欲
シュレー達は、王城へと連れて来られた。
半ば軟禁のような形で一つの部屋へと押し込められ、食事もそこへと運ばれて、成す術なく過ごしていた。
それでも、押し込められたと言っても、それは大きな三つの続き部屋からなる部屋で、特に不自由は感じなかった。
大きな窓から外を眺めると、デンシアの街の活気のある様が見える。建物は石造りで大きく強固で、石畳はどこの通路にも伸びていた。ある人々は荷車を押していたがそう大変そうでもなく、皆が術を使って生活しているのが分かる。魔物も、あちらで見た魔物と大差無く、家畜化して移動するのに使ったり、荷物を引かせたりしていた。
そんな様を見て過ごして日が暮れ、夜になってまた食事をしていると、バークがやって来た。皆が、突然だったので慌てて立ち上がろうとしたが、バークは両手を挙げてそれを抑えた。
「いや、そのまま。陛下との面会の時間が決まったので、お知らせに参った。陛下は、少し隣国との小競り合いもあって、昨夜も休まれておらぬ。なので貴殿らにすぐに会うとご本人はおっしゃっているが、我らは本日はもうお休み頂きたいと思っておる。なので明日の朝一番に、王の間へとお連れすることにした。それまで、こちらで過ごされるが良い。ここには攻め込んで来られる輩など居らぬが、それでも何があるか分からない世。それまで、この部屋から出ずに過ごして頂きたい。」
つまりは、またさらいに来るやつが居るかもしれない、ということだろう。皆は、黙って頷いた。バークは、疲れ切った様子だったが、そのまま軽く頭を下げると、そこを出て行った。
ショーンが、言った。
「相変らず無愛想だが、あの将軍からは悪い気は一切感じねぇ。それどころか、この王城の中からも一切変なものは感じねぇ。普通、これだけの人が居れば数人ぐらいは変なのが混じるもんなんだが、それすらない。不自然で気味が悪いほどだ。」
マーラが、機嫌よく頷いた。
「みんなが穏やかなので、とても気持ちが落ち着くわ。でも…」
マーラが、ちらとサルーを見た。シュレーが、それに気付いて顔を上げた。
「…サルーが、どうかしたのか?」
ショーンが、あからさまに嫌な顔をした。
「おい。お前少しは覚えな。見えたことを全部言うなと言っただろうが。」
マーラは、ぷうと頬を膨らませた。
「でも、見えるのに気になるのですわ。」
レンが、気になるようにサルーの方をちらちらと見ながらショーンを見た。
「え、何か見えるとか?」
ショーンは大袈裟にため息をついた。
「今に始まったことじゃねぇ。だが、人は皆こんなもんだ。聖人なんて少ねぇ。そういうお前もだ、マーラ。レンについて来るって地団駄踏んで無理を言ってここへ来たな?お前、レンに惚れてるんだろう。お前こそ、私情でこんな大役なんかについて来やがって。」
マーラは、真っ赤な顔をした。レンが、びっくりしたようにマーラを見る。スタンが、慌てて言った。
「ショーン、あの、そんなことをみんなの前で言う方が間違っていると思うんだが…。」
ショーンが、吐き捨てるように言った。
「だろ?お灸を据えたのさ。自分がされたら嫌だろうが。オレに隠し事なんて出来ねぇぞ。よっぽどの能力者でなきゃあな。」
マーラは、真っ赤な顔で涙を浮かべて下を向いた。シュレーが、それには構わずに言った。
「で?何が見えるんだ。」
ショーンは、息をついた。
「だーかーらー、そのおっさんからは欲を感じるのさ。いろんな欲だ。知識欲、権力欲、名誉欲。最近は自分の腕を奮うような場所がないと、ひたすら嘆いて自堕落な毎日を送っていたようだったからな。今度のこれに、賭けてるのさ。」と、ショーンは肩をすくめた。「だが、これに賭けてるのは、何もこいつだけじゃねぇ。オレだってそうだ。そうだろう、シュレー?」
シュレーは、顔を険しくした。
「確かにな。それに、誰にでもある欲求だろう。オレ達は軍人だから、陛下の命に従って、生きて帰ることしか考えていないがな。」
ショーンは、両手を上げて見せた。
「ああ、だろうな。あんたら軍人は全くの白だ。邪な気持ちなんて、これっぽっちも感じねぇよ。」と、急に真面目な顔になった。「…だが、解せない。いくらオレでも、よっぽど真剣に読まなきゃ、ここまで深くそいつの気持ちなんて読めねぇのに。やっぱり、気が濃いせいで、少しオレにも影響が出てるのかもしれねぇな。」
サルーは、じっと皆の会話を聞きながら食事を取っていたが、ナイフとフォークを置いて、立ち上がった。
「では、失礼する。今日は王に会えないと言うのなら、もう休む。」
ショーンが、それを引き止めるように言った。
