待ち時間
次の日の朝、朝食を皆で済ませて、後は思い思いにハンツと大学の分析の結果を待つための時間を過ごした。
美穂は朝からとても元気で、マーキスやアトラスに積極的に話しかけていたが、二人は戸惑うばかりで、相槌を打つことに終始していた。シュレーやショーン、リリアナや克樹はとっくに逃げるように食事の後すぐに席を立って出て行っていた。
咲希はそんな美穂を見ながら、胸がもやもやとするのに戸惑っていた…ほんの数日、一緒に過ごしただけだったが、美穂が現われたことで、その友達の輪の中からはじき出されたような気持ちになっていたのだ。咲希はあちらの世界でもあまり積極的な方ではなかった。いつも友達が話すことに相槌を打ったり、それに対して当たり障りのないことをコメントしたり、そういう位置だったのだ。
今もお茶を飲みながら同席していたが、美穂がどんどんと話すのに咲希は話しに入って行けずにいた。居心地の悪さを感じながらも、席を立つことも出来なくて、咲希は困っていた。
じっと手元の空のカップを見つめて黙っていると、不意にラーキスが立ち上がった。
「庭へ出て参る。」
すると、美穂も弾かれたように立ち上がった。
「あら、じゃあ私も。」
アトラスが、心持ちホッとしたように肩の力を抜いたのが分かった。やっと解放されると思ったのだろう。しかし、ラーキスは首を振った。
「いや、サキと話がしたくてな。」と、咲希を見た。「サキ、行こう。」
咲希は、驚いたが慌ててカップを手に立ち上がった。
「じゃあ、このカップを置いて来なきゃ。」
美穂が言った。
「あら咲希は、とても恥ずかしがりなのよ。二人じゃろくに話も出来ないんじゃないかな。私が一緒に行った方がいいわ。話も弾むもの。」と、咲希のカップとラーキスのカップを受け取ると、側のテーブルに置いた。「後で片付ければいいわ。さあ、行きましょう。」
ラーキスは、咲希に問うような視線を向けた。咲希は、小さく頷く。すると、美穂は微笑んで二人の背を押して庭へと繋がる掃き出し窓の方へ促した。
「さあ行きましょ。じゃあね、アトラス。」
アトラスは、軽く頷いた。そうして、三人が出て行ったのを見送ってから、テーブルに置かれた三つのカップを盆に乗せると、ため息をつきながら片付けに向かった。
庭では、克樹が怜樹と噴水の水を見つめながら話していた。親子とは言っても、この父は母を亡くしてから滅多に家に寄り付かない。母は自分がまだ10歳にもならない時に世を去っていた。父よりもかなり年上だったのだと聞いたが、記憶の中の母はそれは美しかった。
それでも克樹は、父が戻った時にはいろいろな話をせがんだ。父の話はとてもおもしろくて、異世界という未知の場所のことにも、とても興味を持っていた。昔は民間のパーティで戦っていたという父も、今は何をしているのか分からないが、それでも全く暮らしには困っていなかった。それがなぜなのか、克樹には未だに分からなかった。
黙っている空気が嫌で、克樹は怜樹に話し掛けた。
「父さん、どうしてここへ?パワーベルトのことって、父さんにも関係あるの?」
怜樹は、克樹を振り返った。
「ああ。お前、圭悟を知ってるだろう。」
克樹は、頷いた。
「知ってるよ。父さんのすごく仲のいい友達じゃないか。」
怜樹は、頷いた。
「あいつは、退屈だからとバルクの大学で学んでたんだが、その時に知ったパワーベルトの不思議に魅せられて、それが高じて王立調査団に入ったんだ。オレ達は陛下と顔見知りだし、いくらでも頼み込めるからな。」
克樹は、首をかしげた。
「じゃあ、父さんもそれでパワーベルトに興味を持ったとか?」
怜樹は首を振った。
「違う。パワーベルトの異常で、一隻調査船が行方不明になってるだろうが。」
克樹は、みるみる表情を変えた。
「え、もしかしてあれに圭悟おじさんが乗ってたの?!」
怜樹は、頷いた。
「そうだ。シュレーも知ってる。だが、オレにはパワーベルトをなんとかするような力なんて無ぇ。だから、せめて情報をと思って、ここへ来たわけだ。オレがあっちから来たから異世界絡みでハンツとは知り合いだったし、ここならパワーベルトのことも分かるかと思ったんだが。」
克樹は、俄かに不安になった。圭悟は、昔から怜樹が不在の時でも家を訪ねてくれて、みやげ物などを持って来てくれた、とても優しい男だった。
「…でも、今はおじさんのことも心配だけど、この世界の存続が掛かってる。父さん、パワーベルトを安定させることが先だよ。」
怜樹は、じっと黙って視線を反らした。そう、父にも分かっているのだろう。だが、同じ異世界から来た古くからの友達だと聞いている。圭悟を助けたいという思いのほうが強いのだろう。人探しをしている場合ではない…。
怜樹は、不意に言った。
「シュレーから聞いたが、今度の旅に無理に参加したんだって?大丈夫なのか、克樹。」
怜樹の言葉に、克樹はじっと考えこんでいたので慌てて顔を上げた。
