結晶化
あまりにもはっきりと、まるでそこに肉体を持っているかのような姿で居るので、咲希はまじまじとクロノスを見た。クロノスは、おもしろそうに言った。
『何ぞ、珍しいか。ほんの先ほど会うたばかりではないか。』
咲希は、その声にハッとして目を瞬かせると、言った。
「ほんの先ほどではありませんわ。それに、あの時見たよりも、あまりにもはっきりとした姿なので、驚いたのです。」
クロノスは、自分の体を見た。
『ここは、主らの空間であるから。我は、あの地に住むもの。本来ならば、こうしてここに現れることなどないが、此度は約したことであるからな。』
咲希は、首をかしげた。
「あの地?あの地って、地下ですか?」
クロノスは、首を振った。
『あの、空の上の空間ぞ。だがしかし、主らには到達出来ぬ場であるがの。さて』と、咲希をじっと見つめた。『無駄話はこれまでぞ。力を結晶化するのであろう?』
咲希は、ゴクリと唾を飲み込んでから、頷いた。
「はい。今度は、命の気を引き付けられるだけの大きさの結晶を。」
クロノスは、手を軽く上げた。
『承知した。』
咲希の回りの空気が、渦を巻いて動いたような気がした。
しかしそれは一瞬で、足元から頭へと風が吹きぬけたかと思ったら、クロノスの手には、緑色に光り輝く、直径20センチぐらいの丸い玉があった。
また、何も感じなかった。
咲希は、そう思ってその石をじっと見つめた。リリアナが、エクラスの横で言った。
「何かしら、思っていたのとは違うわね。あの、シャルディークの石の短いのかと思っていたのに。」
つまりは、円柱形だと思っていたのだろう。クロノスは、微笑んで首を振った。
『これはの、その者の性質も出るかの。サキの性質は、こうして丸いのだ。つまりは、かなり素直なのだろうの。』
咲希は、何やら懐かしいような愛おしいような感じのするその玉を、なぜか自分から離すのが寂しいような気がした。しかし、そんな感情が湧くのはおかしいと、ぶんぶんと首を振ると、クロノスを見上げた。
「クロノス、この岩場にその玉を設置してください。ここなら、安定しているでしょう。」
クロノスは、頷いた。
『良い場を見つけたもの。では、ここに。』と、クロノスは岩場の上の方ではなく、足元の辺りに手を向けた。『我が力で縛りつけようぞ。』
玉は、下へと漂って行き、そこへたどり着いた途端、カッ!と激しい閃光が走り、咲希は目を背けた。しかしラーキスは、じっとそちらを見ている。ディンメルクの集団も、みんなその光の中難なく見つめ続けていた。
咲希は、何とかして見よう、と力を入れると、その閃光はすぐに収まり、跡には咲希の力の玉が、半分以上を岩場の中へと隠した状態で、そこに埋まるようにあった。
「…終わったの?」
咲希が呟くように言う。クロノスが、頷いた。
『終わった。これで、ここへメニッツの命の気が飛んで来ることになるだろう。』
咲希は、上から見ると凸レンズのように見えるその場所を、そっと撫でた。私の中にあった、力の結晶。これが、みんなを助ける力になるのだ。
『では、また次の地で。』
クロノスが言うのに、咲希は慌てて言った。
「待って!あの…私の力、どうですか?あれから、増えてますか?!」
クロノスは、そう言われて振り返ると、じっと咲希を見た。
『…少しだけ覚醒が進んでおるか。しかし、このままではファルで力の玉を取ったら、次のアラクリカでは全く足りぬだろうの。』
やっぱり、と咲希は焦って言った。
「私達の計画を、ご存知なのですね。あの、覚醒はどうやったら早まるのですか?私…どうしても覚醒しなきゃ!」
ラーキスが、咲希を気遣うように言った。
「だから、そのように思いつめるでないと言うに。その時はその時ではないか。焦ってもことは進まぬから。」