「おい!何か言い訳とかないのかよ。言われっぱなしで。」
サルーは、ちらとショーンを見た。
「何を言うても、どうせ厄介者だというお前達の意識は消せんだろう。別に私は、自分の欲を隠していたつもりはないからな。隠していた者の方が、後ろめたいと思いながらそれを心に持っておるのだから、私よりよっぽど厄介なのではないか?」
それを聞いて、マーラがさらに下を向いた。
それを見たサルーはフンと小さく鼻を鳴らすと、そこを出て行った。
咲希が、図書館から借りて来た、皆が読んだと言っていた、Story Of Dyndashlearという本を読み終えて、息を付いていた。確かに、壮大な旅だ…変えられてしまった命の気の流れによって、異常をきたすライアディータ。それを正そうと、遺跡の罠をくぐり、罠に落ちてしまった先で偶然見つけた亡骸が、太古の昔に大きな力を持って民を助けていた、シャルディークという男のものだった。そして、シャルディークから命の気のことを聞き、それからの全ての助言を受けて、共に戦って大陸を掌握しようとしていた悪魔を倒した。だが、その悪魔よりより悪魔であった存在が居た…。
言ってしまえば簡単だが、しかしその旅の最中は、いつ終わるとも知れぬものに、責任ものしかかって相当なプレッシャーだっただろう。
しかも、その旅に同行していた巫女は、何と咲希と同じ世界から来た女だった。まだ20歳の若さで、いきなりこちらの世界へ放り込まれて、そうして、責任を果たすべく戦ったのだ。
そうして、さらに驚いたことに、その巫女はグーラと結婚して幸せに暮らしているのだという。
グーラ…ラーキスのような、きっと優しくてハンサムな人型のグーラだったんだろうな。
咲希は、そう思った自分に、一人赤くなった。ラーキスとアトラスを見て、分かっていたはずじゃない。グーラは、あんな風にあまり人の常識に詳しくないのに。恋愛だって、きっと大変だろう。相手が、好きとか嫌いとか、きっと分からないのだ。二人とも、ちょっと気が心地よい、とかだったら、別にいい、って感じで。相手選びにそんなに重きを置いてないように見えた。絶対に、人とは感覚が違うのだ。
咲希が自分に浮かんだ恋のような感覚を振り払うように、首をぶんぶんと振ってっていると、トントン、とドアをノックする音が聴こえた。
「はい!どなた?」
「オレだ。」ラーキスの声だ。「入って良いか?」
咲希は、また熱くなって来る顔を必死に冷ましながら、答えた。
「ええ。入って。」
ドアが開く。背の高いすらりとしたラーキスが、そこに立っていた。ラーキスは入って来ながら言った。
「すまぬな。読書中ではないかと思ったのだが。」
咲希の座っている前のテーブルには、まだたくさんの本が乗っていた。咲希は、首を振った。
「ううん、いいの。他は、地図とか資料とかだから。歴史は、みんなが知っているこの直近の物だけ読みたかったの。」
ラーキスは、その本の背表紙を見た。
「そうか、主も読んだか。どうであった?」
咲希は、肩をすくめた。
「正直、壮大過ぎてすぐには信じられなかったわ。でも、陛下がおっしゃっていたんだから、本当にあったことなんでしょう。すごいなあって…きっと、終わってみたら早かったのかもしれないけれどね。」
ラーキスは、咲希の横へ座って、真剣な顔をした。咲希は、何事かとラーキスを見つめる。絶対にありえないことなのに、咲希は何かを期待しているかのように胸がどきどきと高鳴るのを感じた。
ラーキスは、言った。
「サキ。これは、作り話ではないのだ。陛下が言っておった通り、オレの父母が言っておった通り、真実だった。だから、今度のことも気軽な気持ちで受けてしまったら、これと同じように、大変な旅になる可能性がある。みんな、これと同じように陛下の命で旅に出た。最初は、些細なことだったのに、段々と抜き差しならぬ状態へと変わって行った。主は、これを断るべきだ。オレは、サキの代わりにリリアナと共にディンメルクへ行くと陛下に申し上げるつもりでいる。オレには、強い気を扱う血が流れておるから、サキに比べて役不足かもしれぬが、男である分体力もあるし、空も飛べる。恐らく、便利に利用できるゆえ、あちらも断らぬだろう。」
咲希はラーキスの真剣さに、黙って聞いていたが、ハッと我に返って、慌てて首を振った。
「何を言っているのよ!ラーキスが、そんな危ないって分かっているような旅に出ることなんて無いわ!」
ラーキスは、しかし悲しげに下を向いた。
