やれば出来る子
ラーキスとアーティアス、クラウスは、その大きな盆地の壮大な風景に絶句して見入っていた。
回りを山々に囲まれ、命の気が満ちているのを証明するかのように木々が美しく生い茂り、花々が季節を関係なく咲き乱れていた。
サラデーナの別の街にあるように、石畳に舗装してはおらず、自然のそのままの大地には、綺麗に刈り込まれた芝のような草がまるで絨毯のようにどこまでも伸びていた。
入ってすぐにある湖を右手に見ながら、そこだけ草も生えておらず土になっている道であろう場所を歩いて、向こうに見えている街らしき方向へと足を進めていた。
「入ってすぐにあるこれは、街の生活用水に使われている湖、ルー湖。その隣りに、直見えて来るであろうが、メニッツ最大の湖、懺悔の泉がある。」
アーティアスが、ギードを振り返った。
「懺悔の泉?それがその湖の名か。」
ギードは、頷いた。
「別名吸収の湖と言われておっての。ここには五つの湖があるが、このルー湖、スー湖、プルン湖、サリーシ湖の四つは生活用水などに使えるのだが、最大の湖である懺悔の泉だけは、その水に手を漬けることも出来ぬのだ。激しい気の流れに取り込まれ、湖の底へと引き込まれる。何がどうなっておるのか未だ解明されておらぬが、ここだけは命の気を放つのではなく、吸収しておるのだ。それがどこへ向かっておるのか、誰も知らぬ。誰が名付けたのか、古代から懺悔の泉と呼ばれておって、これを研究しておる者以外は近づかぬ。」
ラーキスが、じっと考えるような顔をした。
「…シャデルが言うておった。確か、五大湖の一番大きなものに、アンネリーゼが飛び込んだのだと。そこからキジン湖の夫の元へと、命の気を流しているのだとあの本に書いてあったとな。」
アーティアスは、険しい顔で頷いた。その時のことを思い出したらしい。
「まあそれだけなら、ここの状態を見て誰かが作り話をしたのだと考えてもおかしくはないしな。我らが知りたいのは、本当に起こった、偽りのない事実ぞ。そして未だ残る術が、いったいどうやったら解けるのかということだ。」
ギードは、頷いた。
「街を抜け、懺悔の泉の畔にある研究施設へ向かおうぞ。この懺悔の泉の力を何かに利用出来ぬかと、シャデル王が研究させておったのだ。」
三人は頷き、ギードに言われるままに、メニッツ盆地の中の一番大きな町、メニッツへと足を踏み入れた。
街は、穏やかな時間が流れる癒しの街だった。
木造や石造りの建物が並び、その中でも背の高い建物は見当たらない。
市場のような場所もなく、商店も無いようだ。どうやって生活しているのか、分からないような場所だった。
ギードが言った。
「ここは観光地ではないからの。外からの客など滅多にない。ここに住むのは、命の気を調査する者達とその家族、そしてもともとここに住む女神信仰の修道士や修道女。国が面倒を見ているので、食物や衣服なども全て配給ぞ。我ら国に仕えておる軍人や政務官などは、ここへ来たらどこか空き家に泊まることになるのだ。もちろん、食物は配給。ここは、国にとっても特別な地なのだ。」
だから、商店がないのか。
ラーキスは、じっと回りを観察した。人が少ないが、たまにすれ違う人を見ても、変な欲など感じない。穏やかで悟り切ったような、そんな気配を感じた。
ここまで徹底した土地であるとは、思わなかった。
アーティアスも、それを聞きながら街を見て思っていた。これほどに美しい土地は、恐らくこの大陸のどこにもないだろう。それなのに、一般の民は入ることが出来ず、この美しい風景も、保たれている芝の青さも、目にすることが出来ないのだ。
街のメイン・ストリートらしき道をずっと抜けて行くと、海ではないかと思えるほどの、大きな湖が見えて来た。街は、そこで終わっている。ここから先は、また緑と花々のオンパレードだった。
「これ見よがしに大きな湖、これが懺悔の泉。」ギードが、そう説明して、その脇に見える建物を指した。「あれが、これを研究するために王が建てさせた施設ぞ。オレが紹介しよう。専門家ばかりであるが、主ら少しは話が出来るか。」
