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忘却の間

大きな金属の板を引いて開けると、突然に中から大きな風が吹き上がり、思わずリリアナは顔を庇って腕を上げ、横を向いた。すると、風が収まり、エクラスの声が言った。

「見よ。」

リリアナは、急いでその扉の中を覗いた。そこは、本当に何もない、乳白色の煙が立ち込めているように見える空間だった。

「本当に中へ入って大丈夫なの…?」

リリアナが言うと、ショーンがその淵に立って下を覗き込みながら、唇を真一文字に引き結んで、頷いた。

「オレが読んだ場の記憶では大丈夫だった。ただ、ここへ入っても帰って来なかったヤツも居るみたいだがな。」

エクラスが、同じようにその淵に立って下を向いていたが、目だけでショーンを見ながら言った。

「帰って来なかったとは?」

ショーンは、目を上げてエクラスを見た。

「…戻った奴らが、みんな満面の笑顔で、あちらは素晴らしい所だった、帰って来るのがもったいなかったと言っていたからだ。自分にとって一番いい結末なら、それはいいところだろうさ。」

エクラスは、顔をしかめた。

「もしや主、帰って来ぬつもりか?」

ショーンは、途端にぐっと眉根を寄せた。

「オレは愚か者じゃねぇ。ここがリアルな時でなく、ただの可能性だけだと知ってらあ。ただ、オレはオレにとっての最善で、いったいどこまで行けるのか知りたいだけなんでぇ。」

エクラスは、何かを読み取ろうとするかのように、鋭い目でじっとショーンの目を見返した。ショーンにとっての望みは、リリアが復活することだろう。そして、リリアと再会し、共に暮らすこと。このまま生きていて、それを成しえるのかを知りたいと言っているのだ。

エクラスはそのままじっとショーンを睨むように見ていたが、ショーンは、しびれを切らしたように言った。

「何を言っても無駄でぇ。オレは行く。そして、戻って来る。」と、その乳白色の空間を睨んだ。「お前らこそ、戻って来なくなるなよ!」

「ショーン!」

リリアナが叫ぶ。

ショーンは、その中へと消えて行った。エクラスはそれを見ながら、チッと舌打ちをした。

「あんなことを言うておったが、こちらから連れて戻らねば帰って来るか分からぬ。連れ戻しに参らねば。」と、リリアナを見た。「ここで待っておれ。誰かの気配を感じたら、すぐに壁の向こうへ。ここの灯りを消さねば、ここで潜んでもどこかに居るのがばれてしまう。わかったの。」

リリアナは、首を振った。

「私も行く。」エクラスは、イラッとしたような顔をして、リリアナに向き直って口を開いた。リリアナは、首を振ってそれを制した。「分かっているわ。危険だと言いたいんでしょう。でもここに居ても一緒よ。だったら、三人がはぐれちゃ行けないと思うの。ショーンを探しに行くなら、二人で行かなきゃ。私も一緒に行くわ。」

エクラスは、ぐ、と黙った。確かに、どうなるのか分からないのに、ここに置いて行くのは気がかりだ。三人が共に行動すべきなのかもしれない…。

「…ならば、オレにしっかり掴まっておれ。」と、リリアナを抱き上げて、掴む腕に力を入れた。「どうなるのか分からぬからの。」

リリアナは、しっかりとエクラスの首に抱き着いた。

エクラスは、思い切ってその乳白色の中へと飛び込んで行った。

その後、誰も居なくなったその場所光は消え、忘却の間の入口から漏れる光だけになる。

そして、鉄の板が独りでにスーッと閉じ、バタンと音を立てた。

そこには、漆黒の闇だけが残ったのだった。



エクラスは、首を振って一瞬遠のいた意識をはっきりさせようとした。

ふと腕を見ると、今の今までしっかりと掴んでいたリリアナの姿がない。

驚いたエクラスは、慌てて回りを見た。

「リリアナ?!」

しかし、リリアナの姿は見当たらない。

そうしているうちに、ザアッと回りの景色が渦を巻いたかと思うと、激しく風が吹き付けてきた。

エクラスは足を踏ん張って両腕で頭を庇い、風が止むのを待った。

それは、一度吹き抜けただけであっさりと静かになり、エクラスは拍子抜けしながらもおずおずと腕を避ける。

「こ、ここは…!」

夢を見ているのか。

エクラスは、頭を振って目を瞬かせた。

しかし、そこは間違いなくキジン湖の近く、あの森の中だった。

回りを見ると、遠く当番のラウタート達が、城の回りの警備をしているのが見えた。

この森の中には、自分が王から与えられている家がある。

代々父親、その父親と王に仕える家系だったエクラスは、王からそうやって家を与えられていたのだ。

空気の匂いまでも、全く同じ。

エクラスは、訳が分からないまま森の中を、ただ習性のままに自分の家の方角へと歩き始めた。

「エクラス?」聞き慣れた声に、エクラスは我に返って急いで振り返った。「どうしたのだ、このようなところで。奥方はどうした。本日は共に人の村へ洋服を買いに出るのではないのか?」

