アラクリカ2
アトラスの持つランタンの光だけを見て、絶対に回りを見ないようにしながら、咲希と克樹は身を寄せ合って闇の中を進んでいた。
確かに、シャデルは墓の中に出ると言っていたが、出ていきなり遺体の部屋だとは思わなかったのだ。
アトラスは、一度ここへ一人で下見に来ていたのは間違いないようで、迷いもせずにすっすと先を歩いて行く。その背中を頼もしく思いながらも、自分達ヒトとの感覚の違いなのか全く回りに動じない様子に、咲希は引け目を感じていた。やはり、世の中を変えるような勇者って、みんなこんな感じでないといけないのだろうか。
そんなことを考えていると、アトラスは立ち止まった。目の前には、石の大きな両開きの扉があった。
「さあ、ここが出口ぞ。外は恐らく日も昇って明るい。ここは奥まっておって回りが木々に囲まれておったから、誰にも見咎められることはないと思うが、警戒するに越したことは無い。身を整えて、一気に出るぞ。」
咲希は、頷いて憔悴し切っている克樹を見た。
「さあ克樹、これで終わりよ。服を整えないと。土だらけになっちゃってるから。」
咲希は、そう言いながら、側に置かれたランタンの光を頼りに、自分の服についた土埃を叩いた。白い服だったが、生地が良いようで叩けば簡単に汚れは取れて行く。
ホッとしながらあっちこっちを叩いていると、克樹も辺りを警戒しながら、ビクビクと自分の服を確認していた。
アトラスが、ため息をついた。
「遺体があったのは、最初に穴から出た部屋だけであったろうが。あの部屋はの、昔王に仕えておった者達が、王のお供をすると願い出て、そして入った場所なのだ。皆覚悟の上で死んでいった者達ばかり。今さらに戻って来て生者を脅かしたりせぬよ。」
克樹は、もはや何も言わずに、頷いた。咲希は、興味を持ってアトラスを見た。
「まあ。そういう習慣って、やっぱりあるのね。私達の世界も、昔はそんなことがあったのだと聞いたことがあるわ。世界は違っても、考えることって同じなのね。」
アトラスは、頷いた。
「あの部屋の入口にあった石板にそのように刻まれておったのだ。あの当時の考えであれば、尊い志と申すのだろうの。オレにはあまり、理解出来ぬのだが。」
確かにグーラには無さそう。
咲希は思った。アトラスが、克樹の背後などを確認してやっている。そして、汚れも落ちたと見て、扉に手を掛けた。
「では、外へ。」細く扉を開く。アトラスは、その間から外を見て、そして扉を60センチほど開いた。「よし、今なら大丈夫だ。早う外へ。」
咲希は、頷いて克樹の手を取って外へと足早に出て行く。そして、誰も居らずシンとした朝の光の中へと出て、アトラスを振り返った。
アトラスは、後から出てその扉を閉じ、慎重に回りを見回した。
「…よし。オレの聴覚でもこの周辺には人は気取れぬゆえ。恐らく、早朝であるし誰も出て来ては居らぬだろう。とりあえず、こちらへ。この街の地理は、この前ラーキスと来たので頭に入っておる。」
克樹も、青い顔をしながらも歯を食いしばって頷いた。咲希はそんな克樹が気になったが、アトラスについて朝の清々しい空気の中、その石畳に覆われた街、アラクリカの中へと足を踏み出した。
本当に誰も歩いていない。
しかし、美しい人工の街だった。
全てが自然ではなく、人の手が作り上げたものだ。
石を積み上げ、細かい彫り物で装飾された大きな建物が、そこかしこに建造されてある。
石の色はまちまちで、白いものあれば、茶色、青銅色、赤、黒の多種多様だった。そう、まるで競うように、あっちこっちにそんな建物が建っているのだ。
アトラスが、指さした。
「これは全て、神殿なのだ。アンネリーゼを祀るためのもの。夜が明ける頃に起き出して、神殿の中で祈りを捧げるのが日課らしい。なので、今は神殿に籠っておるものがほとんどであろうの。」
咲希は、アトラスに聞いた。
「観光客とかはいないの?」
アトラスは、頷いた。
「居る。ここにはこの美しい装飾などを見るために、多くの観光客が訪れる。だがこの時間に出て来るものは居らぬな。居ったとしたら、礼拝に出ておるだろうし、皆神殿の中であろう。」
言ってから、アトラスは少し表情を止めた。だが、すぐに戻した。
「…人が来る。今更隠れては余計に怪しまれるゆえ、このまま歩くが、話す必要があったら、主らオレに合わせて話すのだぞ。その他は黙っておったら良い。」
咲希は、ゴクリと唾を飲み込んで、頷いた。克樹の顔色が心配だったが、そんなことも言っていられない。
すると、前から三人の兵士らしき男達が歩いて来るのが目に留まった。一人は、しかし長いローブのようなものを着ている…修道士なのか。でも、じゃあ朝の礼拝は?
