マティアスの真実
アントンと共にラウタートを引き連れてサラデーナのクーラン近くで戦っていたマティアスは、ディンメルクからの移民が滞りなく生活できるように、侵攻して来るサラデーナ軍を押さえる手助けしていた。
アントンは、マティアスより10年ほど年上の王だったが、とても精力的に前線で戦っていた。頭が良く、先を見通す力もあるアントンを、マティアスは信頼していた。同じように、アントンもマティアスを信頼し、そうして共にサラデーナの軍を押さえていた。
軍の力では、ディンメルクが圧倒的だった。
ラウタートという魔物の力を得ているディンメルク軍に、サラデーナの人の軍隊は太刀打ちしようがなかったのだ。
術士が術を放って来る中、マティアスも部下のラウタート達もひるむことなく向かって行った。だが、アントンの望みはこの命の気の豊富なメニッツより南側の少しの領地を守ることだけ。
追いつめて、全てを殺してしまうような気持ちは、マティアスにもアントンにも無かった。
なので、サラデーナ軍の隊へと切り込んで行っても、相手が戦闘不能になれば、殺すことはなかった。放って置いても、サラデーナには治癒の術を使う人が大勢居るのを、知っていた。少しぐらい傷をつけても、あちらは死ぬ者など出ないのは、分かっている。
マティアスは、アントンが決めたラインから出ずに、そこを守ることに尽力していた。
そんな時、あちらの王が死んだという情報がラウタートの部下からもたらされた。
どうやら、こちらで受けた傷が原因のようだったが、マティアスは腑に落ちなかった。確かに、サラデーナ王が倒れたのは見ていたが、それでも致命傷など受けていなかったはず。
アントンもそれは不思議に思っているようだったが、それでも日常は変わることなく、ディンメルク軍は守りに終始していた。
その日は、突然に来た。
いきなり空に明るい光が打ちあがったかと思うと、驚くほどに強い力の術が飛んで来て、ディンメルク軍の駐屯地は次々に陥落して行った。
サラデーナ軍は、後ろで控えていて、その力がダメージを与えた場所へとなだれ込み、そこで傷を受けて身動き取れない者や、抵抗する者をどんどんと殺して行った。
慌てたのはラウタート達で、必死に軍を押さえようと術を放ち、人を逃がすことに力を尽くした。しかし、その大きな力にはとても太刀打ちできず、アントンは移民たちにディンメルクへ逃れるように指示を出した。
住民が必死に逃れて行くのを守って、アントンとマティアスは援護した。前線で戦ううちに、マティアスはその力の源と対峙した…それは、まだほんの子供である、シャデルだった。
それを確認してすぐ、マティアスはシャデルの攻撃を受けて落下した。
地面に強く叩きつけられたものの、マティアスは意識を保っていた。しかし、飛び立つ力が出ない。
辺りの地面には、サラデーナ軍の兵士達が次々にディンメルクの兵士達にとどめを刺しているのが見えた。
「…マティアス。」
囁くような声が、脇から呼ぶのが聴こえる。マティアスは慌ててその声の主を探した。すると、傷を受けて岩の影に横たわる、アントンが見えた。
『アントン!主…やられたか。』
アントンは、頷いた。
「レミが我を庇って敵軍を引き付けて一人あちらへ逃げた。恐らくはもう無理だろう。」
マティアスは、アントンが抑える脇腹の傷を、必死に布を巻いて保護した。しかし、アントンは首を振った。
「恐らくは助からぬだろう。ディンメルクへ入れば尚の事。」と、真っ白な毛皮が土で汚れてまだらに染まってしまっているマティアスの体に触れた。「マティアス、我は死ななかった。」
マティアスは、戸惑いがちに言った。
『何を言っている?生きておるのだから、当然であろう。』
アントンは、首を振った。
「違う、あの若い新しい王ぞ。」と、ここから山岳地帯の方へと向かっている空の光に視線をやった。「あれは稀代の術士。だがの、殺せたはずの我も、そして我が軍の者達も、あやつの術では痛手は負ったが致命傷など受けておらぬ。つまりは、あれは殺すつもりなどない。あちらへ、追いやるつもりなのだ。」
