事故
駅の高架下で、美穂と咲希は並んで迎えの車を待っていた。
美穂は、何かを吹っ切ったように顔を上げて決然と立っている。咲希は、どう反応すればいいのか分からないような状態で、ただ時間だけ遅くならなければいいな、と思っていた。明日は一限目からあるし、通学に二時間は掛かるので、早起きしなければならないからだ。
美穂に気付かれないように、そっと駅の時計を見上げると、もう12時を過ぎていた。
目の前に、白い軽自動車がハザードランプを点灯させて止まる。咲希が思わず表情をひきしめると、美穂が開いた窓から中を覗いて言った。
「渡さん?こっちが、話した咲希よ。」
咲希は、車内が暗くてよく見えなかったが、ぺこりと頭を下げた。相手は黒い影のまま会釈をして、言った。
「とにかく、乗って。」
美穂が頷いて、助手席に乗る。咲希も、遠慮がちに後ろのドアを開けて中へと乗り込んだ。すると、渡が言った。
「美穂ちゃん、さっきもメールで書いただろう?あれは、本当なら部外者には見せちゃいけないんだよ。あんまり疑うから、こっそり連れて行っただけなんだ。いくら親友っていっても、そうそうオレも無茶は出来ない。」
美穂が、怒ったように眉を寄せて渡を見た。
「今更何を言ってるの?咲希は、私の親友なのよ?その親友が、私の言うことを疑ってるのに、頭がおかしくなったって思ったままでもいいって言うの?」
咲希は、慌てて後ろから言った。
「あの、いいよ?美穂、信じてないわけじゃないから。あの、本当に異世界の研究してるんだと思ってるよ?」
渡が、ため息をついた。
「誰にも言わないって約束だったじゃないか。これが外部に漏れたら、大変なことになる。分かってると思ってたのに。」
美穂は、ふんと横を向いて言った。
「分かってるわ。だから、他の子には言ってないし、ただ彼氏が出来ただけって伝えてるよ。相手があの、空間を研究してる施設の院生だって、皆に気の毒そうな顔で見られてもね。」
渡は、またため息をついた。
「…それは悪かったと思ってるよ。オレ達が、何の研究をしてるのか分からない、端へ追いやられてるやつらって皆に思われてるのは知ってるから。でも、君にだけはそんな風に思われたくなかったから、話したし見せたんじゃないか。」
美穂は、渡を潤んだ目で見上げた。
「私だって、中学の時からの親友に、自分が選んだ人がそんな風に思われるだけは嫌だったんだもの!」
咲希は、驚いて美穂を見た。美穂は、本当に演技でも何でもなく泣きそうになっている。それは、長い付き合いなので分かった。なので、急いで言った。
「そんな、思ってないから!そもそも、私はそっちの大学のことなんて知らないもの。だから、研究所がどんな風に見られてるのかなんて、分からないんだもの。」と、渡を見た。「あの、本当にご迷惑ならいいんです。私、信じてないわけじゃないし、そんなこともあるかなあって思います。だって、世の中には知らないこともたくさんあるんですから。」
渡は、咲希を見た。美穂が、横から言った。
「でも、完全に信用したわけじゃないでしょう?咲希は、私を信じてくれないことなんて無かったのに。」
咲希は、ぐっと黙った。確かに、信じろと言う方が難しい。異世界へトリップなんて、まるでまんまRPGの世界だからだ。
咲希が黙ったのを見て、渡は美穂を見た。そして、二人を見比べて、じっと考えていたかと思うと、肩を落とした。
「…分かった。仕方がない。でも、これで最後だ。オレだって、これがバレたら責任問題なんだからな。記憶を消されて研究から外されるかもしれないんだ。わかったね?」
美穂は、顔を上げてぱあっと明るい顔をしたかと思うと、微笑んだ。
「ええ。咲希は、本当に信用出来る子だから、絶対に誰にも言わないわ。」と、咲希を見た。「ね、咲希。」
咲希は、まさかこの状況で行くことになるとは思わなかったので、びっくりしながら言った。
「え、それは絶対に言わないけど…。」
渡は、そうと決まると決心したように車を発進させた。
「よし!じゃ、行こう。今ならもう、教授も帰ったはずだ。いつも、10時頃までは居るんだけどね。」
渡の軽自動車は、高架下を離れて進み出す。
咲希は、車の中で暗い道路を見ながら、少しずつ湧き上がって来る不安と、どうした訳かわくわくとした気持ちに驚いていた。
美穂は、そこから車で一時間も掛からないほどの位置にある、私立大学に通っていた。同じ大学の敷地の奥に、美穂が言ったようにひっそりと、古い建物が小さく建っていて、そこの前で車は止まった。確かに、あの大きくて立派な校舎の影に隠れてこうして建っていると、ここに研究室があるなどとは咲希など外部の者達には分からないだろう。つまりは、やはり何も知らない向こうの建物の中の学生や教授達には、ここは追いやられているとしか思えないのかもしれない。しかも、あるのは最近出来たばかりの新しい学部の研究室だったからだ。
車を降りて、渡について行く。すると、そこの入り口を入った所は普通のエントランスで、真っ暗で街灯の光も届かないようだった。奥にまた扉があり、古い設えにはそぐわない、電子ロックがかかっているのが見えた。
渡は、自分のカードキーを出してそこを通すと、何かを覗いた。渡の瞳に、光が当たっているのが分かる。すると、ピーっという音と共に、機械的な女声が響いた。
『確認しました。開錠します。』
カチッと音がして、戸が開く。渡は、真剣な顔で二人を振り返った。
「さ、中へ。」
美穂が、頷いて歩き出す。咲希も、不必要に息を潜めて中へと入って行った。
