偏見
シュレーが克樹達と共に小屋へ戻って戸を開くと、そこにはアトラスが一人座っていた。克樹が回りを見て言う。
「あれ、咲希とリリアナは?」
アトラスは、特に表情も変えずに言った。
「また旅に出るかもしれないからと、リリアナが準備をしたいと隣の部屋へ。」
すると、リリアナがまた無表情に隣の部屋から出て来た。
「リリアナ?咲希は。」
克樹が言うと、リリアナは何でもないように答えた。
「疲れてるみたい。隣で休んでるわ。早く帰した方がいいんじゃない?」
シュレーは頷いた。
「そのつもりだ。来てすぐにいろいろな事が有りすぎたんだろう。こちらの世界に慣れる間もなくいきなり北へ旅に出たのだ。確かにあの力は惜しいが、ミガルグラントを倒したのを見たぐらいで具合が悪くなるようではこの先役にたちそうにない。」
すると克樹が、横から憤慨した表情で言った。
「なんだよ、役に立ちそうにないって!咲希だって、本当ならこんなことには関わりたくなかったんだぞ?あっちの世界はこっちとは全く違うんだ。父さんが言ってた。」
シュレーは、克樹を見て言った。
「知っている。だが、ラーキスの母のマイだっていきなりこちらの世界へ放り込まれて、それでも何とか踏ん張ったんだぞ。サキにはその精神的な強さがないんだろう。仕方がない。今のオレは、とにかく世界を平穏に保つ義務があるんだ。それに役に立つか立たないかが重要なのだ。」
ラーキスが口を挟んだ。
「役に立たないのなら、早く王立空間研究所へ連れて参ろう。意味もなくつらい思いをさせることは無かろう。それで、いつ発つのだ。」
シュレーは、ラーキスを見て言った。
「明日の夜明けには発とうと思っている。今日はもう日が暮れるし、夜は魔物も増える。いくらグーラでも、同じ飛ぶ魔物には手こずるだろう。」
ラーキスは、頷いた。
「確かに主らを乗せておる時に襲撃されては、思うように戦えぬな。」
克樹は、ごそごそとカバンを探った。
「じゃあ、遺跡のどこかで休むか?ここはオレ達全員が寝る場所なんてないだろう。寝袋があったはずだし。」
ショーンは、首を振った。
「この遺跡は古いんで、夜は魔物が出入りするぞ。この小屋にはオレが魔法で結界を張ってあるから、近寄らない。ここかオレの部屋の床にでも、寝袋に入って寝るといい。飯は昨日狩ったマイラがある。さっさと食って、明日の備えようや。」
食事の準備を始めたショーンに、ラーキスが歩み寄って言った。
「ここには、体を流す場所はあるか?」
ショーンは、手を止めずに目を丸くして振り返った。
「なんだって、風呂か?数日ぐらい入らなくても死なねぇだろうが。グーラはそこまで綺麗好きか?」
ラーキスは、首を振った。
「グーラは人と違って、普通なら風呂などに入らずとも体が汚れることはない。」
ショーンは、はいはいと呆れたように手元に視線を戻した。
「だったらいいだろうが。この季節、ここらじゃ水は貴重品だ。井戸も凍っちまっていちいち雪を溶かさなきゃならねぇからな。明日まで我慢しろ。」
ラーキスは、また首を振った。
「身に付いた血の臭いを消したいだけぞ。このままではサキは寒さよりこの臭いでまた具合が悪くなろう。ならば、オレはしばし外へ。己で雪を溶かして湯でも作る。」
ラーキスはそう言うと、そのまま外へと出て行った。アトラスが、その後姿を見送ってから言った。
「…サキのあれは、臭いだけではないように思うがな。我ら自体を恐れておるように見える。先ほどもこちらで座っておる時、ただ震えておっただろう。あれは脅えておる時の反応ぞ。」
克樹が驚いたような顔をしたが、リリアナが無表情に答えた。
「よく分かったわね。その通りよ。あの子はダメよ。仲間と敵の区別もつかないような子は、戦闘には向かないわ。ここで別れるのが、あの子のためよ。」
ショーンが、手を翳して炎の魔法でマイラの照り焼きを温めながら言った。
