ルクシエム
しばらく飛ぶと、段々と寒くなって耐えられなくなって来た。手がかじかんで来て、慌ててコートのポケットを探ってみると、手袋が出て来た。買った覚えはなかったが、良かったといそいそとそれを着けていると、尻の下のラーキスが言った。
『雪雲が近付いている。雲の上へ上がるぞ。』
咲希は、何度も頷いた。この上、雪まで降って来たらたまらないからだ。シュレーが言った。
「後どれぐらいだ?」
ラーキスは、ちらと振り返って答えた。
『小一時間ほどだな。これ以上スピードを出したら、我らはいいがお前達が凍えるだろう。』
咲希が、また何度も頷いた。本当に寒い。このコートには毛皮が付いているからまだマシだが、それでも寒い。シュレーは、そんな咲希の様子を見て、頷いた。
「確かにそうだな。」前を見ると、前方のアトラスも雲の上へと上がって来た。「あっちも寒いだろう。だが、少し慣れて行かないと…ルクシエムからは歩かなければならないからな。」
ラーキスが言った。
『オレは人型になっても寒さには強いからな。だが、サキはどうか?』
咲希は、コートの首元までしっかりと毛皮を引き寄せて答えた。
「寒いのは…強いと思ってたんだけど。」と、勝手に震えて来る足を必死に押さえながら言った。「ここまで寒いのは、初めて。でも、お尻と太ももは温かいの。ラーキスにくっついてるから。」
ラーキスは、困ったように言った。
『困ったの。グーラの体の方が術は出しやすいし命の気を吸収しやすいが、人型の方が命の気の消耗が少ない。なので、距離を歩く時は、オレは人型になるのだ。サキを抱いて行くわけには行かぬな。』
咲希は、真っ赤になった。
「え、いえ、あの、大丈夫よ!きっと、歩いて体を動かしていたら、少しはマシじゃないかしら。ご、ごめんなさいね、気を遣わせてしまって…。」
咲希は、赤くなった顔を隠すように下を向いた。シュレーは、それを見てため息を付いた。
「相変らずだな。いくら人の中で育ったとはいえ、あのマーキスに育てられたのだから、人の女の気持ちなんか分からないか。」
ラーキスは、くるっと首を向けられるだけこちらへ向けてシュレーを見た。
『何と申した?女の気持ち?』
シュレーは、肩をすくめて言った。
「ああ、いい。そのうちに分かるだろう。それより前を見て飛んでくれ。」
ラーキスは、あからさまに怪訝な表情であちらを向いた。咲希は、それを見て感心していた…魔物でも、あんなに表情豊かなんだ。
前を行くアトラスは、三人を乗せて後ろも向かずに飛んでいた。
寒さが極限に達して、咲希はもうラーキスの背に体全体で抱きつくようにして暖を取り、何とか凌いでいると、やっとラーキスが言った。
『ルクシエム上空ぞ。高度を下げる。下は吹雪だぞ。』
咲希は、思わず叫んだ。
「ええ?!」
シュレーが、ため息をついて、咲希のコートのフードを深く掛け直した。
「次は毛皮のコートにしろ。ルクシエムの店は防寒具が充実している。北を旅するのに、寒さに弱いと戦うのも大変だぞ。」
咲希は、バツが悪そうに下を向いて、ラーキスの背に顔を伏せた。寒さに弱いって…この寒さだったら誰だってこうなると思うけど。
すると、前を行くアトラスも雲の切れ間に突っ込んで行くのが見える。ラーキスも、そこを目掛けて突っ込んで行った。
言った通り、顔を伏せた咲希のフードの隙間から、雪が踊っているのが見えた。降りて行くに連れて街の建物も見えたが、どこも閑散としている…人影は、見えなかった。
大きく揺れたかと思うと、すぐ側に何かの建物が見えて、ラーキスが地上へ降り立ったのが分かった。咲希は、顔を上げた。
「着いたの…?」
シュレーは、頷いた。
「よし、降りよう。オレに掴まって。」
咲希が頷いてシュレーに掴まると、シュレーは器用にさっと咲希の腰の辺りに手を回し、がっつり持ってラーキスから飛び降りた。ラーキスは、それを確認してから人型へと戻った。
「大丈夫か、サキ?」
咲希は、ぶるぶる震えながら頷いた。
「大丈夫よ。さっきまでラーキスがカイロ代わりになってくれていたから、それが無くなって今ちょっと寒く感じるだけ。」
ラーキスは、シュレーを見た。
「宿屋は取ってあるのか。」
シュレーは、頷いた。
「この先にある宿屋が、冬季も開けてる唯一の店でな。行こう。」と、あちらで降り立ったアトラス達にも叫んだ。「この先の宿屋だ!」
皆、無言で頷く。咲希でなくても、この吹雪は身にこたえた。回りの商店は軒並み閉じていて、中には板を入り口に打ち付けてある所まであって、人っ子一人見当たらない。これが街…?
