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日が沈んでから一時間、シャデルとマティアス、レンとシュレーは、出発の準備を整えて、店の方へと降りて行った。
問題は、いつもなら静かに家路について、皆食卓を囲んでいるはずのこの時間に、まだ住民達が表に出て、騒いでいることだった。
当然のことながら兵士達も街中をうろついていて、お尋ね者であるレンとシュレー、それに王であったシャデルが堂々と歩いて行けるような状態ではなかった。
ラウタートであるマティアスなどもっての他で、特にマティアスは真っ白なラウタートだったので、真っ直ぐに空に向かって登って行こうものなら、誰かに見咎められて、今のような状態では更にパニックになるだろう。
仕方なく、四人は歩いて街の外へと向かい、そこから飛び立つことにしたのだ。
マティアスの服を借りて、とにかくは皆に紛れることには成功しそうだった。マティアスの服は皆質素で暗い色合いで、暗闇に紛れることも出来そうだ。
マティアスはというと、以前の老人の姿に戻って、皆の前に立っていた。
「さて、まだ兵士もうろついておるし、ミラ・ボンテへ行くとなると川の方角へ行くより反対側へ出た方がいいだろう。海岸の松林に入って身を隠して、そこから一気に雲の上まで上がってミラ・ボンテへ向かおう。」
シュレーは、頷いた。
「任せる。シャデル様は軍の動きは見えましたか?」
自分はもう王ではないと宣言してからというもの、陛下と呼ぶと必ず訂正されるので、シュレーはあきらめてそう呼んでいた。シャデルは、首を振った。
「遠くは見えぬ。いつもなら大勢の気なら大概は見渡せたものを。ただ、アルデンシアまで小隊ぐらいの数の兵士は戻って来ておるようぞ。やはりデンシアが手薄なのでいくらか戻すことにしたのか。」
レンが、せっついた。
「ならば、急ぎましょう。アルデンシアとは目と鼻の先。気取られてから到着するまで時が稼げません。」
残りの三人は、黙って頷いた。そして、シャッターを開いて外へと出ると、マティアスがカギを掛けるのを待って、そうしてデンシアの街の中を北向きに、足を速めて進んで行った。
あちらこちらで、皆落ち着かぬ風で何やら荷物を手に立ち話をしている。それが、街の北の出口へと近づくに連れて増えて来た。怪訝に思ったマティアスは、三人を置いて側の立ち話をしている男達の方へと寄って行った。
「ちょっといいかい、兄さん達。」
そこに居た男達は少しぎょっとした顔をして振り返ったが、話しかけたのが腰の曲がった老人だと見て取ると、ホッとしたように答えた。
「ああ、どうしたんだい、じいさん?あんたも、街を出ようって?」
マティアスは、頷いた。
「こんな危ない所にこの老いぼれが長居して、何かあったら誰が責任とってくれるのかと思ってな。」
マティアスが言うと、男のうちの一人が気の毒そうに首を振った。
「そいつあ無理だぞ、ご老人。この先は行き止まりだ。」
マティアスは、大げさに驚いたように両方の眉を思いっきり上げた。
「行き止まり?街の北門があるんじゃないのか。」
男は、首を振った。
「だから、そこが封鎖されてんだ。オレ達も、ここらに立ち往生してる奴らもみんなじいさんと同じように、少しでもディンメルクから遠いアルデンシアへ逃れようと思ってここへ来たんだが、兵士が封鎖しててどうあっても出してくれねぇんだ。ここの人口がアルデンシアへ一気に流れ込んだら、大混乱するとかなんとか言って。」
マティアスは、あからさまに顔をしかめた。
「なんてこった。あっちは元は首都なんだ、これぐらいの人数はいくらでも収容できるだろう。軍は何を言うておるんだ。」
すると、そのやり取りを聞いていた別の場所で話していた男が脇から話に加わって来た。
