懸念
日が空の真ん中に来た頃、王宮の中がまた俄かに騒がしくなった。
咲希と克樹は、マーキスとリリアナ、ルルーと共に庭の噴水の前で、じっと待っているところだった。
朝からずっとそうしてそこで居たので、そろそろ昼食でも、と思っていた頃に、兵士達もバタバタと動き出し、庭で警備についていた兵士達も、落ち着かないようにちらちらと王宮の方を伺っている。
克樹が、小声で言った。
「終わったんだ!きっと、陛下と使者達が部屋から出て来られたんだよ。」
咲希も、頷いて王宮の方を何度も振り返っては見て、言った。
「どうなさるのかな。もう、ご挨拶出来る?」
ラーキスが、それには顔をしかめて首を振った。
「無理に決まっておろうが。陛下はシアから戻られて眠っておられぬのだぞ。仮に時があったとしても、食事をして休むのが先であろうが。」
克樹と咲希は、顔を見合わせてため息をついた。
「…そうよね。私達が行ったら、ご迷惑よね。」
リリアナが、呆れたように言った。
「あなた達ってほんと、子供ね。使者がどうのなんて、私達には関係ないことでしょう。国民の好奇心になんて、陛下はいちいち答えてられないわ。国王って、本当に忙しいのよ。」
克樹は反論しようとして、はたと止まると、思いなおしたようにがっくりと肩を落とした。
「リリアナの言う通りだ。確かに、オレ達が何かを知ったからってどうにかなる問題じゃないし、好奇心だよね。」
ラーキスが、何度も盛大に頷いた。
「分かったのではないか。ならば、もうそろそろ陛下に伝言でも残してダッカへ帰るか。」
咲希は頷きながらも、ちらと王宮の方を見た。
「分かってるんだけど…このまま帰ったら、こっちのことは全く分からなくなるでしょう。少しでも関わったんだから、その後どうなったのか知りたいって思うのは、我がままかな。ほら、何か大事になるなら、せっかくここで居るのに知らないで、ダッカの人たちに教えてもあげられないでしょう?」
ラーキスは、それを聞いて眉を上げた。そうして、立ち上がると息をつき、歩き出した。
「しようがない。ちょっと待っておれ。今、知った顔が見えたゆえ。」
ラーキスは、そこを離れて歩いて行く。咲希は、その背を見送りながら、克樹に首をかしげて見せた。克樹も、肩をすくめて首を振る。そんな様子を見て、リリアナが言った。
「きっと、ダクルス出身の将軍じゃない?」
咲希は、そういえば、と慌ててラーキスが歩いて行く先を見た。すると、向こうの大階段を、数人の兵士達を引き連れて降りて来る大柄の男が見えた。ラーキスが、階段の脇へと到着し、特に声を掛けることもなく、じっと立っているのが見える。
ああ…あれが知り合いの将軍だったら、気付かず通り過ぎちゃうじゃないの!だって、めっちゃ考え事してる顔だし、眉間に皺が寄ってるし!
咲希がそう思ってハラハラしていると、予想に反してその将軍は、はたと立ち止まると、ラーキスの方を見た。
そして見る見る眉間の皺を消し、満面の笑みを浮かべて、どすどすという音がこっちにまで聴こえて来るのではないかというほどの勢いでラーキスへと駆け寄って、その手を握って振り回しているのが見える。
あれじゃ、ラーキスの腕が抜けちゃう!
咲希が本気でそれを心配して見ていると、ラーキスは何かを話したようで、その大柄な男がこちらを見たのが分かった。
…怖い。
咲希は、今度はこっちで暴れるのではと、心底怖くなった。しかしラーキスは、その大柄な男を連れて、こっちへ歩いて来る。克樹が、横で嬉しそうに手を振った。
「メレグロスー!」
友達?!でも呼ばないで、走って来たらどうするの、止まらないかもよ!
