歴史
次の日の朝、起きたらショーンが居なかった。
とはいえ、こちらでも腕輪の機能は健在で、どこに居るのかは腕輪を見れば分かった。どうやらショーンは、朝市に買い物に出掛けているようだった。
圭悟が、キリーの入ったコップをシュレーに渡しながら言った。
「あんなに早く寝たから、目が覚めて腹が減ったんだろう。オレ達にも、何か買って来てくれたらいいけどな。」
シュレーは、笑った。
「オレはこの、昨日の残りをサンドイッチにしたからいい。」と、脇の本の山に目をやった。「それで、歴史は教えてもらってないな。ザッと話してくれないか。」
圭悟は、頷いてシュレーの前に座った。
「ああ、そうだったね。」と、側の古そうな紙の筒をひょいと取ると、テーブルの上に広げた。「ほら、これが旧サラデーナの領地だ。元々は、こうして山脈の向こうまでがアーシャンテンダ大陸だと思われていたんだ。山脈の向こうに、パワーベルトがあったからね。つまりは、サラデーナは一国で、敵国なんてないまま、穏やかに過ごしていたんだ。」
シュレーは、頷いた。昨日もらった地図の、サラデーナだけの部分だ。これなら何度か見ていた。圭悟は続けた。
「だから、軍だって形ばかりで、やっていることと言ったら土木工事とか、警察みたいな仕事とか、そんなことばかりだった。それなのに、20年前に、パワーベルトが消失して、この大陸にもっと先があることを知ったんだ。そこには、ディンメルクという国があって、貧しいながらも、細々と生きて来ていた国民達が居た。山を越えてやって来た彼らを、前の王シモンは暖かく迎えた。だが、こちらの肥沃な土地や、豊かな様を見て、あちらの王アントンは、こちらの土地の一部をこちらの民に貸して欲しいと言った。山脈のこちら側、命の気を生み出すメニッツの手前までを、ディンメルクに解放して欲しいと。だが、そこにはずっと住んで居るサラデーナの民達が居る。それらと共存するなら移民も受け入れようとシモンは提案したが、アントンは譲らなかった。豊さのレベルが違うのに、共存するなど無理だと言って。ある程度ディンメルクの民が豊かになってからなら、共存もしようとな。つまりは、アントンはその領地内のサラデーナの民を全部追い出して、自分の民に与えろって言ったわけだな。さすがにそれは出来ないと、シモンは断固として断った。アントンはならば一度様子を見ると言って、移民として共存することを渋々了承した。ま、本当は受け入れてもらうんだから、そんな勝手なことは言えないんだが、このアントンの心配が杞憂じゃなかったってことが、すぐに分かる事態になるんだよな。」
シュレーは、圭悟を見た。
「え?だが、サラデーナの民ってのは穏やかなんだろう。今まで、敵も居らず作物は豊かに実るし満たされていて。」
圭悟は、悲しげに首を振った。
「オレは異世界に居たからあっちの地球って大きな星の国々の歴史を知ってるから、確かに予想出来ることだなと思ったんだが、サラデーナの民は、移民達に最初こそいろいろと教えてやったり手を差し伸べていたんだが、何も知らず貧しいディンメルクの民達を、僅かな作物を渡すだけでこき使ったり、住み込みで粗末な食物を与えるだけで使用人扱いしたりと、まるで奴隷のように扱い始めた。そのうちに、サラデーナの民がディンメルクの民を、殺してしまうという事件が起こった。だが、使用人が食べ物を盗もうとしたからだとサラデーナの民が言い、自国の民が死んだわけではないのでサラデーナ側は何も咎めなかった。」
シュレーは、深刻な顔をした。
「…酷い話だな。」
圭悟は、頷いた。
「本当にな。だが、人ってのは残酷になれるんだよ。今までみんな平等だったのに、思いもかけず自分達より下に見る人々がやって来て、優越感に浸って、本来何も変わらない人同士なのに、そんなことをしてしまう。だが…その民達は、その後その代償を支払うことになるんだ。」
シュレーは、険しい顔のまま圭悟を見つめた。
「アントンが攻めて来たんだな。」
圭悟は、頷いた。
「そう。でも、ただ攻めて来たんじゃない。ここにも魔物は居るんだが、ディンメルクって痩せた土地にも、驚くことに魔物が居たんだ。その魔物の名前は、ラウタート。何て言うんだろ、山猫でもないし、虎でもないしヒョウでもないし、だがそんな形のネコ科の形でね。あちらではそうでもないみたいなんだけど、こっちは命の気が濃いから物凄い魔法の威力で、空も飛べたらしい。それが、軍に混じって一気に攻め込んで来た。あちらの山脈、アルル平野の端、リーリン高原の端まで徹底的に殺しつくされ、シモンが軍を率いて必死に向かった時にはメニッツ盆地の近くまで迫っていたんだ。そこでやっと食い止めたんだが、不思議なことに、アントンの軍はそれ以上進んで来なかった。だが、占領している場所を取り替えそうとすると、抵抗して激しい戦闘になる。その戦闘は長引いて、ディンメルクの占領は20年続いた。その間には無茶をしたシモンの王子、セレンが戦死し、その後シモンも力を落として戦死した。その後、軍人達が今の王シャデル・リーを、たった13歳なのにも関わらず王として推し、その期待に応えるように、シャデルは即位したその日のうちに一気に占領地へと攻め入って、一つの命も散らすことなく山脈の向こうへと追いやった…ということらしい。」
