磁場異常
昼食を済ませて部屋へと戻った三人は、奥にあるラーキスの部屋へと集まった。
リリアナは、来る途中で部屋を覗いたが、まだ戻っていない。何を長く話しているのかと気になったが、侍女に聞いても、他の皆様が揃うまで陛下の執務室で待機している、と答えるだけで、いつ戻るのか知らないようだった。
克樹が、言った。
「他の皆様って誰だろう。」ベッドに並んで座っている、ラーキスを咲希を前に、自分は側の椅子を引っ張って来てそれに座って向き合っている。「メレグロスのあの様子だと、使者の関係者ってことかな。知らなかったのだから仕方が無いってどういうことだろうな。」
ラーキスが、呆れたように首を振った。
「分かるはずはあるまい。ここで何を推測しても、結局は夕方にはメレグロスが話してくれるのだろうから。我らはここで待っておるよりあるまいが。」
咲希は、珍しく黙って聞いている。克樹は、ラーキスが相手をしてくれないので、咲希を見た。
「なあ、咲希はどう思う?」
咲希は、ハッとしたように顔を上げると、首を振った。
「分からないわ。あの、でも、メレグロス将軍が話してくれるんでしょ?あの…私も、だからそれを待つべきじゃないかなって。」
それには、克樹もラーキスも少し驚いたような顔をした。そして、ラーキスの方が言った。
「サキ、あれだけ知りたがって克樹と推測しあっておったのに、何やら落ち着いておるの。」
克樹も、頷いた。
「そうだよ。いったいどうしたんだ?」
咲希は、二人を見て息をついた。私、何も隠せないから。みんなに、顔に出てるってよく言われたし…。
「…あのね、何だか、怖くなっちゃって。メレグロス将軍の反応とか見ていたら、何かとんでもないことが起こっているのかなって。そう思ったら、聞くのが怖い、って思ってしまったの。今でも、ドキドキしてるぐらい。いったい、何を話してくれるんだろうって。リリアナは、何を聞かされるんだろうって。」
ラーキスと克樹は顔を見合わせたが、言った。
「気持ちは分かる。リリアナだが…あれは表面上一人だが、その実あのうるさいクマが一緒であろう。大丈夫ぞ。それに、メレグロスのことであるが、主が聞くのが嫌なら、部屋へ戻っておっても良い。我らが、ここで聞いておくゆえ。」
それには、咲希は慌てて首を振った。
「そんな、私も聞くわ!あの、やっぱり何が起こっているのか知っておかないとと思うし…もしかして、私はこっちの世界でしばらく暮らすかもしれないでしょう?手助け出来るのなら、したいと思ってるわ。」
克樹は、腕を組んで首をかしげた。
「そういえば…空間研究所から、何も言って来ないな。パワーベルトが無くなったんだから、異常も無くなったはずなのに。転送装置は、まだ直らないのか?」
ラーキスは、頷いて腕輪に視線を落とした。
「一度、問い合わせてみるか。もし装置が復活しておるのなら、ダッカへ参らず研究所の方へ送って参った方がいいものの。」
咲希は、それを聞いて少し、胸がグッと痛むような気がした。帰れるかもしれないのに?私、いったい何が気に掛かってるのかしら…。
咲希が、胸に手を当ててじっと黙っているので、ラーキスは承諾のサインと思い、腕輪から研究所へと通信を始める。咲希は、その作業をじっと見守った。
『はい。王立空間研究所、ハンツです。』
直接、ハンツに繋がる回線に掛けたらしい。ラーキスは、その音声だけの通信に、腕輪に向かって言った。
『こちらは、王城に滞在しているラーキス。ハンツ殿、パワーベルトの消失はもう、知っておられるな?』
ハンツは、突然に用件を言われてためらったようだったが、持ち直して答えた。
『ああ…ラーキス殿。はい、こっちでも確認出来ております。』
ラーキスは、見えないのを承知で頷いた。
『それで、こちらにはあちらの世界から来たサキも居て…故郷へ帰ろうかと思うておったが、そちらの転送装置のことについて、聞いてから行こうと思うての。パワーベルトの干渉が無くなった今、復活しておるのではと。』
それには、ハンツの声が一気に沈んだ。
『それが…我らもそう思ってほんに先ほど装置を起動させたのですが。』ハンツの声は、ますます暗くなる。『これまでの波動では、全く意味が無くなってしまっていて。つまりは、あちらへの道が開いた事で、こちらに何らかの磁場異常というか、そんなことが起こっておるようなのです。今までパワーベルトで遮られていた何かが、無くなったことで流れ込んで来て、こっちの今までのものと混じり合い、見たこともない状態に。恐らくまだ見ぬあちらの土地でも、我らと同じ研究をしておった者が居たなら、同じことに困惑しておるでしょう。また一から、波動を探らねばならないのです。』