「リリアナがそう言うなら、そうだ。残念だな、あの力をもっと調べておきたかったのに。」
そうして、テーブルの上に綺麗に温まっていい匂いを放つマイラが並んだのだった。
「咲希?」
不意に戸が開いて、声を掛けられた咲希はビクッとした。リリアナの部屋の椅子に座って、やっと気持ちが落ち着いて来たところだったのだ。
「…克樹。」
咲希は、部屋へ入って来た克樹を見て呟くように言った。克樹は、笑って咲希の方へ歩み寄ると、同じようにそこの椅子へと座った。
「食事の準備が出来たんだ。食えるか?」
咲希は、首を振った。
「ううん…あの、なんだか気分が悪くて。」
克樹は、ため息をついた。
「食べといたほうがいい。明日は、夜明けにここを飛び立って、王立空間研究所へ行くんだ。グーラでも休み無く飛ばないと一日で着けない。歩くよりは数段楽だが、グーラの背に乗っているのも体力を使うものだからな。」
咲希は、王立空間研究所と聞いて、ぱあっと明るい表情になった。それは、ラーキスが送ってくれると言っていた、向こうの世界への入り口があるかもしれない場所…。
「帰れるの?」
克樹は、首をかしげた。
「わからないが、どうにかしてくれるだろう。時間が掛かっても、今の旅みたいに過酷なことはないよ。魔物は出ないし、近代的な建物だしね。」と、克樹は付け足した。「ラーキスが、咲希には無理だから送ってやろうと言ったんだ。」
咲希は、それを聞いて言葉を失った。ラーキス…ラーキスが気遣ってくれたのか。
克樹は、下を向いた咲希に、やはり咲希はグーラに対して抵抗があるのかと思い、息を付いた。
「すまないな、咲希。オレ、向こうの世界のことは父さんに聞いて知っているつもりだったが、やっぱりこっちで育ったから。それが咲希にとってどれほど異常なことで、精神的につらいかなんて分からなかったんだ。」咲希が、顔を上げた。克樹はその目を見つめて言った。「オレは、小さい頃からグーラ達と接して生きて来たんだ。ラーキスやアトラスの両親と、うちの親は友達だったから。ダッカにもよく行った…そこは、人型のグーラがたくさん居るんだ。あいつらとは一緒に遊んだし、ケンカもした。人型からグーラに変われるあいつらと、羨ましいと思ったことはあっても、グーラを怖いなんて思ったこともなかったんだ。グーラに対して偏見があると知ったのは、大きくなって来てからだった。咲希だけじゃない、こっちの世界の結構な数の人が、いまだにグーラの人型を怖がっている。だから、差別もあるんだ。リーディス陛下がそれを禁じていらっしゃるから、表立ってはあんまり出さないが、裏では良く聞くよ。人は、怖いと攻撃する。攻撃は最大の防御っていうだろ?だから、理解は出来る。」
咲希は、少しホッとして頷いた。しかし、克樹は険しい顔をして、続けた。
「でも、理解するのと許すのでは違うけどね。」
咲希は、その強い調子にまた下を向いた。克樹は、そこでまたふーっと息を付いた。
「アトラスもラーキスも、人が弱いことを知っているから、責めないんだ。だが、オレには分からない。ああしてその辺の人よりずっと思いやりがあって気遣ってくれるアトラスやラーキス達を、怖いからと偏見の目で見るってことが。人だからって、残虐な者も居る。それはよくて、気立ての良いグーラが悪いってのが分からない。人だってグーラだっていろいろ居るよ。種族で差別するのなんて、馬鹿げている。オレにはそれが許せないんだ。」と、こちらを見ない咲希をじっと見つめ続けた。「君が帰るのは、いいと思う。ここには向いてない。だけど、最後まであの二人を怖がったままで帰らないで欲しい。グーラとしてより、命としてみて欲しいんだ。君は、ラーキスに助けられたと聞いた。これまで彼を見て来て、それでも怖いなら仕方がない。だけど、せめてお礼は言って帰って欲しいな。」
克樹は、目を合わせない咲希にそう話し終えると、立ち上がった。そして、その部屋を出て行った。




