三つめの場所
門番に怪しまれることも全くなく、すんなりとアラクリカに入って行ったラーキスとアトラスは、時間が掛かると皆が覚悟していたにも関わらず、ほんの数時間で出て来た。門番に怪しまれるのを恐れたのか、街道沿いを南へと歩いて行くのが見える。それを見ていたアーティアスが、急いで言った。
「すぐに追うぞ。森の中を我らも並行して進もう。」
頷いた咲希とクラウス、エクラスと共に、アーティアスは先に立って茂みの中を進んだ。
そうして門番達が見えなくなった頃、二人は急に森の方へと走って来た。それを見て、咲希は大きく手を振った。
「ラーキス、アトラス!」
ラーキス達は、咲希に気付いてこちらへ向けて進路を変えた。そして、人にしてはかなりの速さで森へと到達した。
「さ、奥へ!何やら不穏な動きを聞いて参ったゆえ!」
森へ飛び込んで来たラーキスに押し返されて、咲希はつられて歩きながら言った。
「え、もしかして、軍がここに?」
するとアトラスが、何度も頷いた。
「マウに乗った軍人が多数メイ・ルルーの辺りに来ておると聞いたのだ!さっさと石を設置して移動せねば、メイ・ルルーとはメニッツ盆地の横で結構近いぞ!」
メイ・ルルーと聞いてアーティアスが顔色を変えた。
「かなり近いぞ。マウを使っておるなら、結構な速さでやって来るはず。」
クラウスが、その隣で足を進めながら言った。
「ですが、捜索しながらなのでしょう。もう少し、猶予があるはず。とにかくは、石の設置を急がねば。」
アーティアスが、頷いた。
「そうよな。して、岩盤は見つかったか。」
アトラスが、ラーキスと二人で咲希の手を両側から掴んで引きずるように歩きながら言う。
「簡単であったわ。ここには公共の図書館があったのだ。入ってすぐに声を掛けたリーゼという女に、親切に案内してもらった。この森の奥にはゴツゴツと切り立った岩場があって、そこは鳥でも登り切れないと言われておる高い崖なのだそうだ。」
またリーゼか。
咲希も思ったが、クラウスも思ったようで、少し顔をしかめた。アーティアスが、面倒そうに手を振った。
「ああ良い。あそこはみんなリーゼなのだ。とにかくは、すんなり調べて来れて良かったことよ。」
そんなことを話しているうちに、本当に目の前には、上が見えないほど高い崖が見えて来た。咲希は、何とか上を見ようと見上げてみるものの、本当に全く見えない。上の方は、白く霞掛かっていた。
「…でも、ここならきっと、クロノスもいいと言うわね。呼ぶ?」
「待て。」アーティアスが厳しい顔で言った。「夜になるのを待つのだ。ここで今術を放っては、目立って術士にも気取られる。夜なら余程真面目な術士でなければ休むもの。それを待って、石を設置したらすぐにここを離れる。シャデルとて、夜なら眠りもしよう。少しでもあやつに気取られるのを遅らせねば。」
クラウスは、周りを見た。
「では…もう昼も過ぎておりますし、サキなどは食事を取らねば動けなくなるのでは。暗くなるまで、食事と休息で過ごしましょう。」
咲希は、そういえば、とお腹を押さえた。お腹がすいているような気がする。どうしてだか分からないが、アーティアスやクラウス、エクラス、それにラーキスとアトラスは、食べる時は食べるが、無ければ無いで辛そうでもない。全く平気で、そのままで居る。
咲希は、自分が食料担当だったことを思い出し、ダニエラから渡された小さな袋を出して、それを大きくした。すると、結構な大きさで、中を開けてみると、それはたくさんの野菜や肉、果物が所狭しと入っていた。
「どうしよう。ここで調理したら、煙が出るでしょう。」
アーティアスが、袋の中を覗いた。
「ああ、我は肉なら生でもいいわ。」と、ラーキス達を見た。「主らもよな?」
ラーキス達は、ためらいがちに頷く。咲希は、いくら何でも、とアーティアスを見上げた。
「でも、細菌とか繁殖してるかもよ。ラーキス達は大丈夫かもしれないけど、アーティアス達はお腹壊さない?」
「そんなヤワな体ではない。そもそも焼くより生の方が好みぞ。早よう準備せぬか。」
アーティアスにせっつかれ、クラウスもエクラスも何も言わないので、咲希は仕方なく生肉を切り分けた。食べる時はたくさん食べるのを知っていたので、これでもかと皿に山盛りにする。そして、自分はリンゴとパンを引っ張り出して、リリアナにも同じように渡してから、それにかぶりついた。
リンゴを一口齧って顔を上げると、あれだけ盛った生肉の皿がもう、空だった。
「早っ!」
咲希は、思わず叫んだ。私の一口の間に!
