始まりの町
始めに、ディンダシェリアの大まかな地図を前回に引き続き載せました。ラピンは、メク山脈の麓の村ですが、この地図には表記がありません。パワーベルとは、地図の上、海の切れている辺りにあります。このお話しの中に、地名がたくさん出て来ますので、前半はこの地図を参照してください。
世界は、穏やかな時の流れの中にあった。
ほんのニ十年前まで、ここは世界が二分され、気の流れが乱れ、魔物を退治することすら気の流れ任せの世の中だったと聞いている。
それが、十数年前に一つのパーティが世界を正す旅に出て、犠牲を出しながらも落ち着いた流れを作ったのだと本で読んだ。それが本当のことなのだと、当事者に近かった者達の間では話されていたが、一般的には誰も実際に見たわけではなく、信じている者は少なかった。
まるで天候のように気の流れも、良くなったり悪くなったりだったのが、ある日良くなった、程度の感覚でしかなかったのだ。
ライアディータという国の北の端、メク山脈の麓にあるラピンという小さな村で、深い青色の髪に金色の瞳の、アトラスは息をついて本を閉じた。その背にには、『メイン・ストーリー・オブ・ディンダシェリア』と書かれてある。何度も読んだ…父と母から、歴史の本は読んでおいた方が良いと進められ、幼い頃から夢中になって読んだ本だ。今は妹のアテナも読んで、もう表紙もかなり擦れて古い本のようになってしまっている。しかし、実際は十数年前の旅が終わった後に書かれた物らしかった。しかし、作者の欄には、皆匿名で記されている…皆、その旅に関わった者達らしかった。
しかし、首都の方の学校でも学んで来たアトラスには、それが世間では歴史ではなく、おとぎ話のように思われているのを知っていた。誰も、たった一つのパーティが、それを成し遂げたとは信じられないのだ。
「お兄様。」聞き慣れた声がアトラスを呼んだ。「お母様とお父様が、本日は何やら西の方の雲行きが怪しいので、一度谷へ戻るようにとのことですわ。じいやが知らせて参りましたの。」
そこには、薄い緑の髪に、澄んだ緑の瞳の妹、アテナが立っていた。アトラスは、驚いて立ち上がった。
「雲行き?」
アトラスは、慌てて窓から外を見た。見上げる空は、確かに西の方角がまるで歪んででも居るように、雲が変な形に渦を巻くような状態になっている。アトラスは、外へと飛び出した。
すると、まるで空全体が何かに切り裂かれるかのように、きしんで音を立てているように見えた。アトラスの聴覚は、それが普通ではないと聞き取り、体中の毛が逆立った。
「お前は先に谷へ。オレはあれを調べて参る。」
アテナは、口を手で押さえた。
「そのような!危険だとおっしゃっておるのですわ!今は、共に参ってくださいませ!」
アトラスは、そんなことは聞かずに、見る見る黒い、金色の瞳の大きな翼竜の姿に変化すると言った。
《戻っておれ!オレは大丈夫だ!》
「お兄様!」
アテナが止めるのも聞かず、アトラスは飛び上がった。これは、同じ西とは言ってももっと先、海の方だ。首都にも影響があるかもしれない。そこに居る、友はどうなった。あれは、首都には何か影響を及ぼしているのではないか…!
