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ルシール遺跡へ

空は、嘘のように晴れ渡っていた。

日が昇って、どれぐらいになるだろう。晴れていても気温があまり上がらないのに、咲希は歩くことに集中して考えないようにしながら、皆に遅れないようにだけ気を遣っていた。それでも、じっとグーラに乗っているより、歩いた方が幾分寒さはましだった。

魔物が突然現れた時のためにと、杖を出しているように言われたので手にしていたが、手袋の中の手がかじかんで握っている感覚が無かった。なので、時に左手に持ち換えたりしながら、咲希は寒さとひたすらに戦っていた。ラーキスが、言った。

「サキ、大丈夫か?日中は氷点下を上回ると聞いているので、そろそろ楽になって来るはずだ。」

咲希は、無理に微笑んで、毛皮のフードで埋もれた中から言った。

「大丈夫。少し慣れて来たし。でも、魔物は出ないね。晴れると向こうまでよく見えるけど、何の影もないもの。」

ラーキスは、先の方へと目をやった。

「ああ。ラグーは群れで動くしよくわかるんだが、居ないようだな。だが、空から来る魔物も居るゆえ…一匹も出ないとは言い切れないのだがな。」

咲希は慌てて空を見た。今のところ何も見えない。

「何か…私が居た世界とは全く違うから、戸惑うわ。あっちには魔物なんて居ないのよ。」

ラーキスは、首をかしげた。

「母上からいくらか聞いておるので、あちらの事は知っている事もあるが、あちらではリーマサンデのように魔法が使えないのだと聞いている。魔物が出ないぶん、人の中に魔物のような者も居て、夜道などで一人はかなり危ないのだと聞いたぞ。そこで生きておったのだから、魔法が使える今は魔物など恐れる事はない。」

咲希は克樹から聞いて、この世界がディンダシェリアと呼ばれ、このライアディータという国と、山の向こう側にあるリーマサンデという国に分かれているのをもう知っていた。そして、リーマサンデでは、命の気の強い流れが無く、魔法が使えないということも。

「そうか…同じなのね。あちらの人の襲い掛かって来るような人も、こちらの魔物も。」

ラーキスは、頷いた。

「オレはそう思ったがな。」そしてふと、先を凝視した。「…ラグーが居る。」

咲希は、慌てて前を向いた。しかし、何も見えない。相変らず、広い雪が積もった土地があるだけだ。

「どこ?見えないわ。」

すると、シュレーが言った。

「グーラは目がいい。」と、腕輪のレーダーを見ていたが、顔をしかめてアトラスを見た。「まだレーダーの範囲外だな。どうだ、アトラス?」

アトラスは、頷いた。

「群れからはぐれたのだろうの。二頭ほど見える。どうする?このまま行けば遭遇するが、二頭ならお手の物だろう。」

シュレーは、軽く頷いた。

「ああ。このまま行こう。二頭なら確かにそう手間は掛からない。群れで居るから面倒なんだ。」

克樹も特に気にする様子もなく頷いていたが、咲希はそうはいかなかった。初めて遭遇する魔物なのだ…いったい、どんな魔物なのだろう…。

そうして、そのまま一行は真っ直ぐにルシール遺跡へ向けて歩いていた。


しばらく歩くと、辺りには背の高い岩場が増えて来た。見通しが良かったのが、一気に見えない方向も出て来て、咲希はより一層構えていた。心の中でいろいろな技の呪文を思い出してはおさらいをして、その瞬間に備えていた。

シュレーが、言った。

「…同じ場所から動かないからおかしいとは思っていたが、あいつら、変じゃないか?」

見えて来た、紫と黒のまだらな模様の毛の動物に、咲希は身震いした。あれが、魔物…。でも、何だか同じ場所でじたばたしているような。

ラーキスが、頷いた。

「先に行って見て来ようぞ。」

そう言ったかと思うと、100メートルほど離れたそのじたばたとするラグー二体へ向けて走って行った。そうして、ラーキスを見て更に脅えて暴れまくるが、それでもそこから動けないのに、シュレーがこちらから見て言った。

