出発前夜
リリアナは、咲希達と一緒に用意されている部屋ではなく、エクラスの個室の大きなベッドの上で言った。
「エクラス、もう寝るでしょ?明日はショーンが女神の間へ行くって言うまで、一緒に訪神見聞録を読んでおく?」
エクラスは、苦笑しながらベッドの脇へと座った。
「そうだな。だが、本当にいいのか?リリアナ。ショーンは主の命など何とも思ってはおらぬのだぞ。リリアとかいう女の復活のための器としか考えておらぬ。そんなショーンと共に行動すると言い出した時は、オレは肝を冷やしたわ。あれを信じてはならぬ。何をするか分からぬのだからの。サキも同じように思うておったようで、オレと同じように慌てておった。」
リリアナは、ふっと息をついてエクラスを見た。エクラスは、その様に違和感を感じた。リリアナは、幼い少女の姿なのに、動きはまるで、成人女性のようだ。話すことも然り。こんな幼い少女が、こんな過酷な旅に同行させられているのが不憫で、自分になついているのなら、少しでも気を軽くしてやろうと面倒を見て来た。だが、リリアナは子供のように扱われるのを嫌がった。そんなリリアナに、エクラスも最近はどう対応したらいいのか困ることがあったのだ。
リリアナは、そんなエクラスの気持ちには気付かずに言った。
「仕方がないわ。敵が来るかもしれない所で、ショーンを一人にするわけにはいかないでしょう。あちらの大陸では、ずっとショーンの補佐をしていたの。だから、ショーンと一緒に魔法で戦うのなら私が一番適任なのよ。ショーンが捕まってしまったら、こちらにとっても不利なのだもの。ショーンだって、こんな時に何もして来ないと思うわ。それに、リリアを復活させる術だってまだ知らないんだもの。」
エクラスは、首を振った。
「それでも、ぞ。結局はいずれは術を掛けようと思うておるのではないのか。あれは確かに術に長けて頼りにはなるので我らの貴重な戦力であるが、しかし主にとっては敵のようなもの。くれぐれも気を付けよ。」
リリアナは、苦笑した。そして、エクラスの金色の瞳をじっと見つめて黒い髪を撫でた。
「心配してくれてありがとう。でも、大丈夫よ。」
エクラスは、戸惑うような顔をしたかと思うと、横を向いた。
「…リリアナ。それから、主も客室へ戻った方が良い。いくら子供だとはいえ、主も女であろう。王が、幼女は育つまで相手にしてはならぬとオレにわざわざ忠言されたのだ。周囲から見れば、そう見えるのだろう。確かに他に誰か居るなら良いが、こうしてオレの部屋へ来て休むなど良うない。また、明日にでも訪ねて参れば良い。」
リリアナは、それを聞いて明らかに驚いた顔をした。そして、エクラスの髪を撫でていた手を引っ込めると、横を向いた。
「…幼女じゃないわ。あなたが、そんな風に見ていたなんて知らなかった。あなたなら、私の中の本質を、見抜いてくれるかもって…。」
エクラスは、何を言われているのか分からないままに、リリアナを見た。リリアナは、何かを堪えているように小刻みに震えていた。
「本質?」
エクラスは、慌てて言った。まさか、リリアナがこんな反応をするとは思わなかったのだ。子供のようにダダをこねることはあるかもしれないが、それでも、分かったと普通に出て行くのではないかと…。
リリアナは、立ち上がってエクラスに小さな背を向けた。
「もう、いいわ。じゃあ、また明日。」
リリアナは、そこを出て行った。
エクラスは、自分が何かとても悪いことを言ったような気がして、落ち着かないまま夜を過ごしたのだった。
咲希と克樹は、アトラスと共にアーティアスに話に行ってから部屋へと戻って来た。
明日になって商店へ服を買うために行くことを考えて、どこが一番いいものを揃えているのか尋ねるために行ったのだ。
結局は、ここでは一般市民が着る服しかないので、サラデーナでは普通にみんなが着ている色彩の鮮やかな布の服が無いとの事で、アーティアスが持っているサラデーナで手に入れた服を三人分分けてもらって来たのだ。
学者らしい白が基調になったその服は、裾丈も長く咲希は少しほっとしていた。
ここで、自分だけミニスカートのワンピースで、下に短いレギンスを掃いている状態だったが、最近では外見が変わってしまってちょっと違和感があったのだ。
