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出発

咲希は、くたくたに疲れ切って地面に大の字に寝転がってしまっていた。

ラーキスが、慌てて駆け寄って来て咲希の顔を覗き込んで、心配そうな顔で言った。

「サキ、大丈夫か?しかし様になって来ておるぞ。」

横から、クラウスが険しい顔で言った。

「様に?あれでか。これでは今夜一緒に飛び立つのはとても無理ぞ。」

アーティアスが、そんなクラウスをなだめるように言った。

「まあそれぐらいにしておけ、クラウス。主の心地はオレにもよう分かるが、この娘の飲み込みの悪さでは今はこれが精一杯であろう。とにかくは二つ目の設置場所へはこのまま皆で参って、明日の夜までまた練習させれば良かろう。」

あんまりな言葉に、咲希は身を起こして抗議した。

「私だって、一生懸命やってるのよ!でも、これ以上早く飛べないんだから仕方ないじゃない!」

ラーキスが、咲希に手を貸しながら言った。

「普通の人なら飛べぬのだから、主は頑張っておる方よ。とにかくは、これを練習して参れば良いのだから。すぐに慣れる。基本的なことはマスターしたではないか。」

普段は穏やかなクラウスが、ふんと横を向いて歩き出した。

「本当に基本的なことだけであるがの。こんなにイライラしたのは何年ぶりのことか。」

咲希は、クラウスの様子に、普段が普段なだけに自分がどれほど飛ぶのが下手なのか分かったのだが、それでも言い訳がましく言った。

「だって、飛べると思ったことすらなかったんですもの…もっと練習するわ。時間があれば、出来るような気がするし。」

アーティアスが、珍しく声を立てて笑った。

「時間はたっぷりあったではないか。言い訳だけは一人前よな。」と、息をついた。「ま、しようがない。やる気さえあれば、伸びるであろうぞ。さっきあちらでオレと話した時とは、顔つきが違う。気持ちで負けておった時から比べたら、幾分マシになったと思うておこう。」

咲希は、ラーキスの手を借りて立ち上がりながらハッとしていた。確かに、昼間にあちらからこちらへ走って来た時とは、気持ちが違う。あの時は、疲れては居なかったが心が重かった。だが今は、体は疲れているのに、心はぽかぽかと暖かい。何かをやって、やれないことなどないような気持ちがしているのだ。

ふと、皆が待つ方向から煙の臭いがした。

食事の支度…?

咲希は、そう思った途端に、激しく空腹感が襲って来るのを感じた。そういえば、お昼ご飯は食べただろうか。いや、絶対食べてない。

「ラーキス、とってもお腹が空いたわ。思えば、お昼も食べてないもん。」

ラーキスは、そういえば、と皆の方向を見やった。

「確かにそうだ。食事の仕度を始めたようだし、参ろう。」

アーティアスが、前を歩きながら振り返って言った。

「食べることだけは忘れぬのだな。オレの持っておったセルルは、あやつらに渡してあるゆえ、また調理してくれるのではないか?しっかり食べて、明日はもっと速く飛べ。」

咲希は、少し元気なくアーティアスを見た。

「頑張るわ。でも、バランスが難しいんだもの…。」と、アーティアスの額の辺りをじっと見た。「アーティアスもクラウスも、髪が縞柄ね。何かのおまじない?そうやって染めたら、私も速く飛べるようになるかな。」

びっくりしたような顔をしたアーティアスは、先を行くクラウスも驚いたようにこちらを見ているのを見て、また咲希を見た。

「これは染めておるのではない。おまじないとは何ぞ?」

「え、染めてないの?だって、左右対称で凄い綺麗な柄じゃない。生まれつきこれってこと?」

咲希は珍しげにまじまじとアーティアスの髪を見ている。アーティアスは、戸惑い気味に身を退いた。

「我らは生まれつきこうよ。刈れば伸びるが、これ以上は伸びぬ。」

咲希は、まだじーっとアーティアスの髪を凝視して言った。

「…どこかで見たような柄なのよね…どこでだったか、物凄く愛着のある感じ…。」

アーティアスは、さらにのけぞりながら、ラーキスの方をチラチラと見て、言った。

「こら、己の連れ合いであろうが。他の男にこんな風に迫っておるのを、何とかせぬか。」

ラーキスが片眉を上げる。咲希は、慌ててアーティアスから離れて、真っ赤になって言った。

「何よ、迫るって!違うわ、本当に覚えがあるの、その縞柄…」と、ああ!!と叫んで手を打った。そこに居る三人全員がビクッとした。咲希は、お構いなく続けた。「分かった!うちのネコ!うちのキジトラ柄のコテツにそっくりなんだわ!」

