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異変

アーティアスが不機嫌に最上階の大きな部屋の、居間で座っている回りには、同行して来た仲間達が黙って座っていた。

ここは、アーティアス達王族が来た時泊まる部屋らしく、ワンフロア全てを使った大きな部屋で、中央にこの今いる大きな居間があり、左右にベッドルームがあって、それぞれに6台の大きなベッドが入っている。

その他金色のバスタブがあるバスルームもあり、それは豪華だった。

ここへ来て、咲希が珍しくてあちこち探検して回ったからこそ知ったことだった。

それからしばらく経つのに、まだここの責任者らしいディルクが来ないのだ。短気なアーティアスは、かなりイライラとしていたが、それでもまだ我慢しているようで、むっつりと黙っているだけだった。

いつもならそんな雰囲気は何とかしようと克樹が頑張るのだが、今日の克樹は船でも同じように頑張り過ぎて疲れていた。

なので、ただみんな黙っているしかなかったのだ。

そんな空気を切り裂くように、扉が音を立てた。

「アーティアス様、ディルク様がお越しでございます。」

あの、フロントで見た男の声がする。アーティアスは、顔を上げずに言った。

「入れ。」

扉が開く。

すると、ディルクが疲れたような顔をしながら、アーティアスの前に膝をついた。

「王、大変にお待たせしてしまいました。」

アーティアスは、むっつりした顔のまま答えた。

「誠にそうよ。何をしておった。」

ディルクは、顔を上げた。

「王がお着きになる数時間前、急を聞いてララコンへと出向いていたのでございます。結局は我らは間に合わぬということで、リツの駐屯兵達だけが参りましたが、その報告を待ってララコンに足止めされておりました。」

アーティアスは、眉を寄せた。

「リツ?またサラデーナ軍がちょっかいを出して参ったのか。」

それを聞いてシャデルが表情を硬くする。ディルクは、首を振った。

「いつもの様子とは違う様でした。山を越えようとしたのではなく、王が塞ぐようにおっしゃったあの、氷穴から続く洞窟の手前、女神の像がある場所へ侵入しておったのです。人数も僅か数人。リツの者達が、洞窟の封印が破られたのを感じて、我らに知らせて参ったのですが、肩透かしをくらったような感じで。」

シャデルが言った。

「詳細は?」

ディルクが戸惑ったような顔をする。アーティアスが横から促した。

「良い、詳細を申せ。」

ディルクは、頷いた。

「はい。何やら術の掛かった本を手に、叫んでおったのだとか。思うようにならなかったらしく、もみ合っているところへ踏み入ったのだと聞いております。捕らえて戻ろうとしたらしいのですが、そこへ汚れた女が飛び込んで来て…ライアディータの女だと、一人が叫び、我ら王がライアディータと友好関係を築いておられるのを知っておるので、ためらったと。そのまま、女を人質に逃げられたのだということです。」

最後は、申し訳なさそうにディルクは言った。アーティアスは、眉を寄せた。

「良い、常追い返すだけで良いと申しておるから。だがしかし、ライアディータの女と。誰ぞ?そのような所になぜあちらの大陸の者が来れるのだ。おかしいではないか。」

克樹が、弾かれたように椅子から立ち上がった。

「マーラ!マーラなんじゃないか!?」

それを聞いて、咲希も口を押えた。

「そうだわ…確かに!山で、迷子になっていたの?」

克樹が、頷いた。

「見つかったんだ、良かったじゃないか!」

シャデルが、首を振った。

「マーラはサラデーナへ連れて行かれたのであろう。まだ山で彷徨っておった方が安全であったわ。今のサラデーナは、何をするか分からぬ。バークはマーラを人質にライアディータに何を要求するか分からぬぞ。」

克樹は、シャデルを見て言った。

「マーラは、ライアディータではなくリーマサンデの軍人なのです。リーマサンデのリシマ王は、恐らくマーラに人質としての価値を見ないでしょう…軍人なのですから。民の命と軍人の命なら、恐らくは民の命を取るかと。」

シャデルは、息をついた。

「余計に悪いの。ならば生かして置かれるか分からぬ。困ったものぞ。」

ショーンが口を開いた。

「問題はそこじゃねぇ。そいつらが、女神の間で何をしようとしてたかってことだ。術の掛かった本とか言ってたな。それは何だ?」

シャデルが、眉を寄せたまま答えた。

「…我に心当たりがある。もしもそれが術に掛かった本だったなら、恐らくはアルトライという密教書ぞ。」

全員が、驚いたようにシャデルを見る。

「密教書?」

克樹が問うのに、シャデルは頷いた。

「我が国には、女神信仰と並行していろいろな信仰があっての。同じ女神を信仰しておるが、それでも信仰の仕方が違うのだ。大多数は女神を絶対的な存在として崇めておるが、その他には女神は他の、大きな力の持ち主…ここでは創造主というが、その創造主から力を与えられたただの人で、創造主の知恵の源と言われておる本…アルトライを信仰する者達も居る。」

