カイ4
先に行くユリアンとショーンを追って、息を切らせながら丘を上がると、王城が左手に見えるそれなりに近い位置に、かなり大きな立派な木が見えて来た。
太さは大人が30人ぐらい、手を繋いで抱きつかないと手を回せないほど立派なもので、高さはビル五階ぐらいはあるだろうか。
枝は無数に伸び、そして緑色の葉をたくさん付け、黄緑色の新芽もちらちらと見えた。
そしてその背後には川が流れ、それが作られた水路が回りこんでいる場所なのだと分かった。
その大樹の足元には、他にも数人の人が寝転がっていたりしていた。側に小さな小屋があったが、それはこのディンメルクでは珍しい、木造の平屋だった。
男が血相を変えて走って来ていると、その小屋から数人の人が出て来て、男と赤ん坊を囲んでいる。ユリアンとショーンが着いて、遅れてシュレーと圭悟が息を上げながら到着すると、小屋から出て来た人の一人が言った。
「これは、我らが使える術では治せないほど進行してしまっております。ユリアン様、キジンから治癒の術士をお呼び頂けませんでしょうか。」
ユリアンは、首を振った。
「間に合うまい。いくら急いでも、連絡が着くのが明日の朝。それからあちらを出てこちらに着くのは早くて明日の夜。」と、ショーンを見た。「だが、こちらは新しい大陸から来た術士ぞ。治せると申しておる。主ら、このショーンに託してみるか。」
赤ん坊を抱いた男は、不安げにショーンを見、そしてユリアンを見た。
「しかし…知らぬ者の手に託すのは、勇気のいることでございます。」
すると、シュレーが後ろから言った。
「この男は、あちらの大陸でも治せぬ病などないと言われておるほど、優秀な術士なのです。どんな病でも、息さえあれば治してしまうと言われております。どちらにしても、このままではお子さんは命を落とすでしょう。信じてみてはどうですか。」
男は、まだ不安そうだ。ユリアンが、眉を寄せたまま言った。
「人の治癒には、人が一番長けておる。我らラウタートの術士より、こちらの方が簡単に治すやもしれぬぞ。信じてみるが良い。」
男は、じっと黙って赤ん坊の顔を見ている。すると、母親らしい女が言った。
「あなた、やってもらいましょう。」男が、そのしっかりした覚悟を感じされる声音に、思わず顔を上げた。「この子の命が掛かっているんですもの。きっと、治ります。」
男は、それを聞いて、しっかりと頷くと、赤ん坊を大樹の根元にソッと寝かせた。ショーンが、緊張気味に進み出る。
「…こっちの命の気は、強過ぎるんだ。最初は力を絞って治療する。」
シュレーも圭悟も、唾を飲み込んだ。こちらの命の気で、あちらの術を使うリスクは、圭悟も知っていた。あっちと同じつもりで火を放って、危うく火事になりそうなったことも、一度や二度ではなかったからだ。
ショーンが、手を上げた。大樹が、さわさわと揺れる。風に揺れているようだが、しかし風は吹いていなかった。
足元に、魔方陣が現れた。それが、スーッと移動して赤ん坊の下へと移る。ショーンは、これまでに見たこともないほど真剣な目で赤ん坊を見て、じっと集中していた…恐らく、こちらの命の気がどう作用するのか見ながら、じっと力を考えて計っているのだろう。
皆が固唾を飲んで見守る中、青白いのを通り越して、最早土気色になって来ていた赤ん坊の顔に、薄っすらと赤みが差して来た。ショーンは、まだ集中している。
「わああーん!!」
赤ん坊が、いきなり盛大に泣き始めた。
ショーンが、力を抜いてハーッと肩を落とす。赤ん坊の父親と母親が、急いで赤ん坊に駆け寄った。
「ああ!ぼうや?!ママよ!」
すると、泣いていた赤ん坊は、母親の顔を見て、一瞬泣き止んだ。そして、その顔を見て、甘えるようにまた、小さく泣いた。
「私達の顔も分からなかったのに!」
父親が、歓喜の声を上げる。ユリアンが、ホッとしたような顔をして、ショーンを見た。
