帰還
そんなこんなで、皆が旅立って行ってから四日目の朝になった。
朝日が昇って来るのを感じて、咲希は目を覚ました。
ここへ来てから、物凄く朝に強くなった。というのも、みんな日が暮れたら寝て、日が昇って来たら起きるからだ。
そんな回りに流されて生活しているうちに、咲希もすっかり早寝早起きが板についてしまったのだ。
咲希は、いつもの朝と同じように、下のレストランへ降りて朝食を摂ろうと思い、顔を洗って着替えてから、戸を開いて、階段を下りて歩いて行った。
レストランへは、下のフロント前の広いエントランスホールを通って行く。階段を降り切ると正面に入口があり、左側にフロントのカウンター、右側にレストランの入口があるのだ。
迷いなくレストランの方向へと歩いて行く咲希の背に、聞き覚えのある声が呼びかけた。
「サキ。」
この声…まさか。
咲希は、振り返った。するとそこには、圭悟とアトラス、緑色のうねうねとした大きなタコのような感じの魔物、そして、ラーキスが立ってこちらを見ていた。
「ああ!」
咲希はいきなり駆け出すと、他の誰も構わず真っ直ぐにラーキスへと駆け寄り、思い切り抱き着いた。ラーキスは咲希を受け止めて、しっかりと抱きしめた。
「サキ、人格は失っておらぬな。」
咲希は、涙を流しながら何度も頷いた。
「ああラーキス…!ラーキス、心配したのよ…!無事で…ああよく無事で…!」
ラーキスは、咲希を少し放した。
「すまぬな、どうしてもシャデル王と話をしたかった。思った通り、シャデル王は話が分かる王であったぞ。だが、回りがの…あちらは今、大変なようだ。オレも、深く分からぬままにあちらを離れてしもうたから、詳しくは分からぬが。」
咲希は、涙でくしゃくしゃになった顔で、今度は笑った。
「もういいの。無事だったんだもの。それより、いつ戻ったの?」
「昨日の夜。思ったより時を取って、遅れてしもうた。主らはもう眠っておったし、起こすのもと思うてな。」と、後ろを振り返った。「サルー大使を助けて、戻ったのだ。アトラスと圭悟が来てくれたのでな。」
咲希は、そこで初めてその背後の魔物がサルーであることを知った。
「まあ…あの、失礼しました、大使。」
サルーは、大きな体を小さくしていたが、何やら気が抜けたように背を伸ばした。
『何と肝の据わったお嬢さんだな。驚かせて倒れてしまってはと、こちらは冷や冷やしておったのに。』
圭悟が、ハハッと笑ってからかうように言った。
「咲希にはラーキスしか見えていなかったようだったから。」咲希が、真っ赤になった。しかし圭悟は、険しい顔をした。「だけど、喜んでもいられないんだ。まだ、シュレーとレン、それに玲樹が戻ってない。玲樹がスタンとマーラを連れ出すチャンスを作るために、二人は囮になってデンシアに残ったんだ。それからのことが、全く掴めなくて。腕輪の通信も、命の気の濃さで妨害されて通じないし。あっちは強くて、こっちは弱いからね。」
咲希は、自分の腕輪も見た。
「これは、同じ命の気の下でないと、通じないのね。」
圭悟は、頷いた。
「まあ、まだ分からない。どこかに潜んで、夜を待ってるのかもしれないし、下手に通信が出来ても、邪魔をする可能性があるしな。待つしかないよ。」
咲希は、神妙な顔で頷いた。そして、その時に自分の金髪が目に入り、姿が変わってしまっている事実に思い当たった。そうだった…ラーキスは、知らなかったはず。
咲希は、ラーキスを見上げた。
「ラーキス…私、髪がこんな風になってしまってね、あの、元の私じゃないみたいになって…。」
咲希が口ごもっていると、ラーキスは微笑んだ。
「顔立ちは主のままぞ、サキ。」咲希は驚いて、ラーキスを見つめた。ラーキスは咲希の頭を撫でた。「色が違っても良いではないか。我らグーラは、幼い頃黒くても、大人になったら緑になるとか、青になるとか、そんなものだって多く居る。人の子でもそうよ。幼い頃金髪でも、育ったら茶髪になっておったりの。主は主。変わらぬ気で、オレもホッとしたわ。案じることはない。主が主であったなら、姿などどっちでも良いのだ。」
いつものどっちでもいい、という言葉だったが、今度のは咲希の心を穏やかに癒した。
サルーが、居心地悪げに体を揺らしたかと思うと、足の一本で軽くつんつんと圭悟をつついた。圭悟が、肩をすくめて歩き出した。
「なんだか、お邪魔してるみたいだ。オレ達も腹ペコだから、食事にしよう。」
サルーが、圭悟に倣って歩き出しながら、言った。
『ではオレは、外で光合成と栄養摂取を。』びっくりしている咲希に、サルーは付け足した。『ああ、そういう生き物らしくてな。物は食さぬ。庭で座っておるから、移動するときは呼んでくれ。』と、また長い脚の一本を上げ、咲希の頭を優しく撫でた。『お嬢さんのお陰で、この姿でもそう人は驚かんのかもしれんと希望が出たよ。じゃあな、お幸せに。』
サルーは、出入口から外へと出て行く。アトラスが、ラーキスに寄って来て言った。
「ラーキス、やっぱり婚姻を約束しておったか?オレは、あの時皆の勘違いだと聞いておったし、そうみんなに言ったのだ。」
それには、ラーキスは片方の眉を上げた。
「いや…だから、オレはどっちでもいいのだが。」と、咲希を見た。「サキは、どっちでもいいわけではあるまい?」
