手
ラーキスの背に乗って空へと舞い上がると、やはり咲希の目にはあの雷の上の空に、大きな手が見えた。それは、一見すると雲が渦を巻いてそのように見えているだけかもとも思えたが、咲希にはどう見てもその手が意思を持っているようにしか見えなかった。
数体のグーラが眼下に見えてきた町へと降りて行く中、シュレーが乗ったマーキスだけは宙に残った。先に飛んでいたマーキス達に追いつくと、シュレーが振り返って言った。
「サキといったか?どのように見える。我らには、渦巻いている雲の下に稲妻が走っているのしか見えないんだが。」
その場にホバリングしているので、大きく上下に揺られながらも咲希は答えた。
「その、雲の所です。下に向かって、まるで手を翳すように…」咲希は言いながらも、そこから大きな力を感じて、身を震わせた。「なんだろう。凄く体が空気から圧迫されるような感じ…。」
『サキ…。』
ラーキスが、心配そうに言う。シュレーはじっと雲を見ていたが、咲希に視線を移した。嘘を言っているようではない…そもそもそんな嘘をついても、異世界から来たというこの娘には何のメリットもない。
「…分かった。今はとりあえず、ラクルスへ。そこに術者が集まっているのだ。術者の中に、それが見えている者も混じっているかもしれない。行こう。」
咲希は、頷いた。そうして、マーキスとラーキスに乗せられ、シュレーと咲希は港町ラクルスへと降り立ったのだった。
「シュレー将軍!」すぐに、兵隊の一人が駆け寄って来た。「グーラの数は、何とか足りそうです。先ほどリーマサンデ側から連絡があり、あちらのヘリコプターも準備は整ったとのこと。日の入りと共に術を放つことになっております。」
シュレーは、頷いた。そして、人型になったマーキスとラーキス、それに咲希を見て言った。
「こっちだ。そう時はない。術者に会ってくれ。」
シュレーについて歩いて行くと、たくさんの裾の長い服を着た者達が、海岸の近くの広い公園で集まって、不安そうにパワーベルトの方を見ていた。シュレーがそこへ歩いて行くと、数人の術者が近付いて来て言った。
「あんなものは初めて見る。とても、我らの術で抑えられるものではない。」
その男は、シュレーに訴えるように言った。他の術者も言う。
「そうだ。あんなものだとは聞いていなかった!あんな場所へ飛んで行って、もしもパワーベルトが大きくなったりしたら…!」
シュレーは、皆を抑えるように言った。
「それが大きくならないよう、皆の術の力を合わせてあれを一時的にでも封印しようと言っているのだ。」
別の男が、後ろから叫んだ。
「もっと準備をしなきゃ無理だ!通常の封印では到底封じられないことは、一目見て分かるじゃないか!」
「そうだそうだ!もう一度話し合いをしてから行くべきだ!今のままでは、犬死にだ!」
皆が、一斉に火がついたように騒ぎ始めた。咲希は、その騒然とした様に身を縮めた…すごく気持ちの悪い感じがする。シュレーは、それに気付かず声を上げた。
「そのような時はない!リーマサンデ側からも、数人の術者を出すのだ。日の入りと共にこちらも術を放たねば!」
しかし、皆は聞く様子はない。
「私は行かないぞ!私の村では、優れた術者は私だけなんだ。こんな所で死ぬ訳にはいかん!」
一人がそう言って走り出す。すると、皆が慌てたように回りを見た。
「わ、私も…幼い娘を残して来ている。とても無理だ。」
すると、皆が我も我もと他を押し退けて駆け出した。
「オレだって…!」
「どかないか、オレの方が…!」
「待て!」シュレーが叫んだ。「ここでやめたら、もっと大変な事に…!」
すると、一人の背の高い男が進み出て、叫んだ。
「陛下の命令だ!」皆が、ピタと止まった。「逆らうと牢屋行きだぜぇ?なあ、将軍様?」
その男は、皆のような術者特有の裾の長い服は着ていなかった。シャツの前は半分以上開いているし、腰には革製の剣を下げるベルトが着いていて、大きな剣の柄が見えた。スリムな黒いパンツの下には革製の膝丈のブーツを履いていて、明らかに他の術者達とは異質だった。長い銀髪を後ろで束ね、目は透き通るような赤だった。そして、その横には、歳の頃は小学校低学年ぐらいである、赤い髪に緑色の瞳のそれは可愛らしい女の子が立っていた。手には、大きなクマの縫いぐるみを抱いている…しかも、そのクマの目には大きな緑色の宝石らしき石が二つ着いていた。それでも女の子は無表情で、咲希は、その子を見て大きなお人形のようだ、と思った。
「それは…確かに、これは陛下のご命令だが。君は?術者か?」
相手は、笑った。
「将軍様は人を見た目で判断なさる?ああ、オレは間違いなく術士だ。ショーンっていう。こっちは相棒のリリアナ。」と、無表情に立つ女の子を差した。「お国の危機だって聞いてわざわざ来たんだぜ?」
シュレーは、驚いたような顔をした。