咲希は、少し疑いつつ、シュレーとラーキスに掴まって宿屋の方角へと歩いた。
二百メートルほど歩くと、雪の中に昼間っから灯りの灯った建物が見えた。そこの鉄板の戸を開くと、先にショーン達が中へと転がり込んだ。
「あ~!歩いた方がマシだったな!上空は何て寒さだ。」
咲希は、その宿屋の中へと入って、そこの暖かさに固まった手足が解けて行くような感覚を覚えながら、フードを下ろした。
「暖かい…外とは全く違うわ。」
宿屋の主人らしき人が歩み寄って来た。
「この冬季のルクシエムへ、ようこそ。予約はありますか?」
シュレーが首を振って言った。
「突然だったので、宿まで要らぬと思っていたので、急なことなんだが。」
主人は、途端に顔をしかめた。
「冬季はここだけなので、あいにくお部屋が。」
克樹が驚いたように言った。
「え、冬季のルクシエムの来る物好きが他にも?」
主人は、頷いた。
「ええ、私も毎年驚くのですがね。調査隊のかたとか、興味本位のかたとか、いろいろです。他には宿屋が開いていないので、ここからしばらく歩いた工場の方で宿を頼まれるか、キャンプ場でテントを張られるかになりますね…。うちは本日なら、一部屋しか空いていないんですよ。手狭になりますが、ベッドを数だけ入れたら何とか。どうなさいますか?」
咲希は、すがるような視線をシュレーに向けた。やっと落ち着いたのに、今からまた歩くとか考えられない。吹雪の中でキャンプなんて、もっと考えられない。
シュレーは、頷いた。
「それでいい。無理を言ってすまんな。」
主人は、頷いて頭を下げた。
「では、こちらへ腕輪を。七名様ですね。」
シュレーは、自分の腕輪を機械に翳した。出た表示をあちら側で確認した主人が、驚いたような顔をした。
「王のお支払い?シュレー将軍でいらっしゃいますか?」
シュレーは、腕輪を下ろしながら頷いた。
「王の命でな。ルシール遺跡へ向かわねばならない。」
主人は、途端に深々と頭を下げた。
「それはそれは。存じ上げませず…。今はなぜか、ルクシエムから西へ行くほど魔物が減っております。ルシール遺跡の方には、もうほとんど居ないのではないでしょうか。それで調査に?」
シュレーは、頷いた。
「そんなものだ。とにかくは食事を頼む。」
主人は、また頭を下げた。
「はい、すぐにご準備しましょう。お部屋の鍵でございます。上がって奥の突き当たりのお部屋でございますので。」
シュレーはそれを受け取ると、皆に頷きかけて、階上へと上がって行った。
部屋へ入ると、狭いと言っていたわりには広い、と咲希は感じた。ベッドは既に四台入っていたが、詰めればあと三台ぐらい余裕だろう。
咲希がキョロキョロと回りを観察していると、シュレーが言った。
「ここは一番いい部屋なんだろう。ここは安い部屋から埋まって行く。探検家とか物好きな奴以外は、冬季のルクシエムには来ない。そんな奴らも、泊まるならなるべく金を浮かせるために工場を間借りすることが多いからな。この宿が満室なんてあり得ないと思っていたんだが。」
ショーンが、リリアナからコートを受け取りながら言った。
「ここ最近は政府のお偉方とかが調査だとかでこっちへ来ている事が多いぞ。遺跡の方でも何度か見掛けたが、中をざっと見ただけですぐに帰ってった。あれで何が分かるって、呆れて見てたんだがな。」
シュレーは、頷いた。
「しばらく前からパワーベルトの異常値は観測されていたからな。陛下が命じてらしたのだ。だが何一つ分からないまま。今度の事が起こって、埒があかないとオレを派遣された。」
咲希が、コートを脱ぎながら言った。
「でも、ここは本当に街なの?板で入り口を塞いでいる所もあったわ。」
シュレーは答えた。
「ここは工業の街。冬季は雪が深くなるので、工場は閉鎖されて管理の職員だけになる。住人も大半がこの時期は南へ移動して、残っているのは極少数なのだ。それに冬季は、もっと北に住む魔物達が雪を避けてこの辺りまで来るので、留守の間に戸を破られて荒らされてはならないので、ああして板を打ち付けて行くのだ。ここの戸も、重い金属で出来ていただろう。」
咲希はそれを聞いて身震いした。魔物が街に来るの?