アーティアスもクラウスも、目が完全に点になっている。ラーキスが、慌てて咲希に言った。

「こら、二人共びっくりしておるではないか。で、ネコとは何ぞ。」

咲希は、必死に説明した。

「大きさはこれぐらい、全身毛皮で、小さなヒョウみたいな…ああ、ヒョウも分からないっけ。」

しかしラーキスは、ああ、と頷いた。

「ヒョウは分かる。分かった、主が言いたいのは、ミュウのことよな。よう飼っておるヤツが居るのだが。」

ミュウと聞いて、アーティアスとクラウスも、真顔になった。どうやら、こちらでも同じ呼び方らしい。

「…ミュウ科の生き物は、こちらにはたくさん居る。こちらで恐れられている魔物も、同じ科と分類されておるが、もっと大きなものぞ。牙があり、かなり跳躍力を持つ。その上、大きな術も放つ。」

咲希が、驚いたようにアーティアスを見た。クラウスも、険しい顔をしている。ラーキスが、それを見て急いで咲希を後ろへ押しやると、前に出て言った。

「サキに悪気はない。主らが我ら魔物に偏見を持っておるのは知っておるが、サキはそんなつもりで言うたのではないぞ。己の価値観を、サキにまで押し付けるでない。」

アーティアスは、じっと黙って咲希を睨むように見ていたが、ふんと横を見た。

「…別に。気を悪くしたわけではないわ。だが、ミュウと一緒にされるとはの。」

そして、先に立ってさっさと歩いて行ってしまった。咲希は、軽口が過ぎた、と後悔した。まさか、魔物の中に、そんなのが居るとは思わなかったのだもの…。

ラーキスが、咲希に咎めるように言った。

「サキ、あれらは違う国から来たのだからの。オレにもどう反応するのか分からぬ時がある。あまり軽々しく物を申すでない。ある程度の力を持つ奴らであるから、何をするか分からぬぞ。今はあのように協力的ではあるが、それでもまだ、深くあれらの国のことは分かっておらぬのだから。」

咲希は、しゅんと下を向いて、頷いた。

「ごめんなさい。少し調子に乗りすぎたと思うわ。気をつける。」

ラーキスは、微笑んで頷いた。

「良い。では、食事に参ろうぞ。」

そうして、二人はみんなが待つ場所へと足早に戻って行ったのだった。


みんなが居る草原まで森の中の空間へと戻って来ると、もうアヒムもマウも居らず、そこにあった車も無くなっていた。

そして、メレグロスが鍋を火にかけている横で、ダニエラが肉を焼いているのが見える。その辺で拾って来たらしい木の枝に、大きな肉を二つほど刺して、吊るして回しながら様子を見ていた。

「あ、咲希!」

克樹が、一番先に気付いて手を振って来る。咲希は、微笑んで克樹に歩み寄った。

「ごめんなさいね、手伝わなくて。あの、魔法の練習をしていたの。」

克樹は、首を振った。

「いいんだ。アーティアスとクラウスが、咲希が飛べるように教えて来るって出て行ったし、きっと時間が掛かるだろうって思ってたから。それで…」克樹は、少し言いにくそうにした。しかし、メレグロスもダニエラもこちらを見ている。なので、続けた。「飛べるようになった?」

咲希は、顔をしかめた。

「あのね、少しだけ。」咲希は、その場で一メートルほど浮いて見せた。「ほら。浮くのは簡単に出来るようになったの。でも、ここからスピードを出して飛ぶのが、うまく行かなくて。」

克樹も、ダニエラもメレグロスも、大きくのけぞって目を見開いた。咲希は、そのまま前へと進んで、必死に言った。

「でも、ほら、今日が初めてだから!あの、明日も練習するわ!だから、大丈夫よ、そんなに心配しなくても!」

克樹は、絶句していたが、やっと頷いて言った。

「いや、その、びっくりしたんだ。別に、咲希がまだそれしか飛べないのかとか、思ったんじゃないんだよ。ただ、ほんとに飛んだって思ってさ。」

メレグロスも、唾を飲み込んでから頷いて言った。

「そうよ、サキ。主、人であろう?こっちの人の中には飛ぶのが居ることは、アーティアス達を見ておって知っておるが、あちらの人が飛ぶのは初めて見たのだ。しかし、本当に飛べるようになるとは。」