「だが…ああは言っていたが、陛下が断れば戦になる可能性もあるだろう。なので、代案を示すよりないのだ。陛下はいくら相手の国が貧しいからと、無駄な戦をするようなかたではない。オレが行くと言えば、それなりの同意は得られるのではないかと思う。」
咲希は、呆然とラーキスを見上げた。もしも行かないと決めたなら、単純に断るだけで、その場が気まずくなるだけだと思っていた。そうではないのだ。そして、ラーキスはそんな諍いを避けるための代案に、自分がなるから咲希には断れと言っているのだ。
代わりに、自分が行くからと…。
「駄目よ。」咲希は、ラーキスの腕を掴んで、怒ったように言った。「絶対に駄目!一緒に、ダッカへ行くって約束したじゃない。リリアナとルルーを連れて、帰りにシオメルに寄って、おいしいもの食べて!約束を破るつもり?」
ラーキスは、ためらったような顔をした。
「だが…事態はそれどころではあるまいが。オレが旅立つ前に、サキを空間研究所へ送ってから行くゆえ。さすれば転送装置が直れば、すぐにあちらの世界へ帰ることが…」
「いや!」咲希は、ぶんぶんと首を振った。「いやよ!私は行くわ!ディンメルクへ、リリアナと一緒に!」
ラーキスは、慌てて咲希をなだめようと必死に言った。
「ならぬと言うに!本を読んだであろう?あんな旅になるやもしれぬのに!」
咲希も、負けじと声を張り上げた。
「それでも行く!ラーキス、どうして私があなたを犠牲にしてまで、おとなしくしていられると思ったの?私、そこまで人でなしじゃないし!私を置いて行くなんて、許さないわ!絶対に帰って来て、ダッカへ連れて帰ってもらいますからね!」
ラーキスはいつもはおとなしめの咲希が、まるで人が変わったように強い調子で言うので、気を飲まれてしばし呆然としていたが、何とか我に返ると、頷いた。
「…ならば、オレも行く。」咲希が驚いていると、ラーキスは続けた。「オレも、一緒に。そうすれば、助けることが出来るだろう。」
「オレも行くぞ!」突然の声に驚いて振り返ると、開けたドアの前に、克樹とリリアナが立っていた。「みんなで行って、ちゃっちゃと終わらせて帰って来ようや。」
すると、リリアナの腕からルルーが飛び上がって、明るい声で歌うように言った。
「みんなで、未知の世界へ、出ー発!」
リリアナが、冷めた声で言った。
「空気読みなさい。」
リリアナが空中からルルーをバッと抱き取って、恥ずかしげに背後へと回す。克樹が、ふふんと笑った。
「でも、凄いな咲希。ラーキスを押し倒す勢いだったぞ?そうか、そんなにダッカへ帰って結婚したいんだな。」
リリアナが、ハッとしたように咲希とラーキスを見た。
「まあ、そうだったの?そうよね、プロポーズして、受けたんだものね。ごめんなさいね、お邪魔をしちゃって。」と、克樹の尻をぐいぐいと押した。「じゃ、私達はもう行くから。後で、陛下の所へ行く時には、呼んで。」
克樹が、リリアナに押されるままに出て行く。
「ちょ、リリアナ!どこ押してんだよ、こら!」
バタン、とドアが閉まる。
嵐のような二人に、咲希とラーキスは手を取り合った状態のまま、ただ唖然と見送っていたが、咲希の方が我に返って、慌てて言った。
「ご、ごめんなさい、ラーキス!私、また誤解されるようなことしちゃったのかも!」
ラーキスは、そんな咲希をじっと見ていたが、首を振った。
「いいや。別に良い。ダッカへ帰って、オレと結婚したいとサキは思うか?」
…出たよ「別にいい」が。
咲希は思ったが、顔が赤くなるのは抑えられなかった。
「ラーキス、私の気持ちじゃなくて、あなたでしょ?まだ会ってちょっとしか経ってないし、それに私は、何が何でも私が良いって言ってくれる相手と結婚したいから。ラーキス自身、決めてないんでしょ?それって、相手に流されてるだけじゃない?」
ラーキスは首をかしげたが、答えた。
「いや…今まで、こんな風に誰かを大切に思うたことはないからの。だから、オレが代わりになっても、サキにはここに残って欲しかった。」
咲希は、その言葉に絶句して、顔が火を噴いたように熱く赤くなった。なんて…なんて恥ずかしいことを、さらっと真顔で言うのよ、このラーキスってグーラは!
「わ、わ、私、男性経験少ないし、そんなこと言ったら本気にしちゃうんだからね!からかわないで!」
咲希は、恥ずかしくてとてもそこには居られず、ドアを勢い良く開いて廊下を駆け出して行った。
「からかってなど、おらぬのに。」
ラーキスは、そんな咲希をそこに座ったままそう呟いて見送った。
そうして、咲希とラーキス、克樹、リリアナ、ルルーは、ディンメルクへ向かうことになった。




