脱出3
玲樹は、次々に飛んで来る魔法技を避けながら、城の外へと宙を蹴って進んだ。
背中のマーラは思ったより優秀な術士で、ここまで何度も飛んで来たきわどい一撃をその剣から発する盾の魔法で弾いて防いでいた。ジグザグに進んで行く間にも下に見える兵士達の間に、シュレーとレンの姿は無いかと探してはいたが、それでも城の外へ逃れる間、玲樹の目に二人の姿が映ることはなかった。
城の外も大変な騒ぎになっていて、探しに戻ろうにも自分のこのラウタートの体では目立ってとても無理だ。何より、今はスタンとマーラを乗せている。
ラウタートになってから異常に鋭くなった聴覚で二人の声や気配を感じようとしたものの、それはかけらも感じられなかった。逃れようと潜んでいるのだろうし、それは至極当然のことだった。
玲樹は、シュレーを置いて行くことにかなりの抵抗を感じていたが、それでもシュレーとレンが命を張って逃がそうとしているこの二人のことを思って、後ろ髪を引かれる思いでそこを必死に逃れて山岳地帯へと向かった。
暗闇は、思った以上に玲樹の黒い体を隠してくれる。
まだわーわーと声が聴こえるその城の敷地を離れて、玲樹は山脈へと、更に高く上がってふいの魔法に備えながら宙を駆けて行った。
城壁の外の茂みの中で、玲樹が去って行くのを確認したシュレーは、ホッと息をついた。これで、自分とレンだけだ。それなら、この囲みを抜けて行けるはず。
レンは、裏側へと走って行った。自分はこちらへ走り、兵を分散させることに成功していたが、先ほどから兵士達が、一個一個の茂みに向けて剣を突き刺して、潜んでいる者が居ないか確認し始めている。
もう、ここにも長く居られない。
シュレーは息を整えると、回りを見た。ここから、次に潜めるとしたら街へと向かうあの通路。そこへ飛び込めば、路地の複雑さを利用して逃げ切ることが出来るはずだ。
そこまで、芝がおよそ50メートル続く。その間を、無事に駆け抜けることが出来たら、何とか次のステップに進めるはずだ。
兵士達は、剣や槍を構えて回りを警戒しながら歩き回っている。シュレーは機を図ると、さっと茂みを飛び出して、通路へと走った。
「居たぞ!」
あっちこっちから魔法が飛んで来て足元で煙を上げた。シュレーは感覚を研ぎ澄ませてそれを避け、肩をかすめた炎に顔をしかめながらも、路地へと飛び込んだ。
「街へ入った!急げ!」
声が追いかけて来る。
シュレーは、何とか知っている道をジグザグに走り抜けながら、腕輪に向かって叫んだ。
「レン!街へ入った、お前はどこだ!」
腕輪から、声が返って来る。
『オレも街中だ。こっちにゃ兵士は来てない。お前が飛び出して一斉にそっちへ行ったから、オレは裏から街へ出られたんだ。追っ手はまけそうか?』
シュレーは、息を上げて全速力で走りながら言った。
「どうだろう、ちょっと待て。」と、横の狭い路地の脇にある高い塀に手を掛けると、ひょいと懸垂してそこを乗り越え、どこかの狭い庭らしい場所に座り込んで周囲を確認した。じっと黙って息をひそめていると、兵士達が大勢路地を駆け抜けて行く音が聴こえ、それは四方八方からドタドタとうるさくしばらく続いたが、直にシンと静まり返った。シュレーは、囁き声で腕輪に言った。「今海の方向へ抜けて行った。まあここからならあっちしか街から出て逃れる方法はないと思うだろうしな。」
レンが落ち着いた、しかし小さな声で答えた。
『どこかに潜む場所はないか。川も陸も警戒されたらとても逃げ切れないだろう。ほとぼりが冷めるまでどこかで潜んで、あっちが諦めるのを待って出るしかなかろう。』
シュレーは、ため息をついた。
「ケイゴのマンションしか知らないが恐らく無理だ。ディンダシェリア関係の人間のことは、まず疑ってかかるだろうから、そこも捜索されるはずだしな。」と、ふと顔を上げた。「…が、心当たりはある。」
