アラクリカとメニッツへ
アーティアスが、既にいつものサラデーナの一般人の服装でそこに立っていた。
クラウスが、その隣りに控えている。シャデルが、少し離れて立って歩いて来る皆を見守っていた。ラーキスは、それを見てそちらへ向けて歩き出す。咲希は、アトラスと克樹と共に、後ろへと下がった。
さぞかし待たされてイライラしているだろうと思われたアーティアスが、思いのほか落ち着いた様子で言った。
「日がもうすぐ沈む。あれが沈んでから、向かおうと思うておるのだ。」と、シャデルを見た。「命の気が山を半分越えた辺りから発生するので、そこからは我らも難なく飛ぶことが出来るようになるが、そこまではアトラスとラーキスに頼るよりない。サキの術は側に居る間は使えようが、主らの行先は山脈の西の端であるからな。我らとは向かう方向が最初から違うゆえ、頼ってもられぬということになって。なので、山を越えるまではラーキスに我ら三人を運んでもらうことになるが、大丈夫か。」
ラーキスは、三人を見て、頷いた。
「主らぐらいなら、余裕ぞ。メレグロスを含めた三人を運んだこともあるのだ。気が使えぬでも、あの辺りぐらいまで余裕で飛べる。」
アトラスが、息をついた。
「ラーキスは普段から人と暮らして人を運ぶことに慣れておるから。オレは谷でグーラばかりと過ごしておったし、人の学校へ行き出してからも、多くて二人ぐらい軽く乗せてやるぐらいだったゆえな。オレなら必死に飛ばねばならぬところだが、ラーキスなら行くだろう。」
アーティアスは、アトラスを値踏みするように上から下まで見て、言った。
「なんだ、少しは鍛えぬか。父王に言われぬのか。王になるのに、ひ弱では皆がついて参らぬぞ。」
アトラスは、痛いところを突かれて、顔をしかめた。人型になっても、ラーキスと自分では体格が見るからに違う。それに確かに、父にはうるさいぐらい谷へ帰って来いと言われていたのだが、自分が王子などという地位に嫌気がさしていて、戻って居なかったのだ。きっと父は、王としての何某かを学ばせたかったのだろう。
ラーキスが、庇うようにアトラスの前に出て言った。
「これの父王はまだ若い。あちらはこちらとは違って平和な地ぞ。ゆっくり己の学びたいことを学んでおいて、困ることはあるまいが。それに、こうしてこちらで共に戦っておるのだから。良い学びになっておると思うぞ。同い年とは言うて、細かく言うたらオレの方が少し年上であるしな。」
アーティアスは、それこそ面倒そうに言った。
「いつまでも父王が健在だと思わぬことぞ。我とてあの放蕩親父のせいで、このように苦労をさせられて。」と、思い出したのか途端に不機嫌になった。「もう良いわ。とにかく、もう出発ぞ。」
クラウスが、これ以上機嫌が悪くなっては困ると慌てて割り込んで来て、言った。
「ではラーキス、元の姿へ戻ってくれぬか。」
ラーキスは頷くと、瞬く間に翼竜であるグーラの姿へと戻った。うまく当たらないように考えてはくれたようだが、いきなり大きな翼が頭の上をかすめて、克樹も咲希も仰天して慌てて離れた。
「ちょっと、ここじゃ狭いよ!アトラス、あっちでグーラに戻ってくれ、ほら、あっち!」
克樹が、ぐいぐいとアトラスの腕を引いて向こう側へ連れて行く。ラーキスが、その背を見て不機嫌そうに言った。
『何を言うておるのか、カツキは。いつなり当てたことなどないであろうが。己の体の大きさぐらい把握しておるわ。』
アーティアスが、その背によじ登りながら言った。
「姿があれしかない奴らには分からぬのだ。いちいち気にしておったらキリがないぞ。」
クラウスが、アーティアスに引っ張り上げられながらラーキスの背へと登る。シャデルは、あっさりと体をラーキスの背の上へと上げた。どうやら、これぐらいの気の量でも、シャデルなら少しぐらい自分の体を浮かせることが出来るようだ。
「生まれながらの能力格差とは不公平なことよな。」
ラーキスが、それを聞いて面白そうに背を振り返った。
「主がそれを言うか。王であろうが。生まれながらに持って生まれた力ぞ。」
アーティアスは、ふんと横を向いた。
「さて我の力はどこから来たものかの。」
クラウスが、気遣わしげにしている。アーティアスは、前王マティアスの実子ではなかったと知ってから、どうも卑屈になっているようなところがある。だが、誰しも自分のアイデンティティを脅かされてしまっては、こうなるだろう。どこから来た命なのか、分からないのだ。まだ、アーティアスは正気を保ってる方だった。
『誰でも良いではないか。』ラーキスが言うのに、クラウスとアーティアスは、驚いた顔でラーキスを見た。ラーキスは続けた。『王となるべくその場所に力を持って生まれ、己の価値を皆に示して王として認められておる他に、主は何が欲しいのだ。古代から王など、皆そんなもの。遥か昔、最初の王は王族として生まれたのか?違うであろう。結局は誰よりも力を持ち、相応しい気質の者が皆に認められて上に立ち、王となったはずぞ。今の主が王として賢しくあるなら、民はついて参る。それで良いのではないのか。』