「父さんが言ったように、民間のパーティで修行を積んだつもりだよ。今は仲間と離れているけど、みんなこの仕事に賛成してくれている。小さい時から、剣は父さんが教えてくれていたじゃないか。」
怜樹は、ため息をついた。
「オレが教えてたから言うんだ。克樹、オレはまあ人並みには剣技にも長けているが、シュレーほどじゃねぇ。シュレーについて教わってたんなら、オレだってお前を自信を持って送り出せるが、オレだからな。世の中には結構な敵が居るもんだ。それに対峙する、覚悟あるのか?」
克樹は、怜樹の目をじっと見つめて、頷いた。
「ある。やれるよ、オレ。」
怜樹は、またため息をついた。
「そうか。だろうな。お前がやりたいと言ったことは、反対せずにやらせてやるとセリーンと約束した。オレはもう、これ以上何も言わねぇよ。だが、自分が選んだことには責任を持ちな。分かったな。」
克樹は、ホッとして満面の笑みで頷いた。
「うん!ありがとう、父さん!」
怜樹は、その目をじっと見つめていたが、ふっと表情を緩めた。そして、言った。
「お前は本当にセリーンにそっくりだ。お前を見ていると、あいつを思い出す。」
克樹は、不思議そうに怜樹を見た。
「母さんに?でも、オレは髪と瞳の色以外、顔立ちは父さんそっくりだって言われてるけど。」
怜樹は笑った。
「その瞳の色だ。その色は、セリーンの瞳の色。」そして、急にその表情を険しくした。「これ以上、親しい人間を失いたくねぇ…。」
克樹が、何か強い意思のような物を感じて、それを問おうと口を開くと、この場の雰囲気にそぐわない大きな甲高い声が聴こえて来た。何事かと怜樹と共にそちらを見ると、そこには美穂と咲希、それにラーキスが歩いていた。声の主は、美穂だった。
「あ~あいつは苦手だ。」怜樹は、顔をしかめて踵を返した。「オレは、気が強くても穏やかな女が好きなんでぇ。うるさい女は無理だ。克樹、行くぞ。」
克樹は、怜樹に引きずられるようにその場を離れながら、気遣わしげに三人の方を見た。ラーキスだって、きっと騒がしいのは苦手なんだけどな…。
しかし、ぐいぐいと怜樹に引っ張られて、克樹は三人の様子をそれ以上見ることが出来なかった。
「それでね、咲希ったら声を掛けても気付かないのよ?勉強勉強で、あっちではこんなにゆっくりしてない子なの。元々、おっとりしているのにね。」
美穂に言われて、咲希は頷いて微笑んだ。確かにそうなんだけど…あんまり、ラーキスにあれこれ知らされたくないなあ…。
「確かにそうなんだけど…あの、選んだ道が道だったから。仕方ないのよ、学校も遠かったし。」
ラーキスは、咲希に言った。
「学ぶのは良いことぞ。学生の本分は学びだと父に言われ、オレも学生の頃は毎日寝る間も惜しんで勤しんだもの。ゆえ、15の頃には大学を出た。ダッカでの生活に必要ないかと思ったし、大学院には行かなかったがな。」
咲希は驚いて聞き返そうとしたが、先に美穂が言った。
「まあ!秀才なのね、ラーキスって。」
しかし、ラーキスは困惑した顔をした。
「いいや。ここではこれが普通ぞ。克樹など18で大学院まで出た。努力次第でどうにでもなる制度なので、時間を無駄にせずに済むだけのこと。」
咲希がどうしても聞きたかったので割り込んだ。
「ラーキスは、大学で何を専攻していたの?」
ラーキスは咲希を見た。
「栄養学。卒業論文で食物としての魔物の活用について魔物別に部位を分類して書いたぞ。里では食物の確保など、いろいろと自給がされておるが大変でな。生活に役立つと思うたからそれを学んだのだ。」
咲希は、嬉しそうに微笑んだ。
「ああ、聞きたいわ!あっちとこっちでは全く使ってる食材が違うから、私も食べる時気になって…私は食物栄養学を専攻しているの。」
ラーキスが、目に見えて興味を持ったような顔をした。
「そういえば…そのようなことを言うておったの。サキもそういうことに興味があるか。ならば…」
美穂が、割り込んだ。
「私は、ここではまだあまり進んでいないけど、コンピュータのことを学んでいたのよ。」ラーキスはびっくりした。急に話を遮られたからだ。美穂はお構いなく続けた。「コンピュータには興味ない?学んでおいて損はないと思うけど。」
ラーキスは、首を振った。
「いや、里で使うのは簡単な物だけであるし、あとは腕輪で事足りる。そんな大層なことは学ばずでも良いのだ。オレは政府の仕事をするつもりもないし、里での生活を良くすることにしか興味はない。」
悪気はないのだが、ラーキスは思ったままはっきりと言った。咲希が美穂がどう反応するのか分からずおろおろとしていると、急に建物から克樹の声が飛んだ。
「ラーキス!咲希!パワーベルトの封印が揺らぎ始めているぞ!」
ラーキスと咲希は驚いて振り返ったが、目を合わせて頷き合い、そして建物の中へと走った。
美穂は、少し遅れてその後ろを無言で付いて行ったのだった。