レンの声が、少し明るくなった。
『ほんとか。どこだ?』
「落ち合う場所を決めよう。」シュレーは、腕輪の画面を押して、地図を呼び出した。そして、そこの一点にマークした。「地図を送る。そこで待て。」
そうして、シュレーは辺りを警戒しながら再び塀を越え、そしてレンとの落合場所へと一目散に走って行った。
街は、これほどの騒ぎなのにそれは静かだった。
みんな寝静まっているのだろう、どこの部屋も明かりが消え、僅かに明かりが灯る窓も見ていると徐々に消えて行った。
時計を見ると、時間は深夜1時を回っていた。確かにこの時間なら、朝が早いこの国の民達なら普通はぐっすり夢の中だろう。
シュレーがそこへ到着すると、脇の壁と壁の間から、人影が出て来た。
「シュレー。」
シュレーは、頷いた。
「レン。怪我はないか。」
レンは、何かの布がぐるぐる巻きにされている手首を見せた。
「剣先がかすった。昔はかすり傷すら負わなかったのに、歳だな。」
シュレーは、ふふんと自分の肩を見せた。そこは、服がえぐられて中の肉が少し焼け、水膨れになって来ている。
「同じく歳だな。危うくバーベキューだ。」と、目の前のシャッターが下りた幅の狭い建物を見上げた。「問題は、入れてくれるかどうかなんだが…ま、賭けだな。」
シュレーは、古い動作しているのかどうかさえ分からないような呼び鈴を押した。微かに、中で小さなブザー音が鳴っているような気がする。
しかし、何の反応もない。シュレーは、またそれを押した。何度も押しているうちに、本当にこれは通じてるんだろうか、と心配になって来た。
「…おい、まだか。あまり長くこんな通りに堂々と立ってるのはマズい。」
辺りを警戒しているレンが眉を寄せて言う。分かっているが、それでも相手が出て来ないのだから仕方がない。
シュレーは、小さな声でシャッターに近づいて言った。
「シュレーです。入れてくれないだろうか、緊急の要件なんだ。」
やはり、反応がない。
遠く、海の方が騒がしいのは聞こえて来ていたが、向こうの方で揺れていた捜索の明かりが、どうやらこっちの方へと近づいているようだった。
海側を探したがいないので、陸側を探そうと西へ登って来るようだ。
「おい、来るぞ!」
シュレーは、必死だった。
「マティアス!開けてくれ!」
そう言った途端、シャッターの下がギギギ、と音を立てて少し開いた。
「入れ。早く。」
レンとシュレーは体を寝かせて素早くそこへ入った。白髪の老人は、すぐにシャッターを閉じた。
ほっと胸を撫で下ろして礼を言おうとシュレーがマティアスを見ると、相手はこちらに向き直ったところだった。
前に見た時にはカウンターの向こうで座っていて分からなかったが、かなりの背丈があって、がたいがいい。相変わらず目は鋭く、ランプを片手にじっとこちらを見て不満そうにしていた。
「すまない…こんな時間に押しかけて。」
マティアスは、ふんと鼻を鳴らした。
「本当にすまないと思っておったらそもそもこんな時間に店の前で騒いだりせんわ。で、何をやった。なんだそのなりは。」
よく見ると、自分もレンも体中細かい傷だらけな上、服も埃まみれで大変な有様だった。
「本当にすまないと思ってる。だが、ここより他に逃れる場所が無くて。ケイゴのマンションも捜索されるだろうし。」
マティアスは、じっと黙っていたが、レンとシュレーの間を抜けて、本の間を奥へと歩き出した。
「とにかく上へ行こう。そこで話を聞く。」
シュレーは、慌てて首を振った。
「いや、こんな姿だし。あなたの部屋を汚してしまう。」
マティアスは呆れたように振り返った。
「店を汚されるほうが面倒だ。別に構わん、そんなに良い部屋でもない。来い。」
レンとシュレーは顔を見合わせたが、言われるままにマティアスについて、カウンターの後ろにある階段を上って行ったのだった。