出たよ、こっちの方のどっちでもいい、が。
咲希は、ラーキスから離れると、ぷうと頬を膨らませた。
「どうしてどっちでもいいって言葉になるのよ。もう、知らない。私も、朝ごはん食べて来ようっと。」
咲希は、さっさと歩いて行く。ラーキスとアトラスは顔を見合わせたが、その後を慌てて追いかけた。
「サキ?何を怒っておるのだ。説明せねば分からぬ。サキ?」
咲希は、そんな言葉を背中に受けながら、大きくため息をついた。どうして、グーラってこうなのかしら。こんなんじゃ、私も自分の気持ちがどうなのか、確かめようがないのに…。
それでも、それをラーキスに言う勇気も、また今の咲希には無かったのだった。
朝食を済ませた圭悟とアトラス、サルー、そしてリリアナと克樹は、一階のロビーにある喫茶店でお茶を飲んでいた。
もっともサルーは、飲み食いをしないのでそこに座っているだけだ。ここはアーティアスが来ているので貸し切りになっていて、ラウタート以外はこのホテルには居ないので、サルーに怯えて遠巻きにしているのはホテルの従業員ぐらいだった。それでも、サルーと接した従業員達なら、案外に普通に話して動きは紳士的なので、もう怯えてはいなかった。
そこの大きな窓からは、庭が見えた。
今、そこには咲希とラーキスが出て、何やら二人で話しているのが見えていた。それを眺めていた圭悟が、言った。
「あの二人の関係ってどうなってるんだ?さっき見た限りだと、赤の他人って感じでもなかったけど。」
すると、それには克樹が答えた。
「どう見ても恋人同士なんだけどね、アトラスが言うには誤解だって言ってたって。」
アトラスが、それを聞いてため息をついた。
「それがの…さっきも改めて聞いたのだが、婚姻のことについて、ラーキスはどっちでもいい、で、サキはどうしてどっちでもいいという言葉になるのだ、と憤っていて、よう分からぬのだ。」
それを聞いたリリアナが、顔をしかめた。
「なあに、ラーキスはまだどっちでもいいなんて言っているの?」と、呆れたように肩をすくめた。「なら、駄目ね。まだしばらくは、中途半端なままね。」
サルーが口をはさんだ。
『男女の仲というのは、すれ違いが多いもの。特にあの二人は人とグーラ、それに異世界とこの世界という、二重の障害があるわけだから、すんなりとはいかぬだろうな。普通の男女でも、意識の違いは大きいものであるのに。』
圭悟が言った。
「ふーん、だがオレにでも、どっちでもいい、なんて言ったら先へ進まないことぐらい分かるぞ?そんなことも分からないんだろうか。」
アトラスが、困ったように顔をしかめた。
「なぜにどっちでもいいと言ったらいけないのだ。否定しておるのではないのに。」
克樹が、驚いたようにアトラスを見た。
「え、どっちでもいいって、結婚したいって意味とか、そんなことないよな。」
アトラスは、克樹を真剣な顔で見た。
「だから婚姻のことに関してであるぞ?そんな重要なことを、簡単にどっちでもいいなどと、言うはずなどないではないか。婚姻に至っても良いと思うほど好ましいからこそ、そう申す。相手が否であるなら、こちらも押してまで婚姻関係を結ぼうとは思わぬが、ということぞ。」
言外にそんな意味があるのか。
皆が驚いて絶句していると、圭悟がパチンと手を打った。
「ああ!そうかグーラの集落ってメスが多いんだよな。相手を決めるのは圧倒的にオスの方なんだ。ダッカに居るのはオスばっかだけど、アトラスは集落で育ったから。だからそんな考え方なんじゃないか?」
「でも、ラーキスは?」克樹が戸惑うように言った。「ラーキスはダッカでオスばかりの中で育ったじゃないか。」
アトラスは、克樹を見た。
「それでもよ。谷では圧倒的にメスが多いゆえ、相手が見つからぬ場合はダッカまでよう、父上と母上が多くのメスを連れて参っておった。見合いであるな。ラーキスとて何人ものメスに言い寄られておったわ。あれは色が良いし体格も大きい方であるゆえ。」
グーラの判断基準ってそこなのか。
カルチャーショックを受けながらもそれを聞いていたリリアナが、横から言った。
「じゃあ、ラーキスはそういうのを全部蹴ってるのに、サキには、どっちでもいいって答えてるってことは、出来たら結婚したい、って意思表示してるってこと?」
アトラスは、頷いた。
「オレはそう思う。人は、そうではないのか?」
皆は、顔を見合わせた。需要と供給の関係上、こと婚活に関してグーラの世界ではオスが優位であるらしい。
「じゃあ、完全にすれ違ってるじゃないか!」突然克樹が立ち上がった。「咲希には伝わってないから、誰かがそれを教えなきゃあの二人はこのまま平行線なんじゃないか!オレ、ちょっと行って話を…、」
すると、横から大きな緑のまだらな足が克樹に巻き付いた。
『待て。第三者が口を出したらややこしいことになる。もしもサキが聞いて参ったなら、答えたらいい。今だってああして仲良く一緒に居るのだから、もしかしたらそれらしいことをラーキスが話しているかもしれないじゃないか。いよいよとなるまで、見守ろう。』
克樹は、仕方なく座ったが、気遣わしげに窓の外に視線を走らせている。
アトラスは、つくづく人は分からないと内心頭を抱えていた。