入ってすぐに、階下へと繋がる階段を下りて、再び電子ロックがされてある戸があり、それを抜けると、その先には広い部屋が現れた。
暗く明かりは落ちていたが、コンピュータの光があちこちのパネルから見える。ほの暗い中、足を進めて行くと、先頭を行く渡が急に立ち止まった。
必然的に慌てて立ち止まった咲希だったが、美穂は渡にぶつかった。
「何?急に立ち止まらないで…、」
言おうとして前を見て、美穂は息を飲んで言葉をとめた。咲希は、何事かと先を見て、そして同じように息を飲んだ。
「何をしている?!それは…部外者じゃないのか!」
鋭い男声が響いた。目の前には、初老の男性が立っていて、こちらを睨んでいた。
渡が、必死に言った。
「教授…あの、忘れ物を取りに来たのです。それで、この子達を車に置いておくのもと思って…。教授は、まだ何かしていらしたのですか?」
相手は、頷いた。
「あちらから、どうも不安定だと連絡があって、今まで原因究明のために一人で調べていたんだ。終電を乗り過ごしたし、このまま朝までここに居てもいいかと。」と、背後の二人を見た。「それより、ここは部外者は完全立ち入り禁止だと言ってあるだろう!万が一にも、これが外へ漏れてしまったら…」
すると、ピーッと何かが鳴った。そして、目の前の大きなモニターがパッと着いた。
『マサル、やはり不安定なままだ。だが、どうも行けそうな感触が…』その、モニターの中の男は言った。そして、咲希や美穂、それに渡を見て言った。『助手を呼んだのか?助かるな。調整をした後、そっちからその娘達を送ってみたらどうだ。』
マサルと呼ばれた教授は、首を振った。
「いや、違うんだ、ハンツ。こいつが勝手に連れて入って来ただけ。すぐに外へ出す。」
モニターの向こうの相手は、目を細めた。
『いや、協力してもらおう。』教授は、驚いたようにモニターを見た。ハンツは言った。『どうしても、男性だけしかこちらへ送ることが出来なくなっていただろう。それが不具合なのに、そっちの研究室には男ばかりでそちらから試してみることが出来なかった。そちらからも、試してみるべきだ。』
教授は、息を飲んでハンツを見た。
「だがハンツ…部外者なんだ。何かあったら、困るだろう。」
途端に、ハンツは険しい顔をした。
『…マサル。一度言おうと思っていたのだ。こちらからばかり、人を送ったり返したり、それで安全性を確かめてからそちらも試す、の繰り返しだっただろう。それで、何人かこっちの職員が犠牲になった。』と、じっと渡や咲希、美穂を見た。『そちらからだって、そういったことをするべきだ。もしもそれが出来ないと言うのなら、金輪際この研究には手を出さないでもらいたい。我らはこちらから、どうにでも出来る。他の研究機関を当たってもいいからな。その機械も、撤去させてもらおう。』
そう言ったかと思うと、奥にある大きな台の、淵にある何かが光り輝いた。美穂も咲希も、何事かと脅えてそちらを見る。すると、その光は消え、そこには五人の男が立っていた。外国人なのか、髪や目が不思議な色の者ばかりだった。教授は、それを見て顔色を変えた。
「ハンツ!君の言うことは最もだが、こちらではそういったことに大変に厳しいんだ!だから、オレだってどうにかしたいが、危険なことには学生達も教授達も、携わさせるわけにはいかないんだ!」
台から下りた男達は、側のコンピュータに歩み寄り、キーを忙しく叩いた。慌てて駆け寄った教授が、後ろからそれを見て叫んだ。
「やめろ!データをどうするつもりだ!」
画面の向こうの、ハンツは言った。
『撤去するんだ。今回のことだって、そっちからの変な干渉のせいで起こっているとこっちのコンピュータの分析で分かっている。なのに、そっちの分析が遅々として進まないじゃないか。多分こうだと思われる、なんて答えは、要らないんだよ、マサル。オレだって、陛下に報告を急がされているのに、お前とやってたんじゃ進まない。他を探す。データは、こっちから与えたものだし、返してもらうよ。』
目の前で、吸い上げられたデータは小さな機械へと収まり、それを手に男達は台へと戻って行く。それを見た渡が、そこでハッと我に返り、必死にその機械を持つ男に取りすがった。
「待ってくれ!オレだって研究したデータが、そこに入っているんだ!」
相手は、困ったように言った。
「離さないか。これは、個人の所有物じゃない。我々だって、同じように研究して来たものが入っているんだ。」
渡は、それでも離さなかった。
「オレは…ここで訳の分からないことを研究している変なやつと言われても、それでも隠して研究したんだ!簡単に持ち去られてたまるものか!」
台が、光出す。美穂が台へと駆け上がって、慌てて渡の腕を引っ張った。
「渡さん!駄目よ、もういいじゃない!」
すると、ハンツがそれを見て慌てたように言った。
『駄目だ!その女は早く下ろさないと、まだ不安定だと言っただろう!こっちは調整を終えているが、そっちの調整をしてないのに、そっちからこっちへ送るなんて無理だ!どうなるか分からんぞ!』
それを聞いた咲希が、びっくりして美穂を見た。美穂は、渡を引きずり下ろそうと必死に格闘している。咲希も、必死に駆け寄って美穂を引っ張った。
「美穂!駄目よ、渡さんは最悪死なないんだから!美穂!早く下りて…」
咲希は、自分の体がグッと何かに押しつぶされるような感覚を覚えた。何…何が起こってるの?
「ああ!」
視界の端で、教授が叫んだのが聞こえた。
咲希は、目の前が真っ暗になって、そして何も分からなくなった。