ラーキスが、咲希の横に並んで言った。

「そうでもないぞ。ショーンなどは、速駆けをする。あれは、地面から少し浮いて滑るように進むし、飛ぶようなものだろう。高く昇れぬだけでな。」

ダニエラが、うーんと唸った。

「そう言われてみればそうかもね。だったら、ショーンはこちらでは飛べるってことね。ルシール遺跡でショーンの結界がまだあった時、生きてるだろうって話になったけど、命があるのはそこのところも関係してるのかもしれないわ。飛べるから、逃げることが出来たのかも。」

克樹が、悲しげな顔をした。

「でも、変化(へんげ)してしまってるかもだけどね。」

メレグロスが、寂しげにうなずいた。

「そうだな。」と、何かを振り払うように首を振ると、側の鍋の蓋を開けた。「さ、ファーが炊き上がった。サキ、食うであろう?」

咲希は、そのお米の匂いに誘われるように地面へ降り立った。

「いい匂い!とってもお腹が空いてるの。」

ダニエラが、笑って肉の一つを、棒を両脇から持って火から下ろした。

「こっちもいい感じなの。じゃ、食事にしようね。」

そうして、皆で火を取り囲み、暗くなった森の中、思い思いに食事を済ませたのだった。


火の始末をつけて、回りで荷造りが始まる。

咲希は特にキャンプ道具などは持たされていなかったので、何を手伝ったらいいのか分からないまま、右往左往していると、ダニエラが苦笑して小さな巾着を咲希に差し出した。

「サキ、これ。」

咲希は、それを受け取りながら、首をかしげた。

「これは何?」

ダニエラは、同じ巾着を見せながら言った。

「食糧よ。こっちが、私達地上班の分。そっちが、あなた達空から行く班の分。まあ、あなた達はすぐに着くだろうから、そんなに要らないかもしれないけど、それでも持ってた方がいいわ。もしかしたら、アラクリカで補充出来ないかもでしょう。目的地は、ディンメルクなんだもの。アラクリカで終わりじゃないわ。そっちの班には料理出来るのはリリアナぐらいだから、あなたも手伝わなきゃね。」

咲希は、それを受け取った。これからは、誰かが食事を用意してくれるとか、そんなことはないのだ。全部、自分で考えてやっていかなければならない。何しろ自分が一緒に行くラーキスもアトラスも、アーティアスだってクラウスだって、エクラスだってなぜかあまり、食事に執着しているようではない。出されて食べるのはびっくりするほどの量を食べるが、食べたいとかお腹が空いたとか、自分からは言わない集団なのだ。

つまりは、自分が積極的に食事のことを考えて用意して時間を作らないと、食べずに済んでしまうことも、あり得る。

咲希は、ダニエラに頷いた。

「あまりキャンプとか得意でなかったんだけど、学校でやったことあるし。頑張ってやって見るわ。ありがとう、ダニエラ。」

ダニエラはそれを聞いて微笑むと、咲希の頭をポンポンと軽く叩いた。

「あまり肩の力を入れずに。とりあえず飛べるんだから、スピードなんて慣れて来たらすぐに出るようになるわよ。ここからまだ一緒にちょっと西へ移動するけど、その間アーティアス達と並んでゆっくり飛んでみたら?ラーキスとアトラスも、私達を乗せてるからスピード出せないし、いい練習になるわよ。」

咲希は、これまでに乗せてもらった高さを考えた。あの高度まで、まだ自分は上がったことがない。あんな高さを、平気な顔で飛ぶことが出来るだろうか。

しかし、その不安を頭を振って吹き飛ばすと、しっかり一つ、頷いた。

「ええ。やってみるわ。自信はないけど、でもやってみるしかないもの。」

ダニエラは、少し驚いたような顔をしていたが、それでも微笑むと、頷いた。

「あなたなら出来るわ。」

そして、メレグロスが片付けているのを手伝いに歩き去って行った。

咲希は、空に出ている二つの月を見上げて、何が何でも飛んでみせる、と決心していた。

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