二つ目の地
木が綺麗に感覚を開けて立っているその林は、誰が見ても人の手が加わっていそうな場所だった。
というのも、原生林であったなら、こんなに密集せずに綺麗に林が維持出来るはずが無かったからだ。
克樹が、軽く肩を回した。
「何だか、ちょっと体が軽いんだよね。ほら、クロノスに咲希の石を着けてもらったけど、やっぱり空気から圧力みたいなものを感じてたじゃないか。それが、ちょっと楽なような。」
すると、ダニエラも頷いた。
「そうね、確かに。ちょっと楽だわ。時々ふっと重くなるんだけど、今はとっても楽。この辺りって、気が薄いとかあるのかしら。」
アーティアスが、それに答えた。
「サラデーナ側では、だいたい同じぐらいの濃さのはずぞ。だが、確かに気が所々薄いような感じを受けるの。今飛んだら、気が薄い所で落ちるやもしれぬな。難しい飛行になりそうよ。」
ラーキスが、アーティアスを見た。
「我らには関係ないがな。もともと、気を使っておらずとも飛べるゆえ。気を使えば速いだけのことで。」と、横を歩く咲希を見た。「主が突然に落ちたのも、そういったことがあったからかもしれぬぞ。」
咲希は、少し自信を持った。そうか、だから初心者の自分には難しくて落ちたのかも…。
しかし、クラウスが首を振った。
「あれは単に集中力が切れただけぞ。最初はあんなものであるがな。」
途端にがっかりした咲希だったが、何かの気配を感じて落ち着き無く回りを見た。
「…気のせいかしら。何か、居るような気がするんだけど。」
すると、メレグロスが真っ直ぐに前を見ながら険しい顔で言った。
「気のせいではないぞ。」咲希が仰天してメレグロスの方を見ると、メレグロスは咲希の顔を大きな手で前へと向けた。「前を向け。声を立てずに、真っ直ぐ参れ。」
咲希は、ゴクリと唾を飲み込むと、言われた通りにした。ふと横を見ると、アーティアスは無表情だったが、エクラスとクラウス、アレクシスは眉を寄せて何かに神経を向けているようだ。
気が付くとメレグロスとアレクシス、クラウスが後ろに遅れて付いて来ていて、咲希と、リリアナを抱いたエクラスは前に居た。どうなっているのか分からないまま、言われた通り前だけを見て歩いていると、いきなり後ろからメレグロスの鋭い声が飛んだ。
「今ぞ!」
「伏せよ!」
横に居たエクラスが、リリアナを抱いたまま咲希を突き飛ばした。咲希は地面へと転がって、慌てて顔だけ起こして今来た道を振り返ると、そこには物凄く大きな剣を抜いて構えてるメレグロスの背と、克樹の背、浮き上がって手を翳し、今にも術を放ちそうなクラウスとアレクシス、そして槍を構えたラーキスとアトラスが見えた。みんな、まるで練習でもして来たかのように綺麗に半円を描いた状態で、何かと対峙している。
咲希は、もしかして今にも飛んで逃げなければいけないのかと、ドキドキしながら脇を見ると、アーティアスだけが、その後ろに涼しい顔をして立って、その様子をおもしろそうに眺めていた。
「…サラデーナ軍ではないの。」
メレグロスが、唸るように言った。皆の背で見えない向こう側から、何かの声が答えた。
「違う。我らはこの近くの里に住む種族、クーガ族ぞ。余所者が我らの地に侵入して来たので、警告に来たのだ。」
アレクシスが、宙に浮いたまま言った。
「この辺りに里があるなどと聞いたことがない。」
相手の声は、答えた。
「であろうの。我らはサラデーナという国自体を認めては居らぬ。古くからここに住み、この地を守って生きて来た。誰にも干渉されとうないのだ。なので表には出ておらぬ。」
メレグロスは、剣を下ろした。
「では、主らの長にお目通りしたい。このような時間に失礼ではあるが、我らは訳あって旅の途中なのだ。この地で、少し休ませてもらいたい。明日の夜には、出て参るので、ここに滞在する許可を。」
相手は、じっとメレグロスを見てから、回りの皆を見た。克樹も、ラーキスもアトラスもダニエラも、仕方なく剣や槍を収めた。浮き上がっていたアレクシスとクラウスは、確認するようにアーティアスを振り返る。アーティアスは、黙って頷き、二人は宙から地へと降り立った。
相手は、こちらに向けていた槍を下ろしたが、言った。
「我が名は、シータ。長の右腕と言われておる。主らを我らの村ククルへ招くには、武器を預からせてもらう必要がある。従うか。」
メレグロスは、睨むようにシータを見た。
「オレはメレグロス。従わぬとどうなるのか?」
シータは、同じように鋭い視線をメレグロスに向けた。
「友好関係の無い者達に我らのことを知られて、生きて返す訳には行かぬので、この場で死んでもらうことになるかの。」
メレグロスは、じっと黙っている。考えているのだろう。しかし、後ろからアーティアスが進み出て、言った。
「良いではないか、武器など渡してしもうたら。」皆が、アーティアスを見た。アーティアスは、メレグロスを見つめて言った。「友好関係とやら、築くべきなのではないのか。味方は多いに越した事はないのだからの。」
そう言うと、アーティアスは自分の腰に巻きつけてあった、皮のカバンを片手で外して、相手の方へと投げた。それを見たアレクシスとクラウスは、急いで自分のカバンも外して、そちらへ投げる。
メレグロスが大きく息を吐いて、他の者達にも頷き掛けた。それを見た克樹は少しためらったが、何も言わずに腰のカバンと持っていた剣をそこへ放り出した。
皆が次々にそうやって持ち物を放り投げているのを、咲希はどうしたらいいのかとおろおろしながら見ていた。こちらに居たエクラスも、自分のカバンをあちらへと持って行く。