「お礼を申し上げねば。最初は呪文がかなり強い気を持っておったので、どうなるかと思うたが、うまく調整されたのですね。」
ショーンは、恨めしげにユリアンを見た。
「やっぱり、こっちの命の気は濃いんだよ。あっちで使ってた術なんだから、こっちじゃそうなるわな。」と、肩で息をついた。「しかし、たかが風邪をこじらせただけで。どうしてこんなに大騒ぎしなきゃならねぇんだ。こっちには、術士はいないのか?」
ユリアンは、背後でまだ喜んで涙を流している親子に軽く会釈して、こちらの三人に向き直ると、言った。
「とにかく王城へ。お話しは、それからに致しましょう。」
ユリアンに促されて、三人は王城への道を歩き始めた。
「ここでは、病に罹るとそれは即、死に直結するのですよ。」ユリアンが、歩きながら言った。「命の気が少ないこの地で、術を使える人など居なかった。術というものの存在を知っておるのは、ほんの一握りの人でした。命の大樹の側に居る者達は、その力を知ってはいたが呪文を知らなかった。使える命の気を体内に多く持つ人も僅かでした。なので、小さく生えている薬草などを探して来ては、煎じて飲ませたりして、病を治すということは、運を天に任せるような状態だった。」
シュレーが、ユリアンに言った。
「では、ディンメルクの住人達は、これといった医療というものも無いのに、魔法すら知らないような原始的な状態なのですね。病になったら、諦めるよりないような。」
ユリアンは、シュレーに頷いた。
「医療というもの、聞いたことがあります。しかしこちらには、そんなものは無い。我らラウタートがこちらへ来て、共存するようになってから、やっと治癒の術というものを使えるようになった。しかし、こちらの人は体内に多くの命の気を持たぬ。食物からしか命の気を摂取出来ぬので、極一部の、外から命の気を取り込んで使える能力が生まれつき備わっておる者にしか、術は使えない。先ほどショーン殿がやったように、大樹から命の気を吸収して、それで術を放つということが出来る者は、こちらにはとても少ないのです。」
シュレーは、ショーンを見ながら頷いた。
「あちらでも、命の気を外から取り込むことが出来る者は少ない。しかし、元々体内に持っている気を使っての魔法は、誰でも使える。我らは食物からでなくても、命の気を吸収することが出来るので。」
ショーンが続けた。
「オレはなので、術士と呼ばれて向こうでも珍重される。ただ術を使うだけの者達は、その使える術も限られているので、術者と呼ばれているんだ。術者は、確かに空気中から命の気を補充出来るが、その速度は遅いし自分の体の気を使いきるような大きな術は使えない。だが、オレには出来る。外から無尽蔵に命の気を補充しながら、使うことが出来るからなんだ。」
ユリアンは、ショーンを見つめた。
「では、ショーン殿はこちらでもかなり珍しい人ですね。」と、小さく息をついた。「人は、守らねばならぬ。だが、我らラウタートにばかり依存して生きておるのも、と我が王はおっしゃる。確かにそうなのです。人は、ラウタートを崇めて奉っているような状態。病さえなければ、対等に生活して行けるであろうに、生きている限りそれは、ついて回ること。あちらのサラデーナでは、我らのような魔物が変化した生き物のことは、軽蔑して差別までするほど自由で居るのに、こちらの人は病が怖いあまり、我らに見捨てられるのを恐れて、逆に畏怖している。命の気さえ豊富であれば、このようなことも無いであろうに。その証拠に、キジンに住んでいる人は、我らと対等に接して、時に見下しているような時すらあるぐらいなのに。」
圭悟が、そこで不思議そうにユリアンを見た。
「どうして、キジンは?山脈に近いなら命の気も豊富かと思うけど、キジンは遠く離れているだろう。」
ユリアンは、苦笑した。
