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出発

「あ!ほら!」

克樹が、声を上げて庭を指さす。

そこに居た、皆の視線が一斉にそちらを向いた。よく見ると、噴水の向こうで咲希とラーキスがしっかりと抱き合って立っている。心無しか、咲希の顔が物凄く赤いように見えた。

『おーお。若いとは良いなあ。オレにもあんな時があったのに。』

サルーが、うらやまし気に言った。圭悟が、苦笑した。

「大使には、奥さんとお嬢さんが居るでしょう。オレはここまで独身を貫いてしまったからなあ。」

「あら、彼女ぐらいは居たでしょ?」

容赦ないリリアナの突っ込みに、圭悟は肩をすくめた。

「ま、人並みにはね。玲樹に言うな。あいつはうるさいから。」

リリアナは、真面目にうなずいた。

「言わないわ。」

するとそこへ、盛大に音を立てて何かが近づいて来た。皆が振り返ると、アーティアスがクラウスとエクラスを連れてこちらへやって来るところだった。

「エクラス!」

リリアナが、すぐに立ち上がってエクラスに駆け寄って行く。エクラスは、そんなリリアナが到着するのを待って、そして抱き上げた。

「いろいろと仕事が詰めておったのでな。待たせたか?」

リリアナは、ぷうと頬を膨らませて横を向いた。

「四日は長いわ。これからはせめて一日にして。」

エクラスは、苦笑する。アーティアスは、そんな様子にもお構いなしで側の椅子へとどっかりと座った。

「で、まだ帰らぬ者達が居るのか。」

圭悟が、頷いた。

「シュレーとレン、それに玲樹とスタン大使、マーラの五人がまだ戻りません。」

アーティアスは、息をついた。

「悪いが、待っておる時間はない。主らはここで待っておれば良いであろう。サキ、カツキ、リリアナ、ショーンは我らと共にキジンへ、石の設置へ出ねばならぬ。八つも設置せねばならぬのに、まだ三つ。ディンメルク国内のものだけでも、早う済ませてしまいたい。アーシャン・ミレーはまだこちらの領地であるので何とか設置も出来ようが、ミラ・ボンテが厳しいと、クラウスとも話しておったところなのだ。対策も考えねばならぬしな。」と、きょろきょろと辺りを見回した。「して、サキはどこだ?昼食を取ったら、出ようと思うておったのに。」

皆が、一斉に庭の方を見る。それを感じたアーティアスが、皆と同じ方向を見た。

そこには、咲希とラーキスが仲良く抱き合って、そしてそのまま何かを話しているようだ。アーティアスは、ため息をついた。

「何ぞ、何やら暗くなっておったようだったから、気にかけておったのに無駄であったの。まあ、つがいになる男が側に居るのが一番良いか。」と、クラウスを見た。「あれも連れて参る。船を早急に準備させよ。」

クラウスは、頭を下げて出て行く。圭悟が、言った。

「ラーキスも連れて行かれるのですか?」

アーティアスは、頷いた。

「その方が、サキも気が楽であろう。あれは…本格的に覚醒を始めておるようであるからの。」

圭悟は、その意味を悟って咲希の方を見た。古代の女神の力の、覚醒…。全ての力が取り戻せなければ、アーシャンテンダ大陸全域に石を設置出来ない。だが、全ての力を取り戻したら、人格を失うかもしれない…。

それを思うと、ああしてラーキスと幸せそうにしているのも、なんだか残酷に見えて来た。いつか失うと分かっているものを、一時手にすることは、幸せなことなんだろうか。

圭悟のそんな気持ちに気付いたのか、アーティアスが言った。

「人であろうと魔物であろうと、幸福がいつまで続くのかなど誰にも分からぬ。共に老いると約しておっても、相手が先に逝ってしもうたらそこでその約束は潰えてしまう。ならば今ある幸福を、出来うる限り感じておくのが良いのではないのか。我は…永遠の幸福があるなど、思っておらぬ。」

