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落下

西からの風が、少し暖かいような気がする。

咲希は、そう思いながら夜の空へと浮き上がって、上空でメレグロスやダニエラ、克樹が、ラーキスとアトラスに分かれて乗るのを見守っていた。

辺りはすっかり暗くなって、人っ子一人居なかった。

脇には、アーティアスとクラウス、アレクシス、リリアナを抱いたエクラスが同じように浮いて待っている。

咲希は、緊張で握った拳の中が汗まみれになっているのを感じながら、ただじっとしていた。

すると、エクラスの腕に居るリリアナが、咲希に声を掛けて来た。

「サキ、顔が真っ青よ。大丈夫なの?まだ飛べるようになったばかりなんでしょう。今回はラーキスに乗せてもらったらいいのに。」

その言葉と共に、アーティアス達の視線を受けた咲希は、急いで首を振った。

「いいの。慣れないといつまで経っても飛べないから。」

アーティアスが言った。

「今は地上から10メートルほどだが、場合によっては雲より上へ上がるやもしれぬぞ?落ちると思うたら申せ。拾いに参る。」

咲希は、顔を強張らせた。

「…わかった。ありがとう。」

咲希の様子に、リリアナは小さな声でエクラスに言った。

「エクラス、普通飛び始めってどうなの?習得したばかりで、遠くまで飛んだりする?」

エクラスは、ちらとアーティアスの方を見やってから、小さな声で返した。

「我らは幼い頃から気が付けば飛んでおったゆえ。子供に長距離は飛ばさぬわな。」

リリアナは、心配そうに咲希を見た。

「困ったわね。やる気になってくれたのはいいけど、怪我をしてしまったら大変だわ。出来るだけ、側を飛んであげてくれないかしら、エクラス。もしもの時、捕まえられるように。」

しかしエクラスは、息をついた。

「主を抱いておって片腕が塞がっておるではないか。オレには無理ぞ。案じずとも、アーティアス様かクラウスかアレクシスが、何とかしよるだろう。」

それでも、リリアナは心配そうだ。

そのうちに、ラーキス達が大きな翼を何度も羽ばたかせ、空へと舞い上がった。

「よし、ついて参るぞ。」

アーティアスが、先を舞い上がって行くラーキス達を追って、一気に上昇して行く。そのスピードに驚きながら、咲希も必死に気を放って浮き上がって行った。

アーティアスが先を行き、その後ろにアレクシス、そして咲希が居てクラウス、エクラスと単独で飛ぶ五人は、先を行くグーラ達の背を追ってバラバラに飛んでいた。ラーキスが、ちらりとこちらを振り返ったのが見える…明らかに、咲希のことを考えてスピードを調節しているようだ。

咲希は少しホッとしながらも、足元だけは見ないようにしていた。いつもなら空ではお尻の下にラーキスの体があって、落ちることはないと安心していることが出来た。しかし、今は何もない。自分の体を浮かせているのは、他ならぬ自分自身の気の力で、これが無くなれば、地上へ向かって真っ逆さまなのだ。

ただラーキスやアーティアスの背中だけを見ることに集中していると、脇にスッとクラウスが並んだ。

「そのように気張っておると、向こうへ着く前にへばってしまうぞ。案ずるでない、ゆっくり飛んでおろうが。我らが居るゆえ、いきなり落ちても捕まえる。」

咲希は、恐る恐るクラウスの方を見た。

「実は…頭が混乱しちゃって、どうやって自分が浮いてるのか分からなくなりそうで。必死で、バランスを取ってるの。」

クラウスは、眉を跳ね上げた。

「よう飛んでおるの。確かに最初は訳が分からなくなってしもうて、落下するのなどしょっちゅうよ。ま、我らが生まれてニ、三年の頃のことではあるが。」

咲希は、必死に訴えた。

「だから!いつ落ちてもおかしくないのよ!どうしたらいいのっ?」

クラウスは、首をかしげた。

「一度落ちてみるのもいいのだぞ。体勢の整え方を覚えるゆえ…お。」咲希が、ガクンとバランスを崩して下へと真っ逆さまに落ちて行く。「遅かったか?」

『サキ!』

ラーキスの声がしたかと思うと、物凄い速さで身を翻して、咲希を追って急降下して行った。

「うおおおお!?」

ラーキスの背には、メレグロスが一人で乗っていた。突然に体勢が変わったので、反射的に足と手を使ってラーキスにしがみつき、落ちるのは免れた。しかし、これはダッカ出身で幼い頃からグーラに乗りなれたメレグロスだからこそ出来たことで、もしこれがダニエラと克樹であったなら、恐らく二人共落ちていただろう。