ショーンが、ハッとしたように顔を上げた。

「あれか…訪神見聞録。」

シャデルは、片眉を上げた。

「知っておるのか。」

ショーンは頷いて、自分のカバンから小さくしていた一冊の本を出した。そして、大きく戻した。

「王城の図書館で、奥の方に隠すように置いてあったのを、そうとは知らずに一冊持ち出していたんだ。」

シャデルは、その本を受け取って、中を開いた。

「これは、大部分の者達には受け入れられておらぬ。女神をただの女のように書いておるのが、どう見ても創作だと主張しておるのだ。だが、これには信憑性のある所もあって…例えば、いきなりに女神が出現するなどおかしいであろう?ましてアンネリーゼは、幼い頃は普通の子供であったらしいのだ。いきなり能力に目覚めて人々を助け、女神とあがめられるようになった。それは、普通の女神信仰の者達も認めておるが、それは突然に女神が降臨したせいだとか申して筋道をこじつけておる感がある。しかし、これは違う。」と、最初の方を指した。「見よ。アーシャンテンダ大陸は、創造主が手をかざした場所に出現した平和な地だとある。しかしそこから世界が疫病や天災などに苛まれ、つらい世になった時、天から創造主が現れ、アンネリーゼにアルトライという書物を与えた。アンネリーゼはそれによって力を得て皆の病を治し、災厄から守った。そしていつしか女神と崇められるようになった。アンネリーゼは困った時には女神の間へ赴きアルトライを開き、そこから知識を得て皆を助け続けた。そのカギとなるのが、創造主の名。それはアンネリーゼと彼女に仕える修道士の長しか知らないものだったらしい。」

克樹が身を乗り出して本を覗き込んだ。

「じゃあ、これは宗教書なんですか?」

克樹には読めないかなり古い古代文字だ。シャデルは、苦笑した。

「今も言うたように、一部の者しかこれを信じてはおらぬ。我とて、これは創作であると思うておったしな。なので全てを知っておるのではないのだ。主要な部分はまあ、覚えておるが、しかし事実ではないと思うて来たゆえ。」

ショーンは、シャデルを見た。

「でも、あなたはオレに死者蘇生の術を知っていると言った。オレはこれの4巻を、リツの山の民の家で見たが、そこに術の詳細があった…術者の命を懸けて放つ術。あれのことを言っていたのではないんですか?」

シャデルは、険しい顔をした。

「…あれを見たと?一般の民の家で?」

ショーンは焦れたように何度も頷いた。

「小さな集落に滞在した時、そこの民から洞窟の裏の、命の気が流れる場所というのを聞いた。皆恐れて近寄らないが、そこの男は行って、そこでその書を拾って来たのだと。オレはそこの家の子供の病気を治すために、そこへ行って来た。だからこそ、アーティアスはそこに氷穴に続くだろう道があるのを知ったし、それを塞がせていたんだ。女神の間があった。少なくとも、これに書いてある場所は間違いなく、ある。」

シャデルは、視線を固定して考え込むような顔をした。

「…事実が混じっておっても、全てが真実とは限らぬもの。だがしかし、興味のあることぞ。」

ショーンは、シャデルをせっついた。

「それより、あなたが知っている術だ!オレは、その術のためにここまで旅をして来た。ライアディータのリーディス王に、そのために危険な旅を申し出たんだ。あなたは、ここに書いてある術をオレに教えようとしたのか。」

シャデルは、目を上げた。皆が、アーティアスでさえも、じっとこちらを見て答えを待っているようだ。

シャデルは、息をついて首を振った。

「…違う。申したの、我はこれを信じておらなんだ。今でもすべてを信じておらぬのは確かぞ。それに、この中に書いてる事であるなら我は決して主に教えようなどと言わなんだ。主、これの結末は知っておるのか。」

ショーンは、厳しい顔のまま言った。

「結末?術を放って、生き返ったんじゃないのか。」

シャデルは、首を振った。

「5巻は、救いようのない内容になっておる。あの術を放った後のことは、今の世界の元凶となってるようなものぞ。知らぬなら、この術が真実だったとして、我は主を阻止しようとするであろうの。それほどに、壮絶な最期ぞ。だからこそ、信じておらなんだというものある…あまりにも、一人の人が起こしたとしたら重大な、救いようのない結果であるからな。」

みんな、一様に不安そうな顔をした。

ショーンでさえ、一瞬顔をしかめたが、それでも声を震わせないように努力し、言った。

「…いったい、あの本でアンネリーゼはどうなった?何をしたんだ。」

シャデルには敬語であったのに、それも忘れてしまっている。シャデルは、アーティアスを見た。

「今は、そんな架空の話をしておる場合ではないの。とにかくは、アルトライをアラクリカから持ち出した奴が居るということが問題ぞ。あれは、アラクリカで厳重に保管されておったはず。神官が一部の信仰のご神体と言われておるほどの品を、それほど簡単に手放すことは考えられぬ。」

ラーキスが、シャデルを見た。

「もしかして…バークでは?」

アーティアスが、少し焦ったようにシャデルを見た。

「父上の話では、あれが主を封じたのだと。そんな術を作るような奴なのだ。主を倒そうと、確かでない術を試そうとしてもおかしくはないのではないか。」

シャデルは、じっと黙った。ショーンが言った。

「バークは案外、これを確かではないなんて思ってないかもしれないぞ。本気で使えると思ってるんだ…いったいどれほどの力になるのかは知らないが。」

みんなは、その可能性を考えて身を震わせた。もしも、この訪神見聞録に書いてあることが真実であったのなら?そして、バークがそれで力を手にしようとしているのだったら?

…考えれば考えるほど、それは面倒以外の何物でもなかった。


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