アーティアスは、絶句した。クラウスは、小さく頷きながら、黙っている。シャデルが、頷いた。
「その通りぞ。我だっていきなり出現した王だった。力だけを持っておっただけの、愚かな王であったがな。」
アーティアスは、シャデルを振り返って首を振った。
「まだ子供の頃に即位したのに。まして主には手本が居らなんだ。王の政務を見たこともなく、いきなりに王座に就いたのだから、側近を信じてしもうても仕方がないことぞ。主は愚かではない。」と、フッと肩で息をついた。「…分かった。そうであるな。とにかくは我を王として信じてついて参る者達のことは、責任を持って守って参るつもりぞ。我も、もう今はこれ以上思い悩むのはやめる。」
不必要に離れた位置で、咲希と克樹がアトラスにまたがってこちらに向かって叫んでいる。
「おーい、まだ行かないのか?!」
「こっちはもう出発出来るけどー?!」
アーティアスとラーキスは視線を合わせて、そして苦笑した。そして、アーティアスが声を張り上げた。
「参る!主らも気を付けて参れ!」
ラーキスが、大きく羽ばたいて空へと舞い上がる。
アトラスもそれに続き、そして西の空へと向かって行った。
ラーキスは三人を背に、そのまま北へ飛んで行ったのだった。
咲希は、アトラスの背で克樹に掴まりながら、コートの襟を押さえた。
上空はかなり冷える…日が沈むと、余計にそうだった。ラーキス達は真っ直ぐに山を越えるルートを飛んで行って、すぐに見えなくなったが、アトラスは山に沿って西へと飛んでいた。雲は流れていて、山沿いにはいくらか残ってはいるが、サラデーナ側にはあまり雲がない。
雲の上に出て隠れて飛ぼうと思っていた二組のグーラにとっては、あまりいい天候ではなかった。
シャデルも、雲の上に隠れて見ているようなことを言っていたが、これでは雲に隠れることが出来ないだろう。
咲希がそれを案じてじっと眼下の山並みを見つめていると、克樹が言った。
「天気が良すぎて、隠れる場所がないよね。ラーキスとかシャデル王は大丈夫かな。」
咲希も思っていたことだったので答えようとすると、アトラスが言った。
『確かに低空を昼間に飛んでおったら丸見えであろうが、夜なら見つかりにくいだろうの。それに単体で居るし。オレもラーキスもグーラになると体が黒い。グーラは暗い色合いが多いのは、夜に狩りをするからだと聞いておるのだが、我らは黒なので特に有利だと言われている。』
咲希は、言われてみれば、と言った。
「確かにそうね。ラーキスのお父様もブルーグレイの体だったし。じゃあ高い位置を夜に一人で飛んでれば、見つかりにくいのね。」
アトラスは、振り返って頷いた。
『その通りぞ。アラクリカまで無事に見つからずに飛べそうなら、なるべく近づいて降りようと思うておるぐらいだ。』
克樹が、言った。
「まあそこはアトラスに任せるけど。シャデル王はどうだろう。あんまり高く上がったら、念とかも届きにくくなるんじゃないのかな。」
アトラスは答えた。
『念はあまり距離など関係ないと聞く。シャデル王ほどの力があれば、恐らくはどれだけ離れていようとも、場所さえ分かっておればこちらの言葉を聞き取ることは容易ではないか。今は力を全て使えぬとはいえ、あれほど力を持ちそれを自在に使う者は居らぬのだから、ディンメルクであればいざ知らず、気が満ちているサラデーナならあれの心配をする必要はないのではないか。』
咲希は、地表を見た。かなり高い所を飛んではいるが、前に感じた恐怖はもう、なかった。高い所が人並みには怖かった咲希だったが、こうしてグーラに乗って移動をし始めてから、なぜか落ちてどうにかなるような恐怖心は湧き上がって来なかった。自分が飛べるようになったということもあるのだろうが、それでもその前から、高さに対する恐怖というものが、あちらの元の現実世界に居た時よりも、無くなっているのは事実だった。
「…高い所が怖いってあんまり感じなくなってるのが、何だか不思議。」
咲希が思わずそう呟くと、克樹が後ろから言った。
「オレも小さい時からグーラに乗ってるから、同じ気持ちなんだ。もし落ちたって、絶対に拾いに来てくれるって、信頼があるからね。アトラスもラーキスも、まだ幼いグーラの時から、オレ達を乗せて遊んでたんだよ。だから、グーラって魔物だからと差別する人も居るけど、オレには理解出来なくってさ。人同士だって、ここまで信頼出来ること少ないのに。だから、ラウタートだって同じかなってオレは思う。」
咲希は、頷いた。確かに、信頼があるのかもしれない。機械に運ばれているのではなくて、生きているグーラに運ばれている事実が、自分から恐怖を取り去っているのかもしれない。
そうして、二つの月が出ている空を、克樹と咲希はアトラスに運ばれて、西へ西へと進んで行ったのだった。




