船旅
小さな船なのでよく揺れたが、咲希はこちらの世界へ来てから乗り物酔いというものをしたことが無かったので、不思議と大丈夫だった。
セルルという、お米と同じ名前の町を通り過ぎ、船は方向を変えた。そこまでは上りだった川が、そこからは下りになった。どうやら、山から流れる川の支流の一つから、もう一つの支流へと乗り換えたようだった。
すると、それまでゆっくりと進んでいた船が、途端に足が速くなった…目の前に見える山のようなものの方角へ流されて行くようで、咲希は見ていて怖かった。
すると、クラウスが言った。
「あれは、アントンが作らせた首都を守るための盛り土地帯ぞ。案じずとも、水道が通っておる。」
克樹が、じっと自分の腕輪を見ながら、頷いた。
「ああ、これだね?ライジェ水道ってやつ。」
咲希は、横から腕輪を覗いた。
「まあ、じゃあもうすぐじゃない。そこを通ったらもう見えるんじゃない?」
「通ったらの。」アーティアスが言う。「まだライジェ水道まで数時間あるわ。だが、地図を見ておるのならちょうど良い。クラウス。」
「は。」クラウスは、アーティアスに頭を下げてから、皆に向きなおった。「カイからの道を説明しておこう。地図を見るが良い。」
途端に、皆が急いで自分の腕輪から自分の地図を開いた。クラウスは、言った。
「カイにはこのまま川を下って入る。その後次の目的地のララコンまでであるが、船で川を下ってアキラへと抜け、海をララコンへと向かう。ララコンからはまた船でアーシャン・ミレーへといった形で考えておるのだが。」
アーティアスが、頷いた。
「ラーキスとアトラスが居るゆえ、ララコンからは飛んだ方が良いのかとも考えておるのだがな。サラデーナに近づくほど命の気の量が多くなるので、飛ぶことも可能であろうし。」
ラーキスが答えた。
「我らは気が無くとも飛ぶことは出来るゆえ、こちら側でも移動は可能であるがな。」
アーティアスが息をついて首を振った。
「我らがそう長く飛んでいられぬのだ。我らは、気を使って飛ぶゆえな。命の気が少ないと飛べぬ。ディンメルクではキジンぐらいしか、我らが自由に動ける場が無いのよ。まあある程度気を貯めておけば飛ぶことは出来るが、ララコンでは気を補充する場がない。カイの命の大樹の近くでなら補充は出来るのだが。」
克樹が言った。
「だったらララコンまでは船で、アーシャン・ミレーへはみんなでラーキスとアトラスに分かれて飛んだ方がいいんじゃないか。バークが待ち構えてる可能性があるだろうが。」
ラーキスとアトラスが、顔を見合わせた。そして、ざっとみんなを見回してから、地図へと視線を落とす。それから、アトラスが言った。
「数が多い。我ら四人ずつ乗せて、結構な距離を飛ぶことになる。しかも、命の気が使えぬのだから自力であるし…。」
ラーキスが、うーん、と悩むように首を傾げた。
「行けぬこともないやもしれぬが…行ってしまえば命の気があるゆえ、アーティアス達は補充して飛べるであろうしな。ただ、何かあった時迅速に逃げることが出来るかどうかわからぬのだ。バークや兵士達が攻撃して参ったら、それを避けねばならぬだろう。四人も乗せておる時に常のような動きが出来るかというと、難しいやもしれぬ。」
アーティアスが、腕を組んだ。
「そもそも全員で向かう必要などないであろうが。ならばララコンで待たせて、必要な者だけ参れば良いではないか。極端に言えばシャデルと、ラーキスだけで事足りる。」
シャデルは、頷いた。
「確かにの。だが主らが我に許さなんだから、アーシャン・ミレーの中まで我は知らぬ。案内する者が必要ぞ。」
アーティアスは、手を振った。
「ああ、ならば我が参る。それで充分であろう?帰りは、我も主も気を補充できるゆえララコンまでなら余裕で飛べる。ラーキスは手ぶらで戻れるのだから、逃れる必要があったとしても容易であろうし。アーシャン・ミレーの者達はまだ、主が我らの側へ参ったのを知らぬから、どちらにしろ我が参った方が事がごたごたせずに済む。そうしようぞ。」
咲希は、慌てて割り込んだ。
「でも、全部任せきりには出来ないわ。私も何かできると…」
しかし、アーティアスは大きくかぶりを振った。
「満足に飛ぶことも出来ぬのに。今も申しておった通り、何があるか分からぬのだ。己が逃れるのに必死にならねばならぬやもしれぬのに、主のことまで面倒見て居られぬのだ。主は、ララコンで待つが良い。さっさと設置して参るゆえ。」
咲希は、もっともなことを言われているのは分かっていたが、それでもラーキスを見た。ラーキスは、首を振った。
「今度ばかりはアーティアスの言う通りぞ、サキ。シャデル王が居れば、主は危ない思いをせずで良いのだ。ララコンまでは共であるのだから、そこで待つが良いぞ。」
咲希は、少しショックを受けた。ラーキスは間違ったことは言っていないし、アーティアスもそうだ。だが、アーティアスに言われるよりも、ラーキスに言われる方が、数段心に重い。恐らく、ラーキスならきっと皆をとりなしてくれるという甘えがあったからだろう。
咲希が絶句してしまっていると、克樹が横から言った。
