不安
皆が黙って不安げにシャデルを見る中、シャデルは口を開いた。
「ここで考えておってもどうにもならぬ。とにかくは、我らは我らの出来ることをするしかないのだ。今は、気を正すことが先であろう。そこへ来ておったのがバークだとして、それでも事を成すことが出来ておらぬのはラウタート達が見ておるのだから、しばらくかかるはずぞ。我らはそれより先に気を正し、それからあちらの企みの事については協議しようぞ。どちらにしろ、バークがアルトライに集中しておる間は、アーシャン・ミレーの方も意識が行っておらぬだろうし、やりやすかろう。」
克樹が、頷きながらも言った。
「ですがシャデル様、そのアルトライは、どうやったら使えるのですか。開くだけで良いのですか?」
シャデルは、首を振って苦笑した。
「その、開くのが大変なのだ。先ほども申したの、創造主の名が必要なのだ。術はその創造主が掛けたと言われておって、名を唱えぬ限り決して開かぬ。しかも現存する最古の古代文字と言われておる文字なので、今の時で読めるものは限られておる。アラクリカでも上位数人しか読めぬのだと聞いておる。我は読めるし、ショーンも訪神見聞録を知っておるということは、読めるということか。」
ショーンは、頷いた。
「読める。あなたは、その名に心当たりはおありですか。」
シャデルは、首を振った。
「聞いたこともない。これも先ほど言うたが、我はこれを信じておらぬ。アルトライ自体の存在は知っておるが、人がそれを元に創作したとしてもおかしくはなかろう。」
咲希が、ハッと顔を上げた。皆が一斉にそちらを向く。急にみんなの視線を浴びたので、驚いた咲希は少し身を縮めたが、それでも言った。
「あの…ディンダシェリア大陸とアーシャンテンダ大陸は、同じ創造主だと思われますか。」
シャデルは、それには息をついた。
「どうであろうの…確かに、こちらとあちらは台座の間などで繋がっておるし、クロノスはあちらもこちらも行き来してこうして力を貸してくれておる。だとしたら、おそらくは同じものが作ったと考えるのが筋が通るのだが。」
克樹が、目を輝かせた。
「確かにそうです!わずかに違うことがあるけど、それでも言葉は同じですし文字も同じ。」と、訪神見聞録1を指した。「古代語だって、ショーンが読めたということは、古代から同じということでしょう。物や魔物の名称だって、同じ物が多い。つまりは、同じ創造主が作ったと考える方が自然です。」
ショーンが、考え込むようにじっと床を見つめて、言った。
「だったら…メイン・ストーリー・オブ・ディンダシェリアも、こちらと同じということじゃないか?あれは真実だ。何しろ、行った本人がそう言っていた。」
克樹が、いきなり立ち上がった。
「それって…圭悟おじさんと、シュレーと父さんの!」
ショーンは、頷いた。
「ラーキスの親父さんとおふくろさんもな。リーディス陛下もあれが真実だと公言していらっしゃる。ということは、創造主に会ったことがある彼らは、それを知ってるんじゃないのか。」
ラーキスが、ふと顔を上げた。
「…ウラノス?」
克樹は、何度も頷いた。
「そうだよ、最後に出て来た。ウラノスが、世界を見てる神なんだ!」
だが、それにはシャデルが顔をしかめた。
「それは男の名ではないか。訪神見聞録に出て参るのは、女ぞ。創造主は、女だった。」
ラーキスが、眉間にしわを寄せてじっと思い出している。そして、言った。
「…確か前にこの世界を任せた者があまりに非情で怠惰であったからと、ウラノスに消されたのではなかったか。それが、確か女だった。もしかして、その創造主とかいうのは、消された女のことではないか?」
読んだことのある者達が、一斉に思い出そうと視線を虚空に漂わせる。咲希も考えてはみたが、一度読んだだけなのでそこまでは覚えてはいなかった。
アトラスが言う。
「しかし、名は書いておらなんだ。オレはあれを何度も読んでおるから覚えておるが、名が出て参ったのはウラノスだけ。後の登場人物は偽名で、その消された女に関しては全く何も無かった。」
みな、同じ結論に達したらしい。それを聞いて、一斉に頷いた。
「でも…実際に行った人たちは、知ってるかも。父さんに聞いてみたら…」
そこまで言ってから、あの本の登場人物達が軒並み皆、ディンダシェリア大陸へと帰っている事実に気付いた。つまりは、今聞くことが出来ない。
シャデルが、首を振った。
「良い。今はそこまで考える必要はない。先ほども言うた通り、今は石を設置して気を正すのが先ぞ。我はまだ、これを全て信じておるわけではないぞ。主らも、他のことは考えずに、気を正すことに集中せぬか。主らの大陸が危機に瀕しておるのだぞ。これをもとに戻さぬ限り、主らが言う者達にそれを尋ねることも出来ぬのだ。」
じっと黙って聞いていた、アーティアスがやっと口を挟んだ。
「シャデルの言う通りぞ。今は明日に備えて食事をし、ララコンへ向かう。後のことは、それからぞ。」
克樹も咲希も、まだ言い足りなかったが、それでも仕方なく頷いた。
それから食堂へと降りて行き主に肉で占められたラウタート用の豪勢な食事を済ませた後、皆は二つの部屋へ分かれて、次の日に備えて眠りについたのだった。
次の日の船の中では、皆が一様にだんまりだった。
というのも、一番よく話す克樹が、昨夜は同じ部屋だった咲希とラーキス、アトラスとショーンと共に、遅くまでベッドに横になったまま、創造主について話していたからだ。
