到着
アトラスの上で冷たい風に吹かれているうちに、咲希の顔色は元へ戻っていた。咲希は、つくづくここでの生活は自分には向いていないと思っていた。シュレーも、こうしてあちらの世界を知っているという克樹でさえ、グーラが倒されるのを冷静に見ていた。しかし、咲希はそうは行かなかった。今まで、実際にあんな場面を見ることなどなく生きて来ていた咲希にとって、あの大きな魔物が一瞬にして絶命する瞬間の映像は、目に焼きついて離れなかったのだ。そして、今自分がこうして乗っているグーラも、その魔物の一種なのだ。人の形で普通の話すので自覚していなかったが、あんな大きな魔物にさえ、物怖じせずに向かって行き、そうしてその喉元を躊躇なく食い破ってしまう…。
咲希は、早くこの旅が終わってくれることを願った。
「あ、ほら咲希!見えて来たよ。」
克樹が、考えに沈む咲希にわざと明るい声で言うと、指差した。咲希は、そちらを見て驚いた…思っていたより、小さい。
そこには、お世辞にも綺麗とはいえない、一見すると大きな岩を無造作に積み上げたのだろうと思われるような、建造物があった。確かに切り出したのだろう、大きさは不ぞろいでも、形はみな長方形に近い岩で、それを幾つも組んで四角い形の箱のような建物を作ってあるだけだった。それでも、回りには点々と円くそれを囲むように配置されて立てられた大きな岩もあり、特別な場所として作ったのだろうことは分かった。
「…なんだろう、もっと大きいのかと思ってた。」
咲希が、素直に感想を言うと、克樹は笑った。
「ここは、本当に太古の昔に作られたものらしくってね。他の神殿が出来る、ずっと前からあったようだ。ここよりずっと南東にあるバーク遺跡っていうのは、もっとしっかり綺麗に切り出した石で作られてあって、各地に点在する女神の神殿と同じ造りなんだけど、ここだけは違って。何かを奉ったものではないようで、どうもパワーベルトにまつわるような記述が残っているから、パワーベルトの研究者はみんなここを最初に調べるんだ。オレも何度か来たことがあるけど、特に変わったものも見つけられなくて…結局、みんな大学で計器を使って直接パワーベルトを研究することを選ぶんだけど。」
咲希は、確かに何もなさそう、と思いながらそこへ降りて行く、先を行くラーキスの後ろ姿を見つめた。アトラスもそれに倣って地上へと向かう。
すると、一つしかない入り口らしい場所から、ショーンとリリアナが出て来て、皆が降りて来るのを見上げていた。その姿を見た咲希は、ほっと胸を撫で下ろした…良かった、無事だったんだ。
皆がそこへ降り立つと、ショーンが薄ら笑いを浮かべながら言った。
「なんだ、早かったな。ミガルグラントには出くわさなかったのか?うろうろしてただろう。」
シュレーが、険しい顔をして言った。
「確かに出くわしたが、ラーキスとアトラスが一瞬で仕留めた。」と、ショーンに一歩足を踏み出した。「それよりショーン、単独行動は止めろ。今回の旅は、オレ達は同じパーティの一員なんだ。勝手に動かれては困る。」
ショーンは、肩をすくめた。
「オレはぞろぞろと旅するのはゴメンだ。いつなりリリアナと二人でやって来た。ここはオレの家みたいなもんだからな。さっさと自分のいい時に帰ろうと思っただけだ。」
シュレーは、それでもショーンに詰め寄った。
「それでもだ。解散するまでは一緒に行動してもらおう。」
そして、ショーンの脇を抜けて先にさっさと遺跡の中へと入って行く。それに、克樹も無言で従った。人型になったラーキス、アトラスと続く中、咲希は最後にショーンに歩み寄りながら、自分のコートに触れて言った。
「あの、ショーン。無事でよかった。この毛皮、とっても暖かいの。助かったわ、ありがとう。」
ショーンは、少し驚いたような顔をしたが、頷いた。
「ああ…サイズが合ったようだな。」
咲希は、微笑んで頷いた。
「ええ。ぴったり。誂えたみたいだって言っていたの。これがなかったら、寒さで動けなくなっていたかも。」
ショーンは、咲希につられて表情を緩めた。