「…やはりおかしい。」

ラーキスが、手を振っている。シュレーが、足を速めてそこへと近付いた。咲希は、遅れて克樹と共にそこへたどり着いた。すると、その二体の魔物は足を全て失っていて、そこへ転がされているような状態だった。

「だから逃げなかったの…。」

咲希は、魔物なのに同情した。克樹が、眉を寄せて言った。

「こんな倒し方…普通ならしない。どうせこのまま放って置いても死ぬだろう。オレ達はそれより、一思いに倒して肉と皮にする。お互い命を懸けて戦うんだから、こんな生殺しのような残酷なことはしないよ。」

ラグーは、まだうねうねと体をよじって逃げようとしている。シュレーが言った。

「楽にしてやろう。」と、剣を軽く振った。「理解出来ないが、誰かがこれをやったのは間違いないんだからな。回りに気をつけろ。」

咲希が慌てて目をそむけると、違う方向を見ていた克樹が叫んだ。

「シュレー!あれ!」

ラーキス達が振り返ると、岩場の裏から、大きな恐竜かと思うような赤黒い体の生き物が出て来た。歩くたびに、ずんずんと地が揺れる。咲希は、一瞬何が起こったのか分からずにそれを見つめた…すごい大きい…まるで映画で見たティラノサウルスみたい。でも、足は短いな。

…ティラノサウルス?

「あ、あれ…!」

「ミガルグラントだ!」シュレーが叫んで前に出て咲希を後ろへ押しやった。「まさか、ラグーは他をおびき寄せる罠か?!」

克樹が、シュレーの隣りに並びながら叫んだ。

「あいつらにそんな知恵ないだろうが!」

ラーキスが、険しい顔でこちらへ駆け寄って来るミガルグラントを見ながら首を振った。

「いや。案外に狡猾なのだ。」と、アトラスを見た。「行くぞ。サキ、あれは炎に弱いゆえ、炎技を使え。」

シュレーと克樹は、既に詠唱を始めてミガルグラントに向けて放っている。咲希は、遅れてはならないと必死に杖を構えた。そうして、詠唱を始めると、本当に魔方陣が足元に現われ、咲希は自信を持って杖をミガルグラントへと向けた。

「フォトン!」

火の玉が幾つか連なって飛んで行く。結構大きな火の玉だったが、ミガルグラントはうるさそうにそれを叩き落して、そうして熱かったのか手を振った。案外に、図太い…。

咲希は、もっと大きな術を出そうと、覚えている術の中で大した名称の物を選んで詠唱を始めた。

それでも、ミガルグラントが立ち止まったのを見たラーキスとアトラスは、ミガルグラントへ向かって駆け出したかと思うと、みるみるグーラへと変化して飛び上がった。

シュレー達は相変らず必死に術を放っていたが、その慣れた様子に次々に放たれる術ではびくともしなかったミガルグラントが、グーラを見た途端、その表情がよく分からない顔でも分かるぐらい、明らかに慌てた様子で必死に身を避け始めた。

「任せよう!」シュレーが叫んで、咲希の詠唱を止めた。「二人に当たってはならない!」

咲希は、慌てて杖を下ろした。アトラスとラーキスは、飛びながら大きく口を開いて炎をミガルグラントに向けて放つ。ミガルグラントは、その巨体には小さすぎる翼をはためかせて浮き上がり、何とか逃れようと必死なようだった。咲希は、知らず知らず杖を握る手に力を入れて、固唾を飲んでそれを見守った。確かにミガルグラントは、グーラと戦うのは諦めているようで、逃れる事しか考えていないようだった。

《そっちへ。オレはこっちへ。》

ラーキスが、グーラの言葉でアトラスに言った。アトラスは答える代わりにそちらへ向けて身を翻した。

「何か言ったわ…。」

咲希は、その唸るような声を聞いていた。二手に分かれた二体のグーラは、両側から一気にミガルグラントへと降下した。

ミガルグラントは、必死に短い手を振ってそれから逃れようと首を振った。しかし、前に出て来たアトラスに気を取られている間に、後ろへ回ったラーキスが斜め後ろからその首に食いついた。