シュレーは、そのうちの最後の方は少し、シャデルから聞いて知っていた。それにしても、命を取らずに追いやるとは。
「殺さなかったのは、シャルディークを思わせるじゃないか。」
圭悟は、ふーっと息をつくと、首を振った。
「確かにそうなんだが、この話には続きがあるんだ。」シュレーが、片眉を上げる。圭悟は続けた。「オレ、古本屋に入り浸ってるから、そこの店主とは仲がいいんだ。結構な親父だけど、物知りでね。その親父が言うには、山脈の向こうには、命の気がほとんど流れないらしい。だから、怪我を負って向こうへ追いやられた者達の、ほとんどが傷が癒えることもなく、苦しんで死んでいったらしい。男はいい。体力があったから。占領地には女子供も老人も居た。それらも見境なくやられていたらしくて、みんな傷が治らなくて死んでいったんだってさ。」
シュレーは、目を見開いた。
「そんな…そんなことは、シャルディークは絶対にしないはずなのに。」
圭悟は、シュレーを見て悲しげにした。
「シュレー…もしシャデルがシャルディークの生まれ変わりだったとしても、あの頃はたった13歳だったんだ。まだ、そんなことにも気が回らなかっただろう。その証拠にシャデルは、その事実が耳に入った途端、慌ててディンメルクへと使者を送った。こちらから、術士まで伴わせて。だが、もう遅かった。大半の傷を受けた者達は死に、全ては終わった後だった。」圭悟は、じっとテーブルの上の地図へと視線を落とした。「ディンメルク側は、あの後がっつり国境を閉じた。こちらからあちらへ行くことは、一切出来なくなった。何しろ、山向こうではラウタートが見張っている。だが、ディンメルクの間者がこっちへ潜んでいるのはシャデル陛下も知ってはいるが、それでも何かして来ないうちは、手を出したりしないんだ。なぜなら、最初の失敗が頭に残っているから。他国の民でも、苦しめて殺した自分が許せないでいるんだよ。だが、ディンメルクの方ではそんなことは知らないから、あれやこれやとちょっかいを出して来る。そんな訳で今は、休戦中ではあっても、緊張状態が続いてるのさ。」
すると、戸口の方から声がした。
「…こっちも複雑じゃねぇか。」振り返ると、ショーンが紙袋と何かの本を抱えて立っていた。「オレに言わせればどっちもどっちだがな。」
そして、圭悟に向かって紙袋を投げて寄越した。圭悟は、それを受け取りながら言った。
「なんだ、何か買って来てくれたのか?」
ショーンは、側の椅子へと歩きながら言った。
「ああ、オレはもう食って来たからいい。二人で分けな。」
シュレーが、早速本を開いているショーンに言った。
「なんだ、何か見つけたか?」
ショーンは、何冊かの本を自分の横へ放り出して、頷いた。
「ああ。こっちの術はより複雑で深いって分かってな。思ったより術の本が少なかったが、そこの本屋の術関係で良さそうなのを買い占めて来た。オレには、こっちが目的なんでね。」
圭悟が、ショーンの買って来たサンドイッチにかぶりつきながら言った。
「なんだ、こっちの術を知りたいのか?だったら新刊より、古本屋の方が掘り出し物があるぞ。ああそれに、王城の図書室には珍しい本がいっぱいあったな。昔からの術の本が寄贈されててオレでも読めない古代語のヤツとかあった。そっちを見てみたらいいんじゃないか?」
ショーンは、ピタリと動きを止めた。
「…古代語?どれぐらい前のだ。」
圭悟は、首をかしげた。
「ええっと、バーク遺跡で見たのと同じ文字だから、数千年前か?結構古いヤツだ。」
ショーンは、身を乗り出した。
「王城の図書室って、誰でも入れるのか?」
圭悟は、ショーンが物凄く食いついたので、驚いて身を退きながら答えた。
「そりゃあ、王城に入れてもらえるような者達なら大丈夫だろうよ。だから、ショーン達ならいいだろう。」
ショーンは、頷いて立ち上がった。
「よし!じゃあ、オレは王城へ戻る。シュレーは好きにしな。じゃあな!」
そうして、さっさと本をまとめると、そこを出て行く。
「え?ショーン?せっかちだな!」
圭悟は言ったが、シュレーが苦笑した。
「ああ、あいつは術の事となるとこうだ。」と、自分も立ち上がった。「じゃあケイゴ、オレも一旦王城へ帰るよ。変異した仲間のことも気に掛かる。お前も、何か用があったら腕輪に連絡くれよ。」
圭悟は、頷いて笑った。
「腕輪、その辺にしまいっぱなしなんだけど、着けておくよ。じゃあな、シュレー。」
シュレーは、微笑んで圭悟の手を握った。
「ああ。会えて嬉しかった。これからは居場所が分かってるし、しょっちゅう話そう。」
そうして、シュレーは圭悟に見送られて、王城へとショーンを追って戻って行ったのだった。




