目的
今までよりも長く、大きな通路を奥へと、それぞれの腕輪が発する明るい光を頼りに歩いて行くと、先に明るく光る膜のようなものが見えて来た。先頭を歩いていたシュレーが、それを見て足を速めると、近付いてじっと見つめた。
それは、白い光りで出来た壁だった。向こう側が透けて見えているが、同じ通路でしかないようだ。その先は、暗くて全く見えなかった。
手を上げて、そっと触れてみると、やはりやんわりと押し返されるような感覚があって、破れそうになかった。弾力があって、まるでゴムような触覚だった。
「一見、弱そうなんだけどね。」克樹が、シュレーに並んで言った。「どんな魔法技にも、どんなナイフや剣でも、これは破れない。この先、一キロもない場所の上に、パワーベルトがあることだけは分かっているんだけど。」
シュレーは頷いて、ふと足元を見た。床石の一枚には、何やら書いてあるように見えるが、それは光の障壁の向こう側へと続いていて、はっきりと読み取ることが出来ない。シュレーは、屈んでそれに触れた。
「これは?」
克樹は、頷いた。
「古代語なんだ。どうやら、決まった者にだけ、何かの権利が云々と書かれてあるようなんだが、残りが向こう側なんで、全て読めなくてね。」
すると、ラーキスが進み出て来て、怪訝な顔をした。
「何が読めないと?」と、その床を見て、言った。「古代語には詳しくないが、オレには見えるが。」
シュレーも克樹も、ショーンも驚いたようにラーキスを見た。
「え、見える?!どこまで?!」
ラーキスは、まだ怪訝そうに眉を寄せて言った。
「どこまでとて、あちら側まで。」ラーキスは、答えた。「確かに光ってはおるが、見えぬことはない。」
克樹は、慌てて腕輪を開いて、そこにある画面を差し出した。
「ここに、その見えてる文章を全部書いてくれないか。」
ラーキスは、困ったように克樹を見た。
「古代語は学んだことがないゆえな。見たまま書くが、それでも良いか。」
克樹は、ぶんぶんと頷いた。
「ああ!オレ達には、全く見えないんだよ。」
ラーキスは、何度も床石を見ながら、一字一字古代の文字を書いて行った。克樹は、それを見ながら固唾を飲んだ…これで、今まで分からなかったこの石の文字の全貌が明らかになるんだ。
ショーンも、脇からそれを覗き込もうとしていたが、ラーキスの体が大きいので見えないようで、小さくチッと舌打ちをした。
ラーキスは慎重に書き写した後、フッと息を付いた。
「これで全部ぞ。で、読めるのか、克樹。」
克樹は、その文章を表示しながら、首をかしげた。
「古代語でも、これは更に古いものだからなあ。帰ってコンピュータに解読してもらわないと。でも、どうしてラーキスにはこれが見えたんだ?」
ラーキスは、シュレーを見た。
「グーラだからではないか?」
しかし、シュレーは首を振った。
「いや、恐らくラーキスだからだろう。」ラーキスがまた眉を寄せたので、シュレーは続けた。「お前の母の舞は、巫女だからな。そして、父のマーキスは巫女とグーラの混血。ラーキスには、巫女の血が強く出ていてもおかしくはない。」
ショーンは、シュレーを見た。
「つまり、これは巫女の力と同じようなもので出来ているというのか?」
シュレーは、それには頷かなかった。
「あくまで推測だ。しかし、可能性はある。パワーベルトのことを調べるためには、この先へ行くのが手っ取り早いことが分かったが、しかし行けない。この床石に書かれたことがヒントで、それを巫女の血筋の者が読むことが出来たとしたら、この先へ行く権利のあるのは巫女の血筋ということになるかもしれないな。今はとにかく、一刻も早くそれを解読して、パワーベルトへ向かおう。それが、一番早いだろう。」
克樹は、頷いた。
「じゃあ、大学へこれを送って、解読してもらえるようにするよ。時間は掛かるかもしれないが、急いで送り返してくれるだろう。」
「オレにも見せてくれ。」ショーンが、克樹の腕輪の覗き込んだ。「古代語だろ?少しは分かるんだ。」
だが、克樹は苦笑しながら送信ボタンを押したところだった。
「オレだって大学で専攻してたぐらいだったのに、こんな古いのは読めないんだ。待ってれば向こうで資料を調べて解読してくれるよ。」
克樹が腕輪を使ってそれを大学へと送る間、じっと黙っていたラーキスだったが、不意に顔を上げて、シュレーを見た。
「シュレー、ならばもう、サキは関係あるまい。オレが居れば良いのであるから。時間があるならサキを、空間研究所へ送ってやりたいのだ。あれは、こちらの世界に慣れず、かなり精神的に疲れておる。このままでは、病んでしまうだろう。ここへ置くべきではない。」
すると、意外にもショーンが頷いて同意した。
「そうだ。シュレー、サキを空間研究所へ連れて行こう。そこで、この膜の性質も、きっとあっちの研究者から聞けるはずだ。確かにこの膜が巫女の力で破れるとも限らないんだから、こっちは解読の間、他の方法も探って置いた方がいい。」
シュレーは考え込むような顔をしながら、克樹を見た。
「克樹、解読にはどれぐらい掛かる?」
克樹は、首をかしげた。
「あれぐらいなら、4、5日あれば…。」
シュレーは、頷いた。
「分かった。ここから、グーラに乗って王立空間研究所まで行くことが出来れば、丸一日でたどり着けるだろう。ただ、休みなく飛ぶ必要があるし、乗ってる方もかなり大変だがな。どうする?」
ラーキスが、間髪居れずに頷いた。
「行く。海側から行けば、そう気温も低くないだろう。」
克樹も、苦笑しながら頷いた。