マティアスは、ためらった。確かに、自分も落とされただけで、死にはしなかった。しかも、もう回復して来ている。
『…どういうことぞ。だがあやつは、軍に殺せと命じておるのだろう。主もその傷を受けたのだろうが。』
アントンは、首を振った。
「違う。あまりに広域を見ておるゆえ、あれは己が開いた道の後が、どうなっておるのか見えておらぬ。恐らくはあれは、軍の上層部が立てた王。実際に実権を持ってこの殺戮を行なっておるのは、サラデーナ軍の将軍達ぞ。」
マティアスは、そう言われて空を見上げた。…確かに、あれが通った後を、まるで潜むように近づいて、殺して行っているのはサラデーナの兵士達。決して殺さない王の代わりに、兵士達がとどめを刺して行っている…。
『…どうしたらよい。とにかくは、主を逃さねば。背に乗れるか。』
アントンは、首を振った。
「どうせ我は助からぬ。主だけでも逃げよ。そして、真実を見て民を守れ。あの王は利用されておる…これからあの力に敵対され、ディンメルクは厳しくなろう。だが、あの王は恐らく愚かではない。育った後に気付くことがあるやもしれぬ。そうすれば、利用価値が無くなり恐らくは消されるであろう。主は、あの王の動きを見ておれ。そして、時が来たら己の立場を知らせ、共に大陸を平等に治める話し合いをするのだ。民達の未来は、その先にしかない。」
マティアスは、何度も頷きながら、アントンの体の下に自分の体を入れた。
『もう話すでない。我があちらへ運ぶ。キジンへたどり着けば、主は助かる。』
マティアスは、自分が人の治癒魔法を習って来なかったのを悔いた。だが、そんなことを今言っても始まらないのは分かっているので、無理にアントンの体を自分の体に引っ掛けるようにぶら下げると、敵軍兵士に気付かれぬように注意して、山岳地帯へと進んだ。
アントンの息は、段々に荒くなって来た。
自分の背で揺すられるのも良くないのかもしれない、と思ったマティアスは、うまい具合に日が暮れて薄暗くなって来たのに、潜む場所を探した。
山岳地帯に近づいて木々も多くなって来たそこで、岩が組み合わさったような小さな洞穴を見つけて、そこへアントンを下ろした。
『アントン?もう山へ来た。後はこれを越えればリツぞ。』
アントンは、薄っすらと目を開いた。
「途中もう死んだかと思うたのに。目が覚めたら、まだ生きておったわ。」
マティアスは、息をついた。
『いい加減にせよ。何をあきらめておるのよ。主らしゅうない。』
アントンは、ふっと力なく笑った。
「事実を言うておるだけぞ。我は往生際は良い方なのだ。」
不意に、ガサっと少し離れた場所の茂みが揺れた。マティアスは、急いでそちらを見て、アントンを庇おうと目を凝らした。人よりも良い視力が、こういう時は役に立つ。暗くても、大概は見えているからだ。
相手は、こちらに背を向けている。移民の顔は皆覚えていたマティアスだったが、横を向いた時に見えた顔は、知らない顔だった。つまりは、あれはサラデーナの民なのだろう。
母親らしい女性一人と、幼い子供が二人。そして、父親らしい男が、何かを伺って向こうを見ていた。
「ああ、サラデーナの兵士の軍服だ。おーい!我々はサラデーナ国民だ!助けてくれ!」男の声が、小さく聞こえて来た。「助かったぞ、ここから…、」
いきなり、その声は途切れた。マティアスが見ていると、声の主はバッタリとその場に仰向けに倒れた。
「きゃー!あなた!」
女性の悲鳴が聞こえる。マティアスは、思わず走り出した。
「やめて!子供だけは!」
マティアスが到着する寸前、女性の声がして、目の前で兵士に女性は切り殺された。マティアスは、大きな唸り声を上げて口から炎を吐いた。
「!ラウタートだ!なぜここに!!撤退したんじゃなかったのか!」
女性を切り殺した男は、マティアスの炎に焼かれて絶命していた。だが、それをただ眺めていた他の兵士達が、叫びながら必死に駆け出している。
マティアスが追おうとすると、目の前の兵士達は、皆一瞬にして炎に包まれた。
「ぎゃあああああ!」