咲希が頭の中でそんなことを考えていると、長いローブの相手はこちらへと真っ直ぐに歩いて来て、足を止めた。
「このような時間に、何をしている。まだ開門の時間ではないゆえ、今着いたばかりではないであろう。」
アトラスは、顔色一つ変えずに言った。
「昨日夕方に着いたのですが、あいにくここは初めての場所で、宿を取ることが出来ず。あちらの木々の辺りで野宿をしたので、連れが具合を悪くしておって。どうにかこの時間でも開いておる店は無いかと、こうして歩いておった次第です。」
相手の男は、じっと克樹を見た。確かに顔色は悪いので、アトラスが言うことは間違っているようには見えない。
「学者が野宿など、慣れぬことをするからよ。」と、踵を返した。「来るが良い。我が神殿に部屋が空いておった。そこで休めば良かろう。」
服装から、学者と判断されたのか。
アトラスは、やはり服を変えて来て良かったと思いながら頭を下げた。
「感謝致します。」と、克樹を見た。「さ、参ろうか。」
克樹は頷いて、その男に従って歩き出す。二人の兵士が、男を呼び止めた。
「ニクラス様、では我らは先にマティ神殿へ。」
ニクラスは、頷いた。
「もう何人か応援を呼ぶが良い。オレは神殿に居る。」
二人の兵士は、頭を下げてそこを立ち去って行った。ニクラスと呼ばれた男は、アトラスに言った。
「今はいろいろ厄介なことが多くてな。では、こちらへ。」
三人は、そのままニクラスという男について、街を歩いて行った。
しばらく歩くと、あちこちに傷がある白い石で建てられた神殿の前へと到着した。
入口の門の所には、「ダルベルト神殿」と書かれてある。
ここは歩いて来ながら見て来たどの神殿よりも大きく、立派な建物であったが、それでもあちこちに残る焦げ跡や刀が当たった後のような痕跡は、痛々しかった。
他の神殿の前には居なかった兵士達が、ここにはたくさん駐屯していた。神殿の敷地内の草地の所に、たくさんの天幕が建てられていたので、広いここを拠点にしているらしいことは、咲希にも分かった。
中へ入ると、怯えたような風情の修道士が、ニクラスと同じようなローブを着て出て来て、部屋へと案内してくれた。その間ニクラスはいなかったが、咲希がさりげなく庭の兵士のことなどについて話を振ってみても、その男は一切何も言わなかった。
明らかにおかしい反応ではあったが、今はそんなことを調べに来たのではない。訪神見聞録を探すのが、第一なのだ。あと、他にも何か変わった古代の本などがあれば…。
その男が出て行き、足音が遠ざかってから、アトラスが窓から外の兵士達を眺めながら、言った。
「恐らくはバークが来てアルトライを修道士達から無理に略奪して行ったのであろうの。他の神殿が何も無かったのを見ると、この一番大きな神殿にアルトライがあることを、バークは知っていたということだろう。それしか、考えられぬ。」
克樹が、側の椅子に座って幾分良くなった顔色で言った。
「じゃあ、ここがアラクリカの中心地ってことか?」
アトラスは、頷いた。
「この間ラーキスとここへ来た時も、案内してくれた女は真っ先にここのことを話しておった。観光客の目当ては大概がここで、ここから他の神殿へと回って行くのだそうだ。なんでも一番古くからある神殿で、ここを始めに他の神殿は建っていったのだと聞いておる。図書館のことに関しても、王立の物が街中に一つあるが、宗教関係ならここが一番蔵書が多いと言うておったな。前は地質を調べておったから、街中の図書館に行ったのであるが。」
咲希は、身を乗り出した。
「じゃあ、あるとしたらここの図書室よね。ちょうど良かったかもしれないわ。」
アトラスは、窓の外から咲希へと視線を移した。
「これ見よがしに禁書が置いてあるとは思えぬぞ。兵士がこれだけ多いのだから、隙をついて探すの難しかろう。あの、地位がありそうなニクラスという修道士。あれに…」
アトラスは、そこまで言って、不意に戸を見て黙った。咲希と克樹は、つられて扉を見る。
しかし、扉は音を立てず、咲希と克樹が困惑して顔を見合わせた時、やっとコンコンとノックの音がした。
「はい。」
咲希が、慌てて応える。扉の向こうからは、先ほど聞いた男声が聴こえて来た。
「ニクラスだ。入っても良いだろうか。」
アトラスの方を見ると、軽く頷く。咲希は、頷いて言った。
「どうぞ。」