「大変だぞ。咲希が耐えられるか心配だが。」
ラーキスは歩いて引き返しながら言った。
「元の世界へ戻れるのだ。サキも最後に頑張るだろうぞ。」
そうして、四人は咲希とリリアナ、アトラスが待つあの部屋へと引き返して行ったのだった。
咲希は、リリアナと二人で並んで、じっと座っていた。
アトラスが目の前の椅子に座っているが、どうしてもまともに顔を見ることが出来ない。咲希の脳裏には、アトラスとラーキスが瞬く間にグーラとなり、あの大きなミガルグラント相手に驚く速さで勝利を収めた姿が何度も流れては消えていた。こうして、穏やかに座っているアトラスは、あのグーラと同じ存在なのだ。
そう思うと、体が自然と震えて来た。すっぽりと覆う毛皮のコートのお蔭でそれが表に見えることはなかったが、咲希はそれをアトラスに気取られるのではないかと案じて、必死に隠していた。
永遠にも思える長さの沈黙の後、リリアナが咲希をじっと見上げていたかと思うと、不意に椅子から降りた。
「…また旅に出るかもしれないから、準備をしたいわ。私の部屋へ来てくれる?手伝って欲しいの。」
相変らず無表情にそう言うリリアナに、咲希はここから離れられるならと、急いで立ち上がった。
「ええ、手伝うわ。」
そう言うと、アトラスの視線を感じながらもリリアナに付いて、そこを出て行った。
隣りの部屋は、綺麗に掃除された、ここが遺跡の中の仮小屋だなどと思えないほど綺麗な、普通の女性の部屋だった。リリアナがいつも持っている大きなクマのヌイグルミから、ここにもたくさんそんな人形があるんだろうなと思っていた咲希だったが、ここには全くそんなものはなかった。とても簡素でありながら、しかし女性らしく花なども飾ってあって、とても子供が好むような部屋ではない。それでも、ベッドだけはリリアナのサイズに合わせてあるのかとても高さが低いものだった。
リリアナは、咲希の顔色を見て言った。
「なに?子供らしくないって思ってるんでしょう。」
咲希は、ハッとしてぶんぶんと首を振った。
「いいえ!あの…とても落ち着いた部屋ね。」
リリアナは、無表情に頷いた。
「ええ。」と、ぽんとベッドの上に腰掛けると、いきなり言った。「あなた、グーラが怖いの?」
咲希は、突然のことに、呆然とリリアナを見た。
「え…あの、どうして?」
リリアナは、じっと咲希から視線を外さずに言った。
「だって、ここへ来てからラーキスとアトラスと目を合わせないじゃない。さっきだって、アトラスを見ないようにしながら震えていたでしょう。ルクシエムで別れる前は、そんなことはなかったのに。」
咲希は、あまりにもはっきりと言われてうろたえた。責められているような気がした…ラーキスと、アトラスは自分達に協力してくれているのに、と。
「べ、別に…違うの。ここへ来る前、ミガルグラントに会って。ラーキスとアトラスがすぐに倒してくれたわ。だから、すごいなあって…。」
咲希は、言葉を詰まらせた。リリアナは、それを見てフッと息を付いた。
「ああそう…それでなのね。その姿を見て、ビビっちゃったわけね。助けてくれたのに、信じてないのね。」
咲希は、首を振った。
「違うわ!あの、ミガルグラントの血の臭いが凄くて、それで具合が悪くなってしまって…。」
咲希は、言い訳のようにそう言ったが、分かっていた。確かにリリアナは的を射ていたからだ。リリアナは、構わずに続けた。
「じゃああなた、その血の臭いがグーラのものだったら良かったのかしら?自分の血の臭いだったら?どちらにしろ、ミガルグラント相手に怪我だけで済むのはラッキーだわ。ほとんどが食われるか共倒れだから。グーラは大しておいしくもないミガルグラントを、狩るのは少ないのだと聞いたわよ。大抵は何かを助けるためとか鬱陶しいからとかの理由で狩るらしいわ。あの二人は、あなた達を助けるためにミガルグラントを狩って、そのせいであなたから怖がられてるってわけね。ふーん、あなたって思っていたより自分勝手なお嬢様なのね。助けてくれる時はいいけど、怖いから近寄らないでって思ってるんでしょう。」
咲希は、ずけずけと言われることに、腹が立つやら恥ずかしいやらで顔を真っ赤にした。
「だって…この世界に来たのも、ほんの数日前なのよ!私は帰りたいわ!魔物とか、無理なんだもの!」
そう言ってから、咲希は力が抜けてへなへなとその場にへたり込んだ。何でもないふりをしようと気を張っていたのが、そこで切れたようだった。
リリアナが、寄って来て咲希の顔を覗き込んだ。
「ま、いいんじゃない?」と、姿勢を正した。「あなたには関係ないことなんだろうし。望めばもう帰れるわよ。こっちは私達がどうにかするし、さっさと帰ったら?面倒なのよね、あなたみたいなのが一緒に旅したりとか。命のやり取りなんて普段からしょっちゅうやってるのに、目の前で起こったら無理なんて信じられないわ。ローストルクルクをぱくぱく食べてたくせに。私、あなたみたいなタイプ、嫌い。」
リリアナは、そう言い放つと、旅の準備など何もせずに元居た部屋へと出て行った。最初から、話をするためにこちらへ来たのが、それで咲希には分かった。
しかし、取り残された咲希は、ただただ今リリアナに言われたことが心に突き刺さっていた…自分勝手…でも、あちらの世界では、みんなこんな風なのに。自分だけが勝手なんじゃないのに。どうしてあそこまで言われなきゃならないの。こちらへ来てからいろいろなことがあったけど、それでも何とか我慢して付き合って来た。好きでこんな所へ来たんじゃないのに…!




