父と母の真実3
エレオノーラは、美しいラウタートになった。
バルトルト達は、それが術によってなされたことなのだと知っていたが、それでももう、腹に王の子が居るとなると、反対することも出来なかった。何より、エレオノーラ自体が、完全にラウタートとして型を崩すことなく生きていたからだ。
生まれた子も、色こそエレオノーラに似て縞柄の濃い色合いであったが、それでも大きな気を持つ生まれながらの王族とそん色ない子だったので、文句を言う者は居なかった。エレオノーラが、腹に居る間、ずっと王子を、王子をと念じていたのが功を奏したのか、その子は男だった。
マティアスは、その子にアーティアスと名付けた。アーティアスが生まれながらに大きな力を宿していたことには、マティアスもホッとしていた。誰も、アーティアスがマティアスの子ではないなどと、思いもしなかったからだ。
アーティアスは、幼い頃から活発で賢しく術に長け、いったいどんな力を宿して生まれたらこうなるのだろうと、不思議に思った。
それでも、マティアスはエレオノーラとアーティアスと共に、幸せに暮らしていた。
なかなかに次の子に恵まれなかった二人だったが、やっとエレオノーラに第二子が宿った頃、バルトルトが逝去し、臣下の位置関係が大きく変わった。
そして、次の臣下の中で一番に力を持ったエッカルトが、自分の娘を王の妃に、と言い出した。
「エレオノーラ様でもあのように優れたアーティアス様をお産みになられたのですから、生粋の血筋のしっかりしたラウタートの娘ならもっと良いお子を産めるはず」
それが、エッカルトの言い分だった。
「興味はない。」マティアスは、エッカルトに言った。「アーティアスが不満か。ならば直接本人に言うておこうぞ。あれが王座に就いてから、主の力になろうしのう。」
エッカルトは、慌てて首を振った。
「アーティアス様が不満と申しておるのではありませぬ。ただ、いろいろと…何があるのか分からぬ世でございます。まさかの時のため、優秀なお子をもうお一人ぐらいと申しておるのでございます。」
「エレオノーラの腹に今一人入っておるわ。」マティアスは、取り合わなかった。「我は興味が無いと通う気にもならぬしな。どうせ子など出来ようはずもないゆえ、これ以上妃など要らぬ。」
しかし、エッカルトは諦めはしなかった。
アーティアスの力は、確かに強い。しかしアーティアスは、気性が激しく好き嫌いがハッキリとしていて、エッカルトはそのアーティアスに、一目見た時からなぜか、懐かれなかった。
10歳と幼いにも関わらず、人の学校に行ったと思ったら、数年で高等学歴を身に付けて、後は面倒だと武術などばかりを同じ年頃の、臣下の息子達と遊びがてらにしてばかりだった。
優秀で人や魔物を見る目は鋭く、一目見て相手を見通すその審美眼は重臣達も一目置いていた。
そんなアーティアスが王座に就いたら、恐らく気に入られていない自分は追い落とされる。
エッカルトは、焦っていたのだ。
マティアスがキッパリ断ったのにも関わらず、なのでエッカルトは、勝手に話を進めてしまっていた。
それはユリアンを産んだばかりのエレオノーラの耳にも入って来た。
わざわざエッカルトが、他の臣下数人と共に、エレオノーラに話しに来たからだった。
そこにはアーティアスも居り、二人でユリアンを眺めていた時だった。
「エレオノーラ様には、我らからお話をとの事でございますので、参りました。この度王に於かれましては、もったいなくも私の娘をお見初め頂き、めでたく婚姻となることになりました。つきましてはエレオノーラ様、恐れながらラウタートの姿を借りた人であられるので、これよりは王のお部屋を辞して頂き、下のお部屋へお移り頂きたくお願い申し上げます。」
それには、アーティアスがエレオノーラの前に出て叫んだ。
「何を勝手なことを!控えよ、エッカルト!さては主、我に不満で父上をたぶらかしよったな!」
それには、エッカルトも目を丸くしたが、エレオノーラの方が顔色を青くした。
マティアス様…やはりアーティアスの事で、お悩みだったのか。でもお優しいかただから、私には、きっと言えずに…。
「アーティアス様、私が申すのではありませぬ。王がおっしゃるのに、従っただけでございます。何も私だけが望んでおるのではありませぬ。数多くのラウタート達から再三に渡り真のラウタートを王妃にと、訴えがあったのを王はこの10年大変にお悩みであったのです。」