「ラーキスー!!」

咲希が、必死に叫んで手を伸ばしている。ラーキスは、頭を下にして垂直に近い状態で咲希を追っていた。

『首を押さえよ!足で掴むゆえ、大きく揺れる!』

咲希は、咄嗟に頭を抱えるような形になった。ラーキスは宙でサッと足を下に向け、大きく翼を羽ばたいて、咲希を両足でしっかりと掴んだ。

「う…。」

咲希は、お腹の辺りを掴まれて、胸が詰まったような気がした。その上ラーキスがバランスを取るために、大きくガックンガックンと揺すられる。咲希は、思わず手で口を押さえた。

『サキ?!どうした、どこか傷つけたか?!』

咲希は、必死にさっき食べたものが戻って来るのを押さえつけながら、首を振った。だが、戻って来るものを出さずにいるのに必死で、声は出せなかった。ラーキスは、咲希が答えられないのだと思ったらしく、いきなりスピードを上げた。

『待っておれ!すぐに着くゆえな!』

途端に、ラーキスは物凄いスピードで飛び始めた。いきなりだったので、アトラスもアーティアスも遥か向こうへ置き去りにされている。

「ちょ…っ、ラーキス、風圧…っ、息が…っ」

しかしラーキスは、必死で回りが見えていないようだ。

『もうすぐぞ!』

ラーキスの声が言っているのが遠く聴こえていたが、咲希は気が遠くなって行くのを感じていた。


顔に、思い切り冷たい何かの感触がした。

「サキ!サキ、しっかりせよ!」

続けて、ラーキスの声がする。咲希は、ハッと目を開いて、急いで起き上がった。座り込んでいる形の脚の下には、柔らかい草の感触と、滴り落ちる水滴…。

地面の、上に居る。

咲希はそれを悟ると、一気に肩の力が抜けてへなへなと草の上に手をついた。ラーキスの声が、また言った。

「すまぬサキ、主がどこか怪我でもしたのかと、急いでこちらへ降りたゆえ…風圧のことなど、思い当たらずに。」

メレグロスが、後ろで仁王立ちになって咲希の顔を覗き込んでいたが、腰に手を当てて膨れっ面で言った。

「オレが乗っておることなど全く考えもせずにの。ほんに今度ばかりは死ぬかと思うたわ。」

アーティアスが、得意げに言った。

「そら、言うた通り水をぶっ掛けたら気付いたではないか。揺すっても起きなんだのに。」

そう言うアーティアスの横に立っているクラウスの手には、バケツの柄が握られていた。咲希は、恨めしげにそれを見てから、ラーキスを見た。

「いいの、ラーキス、それよりありがとう。あのまま落ちてしまってたら、息が詰まるどころの騒ぎじゃなかったし、本当に助かったわ。私、本当にまだ未熟で。飛んでる感覚に慣れないから、頭が混乱して来ちゃってあんなことに。」

ラーキスが、ホッとしたように咲希に頷き掛けた。

「驚いた。まだ飛ぶのは、やはり早かったのだろう。練習は必要ぞ。いきなり本番は無理よ。」

するとクラウスが、ふんと鼻を鳴らした。

「良い練習になるところであったのに。あのまま放って置いて、バランスを失った時の体勢の立て直しの方法を学ばせようかと思うておったのだ。オレが見ておるのだから、地上に激突するまでには掴んだわ。主は過保護が過ぎる。」

ラーキスは、クラウスを睨んだ。しかしクラウスには何も言わずに、咲希に向かって言った。

「ではサキ、オレが風圧の強い中でも呼吸を維持する方法を教えようの。主ならすぐに出来る。飛ぶのを覚えるより、そっちを習得する方が近道よ。そこそこ飛べたら良い。あとはオレが縄で括りつけて主を運ぶゆえ。死んでしもうたら元も子もないわ。飛ぶのはゆっくり習得して参れ。」

そう言うと、アーティアス達を睨んでから、ラーキスは咲希を自分の後ろへと押した。克樹が、ため息をついた。

「それで、どうする?それでも結構西へ来たよ。スラル砂漠との境界まで、あと100キロ無いんじゃないかなあ。」

メレグロスが、頷いた。

「ならば、良い調子よ。ここらでファルの代わりに石を設置するのはどうか。」と、脇の林を指した。「あの辺りなら、地盤も安定しておりそうな。」

咲希は、リリアナが出してくれたタオルで髪を拭きながら、そちらの方角を見た。

「本当。何もないし、まさかこんな所に何か重要な物があるなんて誰も思わないでしょう。林の中で、硬い岩場がないか探してみましょう。」

月は傾いて来ているが、それでもまだ夜明けまでには時間がありそうだ。

一向はぞろぞろと、林の方へと向けて歩き出したのだった。

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