ショーンが残したもの
リリアナは、暗い岩穴の通路を軽々と慣れた風で歩いて行く。
確かに、ここでショーンと一緒に暮らしていたのだから、我が家なのだろう。咲希も一度来ていたので知ってはいたが、中は外よりは風を凌げるので暖かかったが、それでも冷えるのには違いなかったので、身を縮めて後に続いた。ラーキスが例のごとくしっかりと咲希の手を自分のポケットへと突っ込んで、寒がる咲希を守っている。手だけではあったが、咲希はとても暖かいと感じた。
しばらく歩くと、ショーンが勝手に作ったという小屋が見えた。あの時は中が明るかったが、今は真っ暗だ。リリアナがその木の戸を開いて中へと進もうとすると、メレグロスが慌てて後ろから言った。
「リリアナ?長く離れておったのだろう、小さな魔物などが来ておるやもしれぬ。オレが先に参る。」
しかし、リリアナは振り返って首を振った。
「心配ないわ。ここには、まだショーンが張った魔物避けの結界が残ってるもの。」と、ラーキスとアトラスを見た。「ああ、あなた達みたいな、人型で動き回る生き物に関してはこの結界は弾いたりしないから。」
ラーキスが、頷いた。
「前にも来たではないか。知っておる。」
リリアナは、それ以上何も言わずに中へと進んだ。それに伴い、手をしっかりと握られているエクラスも一緒に入る。その後を、ぞろぞろと皆が入って行った。
リリアナが小さな手を上げると、パッと明るくなった。照明が着き、部屋の中が見える。そこは、ショーンがリビングに使っている場所で、前に来た時はここで食事をしたりしたものだった。
「思ったよりも、広いの。」
アーティアスが言う。どれほど小さいものだと思っていたのかわからないが、確かにここは15畳ほどの広さがあった。
「ここはリビングよ。あっちがショーンの部屋。でも、本だらけで狭いのよ。」
よく考えたら、前に来た時にはショーンの部屋には入らなかった。
克樹も咲希も、ラーキスもアトラスもそう思っていた。すると、ダニエラが、ふと、言った。
「…あら?なんだか楽よ。さっきまで、あんなに圧力を感じていたのに。」
そういえば、と克樹も自分の胸を押さえた。息が軽く出来る…。
メレグロスが、慌ててカバンから四角い金属の機械を出して、回りを見回した。
「…不思議ぞ。ここは、緑の命の気しかない。赤い表示が見当たらぬ。」
リリアナが、ショーンの部屋のドアノブへと手を掛けながら振り返って言った。
「それはきっと、ショーンの結界があるからよ。ショーンは魔物だけでなく、面倒なものは避けるためにわざわざ結界を張ってるんだと言っていたわ。ここへ篭る時は、大体術の研究をしている時だから。邪魔をされたくないのよ。」
アーティアスが、それを聞いて首をかしげた。
「…しかし、ならばそのショーンと申す術士は、恐らく死んではおらぬのだな。死して術を残すほどの力の持ち主など居らぬ。」
克樹が、パッと表情を明るくした。
「そうだよ!シャルディークでも、力の石を遺してたから、力を使い続けられたんだ!じゃあ、ショーンは生きてるんだ!」
しかし、アーティアスは首を振った。
「それでも、危険なことには変わりない。あのシャデルの膝元に居るのだろう。潜んで逃げる機会を探しておるのやもしれぬが、簡単には逃げられぬ。まあ、術に詳しいようであるし、その辺りから何とか手を尽くして隠れておるのやもの。」
ダニエラが、リリアナに寄って行きながら言った。
「ショーンが生きてても今は役に立たないんだから、とにかく本を探しましょうよ。早く何とかしないと、私達だって国民だってこのままじゃ危ないのよ。ゆっくりしている暇はないわ。」
克樹が、頷いた。
「確かにそうだ。あの息苦しさは大変だった。きっと、前よりずっと多くのあちらの命の気が流れ込んで来てるんだよ。このままじゃ、本当に危ない。」
リリアナは、戸を開いて言った。
「じゃあ、中へ。でも、全員が入れるかどうか疑問だけどね。」
さっさと中へと入って行くリリアナについて戸口から中を覗いて、リリアナの言った意味が分かった。
その部屋は、とても広いのだが壁一面に本棚があって、びっしりと本が並んでいる。
それだけでは収まり切らず、床にはうず高く本が所狭しと積み重ねられていた。恐らくは、窓があったらしい場所すら本で埋まっていて見えず、その辺りに机があった。その上だけは、数冊の本があるだけで、他よりすっきりと見えた。だが、お世辞にも綺麗とは言えない。何かを書きとめていたらしい紙とペンが転がっていて、訳の分からない言語で殴り書きのようなものが残されていた。