咲希は、そこで慌てて自分のカバンを外して、それを持って皆の背を割って前へと出た。
そこには、緑に近い黒のような髪の、緑の瞳の20代前半ぐらいの男が、鮮やかに染められた綿で作られた、裾の長い服を来て、首には勾玉のようなものがたくさんついた首飾りをつけ、立っていた。ひと目で、地位のある男なのだろうと、咲希にでも分かった。
咲希が、あまりにびっくりしたのでその男を呆けたように見ていると、ダニエラが後ろから突付いた。
「サキ。早くそこへそれを置いて。」
我に返った咲希は、急いでカバンをそこへ置くと、サッと皆の後ろへと引っ込んだ。すると、そのシータを名乗った男が合図して、後ろに居たたくさんの男達が進み出て、その荷物を手分けして運んで行く。
シータは、踵を返した。
「こちらへ。村へ案内しよう。」
そうして、咲希達は丸腰のまま、クーガ族が住むというククルという村へと連れられて行った。
シータと兵士らしき者達に囲まれた状態で、咲希達はその林の中を奥へ奥へと連れて行かれた。
そのうちの回りの木が増えて来て、林だと思っていたのが、思ったより深い森であることが分かって来た。何やら足場が悪くなって来て、普通に歩いているとてもつらい。ラーキスが咲希を庇って手を取ってくれていたのだが、飛ぶことを覚えた咲希は滑ってしまっても浮くことが出来るのが分かった。
なので、ラーキスとは手をつないでいなくてもいいのだが、そうしていた方が落ち着くので、何も言わずにラーキスの手を握って一番後ろを歩いていた。
先を行くアーティアス達の足元をふと見ると、やはりちょっと浮いていた。岩場に足を取られないように必死になっているのは、克樹とメレグロス、ダニエラぐらいのもので、アトラスやラーキスは、人型では浮けないのも関わらず、足場が悪いことなど気が付いていないような感じだった。
そこを抜けて降り切ったところに、拓けている場所があり、急に足場が楽になった。
「…このような所に川が。」
アレクシスが、そこに流れる小川を見て呟く。アーティアスがそれを見て言った。
「ここには結界がある。知らずで当然よ。」他の皆が驚いて、アーティアスを見た。アーティアスは眉を寄せた。「気付かなかったのか?先ほどの岩場の辺りぞ。あれを抜けて来たゆえ、今我らにはこの地が見えているが、そうでなければ結界に阻まれてこの地は見えぬ。のう、クラウス?」
話を振られたクラウスは、うなずいた。
「はい。あれは結界であった。なので入りにくかったのだ。」
そうなんだ、と咲希は思ってラーキスを見上げた。ラーキスはそんな咲希の視線を受けて、軽く頷いた。アトラスも、ラーキスの向こうで視線だけで頷いている。結界に気付かなかった未熟な自分が、そこで少し恥ずかしくなったが、ダニエラの方が術士であるのにそれが分からなかったことがとても不甲斐ないと思っているようで、珍しく下を向いて顔を赤くしていた。
シータが、そんなみんなを振り返って言った。
「偉大なる我らが長がこうして、この地を結界で覆って隠している。それを感じ取るということは、主らは能力者か?」
クラウスが、シータを見て答えた。
「我らの中には、いろいろな能力者が居る。それぞれに得意なことがあっての。皆が皆何でも出来るわけではない。」
シータは、歩きながら皆の顔を代わる代わる見ていたが、頷いて前を向いた。
「後で詳しい話を聞こう。」
頷いて視線の先を見ると、広く開けた場所に木造の家々が綺麗に立ち並んだ、小さな集落が見えた。
遠くゴツゴツとした高い岩場があるのが見えるが、そういった絶壁に守られているような、ぽっかりと開いた不思議な空間だった。
空が薄っすらと白んで来ている中、こんな時間だというのに、村人が入口に建てられた鳥居のような木枠の門の辺りにたくさんズラリと並んで、不安そうにこちらを見ているのが見えた。子供達は、その中でも控えめに好奇心に溢れた目でこちらを覗いては、親らしき大人に後ろへ押し返されて隠されているような状態だった。
それを見て緊張気味に表情を引き締めた咲希は、なるべく控えめに見えるように気を遣いながら、仲間の後ろをラーキスに手を引かれて進んだ。
「長は出て来られてはおらぬか。」
シークが、村人の中でも一番前に居るおとなしそうな男に声を掛けた。相手の男は答えた。
「行く必要はないとおっしゃって。神殿でお待ちになっておられると。」
シークは頷くと、振り返った。
「皆は戻って良い。メレグロス達は、我と神殿へ。長がお待ちだ。」
咲希達を取り囲んでいた兵士達が、わらわらと散って行く。ためらっていると、シークはこちらの返答を聞かずに先に立って進み始めた。メレグロスが、少し意地悪げに言った。
「一人で我らを連れておって良いのか?何が起こるかわからぬのに。」
シークはまた振り返って、ふふんと鼻で笑った。
「長の結界の中に居るのに?そもそも結界を抜けることなど、長の許可なくして出来ぬわ。主らをここへ連れて来たのも、長がそうせよと申されたから。我は放って置いて立ち去るのを待つつもりであった。しかし、友好的な意思を示すか確認して連れて参れとおっしゃるから、こうしてここへ。本来顔を見られた時点で面倒ゆえ殺しておった。」
シークはそれだけ言うとさっさと先に歩いて行く。メレグロスはそれについて行きながら、隣りを歩く克樹を見た。克樹は、息をついてお手上げだという顔をした。
とくにかくは、ついて行くしかない。
みんなは、まだ村人達が好奇の視線を向ける中、村の奥へと向かったのだった。