「咲希、気持ちは分かるけどオレもララコンに残るし。何も出来ない時は、足手まといにならないのが一番だってうちの父さんには言われてる。待っていようよ。」
咲希は、何とか頷いた。すると、アーティアスが満足したように椅子に背を預けて笑って言った。
「よし、これで予定は決まったの。さっさと設置してしまおうぞ。夕方になる前にはカイへ着くし、さっさと設置して、すぐにアキラへ向かって、今夜はそこで休む。駆け足ぞ。」
克樹が、大げさに肩を落として見せた。
「え~船ばっかじゃないかあ~。」
暗くなりそうな空気を案じてのことなのだが、あまり効果はなかった。咲希は分かってはいたが、まだショックから立ち直れなかった。
ラーキスは少し、心配そうにはしたが、それでも咲希には話しかけることはなく、みんなはそのまま、じっと黙って船が進むに任せて景色を眺め続けたのだった。
そうやって数時間、昼食も取って落ち着いて来た頃、遠くに見えていたアントン盛り土地帯が間近に近づいて来た。
こうしてみると、本当に壮大だ。どこまでも続くような山だが、表面はつるりとしていて如何にも人工の山らしい。
大型の重機もないこの土地で、人々がこれを作ったのかと思うと壮観だった。
その山の真ん中に開いた大きなトンネルへと近づくと、そこが石で組まれたかなりしっかりとしたトンネルであることが分かった。咲希がただ圧倒されてそれを見上げていると、クラウスがさっさと門番らしき兵士と話をして、そうしてそのトンネルの中へと入って行った。
天井も綺麗に石が組まれてある。
いつの間にか、船の前と後ろにはランプが置かれてあって、静かに進んで行く。同じようにランプを灯した船が、すれ違って行く…幅は結構あるトンネルなのだが、両脇に足場のようなものが組んであるので、通れる場所は結構狭く、あまりスピードは出せないようだ。
克樹が、船窓から外を珍し気に見つめながら、言った。
「思ったより狭いなあ。大きな船だったら、行違えないんじゃないか?」
それには、アーティアスが答えた。
「そうだ。ここは敵が攻めて参った時でも、カイへ入れないようにとこうした造りになっておる。トンネルの中へ入られても、両脇の足場から攻撃して沈めることが出来るだろう。この盛り土があるゆえ、サラデーナからは海しか攻めて来ることが出来ぬのだ。反対側はキジンがあってラウタートの守りがある。アントンは若い頃からかなりの策士で、まだ子供のような歳から政務に関わっておったのだと聞いておる。」
「へえ…。」
克樹は、ため息をついて高い天井を見上げた。こんなものを作るように言い、まだサラデーナと交戦していない時から備えていたのだ。アントンという王は、きっとそれは優秀な王だったのだろう。
シャデルが、感心したように言った。
「術士でもなく普通の戦士であったと伝わっておる。知恵があって、それで王として君臨しておったのだろうの。我もそのような王であったなら良かった…ただ祭り上げられただけの、愚かな王であったのだろうの。」
その言葉に、心の底からの嘲りのようなものを感じて、咲希は思わずシャデルの手を取って首を振った。
「そのような…あなたはとても民のことを考えて一生懸命でしたわ。」
シャデルは、驚いたような顔をする。
言ってしまってから、咲希はハッとした。今の言葉…私の言葉ではないみたい。こんな話し方は、しなかったはず…。
咲希は自分で自分に戸惑って、行き場のない視線をあちこちに彷徨わせていると、握っているシャデルの手が、ぐっと咲希の手を握り返したのを感じた。驚いて顔を上げると、シャデルは咲希に微笑んだ。
「そのように案じずとも、我はこれから失われた時を取り返そうと思うておる。今までが愚かであったなら、これから賢しくなれば良いのだ。」
咲希は、その赤い瞳に心の底から慕わしい気持ちが湧き上がって来て、思わず目を潤ませた。シャデルの瞳には、咲希と同じような感情を感じた。
「…サキ。」
咲希は、ハッとした。我に返って声の方を見ると、アーティアスが険しい顔でこちらを見ていた。
「ア、アーティアス?」
咲希がわざとらしく笑って言うと、アーティアスは険しい表情を崩さないまま言った。
「主らはあまり接しぬ方が良いぞ。なぜなら、前世を思い出せば思い出すほど、覚醒が進んで主らの人格が消失する可能性が上がる。主ら自身が決めることであるから、無理には言わぬが…主は今のまま生きておりたいのだろう。」
咲希は、絶句した。そうだ…自分は何をしていたのだろう。今、咲希としての自分の感情が吹き飛んだような…そう、ラーキスのことすら、忘れてしまっていた。
シャデルの手が咲希の手から離れたのを感じて、咲希も慌てて手を引っ込めた。シャデルが、ため息をついて首を振った。
「…主の言う通りぞ、アーティアス。我を忘れておった…恐らくは、今ここに居ったのはシャルディーク。我らはお互いに、お互いの記憶を引き出してしまうようぞ。」
咲希は、急いでシャデルから離れた。今のは、ナディア。きっと、自分を嘲っているシャルディークを放って置けなかったナディアが動いたのだ。このままでは、自分は咲希ではなくなってしまう。
咲希は、まだドキドキとしている胸を押さえて、皆から離れて心を静めたのだった。