そこに居たのは、クラウスだった。気軽な服装で、クラウスも非番なのだと分かる。エクラスは、戸惑うように言った。

「奥方?いや…オレはそのようなアテはないし。」

するとクラウスは、急に眉を寄せて、声を潜めた。

「なんぞ、早速ケンカか?王に誓った仲であるのに、破談など簡単には出来ぬぞ。気を正して後の政務が面倒で、ただでさえご機嫌が悪いのに無理を申して婚姻をしたくせに。」と、声を元に戻した。「とにかく、一度話して参れ。家の庭で何やらしておるのを見かけたぞ。そう機嫌も悪いようでなかった。仲直りをするなら、今ぞ。」

エクラスは、混乱する頭で、必死に考えた。そうか、ここは忘却の間。これは、自分にとっての最善の未来なのか。

よく分からないまでも、とにかくは頷いたエクラスは、そのまま心配そうに見送るクラウスを尻目に、急いで自分の家へと向かった。


石造りの塀に囲まれた、いつも通りの自分の家の姿にホッとしながら、エクラスは門から足を踏み入れた。ここに、今自分はいないのだろうか。忘却の間の働きで、そんなものはなく自分だけの世界なのか。

目まぐるしく考えながら石畳の上を玄関に向けて歩いてると、ふと庭で、気配を感じた。確か、クラウスは庭に奥方が居ると…。

すると、花を摘んでいたのか腕にいっぱいに花を抱えた女が歩いて来た。赤い髪に、緑の瞳の人型の、それは美しい20歳くらいの女だ。

なんと、美しい…。

エクラスは、呆然とその姿に見とれた。すると相手は、エクラスに気付いて駆け寄って来た。

「まあエクラス!早かったのね、人型で帰って来たの?アーティアスは何と言っていた?」

かなり親しげだ。

エクラスは、思わず言葉に詰まりながら、言った。

「お、王が?なんのことか。」

それにしても、この声には聞き覚えがあるような…。

エクラスがどぎまぎしながらもそんな事を考えていると、相手は拗ねたように横を向いた。

「まあ。誰より王に知らせねばと出て行ったクセに。困ったひとね。」と愛おしげに自分の腹に手を当てた。「子供のことよ?ラウタートになるのか、人になるのか分からないから、またアーティアスに調べてもらうと言っていたでしょ? 」

子?!

エクラスは、呆然とした。

そんなことは、考えた事もなかった。何しろ、相手など居ないのだ。パトロールに出るので、人里の娘は皆知っているが、これほどに美しい容姿の娘など居なかった。

身の回りの世話をさせている人の小間使いが、女の腕からその花束を受け取って持って行った。

そしてその時、その腕に見覚えのある緑色の、くるみ大の大きな石が皮膚にピッタリとくっついているのを見て取った。

あれは…もしかして?

「リ、」エクラスは、まだ驚愕したまま呟くように口にした。「リリアナ…?」

その女が、顔を上げた。

「何?」と、呆然としているエクラスの頬に触れて微笑んだ。「どうしたの、エクラス。気にしないで。まだまだ生まれないのだし、また次でもいいわ。それより、食事にしない?いいルクルクが手に入ったって料理人達が腕を奮ってくれたのよ。」

エクラスは、言われるままに家の中へと歩き出した。

そう、この髪の色も、顔立ちもリリアナのものだ。

リリアナが、あと20年もすればなるであろう姿なのだ。

つまりは、自分はそれまで待つ事になるのか…?

だがクラウスは、気の流れを正したあとの忙しい時、と言っていた。つまりは、そんなに時間は経っていないのでは…。何より、クラウス自身、今の姿と大差ない若い姿だった。

美しいリリアナは、微笑みながらエクラスを見上げて、たわいもないことを話して楽しそうにしている。

エクラスは、心が温かくなるのを感じて、そのまま一緒に家の中へと入って行った。

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