アーティアスは、舌なめずりした。
「あれっぽっちをこの人数だぞ。でもまあ、満たされたし少し休むか。」と、クラウスを見た。「周囲を警戒せよ。」
クラウスは、頭を下げた。
「は。」
そうして、アーティアスはごろんとその場に横になると、こちらに背を向けた。この何より早い動きには、正直咲希はついて行けなかった。食事はゆっくり楽しみたいし、それしか今は楽しみがないのだし、本当ならきちんと料理して、それをゆっくりと食べたい…。
咲希は、またあちらの自分の世界の日常を思い出した。管理栄養士になりたかった。自分は動作がゆっくりで、急いで作るような現場には向いてないのは分かっていたけど、食事の楽しさを、それを忘れてしまっている人たちに教えてあげられるような、仕事が出来たらと…。
そして、慌てて首を振った。
これではいけないのだ。あちらの世界を思い出しているうちは、自分は覚醒しない。そうなると、こちらの世界のみんなが困る。何より、一緒に旅をしているみんなの期待を裏切ることになってしまう。早く覚醒しなければ。ここで石を取ったら、もう次は石が取れない…。
咲希は、沈んで食事の手が止まっていた。ラーキスの声が、横からした。
「サキ?」
咲希は、ハッとして顔を上げた。ラーキスはいつの間にか横にいた。
「ああ、ラーキスもお腹いっぱい?」咲希は、慌てて明るく言った。「アーティアスが、全部食べちゃったとかじゃなく?」
ラーキスは、首を振った。
「いいや、きちんと皆で分けた。それよりもサキ、今、覚醒のことを考えておったのではないのか。」
咲希は、下を向いた。ラーキスは、いつもそうやって気遣ってくれるのね…。
「うん…でも、頑張るわ。ここで終わっちゃったらいけないしね。」
ラーキスは、真剣な顔で咲希を見た。咲希は、どきっとした…いつも、おそらく他意はないんだろうけど、この真剣に見つめる顔にはドキドキする。一度、ラーキスに注意しておかないと、もしかしてって、女の子に誤解されちゃうだろうなあ。
咲希がそんなことを考えているとか知らずに、ラーキスは言った。
「サキ、オレは考えたのだ。主の力、ミールはシャデルと同じぐらいに育つと言うた。つまりは、シャデル王の力でも、同じように石が作れるということだ。」
咲希は、一体何を言われているのか分からなかった。シャデル…あの、黒髪に赤い目の王…。
あの姿を思い出すと、また気が遠くなるような気がしたが、慌てて頭を振って、咲希はラーキスを見上げた。
「でも、あの王様は石なんて取らせてくれないでしょう。だって、力がその分減るのよ?戦をするのに、強い方がいいって思ってるだろうし、きっとそんなことはしてくれないわ。」
しかし、ラーキスは首を振った。
「オレは、そうは思えない。」ラーキスの答えに、咲希は驚いた。ラーキスは続けた。「ここまで学んだことを考えてみよ。命に刻印を持つということは、それだけ大きな力を授けられた特別な命なのだ。その主と、同じ力を持つシャデルは、間違いなく命に刻印を持つのだろう。そして、その力を覚醒しているということは、それだけ成長している命だということで、あの王は、若いが恐らく、話せばわかる。」
咲希は、ラーキスが本気で言っているのだと知って、慌てて身を乗り出した。
「何を言ってるの!それでも、力を差し出すなんて、この世界の住人ではあり得ないって言っていたじゃない!私はあっちの世界に居たから、要らないって思うだけ。私が覚醒したらいいのよ!そんな危険を冒すぐらいなら、私が頑張って覚醒さえしたら…」
ラーキスは、険しい顔をした。
「…覚醒するということが、どういうことなのか分かっておるのか。」ラーキスの声は、いつになく鋭かった。「ミールの話を聞いておらぬ主には分からぬやもしれぬが、主はそのまま…」
「…人格が無くなるかもなんでしょう?」咲希が言うのに、ラーキスは息を飲んで、言葉を飲み込んだ。咲希は、悲しげに言った。「あのね、聞こえてたの。眠っていても、どういうわけか周りの話し声が聞こえるのよ。私が気を失うのも、人格を消されるのを拒絶するために、何かを思い出さないようにしている、自己防衛本能かもだって。」
ラーキスは、戸惑いがちに咲希を見た。
「主は…それで良いのか。主という人格が消えるかもしれぬのだぞ。」
咲希は、涙ぐんでラーキスを見た。
「死ぬわけじゃないもの。あの、きっと覚えてると思うし。私が居なくなるんじゃないって思うの。」
「そのような…別の人格が覚えているなど、死ぬのと変わらぬ!そんな…そんなことを受け入れて笑っておるなど、主の気持ちは分からぬ!」
ラーキスは、いきなり立ち上がった。ラーキスがそんな激しい様を見せることなど無かったので、皆が驚いてこちらを見た。
咲希がびっくりして絶句していると、ラーキスはそんな自分に驚いたようで、周りの視線を避けるように、さっと森の中へ消えた。
咲希は、涙を流した。
分かってる。もしかしたら、自分が自分でなくなるかもしれないってことぐらい。あの時、ミールが言っていたことも、なぜか冷静な自分が居て、聞いていた。このまま今の自分が消えてしまうかもってことも、もうあの、穏やかで平和だった世界には、戻れないのかもしれないことも。でも、ここまで旅をして来て、これがどんなに重要なことなのか分かっている。一緒に旅するみんなが命を懸けて成し遂げようとしていることを、ここで自分が弱音を吐くことで、終わりにしたくはない…。とても、見捨てて帰ってしまうことなど、出来ない。
「サキ…。」
リリアナが、小さな手で咲希の頭を撫でたのが分かった。咲希は、リリアナを見て、その膝に崩れて、泣いた。
「あなたは頑張ってるわ。いろんなことを心に抱えて、それでもとっても頑張ってるわよ。」
リリアナは、咲希を優しく撫でながら、そう言った。
アーティアスが、こちらに背を向けたまま、目を開いてじっと考え込んでいるのは、誰も知らなかった。