「ま、魔物が…来るの?」
ショーンは、咲希の様子を見て笑った。
「今更何を怖がってるんでぇ。術を練習してたんじゃなかったのか?」
「そ、それはそうだけど…。」
マーキスが、割り込んだ。
「咲希はまだ野生の魔物に遭遇したことがないのだから、仕方がないであろうが。」
ショーンは、肩をすくめた。
「別に。責めてるわけじゃねぇよ。でもま、ここは大丈夫だ。あの主人が魔物避けのホーリーの術を掛けてある。普通の魔物なら近寄れねぇよ。人になって歩き回るやつは無理そうだがな。」
ラーキスは、ショーンを睨んだ。グーラが人と同じように思考し、同じような感情を持つのだと、二十年前に術で人型になったグーラから人は学び、共に社会で共存していくことを決めた。それでも未だに、人の間ではグーラに対する風当たりは強かった。まだそういった偏見が人の間ではあったのだ。
克樹が、足を踏み出して抗議した。
「マーキスやアトラスは魔物じゃない!グーラという種族だと父さんだって言っていた!」
ショーンは、ふんと腕を組んで横を向いた。
「魔物の中のグーラって種族ってことな。頭がいいのはオレだって認めるさ。だが、あいつらは人が他の魔物に襲われてたって助けたことがあるか?人なら他のパーティが手こずってたら素通りしたりしねぇだろうが。つまりは、そういう奴らってことさ。」
シュレーが口を開いた。
「グーラのことには誤解が多い。あれらは人に見えないものが見えるので、人が戦っている時点で、それらに勝機があるのか分かる。明らかに力不足だとしても、自分達が加勢して、それが無駄にならないかどうかも一目で分かる。加勢しても勝てないとみれば、手を出さないのだ。犠牲を最小限に抑えようとするからな。」
ショーンは、シュレーに食ってかかった。
「その判断ってのが気に食わねぇんだってーの!人なら、無駄でも助けようとするだろうが!」
シュレーは、ショーンを睨み付けた。
「考え方の違いだ。人の間でもあることだ。ごたごた言うのなら、お前は離れてくれてもいいぞ、ショーン。ルシール遺跡の場所ならもう分かる。」
ショーンは、横を向いて黙った。咲希は、皆の剣幕におろおろと見ている。ラーキスは、落ち着いた様子で、シュレーを見て言った。
「オレは別に気にしておらぬ。こんな考えの人に出会うのは、何もこれが初めてのことではないからの。確かに我ら、無駄なことはせぬ。明らかに勝てぬ戦いには、始めから参戦せぬ。此度のような未知の事態なら、予測は付かぬからある程度までは様子を見て改善の努力はするが、これも勝ち目がない戦いだと思うたら協力はせぬやもな。」
咲希は、それを聞いて反論出来なかった。諦めずに最後まで、とは聴こえがいいが、負けが見えて来たら自分でも無駄だと諦めるのかもしれない。それではいけない、と思うが…しかし、ラーキスの場合は諦めるとはまた違うようだ。無駄なことはしない、という考えからなのだ。
シュレーは、頷いた。
「それでもいい。グーラの協力は有難い。オレだって勝ち目の無い戦いなどしたくはないからな。」
克樹は、アトラスを気遣わしげに見たが、アトラスも特に気にしている様子もなかった。すると、ドアをノックする音が聴こえ、宿の主人が顔を覗かせた。
「あの?お食事の準備出来ておりますので、下の食堂へお越しください。その間にこちらへ残りのベッドを入れておきますので。」
シュレーが。振り返って頷いた。
「ああ。よろしく頼む。」と、皆をぐるりと見回した。「じゃあ、飯にしよう。」
咲希も頷いて、シュレーについて階下へと降りて行った。