断末魔の叫び声を聴きながら上を見ると、部下のラウタート達が降りて来た。
『王。ご無事でしたか。』
マティアスは、火だるまになって倒れる兵士達をまだ見ていた。そして、言った。
『これはサラデーナ軍ではないのか。なぜにサラデーナの民を殺しておるのだ。』
部下は、首を傾げた。
『分かりませぬ。我ら、王をお探しして回っておる間にも、サラデーナの兵士は民を殺して回っておりました。なぜかこちらの移民でも、女子供はあの、敵の大きな力の術に捕らえられることもなく、無傷で歩いて山岳地帯へと向かったのですが、後から来た兵士に軒並み襲われ…我らが守り切れなかった者達もおります。』
マティアスは、ふと横を見た。生き残った子供達が、倒れた父親と母親にすがって泣いている。あの兵士達は、サラデーナの民とディンメルクからの移民の区別がつかなかったのだろうか?…いや、この父親は確かに、自分はサラデーナの国民だと叫んでいた。それでも、奴らは殺したのだ。いったい、なぜ…。
「…あの若い王に、我らがやったと言うためであろうぞ。」アントンが、潜んで来た穴から身を引きずって出て来て、言った。「言うたであろう、マティアス。あの新しい王は利用されようとしておる。前王が死んだのも、殺されたのやもしれぬぞ。我は逝く。主が何とかせねば、世は暗黒となろうぞ。」
マティアスは、じっと泣いている子供達を見ていた。そして、顔を上げると、部下達に言った。
『子供に罪はない。我は、これらをアラクリカへ送り届ける。主らはアントンをキジンへ。何としても治せ。』
言いながら、マティアスにもアントンはもう長くないのは分かっていた。体の気が極端に弱くなっている…おそらく、数時間の命だろう。
部下は、慌てて言った。
『王!今戻るなど、自殺行為です!ならば私が子供を連れて参りましょう。王はこのまま逃れてください!』
マティアスは、強い視線で部下を見た。
『我の命令ぞ。我が行く。確かめねばならぬこともある。すぐに戻るゆえ。』
『王…!』
『行け!』マティアスは怒鳴った。『早うアントンを!』
アントンは、その場に崩れた。部下は、迷うような動きをしたが、思い切ってアントンの方へと向かった。
『アントン!』マティアスは、部下達に担がれるアントンの方を見て言った。『主の望み、叶えようぞ!我に任せよ!』
アントンは、薄く微笑んで小さく何度も頷いた。
それを見届けてからマティアスは、怯えたようにこちらを見ている、二人の子供の方を見た。二人は、びくっと肩を震わせたが、抱き合ってマティアスを見ている。マティアスは、言った。
『聞け。主らはこのままここに居れば、父と母と同じように、自国の軍に殺される。我がアラクリカまで連れて行ってやる。あの町は、信仰の街。孤児も多いと聞く。生きたければ、我と共に来い。』
二人はまだ、怯えていた。しかし、少し大きい方の子が、おずおずと言った。
「ぼ、ぼくと弟を、助けてくれるんですか。」
マティアスは、頷いた。
『ついでにの。我は調べものをしに戻るからな。どうする、ここで死ぬか。』
その子は、じっと自分の弟の顔を見た。きっと、自分が何とかしなければならないと、小さいながら精一杯勇気を振り絞っているのだろう。ましてや、目の前に居るのは、恐れていただろうラウタート。そして、父母を亡くしたばかりなのだ。
だが、その子は、言った。
「行きます!助けてください!」
マティアスは、頷いて自分の背を低くした。
『よし。では乗れ。しっかり掴まっておれよ、落ちても拾いには行けぬぞ。』
決心した兄の方は、怯える弟を慰めながら、先に乗せた。そして、自分も乗って、しっかりとマティアスの背の毛皮を掴んだ。
マティアスは、ふと思って言った。
『名は何と申す?』
兄が答えた。
「僕はニクラス。弟はパトリック。」
マティアスは少し、ほほえましくなって、頷いた。
『では行くぞ、ニクラス、パトリック。』
そうして、部下のラウタート達がアントンを運んで山岳地帯へと逃れて行く中、マティアスは敵地のアラクリカへ向けて宙を駆けて行った。