その言葉が、想像以上に険しいのを感じて、皆がアーティアスを見た。アーティアスは、しばらく険しい顔をしていたが、ふと表情を緩めると、サルーを見た。

「して、それがシュレーの言っておった魔物に変化した仲間とかいう者か。」

圭悟は、そうだった、と急いで頷いた。

「はい。こうしてここへ連れて参りました。術は、掛けて頂けますでしょうか。」

アーティアスは、じっとサルーを見つめた。

「うむ。これならばいけるやもしれぬの。完全に魔物になっておるし、本人も拒絶することなく馴染んでおるではないか。ならば、こちらの魔物を人型にする術で、恐らくこれは人型になれる。」

サルーは、じっと四本の足のうち二本を前に揃えて気をもんでいるようだったが、それを聞いてゆらりと立ち上がった。

『本当ですか?ラウタートの王よ、ならばそれを施して頂けませんでしょうか。この姿でも不自由はしないようになっておりましたが、それでも回りと違う身は、やはり居心地が悪うございまして。』

アーティアスは、苦笑した。

「さもあろうの。人はとかく偏見を持っておるから。ここに居る人はそんなことはないが、世の大部分がそうよ。」と、手を上げた。「そこへ。」

サルーは、おとなしく従って膝をついた。四本の足のうち、真ん中の二本が二つに折りたたまれて小さくなったので、恐らく膝をついたのだと思った。

「では、参る。一瞬のことよ。」

アーティアスは、何か呪文を唱えたわけではなかった。

ただ黙って手を翳すと、サルーは光り輝いて、そしてその光は小さくコンパクトになった。そして、光が消えた後には、初老の人が一人、膝をついて頭を垂れていた。

「そら、うまく行ったではないか。」

いつの間にか、出入り口からこちらへ入って来ていた咲希とラーキスも、驚いたようにそれを見ている。サルーは、言われて恐る恐る目を開けると、自分の手を見た。両腕に緑色の入れ墨のような三本のラインは入っていたが、間違いなく人の腕だ。

立ち上がって、顔を上げると、その顔はサルーその人の顔ではあったが、両頬には斜めに緑の入れ墨のようなラインがあって、元々は鳶色だった目は緑だった。髪は茶色く、緑の入れ墨のようなラインの他の肌の部分は、少し褐色がかった色で、日焼けした人のような感じだった。

「おお」サルーは、自分の手で顔に触れた。そして、側のガラスに映して、まじまじと見た。「おお何と、人の形に!アーティアス陛下、ありがとうございます!」

アーティアスは、軽く手を振った。

「大事ない。主が魔物である己を受け入れて落ち着いておったから成せたこと。我とて同じ術でこうして人のナリを得ておるのであるから、同じことよな。」

サルーは、まだ自分の顔を見ていた。

「人の姿がこれほどにうれしいとは。私の考え方も、大きく変わりましてございます。人も魔物も、同じ生命でありまするな。世にはびこる偏見の目を、摘みたいと考えましてございます。」

アーティアスは、肘掛に肘を置いて、腕に顎を乗せながら苦笑した。

「まあやってみるが良い。己の身に降りかかってこその、心持であろうがの。人は、愚かよ。」

アーティアスの言葉には、何やら蔑むような色を感じた。皆が何も言えずに居ると、そこにクラウスが入って来た。

「王、船のご準備が整いました。レストランの方では、食事の準備も終わっておる様子。早めに済まされて、ご出発になられれば、明日の昼にはキジンに着けようかと。」

アーティアスは、頷いて立ち上がった。

「では、レストランへ。」と、振り返ってラーキスを見た。「ああ、主も帰っておるのなら、共に参るが良い。己の連れ合いを案じるであろう?」

咲希が、また少し頬を染めた。ラーキスは、そんな咲希を見てから、またアーティアスを見た。

「そちらが良いのなら、同行させてもらおう。」と、アトラスを見た。「アトラス、主はどうする?」

アトラスは、アーティアスに近寄った。

「オレも、共に。同じ種族同士、ここまで共に来た。出来れば、これからも同行したいのだ。」

アーティアスは、気軽に頷いた。

「良い。では、主も参れ。」と、歩き出した。「他の者達は、ここで他の者達を待て。居残りの臣下達に申しつけておくゆえ、皆揃ったら船でキジンへ参れば良い。ユリアンとアレクシスを残しておくゆえ、何かあったらあれらに申せ。ではの。」

アーティアスは、石設置チームを伴って、そこを出て食事へと向かった。

残った圭悟は、いろいろな問題を抱えたまま待っていなければならないことに、焦りを感じていた。

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