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日常

谷口咲希(たにぐちさき)は、私立大学の二回生だ。大学では、家政学部の食物栄養科に在籍している。入る時には軽い気持ちで、管理栄養士の資格取ろう~と受かっただけで喜んでいたものだったが、事実はそんなに甘くなかった…同じ高校から文系に進学した友達がサークルだ何だと楽しげにしているのに、怒濤のレポートと、取らねばならない単位の多さに遊んでいる暇もなかった…こんなはずではないのに、というのが、最近の感想だった。

女子大学なので、当然のこと回りは女ばかり、そして、皆同じ境遇だった。必死に協力しあってレポートを仕上げ、実習をこなし、いつしかもう、三回生も近くなって来ていた。

そんな毎日を送っていて、いつものように疲れ切って帰って来た地元の駅で、咲希は自分を呼ぶ声に振り返った。

「咲希!やっぱり咲希じゃない、あなた、疲れてる?何回も呼んだのよ。」

それは、中学からの同級生で、親友の千野美穂(せんのみほ)だった。咲希は、驚いて言った。

「美穂!え、何回も?ごめん、気付かなかった…。」

美穂は、ため息をついた。

「いいよ、先週見かけた時も声かけづらいほど疲れてたから。」

咲希は、また驚いた。先週も、見てたんだ。

「ごめん…毎日、すごく忙しくて。」

美穂は、苦笑すると首を振って咲希の腕を取った。

「ね、ご飯食べてこう?驕るよ、私、バイトの給料入ったところだから。」

咲希は、教科書でパンパンのカバンを横にして、慌てて言った。

「いいよ!悪いもん。いつも驕ってもらってばっかりだし。」

美穂は、首を振った。

「なーに言ってんの!気にしないの!さ、行こう行こう!」

咲希は、美穂に引きずられるようにして、近くの店へと入って行ったのだった。


店に入って、寒さから逃れようと鍋を頼み、二人でそれを突付きながら最初はただ黙々と食べていた。回りでは、会社帰りのサラリーマンや、どこかの会社の飲み会の集まりなどがわいわいと楽しげにしている。居酒屋というより、小料理屋のような感じのそこは、いつもこうして大人達が羽目を外す場所のようだった。自分達も今年やっと二十歳になり、成人式を迎えたばかりだった。こうしてこんな場所で堂々と飲んでいられるのも、大人の仲間入りかあと、嬉しいような、プレッシャーのような、変な感じだった。

やっと雑炊を食べ終えて、美穂がやっとホッとしたように、チューハイライムを片手に言った。

「ほんと、毎日大変だよねー。来年からは、もう就職活動でしょ?なんだか早過ぎるよ。」

咲希も、ため息をついて頷いた。

「まだピンと来ないんだよね。私はとにかく、卒業しないといけないし、それまでに資格試験に合格出来るかって話。それ前提で就職活動なんだから、プレッシャーも大きいよ。」

美穂が、身を乗り出した。

「でも、咲希の大学の就職率、めっちゃいいじゃない。料理だって出来るんでしょ?」

咲希は、首を振った。

「調理師と栄養士は違うよ。そりゃ出来るけど、料理検定だって受けてるから。でも、世間で言うほど料理のプロでもないんだよ?ゆっくり好きに作っていいって言うんなら私も楽しく作るけど。」

美穂は、またグラスを口にしてから、言った。

「そうだよね…好きでも、仕事にしたら変なプレッシャーあるよね…。私も、どうしよっかなー…。」

咲希は、自分もカシスオレンジを一口飲んでから言った。

「美穂は、情報でしょ?パソコンのプロなんじゃなかったっけ。」

美穂は、珍しく険しい顔で首を振った。

「違うって。私は本当は、電子工学の方へ行った方が良かったんじゃないかって思い始めてるんだ。だってね、開発とかしたかったの。ゲーム作ったり。あの、システムの方ね?それをしたかったんだよね。なのに、何か別のことしてるんだもん。」

咲希は、顔をしかめた。

「え、でも、今更でしょ?もう4月には三回生だよ?」

美穂は、あくまで真剣だった。

「分かってる。でも、まだやり直すことは出来るって思うんだよなー…。」

咲希は、黙り込んだ。確かに、誰でもいつでも、幾つになってもやり直すことは出来ると思う。でも、それが出来る人は、本当に僅か。自分が今乗っているレールから、飛び降りる勇気がある人って、いったい何人居るんだろう…。

美穂は、ぐいっとチューハイライムを飲み干すと、側の店の女の子にもう一杯お代わりを頼んで、思い切ったように咲希に言った。

「咲希、私、すごいもの見て来たちゃったんだよ。」

咲希は、びっくりして美穂を見た。すごいもの?

「何?どこで?」

美穂は、じっと咲希を見た。

「大学の研究室。ほら、サークルの先輩が院生で、空間物理学ってのを研究してるんだけどね、その研究室って珍しく地下にあるの。しかも、メイン校舎から遠く離れた場所にある、小さな施設の地下だよ?…みんな、そんな大したことをしてない場所だと思ってる。だって、あんな古びた建物の地下なんだもの。でも」と、そこで声を潜めた。「…誰にも言わないって誓う?」

咲希は、その目の迫力に思わず頷いた。

「い、言わないよ。」

美穂は、頷いた。

「知ってる。咲希は昔から口が堅いからね。」

と、そこで持って来られた新しいチューハイを手にして、それを一口飲んだ。まだ声を潜めたまま、また思い切ったように言った。

「…そこの研究室って、実は凄いことをしている場所だった。」咲希が、ごくりと唾を飲む。美穂は、続けた。「異世界へ、行き来する研究をしていて、ほぼそれに成功してたんだよ。」

