アーシャンテンダ大陸の事情
「リリアナ!」咲希が、急いで駆け寄った。「長い時間疲れたでしょう。大丈夫?」
リリアナは、頷いた。
「平気よ。ルルーも居るし。それに、陛下がお疲れだからって結構待ち時間があったの。どうやら陛下ご自身はすぐにでもっておっしゃってお呼びになったみたいなんだけど、側近達が休めと大変だったみたい。」
メレグロスがが、リリアナを気遣わしげに見て言った。
「嬢ちゃん…本当に大丈夫か。」
リリアナは、無表情にメレグロスに歩み寄ると、じっと見上げた。
「…あなた、超が付くほどお人よしね。私がショーンの娘だとでも思ったのかもしれないけれど、生憎違うわ。だから、ショーンが残虐な奴らのアジトへ向かったって聞いたって、何も心に響かなかった。」
そこに居た全員が、びっくりしたような顔をした。メレグロスは、慌てたようにリリアナを遮った。
「じょ、嬢ちゃん、それは陛下から他言してはならぬと言われなんだのか?」
リリアナは、首を振った。
「いいえ。他の人は言われていたけど、どの道サキ達には話さねばならぬ、とおっしゃっていたわ。」と、咲希を見た。「頼みたいことがあるそうよ。そのうち陛下から直々にお話しがあると思うわ。」
咲希は、戸惑ってラーキスを見た。いったい、何を頼みたいとおっしゃるんだろう。
ラーキスが、リリアナに言った。
「リリアナ、だが我らはダッカへ共に帰ると決めているだろう。お前もそうだ。サキに頼みとて、サキは封じの術しか出来ぬ。陛下が何を頼もうとなさっておるのか知らぬが、人を間違っている。」
リリアナは、ラーキスを見上げた。
「あちらの戦争に、巻き込まれるかもしれなくても?」ラーキスが、驚いた顔をした。リリアナは続けた。「今日ここで陛下と話したのは、ディンメルクというあちらの山脈を挟んで南側の国の使者達。ショーンやシュレーが向かったのは、こっち側のサラデーナという国に属している、シャンデン列島という場所の島のひとつらしいわ。向こうはアーシャンテンダ大陸と呼ばれていて、あちらでも命の気の取り合いみたいなものがあって、元々山脈の北側まであったディンメルクの領地は、今の好戦的な王が即位してから山脈の向こう側まで追いやられてしまったのですって。パワーベルトが消失した後、こっちにも大陸があるのだと知ったサラデーナでは、軍艦をシャンデン列島に集結させて攻め込むチャンスを探っていると。それを知らせようと、いち早くディンメルクの王が使者を立てて、こちらへ来たというの。でも、命の気も少ない痩せた土地の国だから、潮に流されるようにやっとのことでシアへたどり着いたのですって。」
克樹が、呆然とリリアナを見た。
「それって…じゃあ、シュレー達は?」
リリアナは、克樹を見た。
「多分、もう命がないか、それとも人質にするつもりかのどちらかだろうって。でも、こちらの民のことを思ったら、生きていても陛下はシュレー達を見捨てるしかない事態になるかもしれないと。知らなかったこととはいえ、そんな場所に送ってしまったことを、ひたすら詫びてくださっていたわ。サルー大使の娘さんと奥さんも来ていたけど、落ち着いて聞いてらした。こんな仕事をしているのだから、いつかはと思っていたって言って。」
メレグロスが、それを聞いてがっくりと肩を落とした。
「…シュレーとは、長い付き合いで軍でも世話になっておったのに。陸でのことならあやつなら何なりと掻い潜って逃れて来ようが、島ではの。あと一日、時を待っておれたらと、陛下も頭を抱えておられた。だが…先の無いことよ。」
ラーキスが、険しい顔をした。
「だが、それが事実とは限るまい。」克樹が、目を丸くしてラーキスを見る。ラーキスは続けた。「ただ仲が良くない国同士、先を越されてなるものかと偽りを申したのかもしれぬ。」
メレグロスは、ラーキスを見て、首を振った。
「オレとてそう思いたい。だが、ディンメルクの使者は、あちらの大陸の地図も持って参ったのだ。戦略を考えたら、そんなことはすまい。全て見せるわけであるからの。こちらの地図を知らぬのに。シュレー達でも、こちらの地図は持って参らなかったし、腕輪にもデータは残さぬようにして出て行った。得体の知らぬ相手にそこまでするなど、普通はないだろう。ただ、ディンメルクの使者達は、危機を知らせることと、自分達を援助して欲しいということを陛下に頼みに参ったのだ。大変に穏やかな大人しい様子の者達で、嘘をついておるようには見えなんだ。」
克樹が、こんな時なのに目を輝かせて言った。
「地図だって?それ、メレグロスも持ってるのか?」
メレグロスは、咎めるように克樹を見た。
「将軍であるからの。だが、主らに見せるわけには行かぬぞ。これはまだ、トップ・シークレットなのだ。」
克樹は、咎められてバツが悪そうな顔をした。こんな時に、好奇心に負けてしまってつい、口に出したことを後悔しているらしい。ラーキスが、そんな克樹に構わず言った。
「別にあちらの地形などどうでも良い。」メレグロスが目を丸くしてラーキスを見る。ラーキスの声が、イライラと憤ったようなものだったからだ。「何が起こっておろうとも、サキには関係ない。サキは、別の世界から来たのだ。こちらの世界で何が起こっておっても、危ない目をしてまで正しに参る義務などない。陛下は、サキにそんなことを頼もうとしておるのではないのか。」