「昔、知り合いの女が着ていた物だ。」と、視線を落として、見上げるリリアナを見た。「…もう、ここには居ねぇがな。」
最後は、囁くような声だった。咲希は、もうその女性が死んでしまったのだと悟り、どうしたらいいのか分からないままリリアナを見た。
「ああ、リリアナ!心配していたの。でも、元気そうで良かったわ。一緒に中へ行こう?」
リリアナは、相変らずの無表情で咲希を見た。
「別に一緒に行ってもいいけど。あなた、まだ私を子供扱いしているのね。子供じゃないわ。」
咲希は、リリアナを一緒に歩き出しながら慌てて手を振った。
「そんな!ただ、ここには女の人っていないし、仲良くしてもらえたらなって思っただけよ。」
リリアナは、しばらくじっと咲希を見上げていたが、頷いた。
「いいわよ。女友達ってことね。」
咲希は必要以上に何度も首を縦に振った。
「ええ。よろしくね。」
そんな二人の背を見ながら、ショーンも中へと入って行ったのだった。
中は、思ったより居心地が良かった。
どうも後から作ったようだったが、中は木で小屋のように作り変えられてあって、入り口を入って石の壁の間を少し歩くと、木の階段があり、そこを登って戸を開くと、そこには普通の家の中が広がっていた。
「勝手に作り変えたのか。」シュレーが、顔をしかめた。「遺跡は陛下のお許しがない限り、現状を維持せよと言われておるだろう。勝手に住めるようにしてしまって。」
ショーンは、ふんと鼻を鳴らした。
「ここの謎ってのも誰も解明出来てねぇのにか?オレはな、ここで古来の術ってのを探っていたんだ。パワーベルトには、古い大きな力が関係しているのは確かなんだ。他の誰にも出来ねぇから、オレがやってやろうってんだよ。」と、側の暖炉に側の棚から取った薪を一つ、放り込んだ。「これでもお前らが来るってんでリリアナと慌てて片付けたんだぞ。何しろ、男一人なんでね。」
リリアナが言った。
「私も居るじゃないの。私は、自分の部屋は綺麗に片付けておくけれどね。」
ショーンは、ちらとリリアナを睨んだ。
「お前は自分の部屋しか片付けねぇくせによ。」
咲希は、驚いた。こんな場所に住んでいるのか。
「リリアナ、部屋を持っているの?」
リリアナは、咲希を見上げた。
「ええ。こっちの戸を開いたら私の部屋。ここはショーンが使っている仕事部屋。そこの戸を開いたらショーンの寝ている部屋よ。」
咲希は、リリアナが指さなかった戸を見て言った。
「あの戸は?」
リリアナが答えた。
「あれは、遺跡の奥へ行く戸よ。開けたら外は前のままだわ。地下へと繋がっているのよ。」
それを聞いたシュレーが、頷いてその戸へと向かった。
「時間が惜しい。遺跡の奥へ行くぞ。オレもここには来たことがなかったからな。説明してもらわねばならない。」
ショーンは、暖炉の上に掛けてあったヤカンを手に言った。
「あのな、お前は根っからの軍人かもしれねぇが、ここに居るのはみんな民間人だ。今着いたばかりだろう。ここは外に出ている箇所が少ないが、地下へと広がっていて全体は結構な広さがある。深くまで潜ると寒さから逃れて来た魔物も出る。その辺の椅子へ座りな。茶でも飲んで一休みしてからにしろ。」
シュレーは、ハッとしたように皆を見た。ラーキスとアトラスは特に変わりなくそこに立っているが、咲希と克樹は少し疲れているようだった。特に咲希は、顔色が少しマシになったとはいえ、まだ良くない。それに何より、咲希のすがるような視線を受けて、シュレーは仕方なく頷いた。
「分かったよ。」
ホッとしたような咲希を、克樹が側の椅子へと促した。咲希が端へ座り、その横に克樹、シュレー、向こう側にラーキスとアトラスが並んで座った。ショーンは、さっさとカップを並べると湯を注いで言った。
「先にここへ着いたんで、地下のパワーベルトの近くまで伸びる通路を調べて来た。」
シュレーが、身を乗り出した。
「ここに、そんな場所が?」
それには、克樹が頷いた。