昨夜は結局、向こうの部屋にはアーティアス、クラウス、エクラス、リリアナ、シャデルが寝て、こちらにはラーキス、咲希、克樹、アトラス、ショーンが寝ることになって分かれて眠った。
向こうの部屋ではすぐに寝たようだったが、こちらではそれどころではなく、皆遅くまで興奮気味に話していたので、眠くて仕方がなかったのだ。
今朝は、ラーキスとアトラスは難なく起きたようだったが、他の面々には地獄の朝だった。
ほとんど寝ていないのにたたき起こされて、船に乗せられ、そこで朝食を配られて自動的に食べ、今なのだ。
眠気が襲って来て、話すどころではなかった。
アーティアスが、そんな五人を見て呆れたように言った。
「また遅うまで起きておったのだろう。あれだけ夜明けには出ると申しておいたではないか。」
誰も答えないので、克樹が仕方なくだるそうに答えた。
「そんなこと言うけど気になって。オレの父さんが経験したことなんだぞ。考えたらすごいことをやってたんだなって、父さんを見直しちゃって。デカい仕事をして金には困らないとか言ってた意味が、やっと分かった気がするよ。」
ラーキスが、それには頷いた。
「オレこそぞ。父上が何をしておってもそうだろうと思えたが、あの母上までがあのようなことを。巫女であるのは知っておったが、あまりに安穏としておるので、まさか命の危機を乗り越えて戦ったなどと、考えたこともなかったゆえな。創造主とまで対峙したなど、考えられぬわ。」
アトラスが、考え深げに言った。
「しかし…クロノスの力を考えても、あれほどの力を持つ者に向かって行くなど、命が幾つあっても足りぬわな。それを成し遂げたことを考えたら、我らの今の苦労などそれほどでもないのかと思えることよ。」
咲希が、ぼんやりと天井を見て横になりながら言った。
「でも…クロノスは言っていたわね。時の流れが一つではないって。ここまでにも、あちらとこちらで時の流れが違った時があったのかもしれないってことよね。あの本でも書いてあったじゃない…あの、消されてしまった創造主がしたことの一つに、時の流れを何百年何千年と一気に流してしまったことがあったって。そんなことまで出来るなら、今あるこの時間はいったい、どの時なんだろうって考えてしまうわ。」
アーティアスが、それには驚いたような顔をした。
「確かにな。創造主がそのようなことをしたのなら、創造主とやらが居る場所とこの世界、他の世界の時の流れが違うということであるから。それを自在に操るというクロノスは、我らの想像を絶する力を持つということではないか。」
克樹が、言った。
「でも!父さん達はその創造主を倒したんだ!そういう方法があるんだから、完全な存在じゃないってことじゃないか。」
ラーキスが首を振った。
「その創造主の上の存在であるウラノスが手助けしたからではないのか。我らだけでは恐らく太刀打ち出来ぬ。つまりは、もしあのアルトライが本物だとしたら、バークに開かれてしまえば、我らはかなり不利になるということぞ。」
咲希が、体を起こして言った。
「クロノスが居るわ。ずっと助けてくれているのだから、訳を話せばきっと手助けしてくれるわよ。」
それには、シャデルが言った。
「今案じても仕方のないことではあるが、しかしあれが真実だとしたら、アルトライを開かせてはならぬ。なぜならクロノス達向こう側の存在は、我らとは感覚が違うのだ。我らが人道的にこうしてくれるだろうと期待しても、あれらはそもそも「人」ではないのだ。考え方が根本的に違う。必ず助けてくれるなどと思うてはならぬ。対策を練るのなら、己の力だけでどうにか出来る道を探ることぞ。」
それを聞いたラーキス、アトラス、克樹、咲希は顔を見合わせた。
「…確かに。みんな命を落とすところだった…最後そこまでの功績を認めて助けてはくれたが、それでも助からなかった仲間も居た。ウラノスがあの創造主を消したかったのなら、そもそもウラノス自身がさっさと消してしまえば良かったのに。」
克樹が言う。アトラスが、頷いた。
「自分の世界のことではないから、こちらの者達が成すべきだったとか言っていたような気がする。自分が選んだ創造主のせいであんなことになっていたのに、こちらは押し付けられた恰好ぞ。そう考えると、我らと考え方の軸が違うのやもしれぬ。」
シャデルが、頷いた。
「人の常識であれらを見てはならぬぞ。あれらにとって、時など無いに等しい。我らが数十年かかって成したことでも、あれらの評価の対象はあくまで結果。その過程や費やした時は考慮せぬ。なぜなら、そんなものはどうにでもなることだからだ。数千年が一瞬にもなるあれらには、我らの考えなど通用せぬ。」
皆の顔に、緊張感が走った。今まで、すっかりクロノスは自分達の味方だと思っていたが、もしかしたらそうではないのかもしれない。ただ、自分達が思う方向へ持って行く行動をしているから、手を貸しているだけなのかも…。
アーティアスが、重い声で言った。
「どちらにしろ、力を貸してもらっているのだ。今は、我らも利用させてもらえばよいのよ。少なくとも、今は敵ではない。これからは分からぬのだとしても。」
咲希はそれを聞いて、所詮クロノスも人ではないのだと悟った。
いくら親切にしてくれているようでも、あちらからすればそうではないのかもしれない。こちらが勝手にそう解釈して、信頼しているだけなのかもしれないのだ。
これから先に、どうか自分達の手に負えないようなことが起こりませんようにと、咲希は心の底から願った。




