襲撃
シュレー達は、順調にアーシャンに向けて航海していた。
今のところ、何の動きもない。波は穏やかで、何かが向かって来るような様子は全く無かった。
二つの月が照らす中、警備艇に二隻に挟まれて進みながら、ショーンは遠くディンメルクがあるだろう方角の海を見つめた。
「全く、不穏な動きはねぇ。もしかして、あっちはオレ達を捕らえることなんて、諦めたんじゃねぇのか。」
圭悟は、それを聞いて不安になった。確かに、波は穏やかで不審な船は全く見当たらない。遠くぽつぽつと、サラデーナの猟師達が乗った船が灯りを着けて、網を引っ張り上げたりしているのが見えるが、平穏そのものだった。
「わざとゆっくり航行してるんだがな。」シュレーが、開け放たれた操縦席の戸の向こうから言った。「警備艇も、こっちに合わせてくれているのに。アーシャンに着いたら、いくら何でもミラ・ボンテの二の舞になるのを恐れて襲っては来ないだろう。このままじゃ、無事に着いてしまう。」
「急なことだったから、案外に作戦を練るのに手間取って、アーシャンから出るところを襲撃しようとか思ってるのかもしれないぞ。」
圭悟は、そんなはずはないと思いながらも、言ってみた。思った通り、ショーンが首を振った。
「そんな、いつ出発するかも分からないのに。その間にミラ・ボンテに居る軍艦が、こっちへ来る可能性があるじゃないか。オレならそんな危険は冒さない。今襲撃する方が、成功率は格段に高い。」
圭悟は、陸の方を見た。山脈が見える…あの山脈を越えた辺りに、ラウタートの敷いた国境がある。そこは、シャデルでさえ越えられない強力な守りがあると言っていた。
「あの山脈の延長線上に、アーシャン・ミレーがあるんだ。こっちの地質学者が言うには、海底で隆起した山脈の上が、アーシャン・ミレーなんだって。だから、ラウタート達はここらによく出没するんだってマティアスが言っていたよ。つまりは、アーシャン・ミレーだってディンメルクだって言うのが、ラウタートの主張らしい。」
ショーンが、驚いたように圭悟を見た。
「え。アーシャンとアーシャン・ミレーは同じ島じゃないか。」
圭悟は、頷いた。
「そうなんだ。だから、シャデル陛下もアーシャンを特に良く見張ってらして、そんなわけで民は穏やかに暮らしてるんだけどね。」
「襲撃したくても出来ないのかもしれねぇな。」ショーンが、椅子の背にもたれ掛かって言った。「シャデルに見張られているんじゃねぇかって、怖がってるんじゃねぇか。」
シュレーも圭悟も、それを聞いて少し気落ちしていた時、遠くに見えていた漁船の灯りが、何の前触れもなくフッと消えた。
「…あれ?」
圭悟が、思わず声を上げる。ショーンも、緊張気味に漁船の辺りを凝視した。
「漁が終わったのか?」
シュレーは、同じように警戒気味に言った。
「いや。今さっき始めたばかりじゃないか。夜明け前ぐらいにならないと、漁船は港へ戻らないはずだ。それに、わざわざ灯りを消して戻るか?」
前の警備艇の後ろの部分から、兵士が顔を出してこちらに軽く手を上げた。ショーンが、険しい顔をした。
「…来たか。」
圭悟も、身を硬くする。確かに捕まるために来たのだが、それでもいざ来るとなると、恐怖が腹の底から湧きあがって来た。ショーンが、圭悟に救命胴衣を放って寄越した。
「そら。それを身に着けて、せいぜいひ弱な大使を演じてくれよ。」
そう言うショーンも、急いでそれを身につけている。シュレーも、ローブの上からこれ見よがしに救命胴衣を着けた。圭悟は遅れてはいけないと、急いでそれを着けていると、警備艇から突然に大きなサイレンが鳴り響いた。
『襲撃!襲撃!迎え撃て!』
声が響く。見ると、空中を何かが飛んで来る…暗い中月明かりに照らされて見えたのは、20人ほどの人が空中を物凄いスピードで飛んで来るところだった。
「うわ…こっちの術士ってのは、飛ぶのか!」
ショーンが叫ぶ。
警備艇が、方向を変えてシュレー達の乗っている船を守るように二隻とも、前に出た。そして、二つの警備艇から、一斉に空へ向かって術が放たれ、その光の線は飛んで来る人へと向かって飛んでいた。
まるでサーチライトの逆バージョンのような光景の中、その人々はするすると抜けて来る。圭悟は、人があんな風に飛ぶのを見たことはなかった…いや、一度だけあった。そう、シャルディーク。シャルディークは飛んでいた。だが、あれは死んだ意識のシャルディークだったのだ。
シュレーが、キャビンの方へと入って来て、言った。
「ここで、力なく震えているのが妥当だろう。見守ろう。」