アトラスは、ただ首都を目指して飛んだのだった。
「何事ぞ!報告はまだか!シュレー!」
王城では、もう数時間前から、海の方角の空から無数の稲妻が海へ向かって走り、収まる様子がないのが遠く見えていた。王であるリーディスは、それを見て叫んだ。
すると、すぐに王の間の戸が開き、一人の金髪の騎士が歩いて来た。甲冑姿で、歳の頃は40代ぐらいの、目の鋭い男だった。
「陛下、ご報告に参りました。」
リーディスは、イライラと言った。
「遅いぞ、シュレー!常の迅速さはどうした!あれは何ぞ、民間の船は非難させたのか!」
シュレーは、下げていた頭を上げた。
「申し訳ありません。その避難誘導に手間が掛かり、ご報告が今に。民間の船は、既に皆避難させております。今海上に居るのは、軍の船のみ。」
リーディスは、ホッとしたように肩で息をつき、やっと王座へと座った。
「そうか。ラクルスに被害はないか。」
ラクルスは、港町だ。シュレーは、頷いた。
「今のところは。ですが陛下、全く原因が分かりません。場所は、海に大きくある力場、パワーベルトの辺り。まるで、パワーベルト自体が何らかの力を放出しているようです。」
リーディスは、眉をひそめた。
「パワーベルトが?しかしあれは、近付くと一瞬にして姿が掻き消えてしまうゆえに今まで誰も近付かなかった場所。」
シュレーは、頷いて視線を落とした。海と陸地に南北に走るこのパワーベルトのせいで、今まで何人の探検家や民間の商船が行方不明になったことだろう。あちら側を見てみたい、という純粋な好奇心から己で向かう者、あちら側にも何かあるのなら、そちらで一攫千金を夢見ようと出て行くもの、いろいろ居た。それが、なぜ存在してあちら側には何があるのか、皆が研究したり憶測を述べたりしているが、真実は誰にも分からなかった。それが、今どうしてあんなことになっているのか。
近付くことも出来ずに来たので、誰にもそれは分からなかった。シュレーは、リーディスを見た。
「とにかくは、動向を見守る他に方法はございません。探ろうにも、パワーベルトに近付く術がないのです。せめて稲妻が収まらぬことには、近付くことも出来ません。」
リーディスは、息を付いて頷くと、立ち上がって背後の大きな窓から海の方角を見た。まだ、遠い空はチカチカと稲妻の光で光っている。
「何か起こっているのか…。また、民の暮らしに影響を与えるようなことで無ければ良いが。」
シュレーは、頭を下げた。
「私は、もう一度あちらへ戻ります。陛下、部下に報告に来させますので、それをお待ちください。」
シュレーはそう言い置くと、王の間を出て急いで王城を後にしたのだった。
早足で外へ出ると、王城前の噴水広場を抜けて、エアカーを停めてある場所へと急いだ。このエアカーは、隣国のリーマサンデと共同で最近開発された、自分の気を送り込んで走るもので、今まで徒歩や鉄道に頼っていた陸上の動きが格段に速く楽になるものだった。まだ、数台しかないうちの一つだ。
それでも、グーラという翼竜で飛ぶのに比べれば幾らか時間も体の中の命の気も取るので、シュレーはあまり使っては来なかった。
ふと、何かが舞い降りて来るのを感じて空を見上げると、一頭のグーラが首都大学の方へと降りて行くのが見えた。見慣れた色のグーラのように見えた。
「まさか…キール?」
シュレーは、大学の方へと急いで走った。
アトラスは、首都ベルク大学の構内、中庭へと降り立つと、急いで人型に戻り、大学寮の方へと急いだ。辺りはもう暗くなっていて、この時間、皆寮へと戻っているはずだからだ。
すると、後ろから声がした。
「アトラス!」
アトラスは、振り返った。すると、明るい茶色の髪にグリーンの瞳の、幼馴染の克樹が走って来るのが見えた。
「克樹!良かった、西の空がおかしなことになっているのが見えて、急いで来たのだ。」
克樹は、アトラスに歩み寄って息をついた。
「ラピンからも見えるのか。オレにもよくわからないんだよ。ここの皆もそうだ。どうやら、パワーベルトがどうにかなってるらしくて、さっきから力場学の研究室の奴らが大騒ぎで、海岸に設営している計測器の値にパニックになっている。陛下に報告しようにも今まで見たこともない値で、判断がつかないから何を報告したらいいのか分からないって。」
アトラスは、考え込むように顎に手を置いた。
「パワーベルトか…オレには、空全体がきしんでいるように感じた。」
克樹は、アトラスを促した。
「とにかくこっちへ。君は気学を専攻してただろう?あの稲妻を命の気でどうにかできないかって、軍から問い合わせが来て気学研究室の方では対応を考えてる最中なんだ。グーラの感性で、意見出来るんじゃないか?」
アトラスは、自分に何が出来るのかと思ったが、それでも克樹について校内へと入って行ったのだった。