アキラ
一行は、また船に揺られていた。
クラウスは大樹の回りの患者達の治療を進め、ショーンもそれを手伝って、石設置後すぐに出発したいというアーティアスをエクラスが押さえて、出来る限りのことをしてカイを出た。
ここまで移動ばかりで疲れていた皆は、船でウトウトとまどろんだりと体を休めているようだ。
咲希は、蚊帳の外に置かれたような気になって、眠れなかった。
なんやかんや言っても、これまでは全て咲希を中心に回っていて、皆が咲希を大切に見てくれた。クロノスを呼ぶのも咲希だったし、召喚されたクロノスも咲希に向かって話してくれた。魔法が使えなくても、少々意識が低くても、大切にされていると感じた。
それが、シャデルが居ると全く違った…王として幼い頃から君臨していたシャデルは、咲希より意識も高く能力もある、自分の力を使いこなしていて、考えも深い。
確かに生まれた時からこの世界に居て、魔法に接して来たのだからシャデルの方が慣れていて当然なのだが、それでも咲希は自分が役立たずであるように思えて、そしてそれをみんなから態度で示されているような気がして、寂しかったのだ。
咲希がじっと考え込んで椅子の背にもたれ掛かっていると、ラーキスが横から声を押さえて言った。
「サキ、寝ておらぬのなら外へ出ぬか?」
咲希は、驚いてラーキスを見た。ラーキスは、疲れたようでも眠そうでもなく、相変わらずすっきりとした顔でこちらを見ている。
「ええ…。」
どうしたのだろう。
咲希は少し戸惑ったが、ラーキスが先になって出て行くのに、黙ってついて外へと出た。
甲板は、とても狭い。
この船自体が小さいので、出る場所と言っても船室から出てすぐにある、船尾の向かい合うベンチのような場所しかなかった。
船室の戸を閉めてそこへ咲希が腰かけると、ラーキスは向かい側に腰かけた。
こうして見ると、ラーキスはすらりと背が高く無駄の無い筋肉がついていて、とても男らしかった。そのラーキスと今、恋人同士という事態に、今更ながらに咲希はぽっと赤くなった…今まで、そんな風にラーキスを見たことが無かったのだ。
ラーキスは、急に咲希が赤くなったので、驚いたような顔をして咲希を見た。
「どうしたのだ、急に。船に酔ったか?」
咲希は、首を振った。
「いいえ、大丈夫。ごめんね。」
ラーキスは不思議そうな顔をしたが、咲希がそれ以上何も言わないので、何も言わずに表情を引き締めた。
「くつろげぬようであったので。サキ、シャデルのことを気にしておるか?」
咲希は、驚いて顔を上げた。
「え…シャデル王のことを?あの…私、別にクロノスと話せなかったからって何も思っていないし…」
ラーキスは、咲希の答えに少し眉を上げた。そして、じっと考えるような顔をしたかと思うと、苦笑した。
「いや…そういう意味で聞いたのではないのだ。主の中のナディアが騒ぐのかと思うて、問うただけ。」
咲希は、あ、と口を押えた。幾らラーキスでも、自分の心の中まで見えないはずなのだ。それなのに、自分からクロノスに相手されなかったことを気にしているのをバラしてしまった。
咲希は、慌てて手を振って弁解した。
「いえ、あの、違うの。別に、疎外感とか、そんなの無くて…」
言えば言うほど墓穴掘るような。
咲希が困っていると、ラーキスは困ったように微笑んで、咲希と視線を合わせて姿勢を低くした。
「サキ、主はここまで頑張った。これからはシャデル王の責務なだけぞ。主の責務は終わったのだ。同じように大きな力を持って生まれたのだから、これほど大きな負担は二人で分けるべきであろうが。これまで、主一人で賄ったのだ。大きな顔をして、任せておけば良いのよ。誰も、主をつま弾きになどしておらぬぞ。」
咲希は、恥ずかしくて下を向いたが、また視線を上げた。ラーキスが、じっと自分を見ているのと視線が合う。咲希は、ラーキスの手を握った。
「うん…分かってるわ。そう思うことにする。ラーキス、心配かけてごめんね。」
ラーキスは、その手をそっと握り返した。
「良い。オレは別のことを案じておった。ナディアとシャルディークは心から愛し合っておったのだろう。そんな記憶が蘇って来ておるのではと、気になっておったのだ。主がその記憶のままに生きるほうが楽であるなら、オレは身を退くことも考えるかとの。」
咲希は急いで首を振った。
「違うわ!確かにシャデル王のことを想う気持ちが湧き上がって来る時はあるけれど、明らかに自分の気持ちではないのが分かるの。すぐに我に返るし…自分の心に定着する感じじゃないわ。私は、ラーキスを想っているの。」
言ってしまってから、咲希はまた頬を染めた。こんなに面と向かって、男の人にこんなことを言うのは初めてだった…。
ラーキスは、優しく微笑むと頷いた。
「オレもサキを想うておる。ならば、お互いに信じようぞ。オレも主を疑ったりせぬ。」
咲希は、今まで重苦しかった心が急に軽くなるのを感じた。ゲンキンなことだが、そんなことも吹き飛んでしまうほど、咲希はラーキスが自分を想ってくれる事実が嬉しくて幸せだったのだ。
ククルのミールさんが言った通り、私はここに残ることを選ぶかもしれない。
咲希は、ラーキスの隣へと席を替わると、そっとその肩にもたれ掛かった。ラーキスが、咲希の肩を抱いて、咲希の髪に頬を摺り寄せるのを感じる。
咲希はラーキスの温かさにホッとして、そのままウトウトと眠ったのだった。
「…キ、サキ。」
ラーキスの声が聴こえた。咲希は目を覚まして、慌てて回りを見た。いつの間にか咲希の肩にはコートが掛けられてある。もう、辺りは暗くなりかけていた。船が止まっている…着いたの?