「ギャアアアア!!」

ミガルグラントはまるで叫ぶように鳴いて、必死に身をよじった。しかし、一度噛み付いたラーキスはそこから離れず、暴れるミガルグラントの背に足を付いたかと思うと、後ろへと羽ばたいて、噛み付いたまま首を左右に大きく振った。

「グオ…」

ミガルグラントは、変な音を出した。声が出ないのだと見ている者達は思った。見る間に血が噴き出して、ラーキスが羽ばたいてミガルグラントから離れたのを見て、食い破った事実を咲希はそれで知った。

ミガルグラントの巨体は、大きな丸太が倒れるようにその場へ倒れた。

「…さすがに、早い。」

シュレーが、それを見上げて言う。咲希は、大量の血とその臭いに吐き気をももよおして、横を向いた…知らず知らずのうちに、体が震えて来る。

「咲希?」克樹が、心配そうに咲希の顔を覗き込んだ。「どうしたんだ?もう大丈夫、起き上がって来れないよ。ラーキス達が居る限り、ミガルグラントなんて怖くないから。」

咲希は、頷いたが、まだ震えが止まらない。ミガルグラントに遭遇した時も、なぜだか震えなかった足が、今はガクガクと震えて収まらなかった。

視界の端では、ラーキスがまだ宙で羽ばたいたまま、首を振って口の回りの血糊を払っているのが見えていた。シュレーが、そんな二体を見上げて言った。

「上空はどうだ?飛べそうか?」

アトラスが答えた。

『天候が回復しておるゆえ、そう気温も低くないようぞ。今ならば遺跡まで飛ぶのも可能ではないか。主らが寒さにさえ、耐えられればであるが。』

シュレーは、克樹と咲希を振り返った。

「ということだ。ここからならばそう時間も掛からないし、低く飛んで行けば耐えられるだろう。飛ぶか?」

咲希は、まだ吐き気を抑えて下を向いたままだ。克樹が、シュレーを見て首を振った。

「いや、もう少し歩いてからにしよう、シュレー。咲希が初めてあんな大量の血を見て、気分が悪くなったみたいで。」と、咲希の背を擦った。「咲希?歩けるか?」

咲希は、手で口を押さえて何とか頷いた。辺りに立ち込める血の臭いに眩暈がする。まさか、こんなに自分が弱いとは思わなかった…だが、想像以上に血の臭いは精神的にもきつかった。

「ご、ごめんなさい。」咲希は、何とか口を開いた。「ここから離れたら、大丈夫だと思うの。だから…飛びましょう。」

克樹とシュレーは、顔を見合わせて頷いた。アトラスが降りてきて、まだ向こうで顔を雪の中に突っ込んで血を拭っているラーキスを見た。

『ラーキス、飛ぶぞ。』

ラーキスは、大きく首を振って雪を払った。

『ああ。』

ラーキスは、こちらへ飛んで来てアトラスと並んで、皆が乗りやすいようにと首を下げた。克樹が、咲希を支えながらラーキスへと促す。

「さ、咲希。」

咲希は頷いて、ラーキスに手を掛けた。ラーキスの体からは、湯気が上がっている…雪を被って血を拭ったので、残った雪が上気したラーキスの体で解けているのだ。

「う…!」

咲希は、まだ残るその血の臭いに口を押さえて横を向いた。克樹が、慌てて咲希を引っ張ってラーキスから離した。

「駄目だ、まだ血の臭いが残ってるよ、ラーキス。」

ラーキスは、困ったようにそちらを向いた。

『ここには川も池もないしな。洗い流すことも出来ぬ。』

アトラスがあちらから言った。

『オレは血を被らなかったゆえ。サキ、こちらへ。』

克樹は頷いて、よろよろとする咲希を引きずるようにそちらへ連れて行った。シュレーが、ラーキスに跨った。

「さあ、一気に行くぞ。日が照っているうちに、遺跡に着こう。」

ラーキスは黙って頷くと、ちらと気遣わしげにアトラスの方を振り返った。アトラスには、克樹に支えられた咲希が、青い顔をして乗っているのが見える。

ラーキスは、自分から立ち上る血の臭いを振り払うように、勢い良く空へと飛び上がった。

そうして、二体のグーラは晴れた空の中、低空をルシール遺跡に向かって飛んだのだった。

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