咲希は、呆気に取られた。異世界?え、ちょっと待って、中二病とか言わないよね。

「え…マジで?異世界?」

美穂は、とにかく大真面目だった。

「異世界。魔物が居て、魔法が使える場所。」

咲希は、見る見る眉を寄せた。おいおい…飲みすぎだよ。

「美穂、そんな、夢を見たんだよ。最近酒癖悪くない?」

美穂は、ぶんぶんと首を振った。

「あのね!分かってるよ、咲希が本気にしないってこと。私だって、最初はそうだった。サークルの先輩が、何度も真剣に話すんだけど、信じてなかった。そんな馬鹿なこと、と思ってたから。でも、あんまり私が信じないから、こっそり連れて行ってくれたんだよ、その機械の前に。ほんとは、部外者絶対立ち入り禁止なんだけどね。夜中でも、先輩なら鍵を持ってるからって。」美穂は、ぶるっと身を震わせた。「…本当だった。あっちの世界っていうのは、本当に存在した。しかも、かなり前から存在していたらしくって、結構な人数があっちで生活してるんだって。最初は、強制的にあっちへ飛ばされていた人たちだったけど、今はそれが無くなって、あちらでの生活を選んだ人だけが向こうで暮らしてる。そんな人達を懐かしむ人がこっちに居て…つまりは、あっちへ残った人が居たってことは、帰って来た人も居るんだけど、その人達なんだけど…そのために、研究が始まったらしいよ。向こうの方がその研究は進んでて、あっちとこっちで研究して、行き来出来るまでになって来たんだと聞いた。」

咲希は、それをじっと聞いていた。酔っているにしては、筋が通っている。百歩譲ってそれが本当だったとして、それならどうして、それが世間に知らされていないんだろう。

「…美穂。でも、そんなすごい発見なら、とっくにニュースになっててもおかしくないんじゃない?インターネットだってあるんだし、一瞬で世界に発信されちゃうもんでしょ?どうしてそんな、大学の隅の古い建物の地下なの?」

美穂は、汗をかいているグラスのことは忘れたかのように、じっと咲希を見つめた。

「隠してるんだって。」美穂は、それこそ小さな声で言った。「あっちとこっちで、大混乱したらいけないから。自由に行き来なんて誰もがしたら、大変なことになるでしょう?こっちの現実捨てたいって人だって、きっと多いはずでしょ?まんま、ゲームのRPGの世界が広がってるんだもの。あっちへ逃げて、現実逃避って人、多いよ絶対。」

咲希は、それにはすぐに頷いた。自分だって、もしかしたら現実の辛さにあっちへ行きたいと思うかもしれない。

「理屈は分かるよ。でも、どうしてその先輩は美穂にそんな重要なことを教えたの?それって、絶対漏らしちゃいけないことだったんじゃないの?」

美穂は、それにはため息をつくと、グラスをまた口へと運んだ。それから、言った。

「私に付き合って欲しいって言うから。私は、面白い人でないと無理なんだけどって答えたんだ。そしたら、自分は誰よりも面白い研究をしてるぞって言うから、それは何?って聞いたのよ。最初は渋ってたけど、すぐに教えてくれた。」

咲希は、呆れた。そんなことで、美穂の気を引こうとしたんだ。

「そんなことで?それで、美穂は断ったんでしょ?」美穂は、バツが悪そうな顔をした。咲希は、目を丸くした。「オーケーしたの?」

美穂は、言い訳がましく言った。

「だって、本当に感動したのよ?実際にあっちの世界を見てみなさいよ、それは凄いんだから!」

咲希は、自分のグラスを空けながらため息をついて横を向いた。もしかして、美穂はそれが言いづらかったから、そんな話をでっち上げたんだろうか。その、大したことない研究室の、大したことない先輩と付き合うことになったから、それの言い訳のために、そんなことを言って、咲希に理解させようと。

「…美穂。いいのよ、美穂が選んだんなら、私別に呆れたりしないよ?恋愛って自由じゃない。冴えない研究室に居ても、性格がいい人ならいいと思う。」

美穂は、首を振った。

「違うのよ!本当に、本当のことなの!」

咲希が、困ったようにため息をついて、紙のお絞りで所在無さげにグラスの水滴を拭いている。美穂は、どうしたら咲希に信用してもらえるのかと、悩んだ。咲希は、全く信用していない。このままじゃ、自分の人間性まで疑われてしまう。

「…じゃあ、その目で見たら、信用する?」

咲希は、びっくりして顔を上げた。

「え、美穂?そんな、別にいいのよ!私、信用してるって。ほんと、凄い研究だって。」

だが、その目は信用している目ではなかった。美穂は、決心して頷くと、自分のグラスを干した。

「いいわ!咲希、その中身早く片付けちゃって。今から、行こう!」

咲希は、びっくりして美穂を見た。今から?!

「み、美穂、いいから!そんな、明日も私、講義あるし!」しかし、目の前で美穂は凄い勢いで携帯の画面を叩いている。咲希は、美穂に呼びかけた。「美穂?」

美穂は、ひたすらに携帯と向き合っている。咲希は困った。言い方が悪かったかしら。

そのうちに、美穂は満足げに携帯の画面から顔を上げた。

「よし!彼氏が車で迎えに来るって。大丈夫、帰りは送ってもらうから。もう少ししたら駅の下まで来るから、二人で行こう!」

咲希は、どうしたものかと困ってしまった。だが、美穂は譲りそうにない。仕方なく、今日はかなり遅くなるのを覚悟して、こっそり家へと連絡を入れておいたのだった。

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