「首都ががらんどうになるのを恐れてるって話だぜ?あっちじゃ海からアルデンシアへ向かおうとした民間船が、軍船に囲まれて戻されたってことだ。悪いことは言わねぇ、落ち着くのを待って隙を見て出た方がいいぞ。今の軍はなんだかおかしい。オレ達だって、何をされるか分かったもんじゃねぇ。」
マティアスは、そちらを向いた。
「おかしいって何がだね?」
その男は、あっちこっちで同じ話をしているのだろう、饒舌に話始めた。
「オレは城の使用人の友達が居るんだが、あっちの大陸からの使者達を、陛下からは手厚くもてなせと命令があったらしいんだが、将軍からは閉じ込めて、食事も与えず放って置けと言われたんだそうだ。陛下はお優しいが将軍は怖いってんで、使用人達は使者達の世話をせずに放って置いた。そうしたら、そいつらが逃げ出そうとして、それを止めようと兵士達が必死になって追っていたと。それなのに、ただの一人も捕らえることが出来ず…なぜだと思う?」
そこに居た、マティアスを含む見ず知らずの男達が身を乗り出した。
「軍にやる気がなかったからとか?」
相手の男は、渋面を作って首を振った。
「いいや、奴らだってやるときゃやる。ではなくて、ラウタートが城へ侵入して来て加勢したんだそうだ。」
「ええ?!」
そこに居た男達が、皆一斉に叫ぶ。件の男は、しーっとわざとらしく辺りを見ながら指を立てて見せた。
「あくまで、そいつが聞いた話らしいがな。今まで、城にラウタートが入ったことなんてあったか?シャデル陛下が即位してから、そんなことはついぞ無かった。つまりは、シャデル陛下が命令を聞かない将軍達に嫌気がさして、この国を捨てて、ラウタートと手を組んだんじゃねぇかってもっぱら城では噂されてるらしい。兵士達は、自分達だけで国を守らなきゃならねえってんで、神経質になってるんだってさ。」
当たらずも遠からず。
マティアスも、こっちで他人のふりをして背を向けて聞いていたレンとシュレーとシャデルもそう思って聞いていた。
マティアスは、はーっと大きく肩で息をついて、落胆して見せた。
「それじゃあ、まっとうな方法じゃあ街からはしばらく出られねぇな。兵士達は、住民を盾に戦おうってんだろ?盾は多い方がいい。何とか道を見つけて出るしかないが、あいにくオレはこの歳だ。兄さん達、幸運を祈るよ。」
相手の男達は、同情したようにマティアスを見た。
「諦めるなよ、じいさん。陛下は将軍には腹を立てていらっしゃるかもしれないが、オレ達のことは見捨てて行かれたりしねぇよ。きっと何か考えて、戻って来てくださるだろうし。まあ…オレ達はそれまで、何とかしてここから出て地方へ逃げていたいと思ってるがな。」
最後は、申し訳なさげだった。マティアスは軽く手を振って、その男達の側から離れた。しばらくマティアスを見送っていた男達も、見えなくなるとすぐにそんなことは忘れてしまったようで、また他の男達との話に没頭し始めた。
マティアスがその場から離れて市街地へと入って行くので、レンとシュレー、シャデルはさりげない風を装って、それを追った。
路地を少し入った所で、マティアスは険しい顔をして立っていた。シュレー達はそれに近づいて、言った。
「街を封鎖されてるんだな。このままじゃ、外へ出られない。」
レンが言うのに、マティアスは頷いた。
「海岸もダメだ。艦船が見張ってる。空へ昇ってしまえればなんてことはないんだが、オレは目立つからな…人の姿のままなら小さいし、そう目立たないんだが、お前達を乗せるのにラウタートにならねば無理だろう。」
レンとシュレーは、顔を見合わせた。
「…二手に、分かれましょう。オレ達は別の道からディンメルクを目指す。そうすれば、シャデル様とマティアスは自分で飛んで、雲の上に出るだけなので、隙を付けば見られずに済むかもしれない。」
シャデルが、首を振った。