ラーキスが、顔をしかめた。
「オレは専攻しておったのは栄養学であったしな。卒業までに時があったので気学も学んだが、こちらの学者と話が出来るものかどうか。」
クラウスが、ラーキスを見た。
「命の気なのだから同じではないのか。オレは任務の傍らキジン湖の命の気の流れのことを知りたいと思い、そちらを学んでおった。なので、少しは話が合わせられるかと思う。」
アーティアスが、恨めし気にクラウスを見た。
「寝る間も惜しんで学んでおった時のことか。酒に誘っても来なんだ時であるな。」
クラウスは、神妙に頭を下げた。
「は…あの折は失礼を。」
ギードが、立ち止まってアーティアスを見た。
「そうやって遊び回っておって、何も学んでおらぬとか言うまいの。主だけ学者のフリが出来ぬのか。」
アーティアスは、じっとギードを睨んだ。
「悪いが我は、確かに何も学んでおらぬわ。後悔しておる。」
怒り出すのかと思ったが、アーティアスはそう言った。クラウスとラーキスは、顔を見合わせた。
ギードは、ふっと息をついた。
「素直で良い。では…どうしたものか。学者でなければ、ここへ入って来るのは難しいしの。まして王が認めるほどの学者ということになっておるし。」
アーティアスは、視線を横へ向けた。
「うーんそうであるな。では、歴史学者でどうよ?」
また詳しい知識が必要なものを。
クラウスとラーキスは思ったが、ギードも思ったらしく、顔をしかめた。
「歴史を知っておるのか、主は。あれこそ学んでおらねば分からぬことぞ。」
アーティアスは、頷いた。
「簡単ぞ。王座に就いて歴史について書かれた本は全て読んだ。敵地のことも知らねばならぬゆえ、こちらの本も読んでおる。」
ギードは、眉を寄せた。
「読んだだけではならぬだろう。」
アーティアスは、同じように眉を寄せた。
「なぜに?さらっと読んだのでなく気を入れて読んだのだぞ?」
ギードは、辛抱強く言った。
「学者は詳しく聞いて来るぞ。例えば主、『サラデーナの内戦』の、三巻の三章で云々とか言われて、答えられるのか。」
アーティアスは、頷いた。
「キリク236年、デシアの王ラクシとダーパの王メルが和平調停の最中に開戦、北のルースの山岳民族の王ライリーの参戦でサラデーナ第三次大戦が始まった。その際参戦した国は8つ。ここより100年の間、内線が続くことになる。後に…、」
アーティアスの視線は、何かを読んでいるように空中に固定されていた。ギードが、呆気に取られている。クラウスが、慌てて言った。
「そこまででよろしゅうございます、王よ。」と、まだ呆然としているギードとラーキスに説明した。「王が気を入れて読んだとおっしゃった時には、全て暗記していらっしゃいまする。本のどの箇所を取っても、王は暗唱なさることが出来申す。ただ一度、読んだだけで。」
ギードが、口を開けたままでアーティアスを見ている。ラーキスは、思っていた。学友と遊んでばかりで一向に学ぼうとしない妹のマナに、父が無駄な時を過ごすなら学校など行く必要はないと言い、母はそれを受けて嘆きながら『あなたはやれば出来る子なのに』と言っていたっけ…。一念発起した妹が、万年欠点からいきなり主席に躍り出たのは、その後のことだった。そうか、あれか。
「そうか、アーティアスはやれば出来る子なのだな。」
クラウスが、また神妙な顔をした。
「そうなのだ。我らが共に在学していた時は、負けん気の強いかたなので我ら全く敵わずでの。だがその他のことと言えば、競う必要がないと、あまり…。」
クラウスは、言葉尻を濁した。ギードが、いくらか立ち直って言った。
「なんともったいない。それほどの知能を持ちながら、使わずにおるとは。とにかくは、主は歴史学者ということにしようぞ。さ、ではここよりはオレのことは上官と。口の利き方に気をつけよ。」
途端にあまり口調に自信のないアーティアスは黙り、ラーキスは口を閉じた。クラウスはまた自分に全てを押し付けられたような気になりながら、ギードについて研究所へと足を踏み入れたのだった。




