未知の国から
結局、咲希は王城への長いなだらかな坂道を、ニ往復してふらふらだった。明日の朝発とうとリリアナとルルーにも話して、夕飯も終えて自分の部屋でラーキスと二人でお茶を飲んでいると、俄かに王城の外が騒がしくなったのに気付いた。
咲希は、何事かと夕日がもうほとんど沈んだ空の下を、慌しく走り回る兵士達を見た。
「ラーキス…何かあったのかしら。」
ラーキスも、咲希と並んで窓の外を見た。
「陛下がお帰りになったからかもしれぬな。シアからなら、もう戻られてもおかしくない。」
咲希は頷いたが、それにしては、兵士達の表情がおかしい。何やら、緊張した面持ちなのだ。
「陛下に、何かあったのかしら…。」
ラーキスは、首を振って、咲希の前のカーテンを引いた。驚いた咲希は、ラーキスを見上げた。
「ラーキス?」
ラーキスは、咲希を見下ろした。
「あまり気にするでない。主は、自分の居た世界へ無事に帰りたいのであろう。こちらの世界で何があろうとも、それはこちらの世界の住人が何とかせねばならぬこと。これ以上、危険な目にあう必要はないのだ。まして、我らは民間人ぞ。どうにもならぬことは言うて参るだろうが、あとは軍人に任せておけば良いのだ。さあ、明日は早くにダッカへ飛び立つのだから、早よう寝ておいた方が良い。」
咲希は、自分を気遣うラーキスに、何だか温かいような、それで居てどこか悲しいような、変わった感情を持った。そう、私は、帰るのだものね…。
「…でも、シオメルでおいしいものを食べてから帰るんでしょ?」
咲希が、わざと明るく言うと、ラーキスは苦笑した。
「忘れておらなんだか。そうよな。明日はシオメルよ。」
そうして、ラーキスは自分の部屋へと戻って行った。
咲希は、ベッドに入ったものの、それから何時間も眠れなかった。
次の日、なかなか眠れなかったにも関わらず、咲希は夜明けに目が覚めた。美しい王宮の客間に、朝日が差し込んで来ている…咲希は、レースのカーテンを開いて、外を見た。すると、甲冑姿の兵士の姿が、明らかに多い。
やっぱり、何かあったんだ。
咲希は、慌てて着替えると部屋の外へ出た。すると、克樹が下へと階段を降りようとしているのが見えた。
「克樹!」
咲希が呼びかけると、克樹が振り返った。
「咲希!外の兵士…」
「そうなの!」咲希は、走って克樹に追いついた。「いつもより多いわ。何かあったの?」
克樹は、首を振った。
「分からないんだ。見たことない甲冑を着た兵士らしい人も見た。」
「ええ?!それには気付かなかったわ。」
咲希が言うと、克樹は階段を降り始めた。
「誰かに聞こうと思って下へ行くところだったんだ。だが、シュレーも居ないし誰に聞けばいいか。」
すると、ラーキスが急いだように階段の上に現われた。
「サキ、克樹。どこへ行く?」
咲希が振り返って、言った。
「ラーキス!あの、外が騒がしいから、状況を聞きに行こうと思って。」
すると、ラーキスは降りて来ながら首を振った。
「ならぬ。何かこちらに用があれば、陛下から何某かあるだろう。勝手に嗅ぎ回るのは良くない。」
しかし、克樹が言った。
「でもラーキス!何かが起こってるんだよ?助けられるかもしれないじゃないか。」
それでも、ラーキスは首を振った。
「ここがどれほど小さな国だと思うておるのだ。我らより、優秀な者など山と居るわ。我ら王城に置いてもらっておる立場で、まして何か面倒が起こっておる時に好奇心で聞きまわるのは邪魔になることがあっても、力にはなれぬ。必要ならば、陛下から申されるだろう。おとなしくしておるのだ。」
咲希が、ラーキスに、訴えるように言った。
「でも、ここに居るのに!何が起こっているのかも知らないなんて。」
「そうだよ。無関心なのは良くないだろう。」
克樹と咲希が言うのに、ラーキスが更に口を開こうとすると、落ち着いた幼い声が言った。
「ラーキスが正しいわ。陛下にはあなた達の好奇心に答えてる暇なんてないわよ。」
咲希が驚いて振り返ると、階段の下からリリアナが登って来るところだった。横には、ルルーが浮いている。ショーンも居ないので、もういいらしい。
『リリー、そんな風に言うのは良くないよ。』ルルーが言った。『でもサキ、カツキ、今はおとなしくしていた方がいいよ。陛下は、昨日戻っていらしてからずっと会合の間で誰かと話しているんだ。その部屋の警備は尋常でない数だし、誰もそこへは入れない。ボク達は、たまたま陛下が戻っていらした時に下に居て、その現場を見たんだ。』
克樹は、ルルーを見た。
「現場?現場って、なんの現場だ?」
すると、リリアナがため息をついて、再び階段を上がりだした。
「こんな場所ではね。話してあげるわ。私の部屋へ行きましょ。」
リリアナは、先に立って自分の部屋へと歩いて行く。
克樹と咲希は顔を見合わせて、ラーキスと共にその後について歩いて行ったのだった。