ラーキスは、視線を咲希へ向けた。咲希は、今聞いたことがすぐには理解出来なくて、ただ呆然と聞いていた。すると克樹が、横から言った。
「…それはつまり、今までの研究が全て水の泡で、これから研究し直すってことか?それって…確か何十年も研究して来たことじゃなかった?」
向こうに、その声が聴こえたようだ。ハンツの声が、申し訳なさげに答えた。
『その通りです。基本は同じなので、一つ上手く波動が見つかればその後は簡単に進むと思うのですが、何しろ分からない。今、スタッフ総出でその波動を探すことに全力を上げています。』
ラーキスが、眉を寄せたまま言った。
「それは良いが…それは人体になんらかの影響を与えることはないのか。空間の中には命の気の他に大地の引っ張る気であるとか、空気の圧力が起こす気であるとか、いろいろなものが出す波動が混じって起こる気であるとか、様々なものがあると聞いておるが、それが異常をきたせば、体調が悪うなる者も出るのでは?」
ハンツの声は、頷いたようだった。
『はい。その研究は、大学と合わせて今、こちらの専門グループも取り組み始めております。詳しい事は、バルクの王立大学へ行ってみられたら、恐らく分かるかと。』
ラーキスは、険しい顔のまま、答えた。
「分かった。では今は、とにかくサキが戻ることは出来ぬということだな。気の変化については、オレも大学でまた、調べてみよう。」
ハンツの声は、ホッとしたように答えた。
『はい。転送装置のことに関しては、進展がありましたらまたご連絡致しますので。では。』
ぷつん、と通信は切れた。ラーキスは腕を下ろすと、咲希を気遣わしげに見た。
「サキ…まだ少し、掛かるようぞ。」
咲希は、段々にその意味が頭に浸透して来たところだった。何か知らないが、電磁波というか、そんな見えないものが変わってしまって、今までの転送装置は使えなくなったと。だから、今もう一度今の環境で使える転送装置を、作っていると。
つまりは、それがいつ出来るのかも、出来るのかも分からない状態なのだ。
「え…」咲希は、ラーキスを見た。「じゃあ…じゃあまだ、何年も無理かもってこと?克樹が今、その装置を作るのに何十年も掛かってるって言ってたわ。私…もしかしてそれだけ帰れないかもしれないってこと?」
克樹は、慌てて手を振って言った。
「違うよ!ハンツさんが言ってたじゃないか、基本的には変わらないって。だから、そこが解決したら、大丈夫だよ!今は、変わったばっかで向こうも手探りで探してるんだよ!」
咲希は、パニックになりそうになりながらも、なんとか頷いた。帰れないかも知れない。もしかして、二度とあっちの友達や両親に会えないかもしれない。
そう思うと、がくがくと手足が震えて、何とかして抑えようと思うのに、止まらなかった。隣に座っていたラーキスは、見かねて咲希の肩を抱いた。
「サキ…案ずるな。あやつらあれが仕事なのだから。きっと、いくらもせぬ間に手立てを考える。大丈夫ぞ。」
咲希は、ラーキスを見上げた。そうして、慰めてくれる優しさに、つい涙が出てしまった。
「ごめんなさい…泣くつもりなんてなかったのに。なんだか、帰れないかもって思うと、とっても怖くなって…。」
克樹が、それを見てまるで自分のことのように悲しげな顔をした。
「そりゃそうだよ。誰だって、生まれて育った所へ、戻りたいって思うもの。咲希、我慢しなくていい。でも、きっとすぐに帰れるって。」
咲希は、頷きながら涙を拭いた。
「ええ。ありがとう。」
ラーキスは、ふっと小さくため息をついた。自分だって、ダッカへ二度と帰れないなどと言われたら、どれほどに辛いだろう。しかも、咲希にとってここは異質な世界。そう、世界自体が全く違うのだ。帰りたくない、はずはないのだ。
「原因を調べようぞ。」ラーキスは、言って立ち上がった。「夕方まで、大学へ行って来る。」
克樹が、慌てて立ち上がった。
「だったらオレも!力場学しかやってないけど、近いから、オレだって何か役に立つかも。」
ラーキスは、ちらと克樹を振り返った。
「オレは栄養学が早よう終わったので、気学も修士までやった。数値を見たら、ある程度はわかる。お前は、サキを頼む。」
そう言われて、ショックを受けている咲希を一人にするわけにも行かず、克樹はまた椅子へと座った。
「じゃあ、また話を聞かせてくれ。」
ラーキスは頷くと、そこを出て行った。
咲希は、いつまでも落ち込んでいては駄目だ、と顔を上げていた。