扉が開いて、先ほど見た背の高い金髪の男が入って来た。こうして見ると、ここに世話に来ていた修道士より、格段に品があって威厳を感じる。だが、まだ相当に若そうだった。
アトラスは、足音をかなり手前から聞き取っていたから、黙ったんだわ。
咲希は、そう思ってニクラスが入って来るのを見守った。ニクラスは、言った。
「具合はどうだ?」
克樹は、自分に聞かれたのだと知って、慌てて答えた。
「お陰様で、だいぶ良くなりました。ありがとうございます。」
ニクラスは頷いて、アトラスを見た。
「して?主らは何を学びに来たのだ。ここへ来る学者というと、地質学者か宗教学者ぐらいのものだが。」
アトラスは、すんなりと口を開いた。
「はい。我らは女神信仰の歴史について調べております。首都にて学んでおったのですが、あちらでは出来ることも限られており…それに、何やら首都は落ち着かぬ風で、研究どころではなく、かねてより来たいと思うておったこちらへ。」
ニクラスは、片眉を上げた。そして、側の椅子へと座った。
「…まあ、確かに今の国の情勢では、学ぶどころではないな。だが学者の興味は尽きぬと見える。宗教学者にとっては、この街は夢のような場所であろう。それで、これからどうするつもりか。この街の宿は観光客向けで数日の滞在用なので、価格が高い。学者なら、どこかの神殿に間借りしてということになろうが、主ら、そんなあてもなくここへ来たということか?」
アトラスは、それには顔を曇らせて、言った。
「はい。何しろ、そのような余裕はありませんでした。首都からは出ることを禁じられようとしておって…時が無く、助手二人を連れて出るのに、精一杯で。」
克樹と咲希は、心の中で驚いた。自分達は、助手か。確かにその方がしっくり来るし、何か失敗してもそれで辻褄を合わせてしまえるかもしれない。
「ふむ。」エクラスは、考え込むように自分の顎に触れた。「…ここは最古の神殿と名高いダルベルトであるから、本来ならば王の紹介状も無い者など滞在させぬのだが…しかし、今の状態ではそれを求めるのは酷というものだろう。事情を酌んで、私の権限でこの部屋を許そう。」
咲希と克樹は、パアッと明るい顔をした。そして、示し合わせたわけでもないのに、一斉に頭を下げて言った。
「ありがとうございます!」
アトラスも、それには驚いたようだったが、ニクラスも驚いたようだ。しかし、苦笑して頷いた。
「まあ、まだ子供であるようだし。連れて来た手前、そちらも責任を感じておろう。で、名前を聞いて良いか。」
教授のアトラスが、学生の二人を連れて出て来たとでも思っているらしい。
アトラスは、慌てて頭を下げた。
「これは失礼を。私はアトラス、そして、こちらがカミル、そちらがナディア。」
二人は内心仰天していたが、確かに二人の名前は特徴的で、この大陸では珍しい。なので、そのまま名乗ることにした。
「カミルです。よろしくお願いします。」
克樹が言う。咲希も頭を下げた。
「ナディアです。お世話をお掛けします。」
子供と思われているのはシャクだったが、確かに同い年にしてはアトラスが格段に落ち着いた風貌なのは、前から知っていたことなので、二人はそれを表に出さずに機嫌良く微笑んだ。ニクラスは、そこにまた子供っぽさを感じたらしく、自分も恐らくは二十代前半ぐらいだろうに、苦笑して言った。
「ここまで不安であったろうしの。まあ、本日はゆっくりするといい。食事も皆と同じものを用意させるので、それを食べれば良い。」
アトラスが、出て行こうとするエクラスに言った。
「もうカミルの具合も良くなったので、早速にこの神殿の中などを、見て回りたいと思うておるのですが、それは許可頂けるのでしょうか。」
ニクラスは振り返って、少し険しい顔をした。
「…今は非常時。どこでも見て回って良いとは言えぬな。」
咲希が、悲し気に言った。
「まあ…じゃあ、せめて書庫ですとか。」
ニクラスは、少し考えて、咲希を見た。
「…いいだろう。書庫で書見ならいくらでもすれば良い。神殿の中は、私の時が空いたら案内しよう。」
咲希は、満面の笑みで嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます。」
ニクラスは、それを見て少し驚いたような顔をしたが、呆れたように笑って、そして、出て行った。
何かおかしかったかしら…。
咲希は、黙ってた方が良かったのだろうか、としばし悩んだのだった。