「主らのことは、明確に追っておるのに。我がここに居ることも、マティアスがラウタートであることも軍は知らぬが、主らがディンダシェリアの使者であることは皆知っている。飛べもせぬのに、今のように警戒した場所で逃れるなど、自殺行為ぞ。」
シュレーは、腕輪に視線を落とした。
「あの…最後に逃げて行きながら声を聴いていたのですが、ケイゴ達は地下牢から水路を抜けて川へと出るようだった。あれから何も連絡がない所を見ると、恐らく成功したのでしょう。オレ達も、その水路を通って川へと逃れることが出来るかもしれない。」
シャデルは、思い出すように眉をひそめた。
「…あの地下水路はかなりの長さ。そして途中から高さがなくなり水だけになる。空気の玉を作っても、そんなに長く持つとは思えぬが、本当にケイゴは無事に脱出したのか?」
そう言われると、シュレーもレンも不安になった。確かに王城から川までの距離は結構あったように思うが…。
「…溺れたのでしょうか。」
シャデルは、首を振った。
「分からぬ。普通なら我は己の結界の中なら見ることが出来たのだが、あの時には枷をはめられて何も見えていなかった。」
レンが、シュレーをつついた。
「どちらにしても、確かめに行かねばならないな。オレ達だけで行こう。ケイゴ達が居なかったら抜けたということだし、オレ達にも抜けられる。そうでなければ…あんな所に、放って置くこともオレは心が咎める。」
マティアスが、慌てて言った。
「馬鹿か、お前らは。今はそんなことを言っておる場合ではないであろうが。ケイゴがもしそこで漂っておったとして、こんなに時間が経ってはもう手遅れだ。遺体を回収してどうにか出来る状態でもない。抜けたとしたら、ケイゴにはその手段があったということで、お前達にはないだろうが。そんな危険を冒しておる場合ではない。確実な方法を考えるのだ。何かあるはずぞ。」
ふとシュレーはシャデルが、じっと黙って何かを考えているのに気がついた。シャデルは、何かを確かめるように自分の右手を握ったり開いたりしている。マティアスもそれに気づいて、シャデルを見た。
「どうした?また気が出なくなったとか言うのではあるまいの。」
シャデルは、ハッと顔を上げて、首を振った。
「いや、今の我の力の限界がどれぐらいなのか見ておった。以前は息をせずとも長く持ったものだが、それが今は可能であるのかと。」
シュレーはびっくりしてシャデルを見つめた。
「呼吸無しでも大丈夫だったのですか?」
シャデルは、苦笑した。
「ほんの一時間ほどならばな。」
充分だろう。
マティアスが、呆れたようにシャデルを見た。
「仮に主が可能でも、オレ達は無理だ。空気の玉が持つのはせいぜい五分ほど。中の酸素がなくなればアウトだ。恐ろしいことを言うな。」
しかしシャデルは、大真面目だった。
「玉を人型いっぱいにまとわせれば、恐らく20分はもつ。城の地下水道は海へも流れておる物がある…ミラ・ボンテまで、我が水中を行けば30分ほど。主らは手足を動かさずじっとして、我が主らを引いて進めば主らの空気のもちももう少し良くなるはずだ。」
「それでもせいぜい五分延ばせればいいところでしょう。」レンが言った。「残りの五分は?オレ達に我慢せよと?」
シャデルは、真面目な顔のまま言った。
「どうしても苦しければ水面へ出て呼吸も出来よう。島へ近づいておればおるだけ、陸へ目を向けている軍からは見つかりづらい。夜の海面に人の顔が浮いておっても、見つけるのは難しいもの。恐らくは、これでいけるはずぞ。」
マティアスが、渋い顔をした。
「水の中か。この冬に、老いた身には過酷なことよ。」
「本当は50代のくせに。」
マティアスは、ふんと鼻を鳴らした。
「うるさいわ。ここに居る誰より年長ではないか。少しは敬え。」
そうして、四人はぶつぶつ言うマティアスと共に、本当は行きたくはない王城へと向けて歩き出したのだった。




