立ち往生
遡って前日の明け方、玲樹は、ほとほと困っていた。
スタンは大変に素直に自分の言うことを守り、しっかりと自分の体に伏せてじっと黙って乗っていてくれた。マーラも、じっとはしていてくれなかったが、それでも飛んで来る術をいくつかはじき返してくれたのでとても感謝している。
二人が慣れないので休み休み飛ばねばならず、思いもかけず山岳地帯へ入った時には夜が明けて来てしまって、時間が経ってしまっていたのもラウタート初心者の二人には仕方がないだろう。
だが、二人を山岳地帯の向こう側、山の頂上から少し降りた辺りに下し、そこでキャンプ用品を渡してしばらく待っているように言っても、マーラだけがガンとして頷かなかった。
「だから、オレはシュレーとレンを探しに行かなきゃならねぇんだよ。」玲樹は、マーラに言った。「あんたを乗せてたら、重いじゃねぇか。あの二人とお前、三人を乗せて全速力でもいったいどこまで逃げられるか。残ってろ、スタンだって一人じゃ心細いだろうが。」
マーラは、何度も首を振った。
「だったら、私は走る!私の上司なのよ。同じ軍人なのに、自分だけ逃れて救出を他の民間人に任せておくなんて出来ないわ!」
日が高く昇り始める。玲樹は、イライラしながら言った。
「何が民間人でぇ。オレはラウタートだ。あんたはただの人。走るって時速何キロだ?足手まといだってんだよ。」と、ラウタートへと変化した。『時間がもったいねぇ。オレは行ってくらあ。こんなことをしてる間に、あいつらがやられちまったら元も子もねぇ。じゃあな。』
マーラは、玲樹の脚にガッチリとしがみついた。
「私も連れて行って!あのひとは私の大切な人なのよ!殺すわけにはいかないの!」
玲樹は、振り返った。
『なんだよ面倒な女だな!あんたみたいなのに惚れられたヤツに同情すらあ!軍人だったら私情で動くな!』
「面倒でもなんでも、私はじっと待ってるなんて無理よ!私も行く!」
マーラの必死な顔に、玲樹はラウタートからまたするすると人型に戻った。
「やめた。」
マーラは、びっくりして玲樹の顔を見た。
「え、何を言ってるの?」
玲樹は、ふんと横を向いて両手を肩の高さまで上げた。
「面倒だ。そもそもあいつらは自分達は自力で脱出するって言った。オレにはあんた達を連れて行けと言っただけだ。助けに来いとは言ってない。オレもリスクを冒して戻るつもりだったんだが、あんたなんてお荷物連れて、尚危ない橋なんて渡れるはずなどないだろうが。それに、あんたがごねてる間に日があんなに高くなっちまった。日の光の中オレの姿でサラデーナを走ってたら目立って仕方がない。悪いが、オレもここでしばらくあいつらを待ってることにする。」
マーラは、愕然とした顔をした。
「何を言ってるの…冗談、よね?」
玲樹は、さっさとスタンを手伝ってキャンプ用品を引っ張り出し、設営し始めた。
「だからこんな明るくなってから行けないってんだよ。行くにしても夜を待つしかねぇ。だが、あんたを連れては行かねぇがな、バカ女。」
スタンが、黙ってそれを聞いていたが、最後の一言に表情を凍らせた。それでも、何でもないように黙々と手を動かしている。
「バ…!何を言うのよ、あなた本当に仲間なの?!」
玲樹は、ちらをマーラを見た。
「あんたがあの二人の仲間だってんなら、オレは仲間だよ。レンもシュレーももう長いことオレの友達だ。」
マーラが、ふんと馬鹿にしたように笑った。
「何が長いことよ、ラウタートと会ったのなんてここ数週間の間でしょうが。」
玲樹は、マーラに向き合った。そして、その腕をぐいと掴んで引っ張った。
「何をするのよ?!」
マーラが叫ぶと、玲樹はその腕にある、シャデルからもらった緑の石を示した。
「あんたらにはこれがある。オレにはこれが無かった。ラウタートになる他に、生き延びる術が無かった。最初からラウタートだって思ったか?オレだってこうなったのは最近さ。試しにあんたもそれをシャデル王に返してみたらどうだ?緑色の化け物か、それともラウタートになるのか選べるぜ。」
そして、突き飛ばすようにその腕を放すと、またさっさとキャンプの設営に戻った。マーラは、玲樹に突き飛ばされた弾みに尻餅をついて地面に座り込んでいたが、何も言えずにただ、スタンと玲樹の作業を呆然と見ているしか出来なかった。
時間はどんどんと過ぎて行くが、シュレーとレンからの連絡はなかった。
そもそも、ディンダシェリアから持って来ているこの腕輪が発する電波は、命の気の影響を受けるようで、命の濃さが違う場所に立つ者同士の間では全く通信出来ない。
山岳地帯の頂上付近は、ちょうど命の気の境界付近で、まだらに気が濃い場所と薄い場所に分かれているのだが、それを考えてわざわざ気が濃いエリアを選んで滞在してまで、二人の連絡を待っていたが何もなかった。
先に飛び立ったであろうラーキスとアトラス、圭悟とサルーはもう、恐らくディンメルクにとっくに入って、早ければリツに到着している頃。明らかに気が薄い場所に居る圭悟達からの連絡は期待出来ないし、こちらからもあちらへ連絡のしようがなかった。
「こちらから、連絡してみてはどうか?」