アーティアスは、歯ぎしりしてエッカルトを睨み付けた。その形相は、とても10歳には見えず、エッカルトは慌てて下を向いた。
「とにかく…我らは務めを果たしに参っただけ。それではこれで。」
エッカルトは、逃げるようにそこを出た。
アーティアスは、それを最後まで睨みつけていたが、出て行ったのを見ると、すぐにエレオノーラの方を振り返った。
「母上…何かの間違いに違いありませぬ。」
しかし、エレオノーラはじっと考え込んでいるようだったが、すっと抱いていたユリアンをアーティアスの小さな腕に託すと、言った。
「アーティアス、母はとても疲れたの。ユリアンをお願い。乳母に預けて参って。」
アーティアスは、ユリアンを手にエレオノーラを見上げた。
「ですが母上…、」
「休ませて。」エレオノーラは、静かに言って、微笑んだ。「あなたは兄上でしょう。ユリアンを、お願いね。」
アーティアスは頷くと、仕方なくユリアンを抱いて、乳母の所へと歩いて行った。
エレオノーラの墓の前で、マティアスは、アーティアスを見て言った。
「主が部屋を出てすぐに、エレオノーラは我宛てに手紙を書いておった。」と、マティアスは懐に手を入れた。すると、そこには巾着があり、それから紐が伸びていて、マティアスがそれを首に掛けて常に持っているのが分かる。その巾着を開くと、古く黄ばんだ紙が、折りたたまれて出て来た。「読んでみよ。」
アーティアスは、知った事実で頭が混乱する中、震える手でそれを受け取った。そして、中を開くと、間違いなく母の美しい流れるようなおおらかな筆跡で、父宛てに書かれたものだった。
『マティアス様
私の存在が、マティアス様の重荷になっておるのではと、私は常に案じておりました。
臣下達の心が、マティアス様から離れて、政務が難しくなっておるのではと、感じることも多くありました。本日臣下から、それが現実のものだったのだと知らされました。
マティアス様のお優しいお心に甘えて、ここまでご面倒をおかけしたこと、誠に心苦しく思います。
元々は、一人で生きておったはずの命。マティアス様とアーティアスと、ここまで暮らして来れたのは、アンネリーゼのお慈悲だと思うております。
ですが、時は満ちました。アーティアスは賢く思いやり深く育ち、ユリアンが王となっても、きっと助けて生きて行ってくれるでしょう。これ以上、マティアス様のご判断を狂わせて、国が乱れるようなことがあってはなりませぬ。
私は、女神の元へ還ります。我が一族は、消えることはありませぬ。女神の元へ還って行くのですわ。私は離れても、皆さまを見守っております。どうか、マティアス様の人生を、ご自分のために生きてくださいませ。私やアーティアスのためであってはなりませぬ。
最後に、私の心からの愛と忠誠の証に、私の力で最も強いもの、守りの力を残して参ります。この石は、一つあれば身を守り、二つあれば命を守ります。どうかマティアス様のお側に。
愛を込めて エレオノーラ』
アーティアスは、その場に膝をついた。母は、父の不貞に憤っていたのではなかった。自分が宿ったばかりに父に負い目を感じていて、尚且つ何も知らないはずの臣下達は、王妃が元は人であったことを良く思っていないことを肌で感じていて、それがマティアスの重荷になっているのを、つらく感じていたのか。つまりは、父の縁談が原因で、母は身を投げたのではない。縁談はきっかけだった。臣下の口からはっきりと聞いたことで、ここに居てはいけないと判断したのだ。
黙って涙を流すアーティアスの肩に、マティアスは手を置いた。
「我は、新しい妃など迎えるつもりはなかった。あの時も、知った事実に憤って他の臣下とエッカルトの屋敷へ問い詰めに行っておったのだ。その証拠に、あの後エッカルトが城へ顔を出すことは無かったであろう。あやつは勝手なことをしたとして、追放処分にしたのだ。」
そして、戻ってエレオノーラの死を聞かされた。
マティアスは、その時のことをあまり覚えていなかった。帰ったら、エレオノーラからの手紙が自分の部屋の机の上に置いてあり、キジン湖が騒ぎになっていて、幼いアーティアスとクラウス、エクラスの三人がびしょ濡れで危篤状態になっていた。
先にその治療をとマティアスが三人まとめて術で回復させた。何が起こっているのか、回りに言われるままにそれをこなすことで精いっぱいだった。