メレグロスが、絶句して下を向く。リリアナは、代わりに頷いた。
「そうよ。」咲希がびっくりしていると、リリアナは咲希を見上げた。「でも、受けるか受けないは、あなたが決めたらいいわ。ラーキスの言う通り、あなたにはこちらの世界に対する責任なんてないんだもの。私は行くって答えたけれど。」
それには、そこに居るみんなが驚いてリリアナを見た。リリアナは、無表情のまま、言った。
「だって、しょうがないじゃない?私には、気の流れが見える。ただ感じるだけでなく、見えるんだもの。サキとは違って、私はこっちの世界の住人だし、自分が生きてくために行くしかないんだもの。」
ラーキスが、リリアナに問い詰めるように言った。
「気の流れが関係あるのか?陛下は主やサキに何をさせようと言うのよ。」
それには、メレグロスが答えた。
「…あちらの大陸では、気の流れが一定の方向を向いて流れておるのではない。」その深刻そうな声に、皆が黙ってメレグロスを見た。「こちらではデルタミクシアからバーク遺跡へと気が流れておるが、あちらでもデルタミクシアに当たるのは、アーシャンテンダ大陸の中央に位置するメニッツ盆地という場所。そこから湧いた気は、大陸全体に広がっているが、どういうわけか山脈を越えると極端に減るのだそうだ。こちらでいう、山脈の向こうのリーマサンデのようなものかの。」
克樹が、割り込んだ。
「でも、それはそれなりにリーマサンデでは工業が盛んになって、命の気に頼らない生活をしてるじゃないか。住人だって命の気が多過ぎると体調が悪くなるから、ライアディータ側では過ごせない人が多くて。生活は、あっちの方が近代的なんだって、父さんが言ってた。」
メレグロスは、頷いた。
「ディンダシェリア大陸は、そうやって両国が栄えたんだが、あっちではどっちの国でも命の気に頼って生活していたのだ。だから、自然命の気が少ない方の国は、常に飢えているような状態で、豊かではなかった。昔から、メニッツという土地の取り合いが頻繁にあったのだと聞く。だが、それでも山岳地帯のこっち側まで取り合えず領地が広がっていた時は、ディンメルクも僅かながら物を生産してやっておった。それが、今の王が軍のクーデターで即位して、独裁体制になってから、すぐに攻め込まれて向こう側へと追いやられ、僅かな糧すら得られなくなったのだと聞いた。確かにあれらは、粗末な身なりであったしな。」
咲希はそれを、目を白黒させて聞いていた。知らないことばかり…何しろ、こっちの土地のことも歴史も、何もかも知らない中でのこの会話なのだ。きっと、克樹やラーキスには分かるのだろうが、咲希には全く分からなかった。
咲希は、手を上げて言った。
「ごめんなさい、本当に私にはちんぷんかんぷんなの。土地も知らないし、全く地形が頭にないから、何を話していても、分からないわ。」と、ラーキスを見上げた。「ラーキス、私を心配してくれるのは嬉しいわ。でも、私一応、直接陛下からお話は聞いてみようと思うの。シュレーやショーンが命の危機って聞いても、本当にまだ、実感も湧いて来ないぐらい、私には現実味のないことなの。しっかり頭を整理して、その上で自分がどうするべきか、考える。そうするべきだと思うから。」
それを聞いたラーキスは、不満そうだったが口をつぐんだ。メレグロスが、感心したように言った。
「何と、歳が近いように見えるのに、しっかりした女よな、サキは。」とうーんと伸びをした。「軽食だと出された物しか食っておらんから、腹が減ったわ。オレは、もう食事をして休む。もう夜だし、全ては明日だろう。」
そうして、大きな体なのに驚くほど身軽に立ち上がった。克樹が、言った。
「疲れてるのに、ありがとうメレグロス。何かあったら、連絡するよ。」
メレグロスは、微笑んで克樹の髪をぐちゃぐちゃとかき回した。
「おお!ま、ここに居る間は何度でも話しぐらい出来る。オレも、シアの守りから一時離されてバルクに居るように言われておるのだ。ラクルスも、今や陸続きになっておるパワーベルト跡のルシール遺跡も守らねばならぬゆえ、今軍は大変なのだ。陸から攻めて来る可能性があるしの。あちらが軍国主義となれば、尚更守りは堅くせねば。」
咲希は、そこは分かった。今までパワーベルトが阻んでいたあちらとの道が、今は全開になってしまっているのだ…つまりは、パワーベルト跡がそのまま国境になるのだろう。塀も何も、今は無いはずだった。
「…考えてみたら、大変だね。」克樹が、ため息をついた。「ライアディータでまだ残ってるパワーベルトは、ルクシエムの向こう側からメク山脈の裏手を抜けるあれだけだもんな。その軍国主義って国と、完全に陸続きなんだから。いくらでも、侵入し放題だ。」
メレグロスは、肩をすくめた。
「案ずるでない、王立軍が、すぐに封鎖に向かったゆえ。術士は数人連れて参った…ま、ショーンほどに力を持つ者はおらなんだが、それでも封鎖ぐらい出来るであろうよ。」
そうして、リリアナの頭を撫でてから、そこを出て行った。
咲希は、ため息をついた…ダッカでゆっくり転送装置の復帰を待つことは、まだ出来そうにない…。