スタンが、じっと黙って腕輪を見ている玲樹に言った。マーラは、二人から離れた位置で座って、何かを考えているようだ。
玲樹は、スタンを見た。
「今、どんな状況に居るのか分からねぇだろう。もしも潜んで兵士達から逃げている最中だったら、その通信の音が原因で捕らえられる可能性もある。だから、オレからは連絡出来ないんだ。もしかしたら、あっちもそんな風にこっちを心配して連絡がないのかもしれないが。」
スタンは、小さく息をついた。
「じゃあ、もうここに居ても同じではないか。もしかしたら、レンとシュレーが徒歩でリツへ向かった可能性もあるし、お互いの様子を確かめようもない。見つからずに川を進んで行けたのかもしれないし、そうなるともう、二人はクーラン付近に居るかもしれない。我々は、もうリツを目指そう。」
玲樹も、それを考え始めていた。
もう結構な時間ここに居るので、日も傾いて来て辺りが赤く染まりつつある。
待っている間に、二人はさっさとリツへと向かっているのかも…それに、情報もなくこんな所へ滞在していても、ただ時が無駄に過ぎていくだけ…。
「ダメよ!」それまでじっと黙っていたマーラが向こうから言った。「二人の安否も分からないのに、ここを離れてしまうなんて!もうすぐ日が沈むわ。そうしたら、あなたはデンシアへ二人を探しに行くんじゃなかったの?」
玲樹は、マーラを見た。
「昨日の今朝ならまだ間に合うかと思った。だが、こんなに時間が経ってしまったら、恐らくデンシアからは出ているだろう。いくらなんでも、兵士がうろうろしている街中で潜んでいるなんて無理だからな。圭悟のマンションだって捜索されるだろうし、潜むわけにもいかない。あいつらに知り合いが居るなら別だが、デンシアへ来て日が浅いのにそれは考えられないだろう。居場所に想像がつかない今、オレ達は勝手に敵地へ戻ることは出来ないんだ。あんたらを逃がすために、あいつらは残ったのに、それが無駄になるようなことはしたくない。行くなら、まずリツへあんたらを送ってからって感じかな。」
マーラは、憤慨した顔で玲樹に向き直った。
「なによ、根性無し!私は一人でも行くわ。スタン大使だけ送って行ってちょうだい。ここで軍人なのは私だけなんだもの!」
さっと自分のカバンを腰に巻いたマーラは、山頂へ向かう獣道の方へと歩いて行く。玲樹はそれに数歩で追いついて肩を掴んでこちらに向けた。
「個人プレーもいい加減にしろ!あのな、あんたはあの二人より若いかもしれねぇ。だが、力も能力もあの二人の方が上だ!あの二人が逃げきれてないのに、あんたが行ったからってどうにかなるとでも言うのか?あんたが行くことで、あんたを庇わなきゃならなくなってあの二人の生存まで危うくなるとオレには思えるがな。」
マーラは、ぐっと黙って唇を噛んだ。分かっている…だが、じっとしていられない。こうしている間にも、兵士が二人を殺してしまうのではないか…。
「離して!私は行くんだから!」
「マーラ、意地になるんじゃない!レイキの言っていることは間違ってない。君の能力は同じ軍人としてあの二人には敵わない。君が一人で行っても足手まといにしかならないんだ!おとなしくリツへ行こう!」
マーラは、荒々しく玲樹の手を振り払った。そして、スタンと玲樹から離れて駆け出そうとして、突然に糸が切れた操り人形のように、四肢を投げ出してその場へと倒れた。
「…レイキ。」
スタンが、玲樹を振り返る。見ると、スタンの手には小さな杖が握られていて、それでマーラに術を放ったようだった。
「あんたがやったのか、スタン。」
スタンは、頷いた。
「いくら術士じゃなくても、失神魔法ぐらい使えるさ。」と、マーラを見下ろした。「マーラは、少し病んでいる。レンにずっと恋愛感情を抱いていたようだったが、隠しておったらしくてな。それなのに、この旅でサルーなどに対して結構横柄に振る舞った結果、その無礼な言動に怒ったショーンにそれをバラされた。マーラの気持ちをしったレンは、親のような気持ちでいたとそれに応えてはくれなかった。その後レンは余所余所しくなり、古くからの友達であるシュレーとばかり一緒に居るようになっていた。マーラが、どんどん暗闇に沈んで行くのをオレは感じていたよ。」
玲樹は、ふーっと息を吐いた。
「恋心ってのは人を狂わせるって言うじゃねぇか。だが、これじゃあレンの足を引っ張ってるだけだ。レンも、きっちりこいつを突き放して、自分から解放してやらねきゃならねぇのに。面倒だからって友達に逃げてちゃあなあ。」
スタンは、苦笑してマーラの体勢を自然な形に変えてやると、玲樹に言った。
「さ、しばらくは目覚めない。今の間に、リツへ行こう。シュレーとレンのことは、それから考えよう。ま、あの二人なら先にリツに着いているかもしれないがね。」
「違いねぇ。」
玲樹は笑うと、ラウタートへと戻った。この姿も、気が薄くなると長く保っていられない。自分もディンメルクへ入るなら、早く二人をリツへと届けてしまいたかった。
スタンは、急いでまとめたキャンプセットを小さくするとカバンに放り込み、マーラを玲樹の背中にくの字に居って引っ掛けるように乗せ、自分もその後ろへと跨った。
そうして、玲樹は一路、リツへと向かったのだった。