「…これじゃあ…この中に何かあったとしても、探し出すのは不可能に近いわね。」
ダニエラが、ため息混じりにそう呟いた。咲希が、慎重に本を踏まないように避けながらリリアナの後ろへとついて入って、回りを見渡した。
「凄い数ね…ショーンは、もしかしてこれ全部覚えてるなんてことは無いとは思うけど。」
リリアナが、振り返った。
「覚えてると思うわよ。あれで物凄く頭がいいの。一冊ぐらいならほんの数十分で読んで理解してしまうわ。普段なら、絶対部外者なんてここへ入れないから、留守でよかったわね。」
メレグロスが、戸口から顔だけ覗かせて言った。
「して、リリアナはいくらか知っておるのか?ショーンが、どういった本を読んでおったのか。」
リリアナは、無表情に頷いた。
「知ってるわ。読み終わった本には興味がない人だから、私があっちへ」と、壁の本棚を指した。「分類して直してたから。でも、最近では棚がいっぱいになって、積んで置くよりなかったの。」
ラーキスが、側の本を取り上げて何気に中を見た。
「…それで、命の気を結晶化させるような術が載っておる本は、分かるのか。」
リリアナは、首を傾げて右の隅の方を見た。
「私は内容を全て知っているわけではないから、どれかは分からないけど…命の気に関する記述があった本は、あの辺りにまとめてあるの。」
アーティアスが、息をついた。
「それだけでもかなりの数であるな。皆で手分けして中を確認するしかあるまい。」
克樹が、肩を落とした。
「あの数を~?なんだか、読む前から萎えてきそうなんだけど。」
ラーキスが、辺りの本を横へと避けて積み直し、リリアナが指す本棚の方へと行く道を作りながらそちらへ向かい始める。咲希も、急いでそれを手伝った。
克樹は、それを見て仕方なく自分も同じように本を避けながら、その本棚へと進み、ダニエラとクラウス、エクラスは座る場所だけでも作るために、辺りの本を片っ端から積めるだけ積んで、片付けたのだった。
それからしばらく、メレグロスの大きな体もショーンの部屋へと収まり、皆は黙々と棚から本を取っては中を確認し始めた。命の気の事は、こうして見るとあまりよく知られていないようだった。命の気のことは、学校である程度習うので皆がそれがどうやって地上に供給されていて、どれほどに必要なのかは知っていた。が、そもそもどこからどんなシステムでこれが大地から湧き上がっているのかは、全く分かってはいなかった。
命の気の研究をする者たちは、それでもそれを解明しようと必死に研究を重ねているが、その過程で命の気の利用方法などが編み出されるものの、依然としてどうこからどうなって湧き出ているのかは謎だった。
克樹が、息をついた。
「…駄目だ。みんな知ってるようなことばかりだよ。術のことは勉強になるけど、珍しい術のことは書いてない。そもそも埃を被ってたんだから、ショーンだってこれはあんまり役に立たないって思ってたんじゃないか。読み返してないんだし。」
ダニエラが、本から目を上げた。
「だから、リリアナが言ってたでしょう。ショーンは一回読んだら覚えてしまうから、読み返す必要がないのよ。文句言ってないで、真面目に探しなさい。」
克樹は、膨れっ面で本へと視線を戻す。咲希も疲れて来てふと、横を見ると、ショーンの机の上に、古代語のような走り書きが残されているのが見えた。こちらの文字もなぜ分かるのか分からないような状態の咲希が、どうしてそれが読めたのか分からないが、呟くように言った。
「…『ルシールの番人は、その権利のある者を導く』?」
皆が、顔を上げた。横のラーキスが、咲希の横からショーンの机の上を見て、顔をしかめた。
「古代語か。これは読めぬ年代のものだ。」
克樹も、本に退屈して来たところだったので、喜んで寄って来て見た。
「ほんとだ。ここの地下の遺跡にあった文字だよ。大学で、解読に時間が掛かったけどショーンには読めてたっていう。」
そこまで言って、克樹は渋い顔をした。ショーンにまんまと騙された時のことを思い出したらしい。咲希は、首を振った。
「違うと思うわ。だって、あの時は私、全く読めなかったのに、これは読めるの。」と、ショーンの殴り書きのような字を、眉を寄せて見た。「ええっと、『人が繁栄して行くのを助けるため、ここに番人への道を開く。全ての条件を満たすものが、番人と話し助けを得よ。助けられるべきことは助けられ、そうでないものは捨て置かれるだろう。』ですって。ショーンはこれをどこからか見つけて読んで、それであの場所へ行きたがったのだわ。」