咲希の心に反して、克樹が手を振るのを見たメレグロスは一目散にこっちへ向かって走って来た。物凄い迫力だ…まさに、ダンプカーが走って来てるような。
だが克樹はひるむことなく、そちらへ向かって走り、思い切り飛び上がって相手の首へ飛びついた。
「久しぶりだ!ほんと、会いたかったよ!」
メレグロスは克樹を軽々持ち上げてその場でくるくると回転してから、ポンと芝の上へ下ろした。
「オレもぞ!シアでの駐屯が長引いておって、なかなかにこっちへもダッカへも帰れておらぬから。ラーキスを見て、眠気も吹き飛んでしもうた。」
ラーキスは、微笑んでその様子を見ている。そのまま、三人でこちらへ歩いて来るのを見ていた咲希は、案外にメレグロスという男が、若い顔つきでしかも人の良さそうな、優しげな顔であることを知った。
噴水の前まで来て、緊張して待つ咲希の前に立ったラーキスは、咲希に言った。
「サキ、これはダッカの長、ダンキスの息子の、メレグロスぞ。我ら、幼い頃より共に育った仲でな。大学までは一緒だったが、メレグロスは軍の方へ行ってしもうたので、そこから会えずに居ったのだ。」
メレグロスは、咲希に手を差し出した。
「メレグロスぞ。噂に聞く、パワーベルトの暴走を止めた術士のサキ殿よな。」
咲希は、恐る恐る手を差し出して、メレグロスの手を握った。
「術士なんて…たまたま、出来ただけなんですけど。」
メレグロスは、咲希の手をやさしく握ってから、すぐに放した。どうやら、自分の力の大きさは認識しているらしい。
克樹は言った。
「咲希はすごいんだ。あの術士ショーンでも敵わない封じの術が使えるんだからな。」
メレグロスは頷いて、リリアナの方へ視線を向けた。
「それで、こっちのお嬢さんは?」
ラーキスが、答えた。
「リリアナ。ショーンが連れておったのだが、此度使者としてあちらへ参ったから。我らが預かって、ダッカへでも行こうかと思うておるところぞ。」
「ショーンの…」途端に、メレグロスは暗い顔をした。「…ならば、辛いの。陛下も、此度のことはどうしようもないこと、知らなかったことだからと頭を抱えておられた。」
咲希、克樹、リリアナ、ラーキスは顔を見合わせた。
「え…どういうことだ?」
メレグロスは、ハッとした顔をした。
「あ、いや…その、リリアナにはまだ幼くて理解出来ぬかもしれぬが、それでも陛下から直々にご説明があろうから。オレからは、これで。」
すると、そこへ侍女が歩み寄って来て、頭を下げた。
「リリアナ様は。」
リリアナは、そちらを見た。
「私がそう。」
侍女は、深々と頭を下げた。
「陛下が、お呼びでございます。どうぞ、王の間へ。」
咲希が、慌てて言った。
「あの、私も一緒に行った方が…」
リリアナの、保護者にならないといけないし。
咲希がそう思って足を踏み出したが、侍女が首を振った。
「陛下がお呼びなのは、リリアナ様だけでございます。」
リリアナは、咲希を見上げて、言った。
「大丈夫よ。一人で行って来るわ。先に帰っちゃったりしないでね。」
リリアナはそう言うと、今やぐったりと腕に抱かれているルルーと一緒に、侍女について歩いて行った。
それを心配そうに見送ってから、咲希はラーキスを振り返った。
「ラーキス…確かにリリアナは大人びているけれど、ショーンの話を聞いていたら、まだ10年ほどしか生きてない記憶でしょ?あんな風に育ったから、背伸びしてるのかも…。」
ラーキスは、同じように心配げにリリアナが去った方向を見ていたが、言った。
「それはオレもそう思う。だが、陛下がリリアナだけとおっしゃっているなら、ついて参るわけにも行くまい。」
メレグロスが、その優しげな顔をそれは悲しげにしかめて、言った。
「何やら事情がありそうだが、それならばオレも、誰かが一緒に行った方が良かったのではないかと思う。」それを聞いた克樹やラーキス、咲希が自分を見ると、まるで自分が悪いかのように肩を落として下を向いた。「ここで話すのは、さすがにの。」と、思い切ったように顔を上げた。「主らは、ここに滞在しておるのか。」
ラーキスが、頷いて答えた。
「本当は今日陛下にご挨拶してダッカへ戻ろうかと思うておったのだが、この様子だとそれは叶うまい。伝言するかと思っていたが、主が何か話があると言うのなら、明日に伸ばしても良いぞ。」
メレグロスは、頷いて歩いて来た大階段の方を振り返った。
「オレも、これから隊へ戻って指示を出さねばならぬ。終わってから訪ねるゆえ、待っておってくれるか。」
ラーキスは、頷いた。
「分かった。三階の奥の部屋ぞ。待っておる。」
メレグロスは頷くと、元来た道を戻って行った。咲希は、その背中が来た時より少し小さくなったように思えた。
克樹が、二人を代わる代わる見て、言った。
「じゃあ、昼食を済ませて部屋へ戻っていようか。あの様子だと、夕方まで来れないんじゃないかな。」
ラーキスと咲希は、頷いた。
どちらにしろ、メレグロスは全てを見て、知っているのだ。そのメレグロスから話が聞けたら、何が起こっているのか、知ることが出来るはず。
だが咲希は、あれだけ知りたいと思っていたことなのに、なぜか聞くのが怖くなっていた。