ショーンと圭悟は、頷いた。空中の人は、いったいどこにそんな力が、と思うほど、空中から次々に術を発して警備艇を苦しめていた。ショーンのように、杖も何も使っていない。そのうちに、声がした。
《埒が明かぬ!あれが来る前に、引き上げるぞ!》
念の声のようだ。途端に、目の前に見えた光景に、三人は絶句した。
20人ほどの人、全員が、目の前で大きなトラのような、しかし様々な色の毛皮をまとった、魔物へと変化したのだ。
「ラ、ラウタートだ…!!」
圭悟が、叫んだ。自分達をさらいに来た張本人なのに、会いたいと思っていたラウタートが目の前に現れたことで、圭悟の心は感動に支配された。それまでの恐怖はどこへ行ったのか、ただその美しい姿に見とれ、ラウタート達が一斉に口から大きな気の放流を警備艇へと放って、警備艇が成す術なく沈んで行くのを、口を開けたまま茫然と見つめているより無かった。
『…ライアディータの使者か。』
ラウタートの姿のまま、こちらを覗いて来た相手に、ハッと我に返った三人は、慌ててただ頷いた。ラウタートは頷いて、言った。
『危害は加えぬ。我らの国、ディンメルクへとお連れする。』
途端に、船がガクンと揺れた。
三人がびっくりしていると、船は空中に浮かび、回りにはたくさんのラウタートが囲んでいた。
慌てて海上を見ると、薄っすらと人影がアーシャンの方角へと泳いでいるのが見えた。予定通り転覆したので、兵士達が逃れているようだ。
とりあえず皆が無事なことが分かったので、ただ不安そうな表情を作ることだけは忘れずに、三人はそのまま、船ごとディンメルクへと運ばれて行ったのだった。
船はしばらく飛んで、ディンメルクの領海へと入った途端に海へと下ろされた。着水した途端に大きく揺れ、三人は皆どこかしらその辺にぶつけたが、とりあえずは無事だった。
どうするのだろうと思っていると、すいっと飛んで来た二頭のラウタートが、スーッと人型に戻って、船へと乗り込んで来た。そして、一人が操縦席へと向かい、一人が、こちらへと入って来た。
「オレは、ディンメルクの王に仕えるラインハルト。あちらは同じくローマンぞ。これより、我がディンメルクの首都、カイへとお連れする。だがしかし、王はただ今ご不在での。残された命に従って主らをこちらへお連れしたが、しばし待っていただかねばならぬ。」と、暗い海を見た。「まずは、港町のアキラに向かい、そこからアントン平野を流れる川を遡り、カイへ向かう。この船ならば、明日の昼までには到着しよう。食糧と言って、我らは干し肉ぐらいしか持っておらぬが、主らは何か食べ物を持っておるか?」
シュレーが、頷いて極力おとなしく答えた。
「旅に出るときには、常、保存食を持っておるので。」
そのおとなしい様が、不安そうに見えなくも無かった。ラインハルトは、苦笑した。
「そのように脅えずとも良い。何も獲って食おうというのではないのだ。我らは、人は食わぬ。敵に噛み付くことはあるが、食いはせぬのだ。人などまずくて食えぬからの。血が何やら臭うから。」
そう言い置くと、ラインハルトは操縦席のローマンの方へと歩いて行った。ラインハルトの人型は、銀と黒の左右対称の縞柄の髪に、青い瞳の端整な顔の若者だった。パッと見て、魔物だなどと誰にも分からないだろう。ショーンは、声を潜めて言った。
「…こっちは、極端に命の気が少ないな。まるで、リーマサンデみたいだ。ここで魔法なんて、オレには使えない。吸い上げる大地の気が無い。ナディア皇女みたいな巫女でないと、とても無理だ。」
シュレーが、頷いた。
「リーマサンデで巫女が命の気を我らに供給してくれていたことがあったので、分かる。では、ラウタート達もこっちでは術は使えぬのか。」
ショーンは、首をかしげながら山脈の方を見た。
「あの辺りは、かなり気が濃いんだが。急にぱったり途切れてる感じで。もしもあっちの気を呼べるんなら、使えるんじゃないか。オレには無理だがな。」
シュレーも、圭悟もそっちを見た。二人には、気が全く見えないので、それが分からない。では、あっちの書物が言っていたように、こっちには命の気が少ないのだ。
それでも、こちら側の海でも猟師はせっせと漁をしていた。こっちの方が、一つの網に掛かっている獲物が多いようにも見えるが気のせいだろうか。しかし、使っている船は木造で、今にも朽ち果てそうな様だった。
豊かさの、レベルが違う…。
圭悟は、その不公平さを思った。いったい、こちらは今どうなっているのだろう…。
ラインハルトとローマンの二人の背を見つめながら、圭悟はそんなことばかり考えていた。