「なぜに我らラウタートが、キジンで発生したと思いますか。あの地は、命の気に困ってはおらぬ。」
ショーンもシュレーも、え、と動きを止めた。圭悟は、言った。
「それは…キジンには、命の気が豊富にあると?」
ユリアンは、頷いた。
「ある。キジン湖から湧き上がる命の気が、あの地を満たして、またキジン湖へと還る。なぜかは知らぬ。だが、このディンメルクで命の気があるのは、このカイの命の大樹の側と、キジンだけです。」
シュレー達は、顔を見合わせた。こちらにも、命の気がわき出る場所があるのだ。だが、大陸を満たす方向へではなく、ただその地だけを満たして、還る。
「じゃあ、その地の人は魔法が使える?」
ユリアンは、首を振った。
「皆が皆ではありません。やはり、体の造りが違うのでしょう。しかしショーン殿のような体質の者は、こちらより多いので、それらが治癒の術を使います。人を治すのは、やはり人が一番良い。だが、あれらはカイへ来たがりません。こちらには、命の気が大樹の側にしかなく、あれらも住みづらいからでしょうが、薄情なことよ。」
ラウタートは、来ているのに。
圭悟は、そう思った。人は来ないのに、ラウタートはこうして来ている。不自由なのは、ラウタートも同じだろう。だが、人は来ないのに、ラウタートは来ているのだ。
「やっぱり、ラウタートの方が話が分かるんだよ。」圭悟が言うのに、ユリアンもシュレーもショーンも驚いたような顔をした。圭悟は続けた。「だって、考えてもみろよ!人は自分が不自由するから人助けにも来ないのに、ラウタートはこうしてカイへ来てるじゃないか。不自由なのは、ラウタートだって同じだろう。ここに王城があって、首都なのに。オレは、アントン陛下より、ラウタートの王と交渉することを勧めるよ。」
シュレーが黙っていると、ショーンが、思いきったようにうなずいた。
「オレも、そう思う。アントンより、きっとラウタートの王の方が話す価値があると思うぞ。気が向かないと無理だってことだが、気が向くまで交渉してみようや。いっそ、キジンまで行ってもいい。ラインハルトに頼んで、王と話せるように書状を渡してもらおう。」
シュレーも、悩んでいるようだったが、頷いてユリアンを見た。ユリアンは、しばらく茫然としていたが、困ったように笑った。
「…しようのない。ま、だが時は掛かる思うてくださった方がいいですよ。王は大変に気まぐれでいらっしゃる。何でもいきなり決められて、今もどちらにいらっしゃることか。」
それには、三人とも驚いたような顔をした。
「え、ラウタートの王も留守なのか?」
圭悟が言うと、ユリアンは頷いた。
「いつも突然に思い付かれて、サラデーナのシャデルの結界の中でもすり抜けて入って行かれる。我が王には、それがお出来になるので。我らがどれほどに案じておることか。偵察も大概にして頂きたいと皆、申しておるのに。」
ラウタートの王が、結界をすり抜けて入れるのか。
シュレーは、身震いした。あのまま、シャデルの城の中に居ても、その気になればあっさり殺されてしまっていたかもしれない。シャデルも、まさかラウタートの王がそんなことをしているなどと思ってもいないだろう。
シャデルが、自分達の記憶の中にこちらの様子を残して帰って来いと言っていたのが、シュレーの脳裏に過ぎった。こんなことまで、シャデルに分かってしまうのだろうか。シャデルは、自分達の記憶を見るつもりでいるのだろう。ならば、知ってはいけないことだったのではないのか。思っていたより、ラウタートという種族は野蛮なものでは無かった。シャデルやサラデーナ側からの資料ばかりを見て来たので、先入観があったが、しかし全く違っていた。
人を案じ、崇められるのを否とし、人との共存を望んで、助けたいと思っている…。
シュレーは、何が正しいのか、分からなくなって来ていた。