「でも…!」
咲希の、そんな様子を見ていたクロノスが、咲希の前へと降りて来て、地面に足をつけた。そして、咲希の目を覗き込んだ。
『サキ…これは、試されておるのだ。これぐらいの力の覚醒であれば、この世界で生きていれば自ずと起こったであろう範囲。しかしこれ以上となると、主は自覚せねばならぬ。己の命に刻まれる使命を。主は一体、前の生でどんな生き方をして、どんな使命をまっとうしたのだ。恐らくはその力を再び持って生まれたからには、それなりのことを成し遂げたのであろうぞ。今度の生でも、同じようなことを成し遂げる命であると、認められたからこその、力。主は、自覚して己の意思でもってそれを成し遂げねばならぬ。その自覚が足りぬ間は、全ての力など戻っては来ぬ。天に居る我が養父は、未熟な者に大きな力など渡すことはない。心を育てるのだ、サキよ。それと共に、力は育つだろう。』
咲希は、クロノスを見上げた。
「クロノス…。」
クロノスは、フッと笑った。
『ではの、サキ、その仲間達よ。ファルへ向かうが良い。』
そうして、クロノスはスッと消えて行った。
ラ・ルース湖は、驚くほど静かで、ラ・ルーが現れるような様子は無かった。
そのまま、まだ日が暮れたばかりだったのにも関わらず、咲希は激しい眠気に襲われて、先にテントへ入って眠り込んでしまっていた。
そして、次に気が付いた時には、ダニエラが咲希を揺すっていた。
「サキ?まだ眠かったらメレグロスのカバンに入ってればいいから、とにかく今は起きて。これから、川を上ってルース山脈へ向かって、そこからミレー湖に繋がる川を下ってファルへ向かうのよ。ミレー湖まで行ったら、ファルだから。」
咲希は、何だかよく寝てしまったように思って、慌てて起き上がった。
「あ、ごめん!私、寝坊した?!」
ダニエラは、苦笑して首を振った。
「寝坊じゃないわ、まだ夜中。昨日咲希が寝てから、すぐにアレクシスと話し合って、工場が稼動していない夜中に川を遡ろうって決めたのよ。ルース山脈まで行ったら、この時期スキー客が多いからそれに紛れてファルに入ることが出来るわ。」
咲希は、急いで寝袋から出てそれを巻きながら、ダニエラを見た。
「じゃあダニエラ、今日も寝てないのじゃない?大丈夫?」
ダニエラは、笑った。
「まあ、私を普通の女だと思ってるのね?残念ながら、精鋭部隊のライアディータ軍の中で、将軍にまで上り詰めた軍人なのよ、私。ちょっとぐらい眠らなくても、充分動けるわ。ただ、今回は私も寝たわよ。サキと同じぐらい。決めてすぐに寝て、ほんの十分前に起きたばっかりだから。」と、巻き終わった寝袋を、術で小さくしてカバンへと詰めた。「さ、行こうか。ここから、逃げ場もなくなって来るわ。サラデーナ領に深く侵入して行くから。でも、何があってもあなただけは守り抜こうって皆で決めてるの。だから、安心して。あなたは、私達の希望だしね。」
ダニエラは、咲希がテントから出るのを待って、それを片付けている。ふと見ると、他のテントはもう、片付け終わっていて、男性陣は荷造りを終えていた。
咲希は、この全ての人達が自分を守ろうと思っているのだと感じて、胸が痛くなった。自分は、確かに力を持っていて、それを結晶化させるのが一番の近道であることも分かっている。でも、それだけのために、これだけの人数が命を懸けるなんて、間違っている。自分だけが、特別なのではないのに。
咲希は、どうあってもこの人達を守らなければ、と思った。自分のために、他の命が消えるなんて、耐えられない。なんとしても、皆を助けよう。ダニエラに、魔法を教わらなければ…!
咲希の心に、小さな闘志の炎が灯った。




