えてない。」
「それなら」
ジェイは私の手を握ってこう言った。
「僕と一緒に暮らさないか?結婚して欲しい。
ここほどいい暮らしはさせてやれない。
でも一緒にいて欲しいんだ。」
「そんな結婚、許さんぞ」
大きな声に驚いて振り向くと父さんがライフルを
手に立っていた。
「お義父さん、待ってください。話を聞いて下さい」
「お前にお義父さんと呼ばれる筋合いはない。出て行け。」
父さんはライフルを構えるとジェイを追いかけ始めた。
「明日の朝、7時門の前で待ってる。」
そう言い残してジェイは走り去った。
戻って来た父さんは私に背中を向けたまま話し始めた。
「この家を出ていかないでくれ。
これまでお前に何もしてやれなかった。
でもこれからは私だって自由に動ける。
お前なら結婚相手はいくらでも見つかるさ。」
父さんは少し間を開けた。
「私はお前の母さんと結婚するつもりだった。
この家に来るのは断るつもりだったんだ。
しかし彼女は私の家が困っていることを知ると、
黙って私の前から消えてしまった。
お前がお腹の中にいることも言わずに。
だからお前には彼女の分も幸せになって欲しい。
あの朝のような思いはもうしたくないんだ。
頼むから出て行かないでくれ。」
それだけ言うと行ってしまった。
父さんが口先だけでないのは痛いほどわかった。
でも私を止められないと諦めているようにも感じた。
夜中過ぎ、イーシャが部屋に戻って来た。
私は片膝をつき、胸に手を当て、頭を下げた。
イーシャは私を見ると、こう言った。
「アーリア、長い間、どうもありがとう。
でももう大丈夫。私がこの家の主人。
私にはお父様がいる、たくさんの部下もいる。
あなたがいなくてもやって行けます。
私の警護の任を解きます。大儀でした。」
私は黙ったまま頭を下げた。
「しかし、私の姉であることは変わりません。
いいですね。」
「でも」と言いかけた私を制してこう言った。
「これは私の最終決定です。」
そしてイーシャは私を立たせると抱きついた。
私もイーシャを抱き締めた。
それから二人で笑った。
でもいつの間にか二人とも泣いていた。