その名は2
岩の隙間を抜けた時、フォルカーは突然の光に思わず剣を抜いた。
しかし、よく見ると自分達以外は誰も居らず、広い空間の正面には、アラクリカで嫌になるほど見た女神の石像が、壁から浮き出るような形で刻まれているのが見える。
どうやら、石像自体が光を放ち、訪問者を照らしているようだった。
夕日を思わせるような薄赤い光の中、先に通ったバークが、まるで憑かれたような顔で石像の前へと進み、それを見上げている。後から隙間を通って来たニクラスが、フォルカーに並んで言った。
「…これが、女神の間か。」
フォルカーは、今まで本の中の戯言だと思っていたものが、目の前にあることに少なからずショックを受けていた。
「まさか本当にあるとはな。」
ニクラスも、それには頷いた。視線の先のバークは、その石像の前に跪き、像を見上げて両手を上げた。
「おおオレは女神には祈らない。創造主よ、オレに力を!」そして、自分の肩にかけていたカバンからアルトライを出した。「創造主、ウラノスよ!アルトライを開いてオレに力を与えたまえ!」
アルトライは、場の何かの共鳴し、何度もその、開かせまいと拘束してる術の光を明滅させた。
フォルカーとニクラス、それに数人の兵士達が固唾を飲んで見ていたが、それから数分が経過しても、アルトライの術の拘束が消える様子はない。
バークは、焦ったように再び叫んだ。
「ウラノス!?アルトライを開け!オレに力を与えよ!」
また数分が経過した。
だが、それでも術が解ける様子はなかった。
「…やはり簡単には名など分からぬものだ。」
フォルカーが、小さく言う。バークが、それを耳にして振り返った。
「なぜに開かぬ!この名以外に創造主の名などないはず!」
ニクラスが、声を大きくして言った。
「ウラノスは、男の名ではないか。訪神見聞録が事実を伝えているのだとすれば、アンネリーゼに力を与えたのは、女だった。アンネリーゼが全編に渡って語らう創造主は、女であったと記されてあった。」
バークは、その事実に愕然とした。
記憶を探る…他の修道士達に隠れて読む必要があったので、細かなことなど覚えてはいない。ただ、重要なことは見逃していないつもりだった。
しかし、確かにそうだった。話していたあの言葉は、女の言葉であったような気がする。
「では…では創造主の名は他にあると?!」
ニクラスは、頷いた。
「アラクリカの神殿で、私にそれを話してくれておったらこんな所へ来る前にその間違いを正せたのに。あなたは早くに神殿を離れて、ろくに修道士としての務めを果たしていなかった。詰めが甘かったのだ。」
バークは、呆然と明滅するアルトライに視線を移した。では、どうしたらその名を知れる。知っていただろう修道士の長は自分が殺した。唯一創造主に会ったことがあるという奴らは、ライアディータの民で、もはやここには居ない…。
「とにかくは、一度お戻りを。」フォルカーが、急がせるように言った。「そろそろラウタート達が来てもおかしくはない。こんな所でこんな人数で襲われては、逃げることは出来ません。戻ってから策を練るのです。」
それを聞いた兵士達が、ガツガツをさっき通って来た穴を広げようと力を籠め始めた。バークは、悔し気に顔をしかめたまま、アルトライを手にまだ棒立ちになっている。フォルカーは、そちらへ駆け寄って腕を掴んだ。
「さあ!命があってこその力!早く!」
その時、大きな影が背後を過ぎった。
「フォルカー!」
ニクラスの叫びが聴こえる。
振り返ると、五体のラウタートが空中でこちらを睨んでいた。
その女は、ふらふらと山中をさまよっていた。
どれぐらいここに居るのか、真っ暗なのでもう自分には分からない。
それでも、自分の持っているポーチの中には最低限の水と食料は入っていて、それを大きく戻しては、少しずつ食べて命を繋ぎ、そうして出口を求めてさ迷い歩いていた。
無限に続くだろうその道は、どこまで行っても岩しかない、道と言うにはあまりにも険しいもので、女の体力を容赦なく奪った。
それでも自分はどうやら体力だけはあるようで、力尽きるにはまだ時間があるようだった。
足の力は入らず、体は疲れていたが、それでもまだ倒れることは無かった。
女がそこへ足を踏み入れると、何やらひんやりとした空気が流れて来るのを感じた。
空気の流れがあるということは…もしかして出口が近いのか。
女は、空気が流れて来る方向へとふらつく足を向けた。
足元には水がちょろちょろと流れ、時に足を滑らせて転倒しそうになったが、そんな女の目に、光が飛び込んで来た。
遠く、ぼんやりとしたものだったが、それでもそれは光だ。
ずっと暗闇の中で居た女の目には、それが殊更はっきりと見えた。
…ああ、やっぱり出口が!