ここで振り分けられている六人部屋に戻って来ると、ラーキスがもう戻って居て咲希を振り返った。
「おお、サキ。服を手に入れたのか?」
咲希が手にしている服を見て、ラーキスが言う。咲希は、頷いた。
「そうなの。ここの商店の服ではサラデーナ人には見えなくて、目立ってしまうからと言って。ラーキス達は、どうするの?」
ラーキスは、自分の服を見た。
「まあ、オレは学者のふりをせずとも良いし、ライアディータから着て来た服は色彩が鮮やかであるから特に目立つこともあるまい。それより」と、声をかなり小さくした。「…リリアナが、戻っておるのだ。」
咲希は、ハッとして奥のベッドを見た。六つ並んだベッドは、ショーン、アトラス、克樹、ラーキス、咲希、リリアナと順に振り分けては居たが、それでもリリアナは大概がエクラスと一緒なので、使わないと思っていたのだ。
咲希は、小さな声で返した。
「…ケンカでもしたのかしら。」
ラーキスは、首を振った。
「分からぬ。戻った時から何も言わず、こちらに背を向けて横になっておって、オレには声が掛けづらくての。」
咲希は、気遣わしげにそちらを見た。だが、リリアナは放って置いて欲しいかもしれない。どうしたものかと気になったが、克樹やアトラスも気になるのかチラチラとそちらを見ながら寝る準備を始めていた。
このまま寝るわけにもいかない。何より、リリアナは今まで咲希のことを気遣って来てくれたのだ。何かあったのなら、自分が聞いてあげたい。
咲希は、そっとリリアナのベッドの方へと歩み寄り、そこへ座った。
「リリアナ?ねえ、ちょっと庭を散歩でもしない?」
リリアナは、こちらを見ないで言った。
「別に。私は、もう寝ようと思ってるのよ。ショーンが何を言って来るか分からないから、早朝から準備しないと。」
咲希は、それでも食い下がった。
「でも、明日からは別行動になるわ。話を聞いて欲しいの…無理を言って、申し訳ないんだけど…。」
すると、リリアナは戸惑ったようにちらと咲希を見た。そして、ため息をついて起き上がった。
「…仕方がないわね。あなたは唯一の友達だし、話を聞いてあげないこともないわ。でも、手短にね。」
咲希は、嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう、リリアナ。じゃあ、行こうか。」
咲希とリリアナは、夜はまだ冷えるのでコートを手にとって、階下へと向かった。
それを、ラーキスと克樹、アトラスは心配げに見送っていた。
やはり外は寒い。
咲希はリリアナのコートの襟をしっかりと閉めてやると、自分もショーンからもらった一張羅の毛皮をまとった。これはとても暖かいので、ホッとする。これを着ると、ショーンが本当はとても思いやりのある男なのではないのかと複雑な気持ちになる。
咲希がそんな風に思いながらリリアナと並んで星空を見上げ、黙って歩いていると、リリアナが立ち止まった。
「それで?私に何か聞きたいんでしょう。」
唐突にそう言われて、咲希は驚いた。確かに、リリアナならそんなことも簡単に気取るだろう。
遠回りしても結局は聞きたいことは同じなのだと思った咲希は、頷いて答えた。
「ええ。その…エクラスとケンカでもしたのかと思って。」
リリアナは、顔をそむけた。
「別に。あのひとの部屋で二人だと狭いから。」
咲希は、首を傾げた。それでも、リリアナ一人ぐらいなら平気だといつもエクラスと一緒に寝ていたのではなかったか。
咲希が答えに困っていると、リリアナがそれを見上げて、ほーっと息を吐いた。
「…いいわ、あなたには何でも話すべきよね。他に、話す人も居ないんだし。」と、しっかりとした視線になって続けた。「エクラスが、アーティアスに幼女は育つまで相手をしてはならぬと言われたと、私に言ったの。相手っていうのは、あの言い方だと恋愛の相手ってことよ。エクラスはそんなつもりは無かったし、部屋へ帰って休んだ方がいいって。」
咲希は、それを聞いてショックを受けた。心配していた、折も折だ。
「…エクラスは、リリアナを保護の対象としか思っていないってこと?」
リリアナは、頷いた。