リリアナの部屋も、咲希の部屋と全く同じ造りだった。同じように客間なのだから、それはそうだろうが、違った部屋かもと少し期待していた咲希は少しがっかりした。
リリアナは、側の椅子を見た。
「そこに座って。」
咲希と克樹、ラーキスは言われるままに座った。リリアナは、ぽんとベッドに腰掛けると、ルルーはその横に浮いて、そうして、話し始めた。
「昨日、ルルーと庭をぶらぶらしてから、何か辺りが騒がしくなって来たので、王城の中へと戻ったの。そのまま食堂へ向かおうとしたんだけれど…陛下が戻って来て、行けなくなったわ。食堂に行くには、ホールを抜けなければいけないのに、そこへ陛下が留まって、メレグロス将軍の報告を受けていたの。とても緊急のようだったし、私達は邪魔をしてはいけないからと、陛下がお部屋へ戻られるのをじっと待っていたわ。」
「メレグロス?」ラーキスは、言った。「ダッカの長の、ダンキスの息子ぞ。確か、あれはハン・バングやシアの辺りに駐屯している責任者ではなかったか。なぜに王城へ。」
リリアナは、頷いた。
「とっても大きな男だったわ。戦闘民族のラクルス族だったのね。」
ルルーも、言った。
『ラーキスより大きいんだ。野性の熊より大きいんじゃないかな。』
克樹が、いらいらと言った。
「知ってるよ。父さんの友達の息子だから、よく会ったんだ。身長が二メートル越えてる上に横にデカいんだから、熊なんか素手で獲るよ。そんなことより、メレグロスは何を報告してたんだ?」
リリアナは、相変らずの無表情で言った。
「がっつかないの。子供ね。」克樹がショックを受けた顔をしたが、リリアナは気にせず続けた。「使者が来たのよ。大陸から。」
「ええ?!」
克樹と咲希が、同時に叫んだ。リリアナは、眉を寄せた。
「何よあなた達。黙って聞けないの?」
咲希は慌てて口を押さえた。そんなこと言ったって…こちらからも、今使節団が旅立ったばっかりなのに。
ラーキスが、言った。
「今、あちらへシュレー達が旅立ったばかりだろう。行き違いになったということか?」
それには、ルルーが答えた。
『メレグロス将軍は、その使者がディンメルクという国から来たと言っている、と報告していたよ。あちらには、どうやら二つの国があるらしくて、ディンメルクの使者は、そのうちの一つから来たんだって。でも、パワーベルトが消失してすぐにあちらを出たのはいいけど、潮に流されて…どうやら、リーマサンデのサン・ベアンテ付近に流れついたらしいけど、そこには上陸せずにライアディータ側のシアの近くからから上陸したらしいんだ。登録のない船が着いたと、海上部隊から連絡を受けて行ってみると、使者達が居たのだと言ってた。船は木の粗末な物だったらしい。服も、きちんとはしていたが、こちらの素材とは違ってくすんだ色に見えたな。』
リリアナは、頷いた。
「きっと、こちらよりも発展していないのよ。」
克樹は、ごくりと唾を飲み込んだ。
「その使者達を、君達は見たのか?」
二人は、顔を見合わせてから頷いた。
「見たわ。陛下がすぐに通せとおっしゃって、会合の間へ向かわれて、その後メレグロスに付き添われた五人ほどの男達が通って行ったもの。身なりは粗末だったけれど、でも五人とも目はとても力があったわ。」
克樹は、目を輝かせた。
「すごいぞ…!」そして、嬉しそうに言った。「あっちの世界にも、こっちと同じ人が居たんだ!しかも、その様子だと言葉が通じるようじゃないか。きっと、たくさんのことを聞けるんだ!オレも、話してみたい…向こうの暮らしを知りたい。」
ラーキスは、苦笑して言った。
「気持ちは分かるが、今は挨拶段階だろう。そんな粗末な船で、流されながらもこちらへやって来たということは、こちらの地に何かの希望を持って来ていると思って間違いない。これから、ライアディータとリーマサンデは、もしかしたらあちらの大陸の支援に追われるのやもな。」
リリアナは、肩をすくめた。
「難しいことは分からないわ。とにかく、陛下は昨夜からずっとその使者達と会合の間に詰めていらっしゃるのよ。お疲れだろうし、私達のような素人がうろうろするのは良くないわ。これ以上、面倒を起こさないように、おとなしくしていることね。」
ラーキスは、ふーっと息をついた。
「今日飛び立とうと思うておったのに。これでは陛下にご挨拶も出来ぬな。どうする、サキ?」
咲希は、リリアナを見た。リリアナは、咲希を見上げた。
「私はいいのよ。あなた達が決めてくれたら。いつでも行くわ。」
咲希は、ラーキスを見た。
「もう少し落ち着いてからの方がいいかも。陛下も、シュレー達を見送っていらしてすぐにこれで、とてもお疲れでしょうし。ラーキスは、いいの?」
ラーキスは、頷いた。
「まあ、ここまで来ればあと数日ぐらい遅れても構わぬわ。メレグロスに会えたら、陛下のご様子も聞けようが、あれも会合の間に入っておるのだろう…待つしかないの。」
そうして、ラーキスと咲希、リリアナとルルー、克樹は、じっとリーディスが役目から解放されるのを待っていた。




