セルル
ショーンとシュレー、圭悟は、ユリアンに伴われてセルルへと到着していた。
辺りは夕闇に包まれ始めていて、思ったより風が強くなかったのもあり、時間が掛かってしまっていたのをそれで知った。
兵士達に夜通し船を漕いでもらうのも気が退けるので、ここで一度上陸することにしておいて、良かったとシュレーは思った。
カイの川港より、数段小さな木の桟橋しかないその港に船をつけた一行は、そこでユリアンを先頭に船を下り、船の世話は兵士達に任せて、その見渡す限り麦のようなものが植わっていて美しく風になびいている様を見ながら、歩き始めた。
「ここは、農業と酪農の村で。キジンに近く、そこから流れる川の水には命の気も他より豊富に流れているので、よく作物が育つのです。育てているのは今見えている穀物のセルルと、魔物のルクルクが主ですね。ここでしかセルルを作っていないので、ここの地名もセルルというのです。」
圭悟が、驚いたようにユリアンを見た。
「え、こっちでもあれをルクルクって言うんだ!呼び方が違うものが多いのに、たまに一緒のものがあるんだよね。不思議だなあ、どうしてだろう。」
圭悟は、何やらせっせとメモしている。ユリアンは苦笑して、それでも答えた。
「そうですね。エネルギーベルトがあったのに、同じ呼び名のものがあるのはおもしろい。謎を研究してみるのもいいかもしれません。」
しかしショーンが、脇の畑で揺れている、穂の一つを指でつまんで見て、言った。
「どうせ、古代からこっちへ流れついてた向こうの奴らが居たんじゃねぇの?それで、向こうの呼び名がこっちへ混ざってさ。これ、セルルってーのか。あっちじゃファーだ。」
圭悟が、ショーンを見て言った。
「じゃ、米だな。オレ、あっちの世界から来たから。あっちの世界じゃ、これは米って言うんだぞ。」
シュレーが、うんうんと軽く頷きながら答えた。
「知っている。レイキも散々オレにあっちの世界の名前を教えたがって、大変だったしな。だが、不思議なことに、お前達の居た世界と、こっちの世界でも共通の名前があったろう。あれは、どうしてだか研究しないのか?」
圭悟は、ふーっと肩で息をつくと、メモを仕舞いながら言った。
「あれは、『創造主』のせいだ。あいつが古代から時々に勝手に時間を進めてたのは、知ってるだろう。言葉が混じったのも、『創造主』が干渉した結果でしか説明がつかないじゃないか。だから、けったクソ悪いしそっちは研究しない。」
ショーンは、眉を寄せた。
「おいおい、そんなことユリアンの前で言ったって、知らねぇんだからわからねぇぞ。メイン・ストーリー・オブ・ディンダシェリアを持って来て読んでもらわにゃ。」
するとユリアンは、大真面目に頷いた。
「是非読んでみたい。次に来る時には、必ず持って来て欲しい。」
圭悟は、そんな反応が来るとは思っていなかったので、びっくりしてただ頷いた。ショーンも、その反応は意外だったらしく、驚いたようだ。
そんなことを話している間にも、目の前には数軒の平屋の石造りの家々が見えて来た。まさに点々といった感じで、隣りの家との間が、半端なく広い。ほかに家が建っている様子はないので、明らかにここがメインストリートのようなのだが、夕方なのも手伝って、人はまばらだった。
「宿を取りましょう。この道の、ちょうど中央に宿が一軒あるのです。セルルでは、そこだけなのです。」
観光に来るような村ではないらしい。
それでも、宿があったことに、シュレーは少なからず感謝していた。船で長く揺られたので、腰が痛む気がするのだ。
昔は、こんなことは無かったのに。
シュレーは、自分の加齢による衰えを感じて、自嘲気味に心の中で笑った。長旅で、あちこち痛むなんて、無かったではなかったか?
すいすいと歩いて行くショーンを恨めしげに見ながら、シュレーは圭悟と並んで、ユリアンについてセルルでただ一軒の宿へと到着したのだった。
中へ入ると、ユリアンの顔を見たカウンターの中の男が、驚いたような顔をした。
「これは…!お越しになると、聞いておりましたでしょうか?」
明らかに、動揺している。ユリアンは、首を振った。
「いや、キジンへ向かう途中、日が暮れて参ったのでこちらで休もうと思うてな。部屋はあるか?」
男は、何度も頷いた。
「はい、もちろんでございます。」と、急いでカウンターの、高い位置にある鍵を手に取った。「お連れ様は、どういったお部屋をご用意致しましょうか?」
ユリアンは、首を振った。
「同じで良い。鍵をくれ。」
男は、その金色の大きなキーホルダーがついた鍵を、恭しくユリアンに手渡した。ユリアンはそれを受け取ると、三人に向き直った。
「さ、こちらへ。奥に広い部屋があるので、そこで。」
そうして、先に立って歩いて行く。
三人は、少し戸惑いながらも、その後について早足に歩いて行った。
奥へと行くと、そこにはやはり金のドアノブがついていた。それを開くと、そこには簡素でありながら美しく整えられた、明らかに特別な風情の部屋が広がっていた。
続き間で隣りにも部屋があり、そこには三つのベッドが置かれてあった。
「あれ、ベッドが三台しかないけど。」
圭悟が言うと、ユリアンは反対側の壁にある、ドアを開いた。
「こちらにも三台あるので。どちらでも、お好きな方をお使いください。私は、どちらでもいいので。」
何も言わなくても、特別室が割り当てられるのか。
シュレーは、心の中で思っていた。どうやら、ユリアンの言うように、こちらでのラウタートの地位はかなり高いようだ。人は、恐らくラウタートの庇護のもとに生きていると、心の底からラウタートを崇めているような状態なのだろう。