ラーキスが、驚いたように咲希を見た。
「サキ、読めるのか。これが?」
咲希は、ためらいがちに頷いた。
「え?ええ…なぜだか分からないけど。」
克樹が、真面目な顔で言った。
「咲希、これは間違いなく地下で見た古代語と、同じ年代のものだよ。あの時は全く分からないようだったのに、どうして今は読めるんだろう?」と、少し不安げになった咲希の、緑色に変わった瞳を見た。「もしかして、瞳が緑になったのと、何か関係があるんだろうか。」
咲希は、言われて初めてそれを思い出した。そうだった…目が、緑色になってしまっているんだった…じゃあ、これが読めるのは、何かこれと関係あることなんだろうか。
咲希が沈んだような表情になったので、ラーキスが急いで言った。
「どちらにしろ、ショーンが何を書きとめていたのか分かったのだから良かったではないか。サキの瞳の変化については、また追々分かって参るだろう。それより」と、ラーキスは、言葉を探すようにした。話題を変えないと、咲希の気が紛れないと思ったようだ。そして、ラーキス自身も迷ったまま、勝手に口から言葉が流れ出た。「ああ…サキは権利のある「人」であったよな。オレはグーラが混じっているから駄目だと言われたのだった。」
メレグロスが、驚いたように顔を上げた。
「そうなのか。初めて聞いた。何やらパワーベルトの消失に、ショーンや主らが関わっておるとは聞いておったがな。」
克樹が言った。
「そうなんだよ。ショーンは無理に聞いてもらおうとしたけど駄目で、咲希を無理やり引っ張り上げて勝手に願ったんだ。それが、パワーベルト消失だったんだ。」
それには、アーティアスが激しく食いついた。
「そんな力のある者が居るのか?!サキは、その者に言うことを聞かせることが出来ると?!」
咲希は、慌てて手を振った。
「そんな!言うことを聞かせるというか、願ってその願いが認められたら聞いてもらえるというだけで。」
アーティアスは、それでもずいと咲希に寄って言った。
「つまりは、認められたら聞くことが出来るだけの力の持ち主なのであろう?!ならば、あの地の命の気の制御を!主が願えば、命の気の結晶など要らぬのではないのか!面倒なことをせずとも、全てが上手く行く!」
それを聞いて、咲希はハッとした。確かに…もしもあの時見た光のような存在が、その願いを聞いてくれたら全て解決する。
隣りを見ると、ラーキスも克樹も、同じように思ったようだ。視線を合わせて、じっと咲希を見ている。咲希は、言った。
「…もし…あの時の光の存在が聞いてくれたら、確かに全て解決するわ。あちらの命の気の制御が出来たら、こちらの民も困らなくて済むし、あちらのディンメルクの民も助かるのよね?」
ラーキスと克樹は、頷いてメレグロスを見た。メレグロスは、その視線を受けて、頷いた。
「そんなに全て上手く行くとは思えぬが、それでもやってみる価値はあろうぞ。して、その場所とは、ここの地下か?」
克樹が、頷いて立ち上がった。
「ああ。一度行ったから大丈夫だ。咲希と一緒なら通れる。あと、リリアナの持ってるルルーの瞳を直に握って行けば中へ入れる。」
リリアナは、思わずルルーを抱きしめた。
「駄目よ!この子の瞳はもう、取らせないから。」
咲希が、リリアナの目線に合わせて、微笑んだ。
「分かってるわ。そのままで、リリアナと、誰かが石に触れながら通ったらいいと思うの。」
リリアナは頷いて、側のエクラスを見上げた。
「エクラスと一緒に行くわ。」
エクラスは驚いたような顔をしたが、戸惑いながらも頷いた。咲希は、どうしてリリアナがこんなにエクラスにべったりしているのか分からなかったが、それでも何も言わずに立ち上がると、皆を見た。
「行きましょう。一体何人まで私と一緒にあの膜を抜けられるのか分からないけれど、行くなら早い方がいいわ。もしも聞いてもらえなくても、何かヒントはくれるかもしれないでしょう?」
ラーキスも、頷いて本を脇へと置くと、立ち上がって戸口の方を向いた。
「その通りぞ。行こう。そうして、解決できる事は早よう解決してしまわねば。」
そうして、皆はぞろぞろとショーンの部屋を出ると、地下へと向かって歩き出したのだった。
次は、遅くても12月19日までには更新致します。