女の足は、自然速くなった。あちこちに足を取られて何度もひっくり返ったが、それでもその光を目指すのをやめられなかった。
あの光…あそこに、出口があるんだ!
そして、大きな像が立つ広い空間へと飛びこんだ。
フォルカーの背に、鋭い痛みが走る。
「う…!」
フォルカーは、横へ転がった。バークも、アルトライを必死に抱えて脇の岩の影へと飛び込む。
ラウタートが、フォルカーの背を鋭い爪で引き裂いたのは見えたが、まだ本気ではないようだ。フォルカーは、自分の背の痛みの具合で、傷の深さを分析してそう思っていた。殺すつもりなら、こんな浅い傷をつけない。今の一撃で、簡単に自分もバークすら消し去ってしまうことが出来たはずなのだ。
岩の隙間を見ると、兵士達が我先にとそこへ体を突っ込み、向こう側へと逃れようとしている。フォルカーは、小さく舌打ちした…このままでは、殺されないとしても捕らえられるかもしれない。そうなると、面倒なことになりそうだ。
ラウタート達は、逃げて行く兵士達には目をくれず、フォルカーとバークの方へとじりじりと寄って来ていた。ニクラスが、反対側の岩の影に飛び込んでいたが、そちらの方も一体が睨むようにしているのが分かる。
ラウタート相手に、生身の人では完全に不利だった。絶対に勝てないことは分かっている…人で対等に立ち合えるのは、今まで知る中ではシャデルだけだった。
それほど術に長けているわけでもない自分とバークでは、ラウタート達から逃れる術はない。
ニクラスは、こちら側で潜み、どうしたらいいのかと回りを見回した。何もない…あるのは、背後にある低い壁だけ。ほんの二メートル弱ほどの高さだったが、そこを上って逃れるには、あまりにもラウタートが近かった。
『おとなしくついて来るなら、危害を加えぬ。』
ラウタートのうちの一体が、そう言った。その瞬間、見たこともない女が、ニクラスのすぐ背後からそこへ飛び込むようにして転がって入って来た。
「!」
『!』
ラウタートも人も驚いてそちらを見る。だが、バークだけがそれを見て、そして、叫んだ。
「ニクラス、それを捕らえよ!ライアディータの女ぞ!」
女は、驚いて逃げようとしたが、ニクラスも必死にその女の腕を掴み、そして術を放って首へと力を巻き付けた。
「う…!」
女は、苦し気に首を押さえる。バークは、叫んだ。
「ラウタートども、聞け!それはライアディータから来た使者の女ぞ!これを殺してはお前達も具合が悪いことになろう…お前らの王も、あちらと仲良くしているようだからな!」
ラウタート達は、ためらった。確かにラウタート達は、ライアディータのことを知っているのだ。
ニクラスは、女を引きずってじりじりとバーク達の方へと寄った。フォルカーとバークは、機を見てさっとその後ろへと入る。
「時を稼げ。女は絶対に連れ帰れ。」
バークはそう言い置くと、自分は先に兵士達が崩した岩の隙間から向こう側へと逃れて行く。
フォルカーは、ニクラスと共に、目の前でグルルルと歯を見せるラウタート達を睨みながら女を引きずって下がりつつ言った。
「幸い、道は広がっている。同時に飛び込むぞ。」と、背後へと飛んだ。「行け!」
そうして、二人は岩の隙間から向こうへと抜けた。
女は、首を絞められるので苦しげな、ぐえええという声を残して、向こうへと連れ去れる。
『追うぞ!封印を崩せ!』
ラウタートは叫んだが、王の命令で塞いだ封印は、簡単には崩せない。隙間はラウタートには狭く、それに手間を取らされて数分、急いで後を追ったが、もう三人と女の姿はそこには無かった。