「そうよ。それは分かっていたわ、私がこんな姿なんだし、あのひとだってそんな目で見られないでしょう。変態扱いされちゃうしね。それでもいいって思ってた。」と、寂しげな顔をすると、そこへ座り込んだ。「でも…その時分かったの。私は、以前咲希が言った通り、エクラスに恋をしてるんだわ。あのひとがこの姿の私を拒絶するんだと分かった時、だからとてもショックだったの。」
咲希は、じっと何かを我慢しているようなリリアナの姿に、涙を浮かべた。リリアナの意識は、自分と同い年ぐらいなのだ。それなのに、体はあのままで、そしてこれからも育つかどうかなど分からなかった。今の姿で拒絶されるということは、これからもずっと拒絶されるのと同じなのだ。
あの姿のままでは、恋も出来ない…。
咲希は、それを悟って、涙が出たのだ。
リリアナが、黙ったままの咲希を見上げて、ブルブルと震えて必死に涙をこらえているのに苦笑した。
「何を泣くのよ。あなたは関係ないじゃない。」
咲希は、首を振った。その拍子に涙が周囲に飛び散った。
「関係なくないわ!私は、リリアナの友達でしょう。きっと…きっとその姿をどうにかする術があるはずよ。私かシャデル王にはそれが出来る可能性がある。私、探すわ!あなたの姿を、きっと心と同じ年齢に育つように出来る術を探す!」
リリアナは、それを聞いて驚いたような顔をしたが、その後で困ったように首を振った。
「いいのよ。今それどころじゃないじゃない。それにね、あのひとが私という本質を見て、それをいつか愛してくれることを願っていたの。でも、結局はあのひとも見た目で判断するひとだった。自分が何を望んでいたのか、やっと今分かった感じ。だから、いいの。私は、私自身を愛してくれる存在を探すわ。サキだって、ラーキスの心がその姿でも微動だにしなかったから、ホッとしたでしょう。そういう愛情を、私も探せばいいのよ。」
咲希がもはや堪えきれずに涙を流しているのを、リリアナが小さな手で撫でていたわってくれていた。咲希は、自分が不甲斐ないのに苛立った。本当なら、自分がリリアナを慰めてあげたかったのに。反対に、気を遣わせてしまっているなんて。
「ごめんなさい…リリアナはいつも、私を慰めてくれるのに。私、リリアナの役に、全然立ててないわ…。」
うなだれて言う咲希に、リリアナは首を振った。
「そんなことないわ。こうして話を聞いてくれたじゃない。話すことで、分かって来ることもあるんだわ。今までルルーだけに話してたんだけど、最近はルルーも黙ってることが多くて…どうしたのか分からないけど、静かなの。相変わらず魔法を使う必要がある時は一緒に戦ってくれるけど、とても静か。どうしたのって聞くんだけど、ただ黙っていて。」
そういえば、最近はルルーの声を全く聞いていない。そう思うと、気になった。それに…。
「リ、リリアナ!あの子を抱いていないと、石は?!あの力の石が無いと、体が…!」
リリアナは、首を振った。
「大丈夫。あの石との間に、繋がりを作ってもらったの。シャデル王が、万が一身から離れてしまった時の事を考えて、私と石の間に細い繫がりを術で作ってくれたのよ。よく見ると、糸のように繋がってるわ。」
咲希は、美穂の時と同じように、シャデルの先へ先へと考えて、不測の事態が起きないようにと行動する能力に自分の無力さを感じた。シャデルは、本当に優秀な王だ。
咲希が自己嫌悪に陥っていると、リリアナが怪訝そうな顔をした。
「サキ?」
咲希は、慌てて頭を元に戻して行った。
「あの…ルルーは、どこか具合が悪いのかしら。力の石が外れ掛かってるとか。」
リリアナは、また首を振った。
「ラーキスの接着魔法がしっかりしているから、外れる様子もないわ。あの子、知ってて黙ってるみたい。」
咲希は、考え込むようにして言った。
「…エクラスといつも一緒だったから、嫉妬してるとか。」
リリアナは、それにも首を振った。
「いいえ。そんなの最初からじゃない。一度聞いてみたけど、違うってはっきり答えてたもの。どうしたのか分からないけど…でも、心境の変化があったのは確かのようよ。」
咲希は、気が付けば涙でぐしゃぐしゃになってしまっていた顔をリリアナから借りたハンカチで拭い、足を建物の方へと向けた。
リリアナは、もう話したことですっきりしたのか普通に雑談をしている。
明日からは別行動なのに、リリアナとエクラスのことも、ルルーのことも気になって、咲希はその夜、あまり眠ることが出来なかった。