ユリアンは、側の椅子へと腰掛けると、鍵を暖炉の上へと放り投げて、言った。
「さあ、すぐに食事が来るでしょうから。それを済ませて、明日のことを話しましょう。」
三人は、進められるままに椅子へと腰掛け、すぐに運ばれて来た肉っ気の多い夕食を済ませたのだった。
シュレーとショーン、圭悟の三人は食後のキリーを飲んでいたが、ユリアンは水を飲みながら、言った。
「ここには、何もないでしょう。あるのは、牧草地帯と畑だけ。明日は、何か見たいものがありますか?」
圭悟は、肩をすくめて見せた。
「いや、ここへ来る時に見たよ。まさかここまで見晴らしが良くて、全部畑と牧草地の村だなんて思わなかったものだから。」
ユリアンは、微笑んだ。
「ですが、セルルに来たことがある、という話は出来るでしょう。ここは視察の時でもなければ、滅多に泊まりでは来ない場所ですしね。仕入れに来る者達が泊まるのが、この宿で。ですがここは、キジンへの川、山岳地帯へ向かう川との合流地点ですので、ここで船を乗り換える者達が結構多いのです。ほとんどが接続しているので、すぐに乗り換えられのですが、たまに船を取り忘れて、ここで泊まったりしておるようです。」
「へえ。じゃあ、こんなところの宿屋でやって行けるのかと思ったけど、案外客は居るんだな。」
圭悟が言うと、ユリアンは笑った。
「そうなんです。」と、窓の外を見た。「私も、この横を船で通り過ぎる度、次は一泊してゆっくりしようと思うのですが、忙しく先を急いでしまって。今日は久しぶりに泊まることが出来て、良かったと思っています。」
ユリアンは、穏やかに微笑んでいる。
そんな様子を見ていて、シュレーはラウタートもグーラと同じように、人と変わらないのだと思った。
高い知能を持ち、人を案じて、同じ目線で共存したいと思っている。それに、こうしてゆったりと自然を楽しむ心も持っているのだ。
人型がとても若いユリアンの、日の落ちた窓の外を眺めている端正な横顔を見ていると、ふいに戸の外からバタバタと慌しい音が聴こえて来た。ユリアンも含めた四人は、驚いてそちらを見る。すると、コンコンとノックする音がして、さっきカウンターで聞いた男の声がした。
「ユリアン様?あの、お手紙が参りましてございます。急ぎ、お渡しするようにとのことでございますが。」
ユリアンは、眉を寄せて言った。
「入れ。」
戸が開いて、やはりさっきの男が青い顔をして、手に封筒を握り締めて入って来た。そして、ユリアンの前に跪いてそれを渡した。ユリアンは、それを受け取ってすぐに封を開き、中を確認している。そして、しばらく考えるように視線を泳がせた後、膝を付く男に出て行くように合図し、またその手紙へと視線を落とした。
シュレーと圭悟、ショーンは、しばらく黙ってその様子を見ていたが、じっと何かを考えているユリアンに、痺れを切らせて言った。
「…何かあったのか?」
シュレーに声をかけられて、ハッとしたように顔を上げたユリアンは、手紙を畳んでから言った。
「王が、戻って来られる。」
しばし、沈黙。
ショーンが、言った。
「ええっと、それはラウタートの王なのか、それともアントンなのか。」
ユリアンは、ショーンを見て答えた。
「我らが王とお呼びするのは、ラウタートの王より他にない。だがしかし、山岳地帯にまで迎えに出るようにと申されている。場合によっては、サラデーナ領へ入ることになるやもしれぬ。私が参らねば、事は難しくなるやもしれませぬ。」
シュレーとショーン、圭悟は顔を見合わせた。
「だったら…ここから、川を遡ったら、早いんじゃないか。せっかくセルルに居るんだし、ここから向かったら。」
ユリアンは、首を振った。
「だがしかし、あなた方をここに放って置くわけには行きません。兵士に頼んでキジンへ参ってもらっても良いが、知らせをやっておるとはいえ、キジンは我らラウタートの地。私が共でなくば、村へ入ることも難しいでしょう。」
ショーンが、顔をしかめた。
「それって、キジンは閉鎖的ってことか?」
ユリアンは、頷いた。
「その通りです。人の村が奥にあるが、そこも余所者は徹底的に排除する風潮があって、あなた方を受け入れることはありますまい。まして、あなた方は向こうの大陸から来た。我が王が直々に許可を出した証があればこの限りではないが、我が王はまだ、あなた方がご自分に会いたいと思っていることを、ご存知ではない。」
キジンは、閉鎖的な地なのだ。
言われてみれば、そうだろう。大樹の側ならば命の気もある首都であるカイに、治癒の術士が駐屯することすら拒むような考え方なのだ。
ならば、自分達など絶対に入れてはもらえないだろう。外から来た、訳の分からない者達だと思われるだろうからだ。
「ユリアンと一緒に行くしかないってことか。」
ショーンが、しばらく考えてから、言った。圭悟が、驚いて顔を上げる。しかし、シュレーも頷いた。
「そうだな。ここで待っていても、王は来ないだろうし、またユリアンに迎えに来てもらわねばなるまい。だったら、一緒に行動していれば、王にも紹介してもらえる機会が持てるだろうし、何よりもしもシャデル陛下に遭遇するようなことがあったら、我らが一緒なら取り成すことが出来るかもしれない。」
ユリアンは、それを聞いてまたじっと考え込んだ。今度は、厳しい目でこちらを見ながら、長い時間考えている。
そんな部屋の中の様子とは裏腹に、外に広がる大きな畑には穏やかな風が吹いていた。