「ショーン…ルクシエムのショーンか!」
回りの術者達が、おお、と声を上げた。どうやら、知られた名前らしい。というか、地名すらわからない。と、咲希は、完全にアウェイな感じに口を出す事も出来ずにいた。すると、ラーキスが言った。
「シュレー?知っているのか。」
シュレーは、頷いた。
「有名な治癒の術士だ。どんな大怪我でも、命さえあればたちどころに治してしまうと評判で…だがまさか、こんなに若いとは。」
ショーンは、肩をすくめた。
「こんなにふざけてる、って言いたいんじゃないのか?別にオレは、治癒だけに特化した術士じゃねぇよ。世間が望むからそれを使うだけで、普段は戦ってらぁ。オレは金さえ貰えば仕事は選ばねぇんだよ。」と、回りの術者達を見た。「ま、オレは術者じゃなく術士だからな。格が違わぁ。」
咲希は、我慢ならず側のラーキスに小さな声で言った。
「術者と術士って違うの?」
ラーキスは頷いた。
「術者は自分で、術がそこそこ使えると名乗れる。皆、己の体の中の命の気を使って術を使う。術士は国が認めたもので、大地の命の気を集めて扱える能力のある人の事だ。まあ、ライアディータでは誰でも術者にはなれる。呪文さえ知っておったら良いのだからの。しかし術士は違う。生まれながらにその能力が無ければ無理なのだ。」
咲希は、納得してショーンを見た。しかし目の前のショーンは、とてもそんな凄いことをするようには見えない。咲希にはその辺りで遊び回るいい加減な男に見えた。
シュレーが、言った。
「その赤い瞳、間違いなく本人だろうな。ならばショーン、君には見えるか。あの上空に、大きな手があると言う者が居るのだが。」
ショーンは、急に真剣な顔になると、シュレーを見た。
「手だって?」と、皆を見回した。「この中に居るのか。」
ショーンは、咲希に目を留めた。そして、じっと射るように見つめると、言った。
「そのお嬢ちゃんだな。」
シュレーは、ためらったが、頷いた。
「分かるのか。君にも見えるのだな。」
ショーンは、首を振った。
「オレには見えねぇ。だが、相棒はあれが出現する直前からそう言ってる。」と、リリアナを見た。「そうだな、リリアナ?」
リリアナは、やはり無表情に頷いた。
「見えるわ。稲妻の上、雲の辺りに。」
ショーンは、また咲希をじっと睨むように見た。
「リリアナは特別なんだ。だが、このお嬢ちゃんは…」
すると、そこへ二人の男が駆け寄って来た。
「シュレー!もう日が暮れる。もう海上へ行っておかないと!」
皆が、そちらを見た。咲希が、その若い二人に誰だろうと思って見ていると、ラーキスが進み出た。
「アトラス、克樹!お前達も来ておったのか。」
シュレーに話しかけていた男の方が振り返った。
「ラーキスじゃないか!来てくれたのか。話は後だ。もう時間がない。」
シュレーが、頷いた。
「その通りだ。」と皆に向かって叫んだ。「皆、三人ずつに分かれてグーラへ!腰が退けている者など要らぬ、足手まといだ!世界の大事に逃げ出す術者など要らぬ!」
人型だったグーラも、瞬く間に翼竜へと変化した。シュレーの言葉を聞いて、逃げ出そうとしていた術者達は、顔を見合わせた。
「まあ…術士ショーンが居るなら、我らの力も無駄にはなるまいし。」
「確かに、逃げたなどと言われては寝覚めも悪い。」
隣りの男も、そそくさと待機しているグーラへと歩き去った。
アトラスもグーラへと変わる。ショーンは、皆がグーラへと乗るのを眺めながら、言った。
「さて、じゃあオレはどのグーラに乗ったらいい?」
すると、マーキスが言った。
『キールへ。あの、向こうに居る金色の瞳のグーラぞ。少々のことなら、あれは動じぬ。』
そのマーキスには、シュレーが乗る。咲希が慌ててラーキスへ乗ろうとすると、シュレーが言った。
「君は危ないからここに残った方がいい!」
咲希は、ラーキスによじ登りかけていたが、ためらった。すると、キールへリリアナと共に乗ったショーンが、あちら側から叫んだ。
「そのお嬢ちゃんにはリリアナと同じものが見えてるんだろうが!連れて行った方がいい!」
咲希は、あっちもこっちも叫ばれて、どうしたいいのかとおろおろした。日が、遠く水平線へと沈んで行こうとしている。向こう側に集結していたグーラが、背に三人ずつの術者を乗せて次々と飛び立ち始めた。シュレーは、考える時間もなく、頷いた。
「わかった!来い、ラーキス!キール!」
マーキスが飛び上がった。キールも、ショーンとリリアナを乗せて飛び上がる。ショーンは、慣れたようにキールに合わせて姿勢を変え、飛び立って行った。咲希も、ラーキスへとよじ登り、首に掴まった。
「行くぞサキ。鞍がないが、首にしっかり掴まっていよ。」
そう言っている隣では、アトラスが克樹を乗せて飛び立って行った。遅れて、咲希を乗せたラーキスも、くれてくる空に急いで皆に追いついて飛んで行ったのだった。