「ここから、まるでパワーベルトの向こうまで繋がっているんじゃないかって長い通路が出ているんだ。だが、途中から何かの力で押し返されてどうしても先へ進めない。明らかにまだパワーベルトまでは距離があるはずなのに、どうしてもそれを超えて行けないんだ。その力が、魔法なのか、機械が作り出した物なのか、全く分からない。未知の波動だ。分かっているのは、パワーベルトとはまた違った波動だってことだけだ。」
ショーンは、頷いた。
「あれが越えられさえすれば、パワーベルトにもっと近くなれるだろう。オレが見た所、パワーベルトはあの先の地下までは達していないはずなんだ。つまりは、パワーベルトの向こう側にも、抜ける術があるってことだ。」
シュレーが、険しい顔のまま言った。
「今はあっち側が存在するとして、そこへ行くのが目的ではない。パワーベルトの異常がなぜ起こっているのか、それを収めるのはどうしたらいいのかを、突き止めて収めなければならないのだ。そういうことは、空間の専門家に任せておく。それで、地下通路には変化はあったのか?」
ショーンは、首を振った。
「何もない。相変らず変な力場のようなものが阻んで先へ行くことは出来なかった。だが、あの先へ行くことさえ出来れば、もっとパワーベルトへ近づけるのは確かだ。異常を知るには、海上よりずっと安全で調べやすいはずじゃねぇか?」
シュレーは、考え込むように手を顎へと持って行った。
「確かに…だがここへ来たのはパワーベルトのことを詳しく知るためなのに、ほかに古代の石版などから分かっていることはないのか?」
克樹が言った。
「大学で発見されている全ての石版の解読は済まされている。オレも読んだが、古代には確かに、ショーンの言うようにあの通路を使ってあっちの世界と行き来していたような記述は残っているんだ。だが、それがその時代の研究者達の希望なのか、それとも現実に行き来していたのか、分からない。」
つまり、克樹はそれが研究者達の願いを記されているのか、事実を記したのかが分かっていないと言っているのだ。シュレーは、口を開いた。
「パワーベルト自身のことに関しては?」
ショーンが、首を振った。
「何も。古代の奴らは神の力だと崇めるばかりで、何の研究も進めちゃいねぇ。近くまで行けていただろうに、何をやってんだと言いたいね、まったく。」
ショーンは、そう言うと珍しく険しい顔をして横を向いた。シュレーは、ため息をついて言った。
「とにかくは、ここで何か分かるだろうと期待して陛下はオレをここへ寄越したのだ。オレがこの目で調べる。それから、何か対策を考えよう。」
シュレーは、横を向いたまま肩をすくめた。
「ご自由に。」
シュレーは、カップの茶を一口飲んで、脇のテーブルへ置くと、すぐに立ち上がった。
「オレは、もう見に行って来る。サキはここに居ろ。ショーン、案内してくれ。ひと当たり見て回りたい。克樹はどうする?」
克樹も、カップを置いて立ち上がった。
「行くよ。オレはここに来たことがあるから、いくらか説明も出来るだろう。ラーキスとアトラスは?」
ラーキスが、立ち上がった。
「魔物が出るやもしれぬだろう。オレが行こう。アトラス、主は残ってもしもの時サキとリリアナを守れ。」
アトラスは、頷いた。
「分かった。」
ラーキスは、無言で出て行くシュレーの後を追って歩いて行く。ショーンは、リリアナを咲希を振り返った。
「ここにはオレの魔物避けの呪が掛けてある。滅多な魔物は入って来れねぇが、何かあったらオレの部屋の奥へ逃げるといい。リリアナが知っている。」
リリアナが、頷いた。
「シェルターね。ショーンが強い守りの護符を使って作ってる部屋よ。」
咲希は、頷いた。何かあるかもしれないのか…。そう思うと、不安だったが、アトラスが微笑んだ。
「案じることはない。ここらの魔物は小さいゆえ、オレ一人でも事足りる。」
咲希は、アトラスに向かって、ぎこちなく頷いた。グーラ…アトラスは、グーラなんだものね…。
咲希が、いつものように明るく言葉を返してこなかったのでアトラスは戸惑ったが、ショーンを見た。
「ここは任せてくれ。」
ショーンは、怪訝な顔をして咲希を見たが、何も言わずに頷いてそこを出て行ったのだった。