「ここは、アキラ?」
ラーキスは、頷いた。
「今、船を固定しておる。」
船室の扉が開いていて、克樹がそこから覗いていた。
「今日はここでおしまいだね。咲希、疲れてない?」
咲希は、微笑んで首を振った。
「大丈夫よ。今少し休んだし、すっきりしてるわ。」
克樹は、ふふと笑った。
「咲希の元気の素はラーキスだもんね。なんだか元気がないなと思って気にしてたんだけど、二人で出て行くのが見えて、これで大丈夫だなって。」
咲希は赤くなってコートに腕を通した。克樹も、自分が悩んでいたのに気付いていたのだ。
船を固定していた、桟橋の地元民らしき人がこちらへ向けて言った。
「固定出来ました。どうぞ。」
咲希とラーキスは、立ち上がってそちらへ向かった。自分達が下りないと、邪魔になって船室から皆が出て来られない。
2人に続いて、克樹、ショーン、アーティアス、シャデル、クラウス、エクラス、リリアナ、アトラスと出て来て、一行はアキラへと降り立った。
そこは、やはり石畳などなく、地面はそのままであちらこちらに背の低い草が生えている土地だった。
咲希達が降りたのは、川から海へ出てすぐにある港で、あちこちに使い込まれた木造の船が繋がれていた。
小さな船も多く、それらは陸へと上げられてうつ伏せに綺麗に並べられて置かれてある。
網などもあちこちに整頓されて干してあり、古いながらもすっきりと綺麗な街だった。
だが、アーティアスに言わせたら、恐らくここも村なのだろう。
アーティアスが降り立ったのを見た船を繋いでくれた男が、慌てて頭を下げた。
「アーティアス様。お越しなるとは存じませんでした。」
アーティアスは、面倒そうに手を振った。
「ああ、ここには長居せぬから。明日の朝にはララコンへ発つ。ディルクは居るか。」
男は、急いで街中の方へと足を向けた。
「はい、すぐに!」
駆け出して行く男の背に、アーティアスは言った。
「ああ、宿へ来いと申せ!我はそちらへ参る!」
男は、律儀にこちらを向いて慌てて頭を下げた。
「はい!」
そして、また走って行った。それを見送ったアーティアスは、ため息をついた。
「早う休みたいわ。明日は夜明けに出発しようと思うておるのに。」
クラウスが、横から言った。
「足の速い船を準備させましょう。そうすれば夕方にでもララコンへ到着出来るはずです。」
アーティアスは頷きながら足を進めた。
「さっさと済ませて気を正したい。」
歩き出すアーティアスについて歩きながら、シャデルが問うた。
「ディルクとは?」
アーティアスは、シャデルを見た。
「我の臣下。アントンが居らぬようになってから、どこの村にも我の臣下を最低一人は駐屯させておる。そうでなければ、人では何も対応出来ぬのだ。ここの責任者はディルク。ここ最近のことを聞かねばならぬ。」
クラウスが、横から言った。
「あちこちにラウタートを駐屯させるので、キジンの方が手薄になってしまうのだ。キジンには王が居られるゆえ問題ないし、どうしても優秀な者は外へと出すよりないのでな。」
アーティアスは、息をついた。
「早う皆我の膝元へ呼び戻したいのだ。ラウタートが発祥したのはキジン。あの地以外では生きづらいのに、我はそんなことを臣下に強いておる。人も己の力で生きてもらわねば。」
どこまでもラウタートが人の面倒を見ているのだ。
咲希は、それを知った。本当はそこまですることはないのだろう。それでも、アーティアスは人を放って置くことが出来なかったのだ。
どこへ行っても、人が必死にラウタートに頭を下げる意味も、それで分かったような気がしていた。ここの人達は、ラウタートがいなければ、何も出来ないのだ。
アキラの街並みは、カイとそう変わらなかった。
石で作られた低い建物が綺麗に立ち並んでいる。そして、どこの家でもドアノブの素材は金だった。
奥へと歩いて行くと、ひと際大きな建物が目に入った。
他が平屋か高くても二階建てなのに対し、その建物は四階建てで、縦にも横にも大きく、とても広い敷地に建っていた。
エントランスも数段高い位置にあり、そこまで石の階段を上って中へと入ると、緑の絨毯が敷かれた開放的なロビーがあり、正面には長いカウンターがあった。
天井から吊り下げられた大きな照明が、キラキラと美しい。まるで王城のような内装に、街の様子とアンバランスなのも手伝って、咲希が面食らって絶句していると、中年の男がカウンターから飛び出して来た。
「アーティアス様!何かございましたか、急なお越しに驚いております。」
アーティアスは、その奉るような感じにうんざりとしているようで、クラウスに手を振った。クラウスが進み出て、その男に言った。
「明日の早朝には出発なされる。今夜のお食事を部屋へ。それからディルクが来たら部屋へ案内せよ。」
男は、深々と頭を下げた。
「はい!では早急にご準備いたします。お部屋へご案内を。」
アーティアスは慣れたように階段の方へと歩き出しながら言った。
「良い、勝手に参る。」
そうして、ずんずんと歩いて行くアーティアスについて、皆は部屋へと上がっていったのだった。