後で聞いたところによると、エレオノーラが飛び込んだのを知ったアーティアスがそれを助けようと飛び込み、気を失ったのを見たエクラスとクラウスもアーティアスを助けようと飛び込んで、結局術に長けたクラウスが青息吐息の状態で必死に三人を岸へ上げたのだと後で聞いた。
三人とも幼い体だったので、助かるかどうか分からぬまま一週間もの間高熱にうなされ続けて、やっとのことで回復したのだった。
マティアスは、泣くことも出来なかった。何が起こったのか、全く分からなかった。目の前の幼子たちを介抱するために尽力することで、何もかも忘れていたかったのもあった。
だが、目覚めたアーティアスの涙を見た時に、それが残酷な現実であることが突き付けられた。
「母上が、父上にと。」アーティアスは、小さな虹色の玉を二つマティアスへと差し出した。「必ず、渡して欲しいと。」
マティアスは、エレオノーラの手紙を思い出した。
「身代わりの玉か。」
そして、マティアスは、泣いた。
エレオノーラは、居なくなってしまったのだ。自分に最後の別れも告げさせず、弁明の機会も与えてくれず、ただ自分の重荷になることだけを懸念して、そして女神の元へと帰ってしまったのだ。
主さえ居れば、我は臣下などいくらでも押さえておけたものを…!
マティアスは、もっとエレオノーラとそのことについて話しておかなかったことを、心の底から後悔した。
だが、いくら後悔しても、エレオノーラは戻っては来なかった。
足元には、あの時と同じように涙を流す、もはや成人したアーティアスが、エレオノーラの手紙を手にうなだれていた。
「…我などが生まれたばかりに。」アーティアスは、絞り出すように言った。「我のせいで、母上はご自分をお責めになられたのだ。父上のせいではなかった。我のせいであったのに。」
マティアスは、それには首を振った。
「そうではない。我が臣下の不満をしっかりと押さえておけなかったことが原因ぞ。母の耳に入れてしもうたこと自体が、我の不徳。あれが心安く出来ておればこのようなことにはならなんだ。ちょうどその頃、政務に戦にと忙しくしておったゆえ…脇が甘かった。」
アーティアスは、涙を拭いて立ち上がった。
「ならば、我はこれ以上王座に就いては居れますまい。ユリアンが正当な王位継承者。あれに王座を譲って、我は補佐を。」
ユリアンは、今は17歳になっていた。アーティアスが王座に就いたのも、その歳だった。ユリアンは優秀で、とても穏やかな性質。臣下も、ユリアンならば面倒なく国を共に治めて行けるはず。
しかし、マティアスはまた首を振った。
「ならぬ。主が王。分かっておろう、誰が何と言おうが、主は我の子なのだ。だからこそ、エレオノーラが死んですぐ、主を王位継承者として皆に告示した。誰も反対などせなんだではないか。主は驚くほどに利口で負けん気が強く力もあるラウタートであったからだ。」
アーティアスは、マティアスを見て訴えた。
「我はラウタートですらないやもしれぬのに!術の力で、この型をとって生まれたのではないのか。実は人なのではないのか…。」
語尾は、小さくなった。人。自分が蔑んだ、人なのか。自分は、ラウタートではない…。
「主は、ラウタートぞ。」しかし、マティアスの声が強く言った。「己で分からぬか?その気、それは我らと同じ波動を持つ気。生まれる前からずっと術に掛かっておったゆえ、それが誠となっておるのだ。今でも、人をラウタートに変えるのを何度も繰り返すとラウタートに変化してしまうと聞いてはおらぬか?それと同じぞ。主はもう、人ではないのだ。」
マティアスは、自分の手を見た。人型を取っている今、その手は人の手だ。だが、この体に違和感がないのも事実だった。初めてこの型になった時も、何やら落ち着かないと言うエクラスとクラウスに比べて、自分はしっくりと来て動きも制限されなかった。
…そもそも、自分は誰の子なのだ。
アーティアスは、キジン湖に目をやった。母がこの湖に入った結果、宿した子供。その命は、どこから来たのか。そして、自分はどこへ還るのか…。
自分が、何者なのか分からない。
アーティアスは、突然に降って来た疑問に、混乱していた。もはやこの父に怒りなどない。だが、自分は誰なのだ。母は、何も知らせずに逝ってしまったのか。たった一人、母の種族の血を残して…!




